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草倉銅山界隈 [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

阿賀町の赤崎山へ(車で)上ったあと、草倉銅山へその場の思いつきで立ち寄ってみました。
赤崎山へは初めて行ったのだけど、最初の展望台からの眺めが絶景過ぎて驚きました。

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夜間にどれくらい外灯が灯るか未知数だけど、一度は星景写真を撮りに来なくては!
15mm前後の超広角レンズで、縦位置で写せばいい感じになりそう。

IMG_6267.jpg

次に、不動沢下流に位置する角神不動滝へ。
2段になっており、2段めの滝の真下までコンクリートの歩道が付いています。
3ヶ月前に初めて訪れたのだけど、そのときはこの歩道が工事中で行けませんでした。
また、その後R459のトンネル工事もあり、11月末まで現地へ立ち入ることができなかったのです。
写真の二の滝は落差23m。
この滝を越え、150mくらい遡行すると滑滝が出てくるはず。
草倉銅山は幾つかの鉱区に分かれていたのですが、そのうちのひとつ、滑滝鉱床がそこにありました。
「ミックンのつぶやき」のミックンが唯一その坑口を訪れた人物だと思うのですが、興味のある人は鉄人ミックンの記事を参照して下さい。
また、この不動沢を完全遡行された方がいます。
「飯豊連峰~四方沢の旅」の長島氏がその人。
やはり遡行記のリンクを貼っておきます。
二の滝はなんとか左岸を高巻きできそうだなと感じたのですが、改めて長島氏の遡行記録を読んでみると、やはり右壁から巻いたとのことでした。
しかし、それからもう一つ高巻きの必要な5mの滝が出てきたりで、滑滝までたどり着くのは容易ではなさそう。
くだんの滑滝は10mの落差があるのですが、滑滝鉱床の坑口はミックンによるといやらしい位置にあるらしく、実際に坑口を訪れるのはその道のプロじゃないと厳しそうです。
なので、せめてその手前にある不動滝へは一度行ってみたいと思っていたのです。
取りあえず満足。


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不動沢の出会いには、かつて大川前選鉱所がありました。
ということは、その周辺に廃鉱石が転がっていてもおかしくない。
選鉱所の遺構は見つけることができなかったけど、その前の河原でチビ水晶に覆われている20数センチの石を発見。


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トリミングして切り出してみました。
他にも類似の石は2,3個あったけど、ネットに書いてあったようなチビ黄銅鉱が付いた石は見かけなかったです。
ハンマーを使って石をかち割れば、あるいはそういう鉱物を見つけることもできたかもしれませんが、基本的に水晶にしか興味がないので・・・

それから草倉銅山本山入り口へ移動。
広葉樹の葉っぱが落ち、林の見通しが良くなったことを確認し、前回ヤブが深くて100mで引き返した踏み跡を辿ることにしました。
最初の150mが倒木やブッシュだらけでなかなかピッチが上がらなかったですが、踏み跡は終始そこそこ明瞭に残っていました。
分岐点から北側にも踏み跡は続いていたのですが、30m先でこれでもかというくらい倒木が行手を塞いでおり、そこでUターン。
というか、分岐点の右手の小道も歩いてみたかったのでそちらへ歩を進めました。
そっち側の小道はさらに歩きやすく、途中から草倉沢を左手に眺めながら歩きました。
そして、この小道は古河機械金属㈱と向鹿瀬地域の尽力で近年建立された供養塔の背後に続いていたのです。
奇しくも昨年5月下旬、初めて草倉銅山跡を訪れた際、深入りしすぎて遭難しそうになったことがあるのですが、そのとき、最後の最後でこの供養塔の白い建造物が視界に入ったため、なんとか生還できたことがありました。
どうも草倉銅山で働いていた人達とは何かの縁があるようで。
自分自身の過去生で、ここで働いていたとか・・・


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さてその帰り、本山入り口から幾らも走らないうちに、左手前方にこれらの石碑が目に飛び込んできました。
(数ヶ月前にこの道路を通った際は、これらの石碑の存在に気づきませんでした。念の為グーグルアースのストリートビューでもこの場所を見てみたけど、ヤブに埋もれていて道路からは見えません。ということは最近一帯を整備したのでしょうか?展望台に登る小道も、最初の5mは金属製のハシゴが設置されており、これは以前はなかったものです。)


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どれも江戸時代のもののようです。
例えば、これは万延元年とありますから1860~61建立です。
明治元年が1868ですから、江戸時代末期ですね。
これらの石碑の背後の丘に向かって、踏み跡が付いていたので辿ってみました。

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ほんの一投足で本山エリアを一望する展望台(マップ参照)に出たのですが、すぐピンときました。
この場所こそ、草倉銅山を紹介する資料の多くで使われている古写真を写した場所だったのですね。


kusakura.jpg

この写真は明治時代に写されたものとされていますが、正確な年代はわかっておりません。
(引用先はこちら)
ぼくが撮った写真で、三角沢の流れている部分は青でマークしました。木立で水面があまり見えないのでかなりいい加減ですが。
古写真では右端を流れる沢が草倉沢。
ですから、この写真と同一の画角を得るにはもう少し左側にレンズを向けなばなりません。
なにせもう100年以上経過していますので、山肌はとうに原始に還っております。
しかし、木々がもしなかったら、間違いなく古写真に写っている背後の稜線と同じ稜線が現れるはず。
地形図を読んでも、地形的には一致するのでこの高台から写されたことは間違いないでしょう。
そして、主要鉱区のひとつ、舟内沢鉱区へ至るであろう踏み跡の入り口をこの高台の背後で見つけました。
その踏み跡も、今の時期だからかろうじて道の痕跡を認められたものの、灌木に覆われているため舟内沢(=不動沢)に出るまではかなり苦労しそうです。
標高差は100mに過ぎないのですが、草薮でなくて灌木ですから・・・
舟内沢沿いにも、小規模ながら鉱山集落があったようです。
はるか昔の話です。

※2022/05/12追記:
一番下の写真は、明治16~20年に写されたもののようです。



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小太郎

赤崎山の展望台ですが、2015年の10月に撮影した時の感想ではダムからの光はかなりありました。
拙い写真、ブログにアップしておきます、参考になれば幸いです。
by 小太郎 (2020-12-07 23:14) 

carlossato

小太郎さん、写真拝見しました。わざわざありがとうございます。
ナルホド、かなり明るいですね。甘かったか。
でも、紅葉が真っ盛りの時はさぞ美しいことでしょう。
来年秋、ベストの時期に来てみたいです。
by carlossato (2020-12-08 00:07) 

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