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かつてここに小学校があった・・・ [鉱物 (阿賀町・持倉鉱山)]

これから紹介する写真は、HP「ミックンのつぶやき」の”亜鉛電気精錬(株)跡”という記事にアップされている写真と一部重なります。
ここへ行こうと思った動機は決して亜鉛電気精錬の廃墟を見たかったわけではなく、隣接していた尋常小学校分教場の名残があるかどうかを確かめるためでした。
ぼくが入手した地図には、分教場のあった場所が記載されており、それによると本山地区とここ亜鉛電気精錬のあった広場にそれぞれ建っていたことがわかります。
それ以外の資料でも、分教場は2箇所にあったことが書かれており、それらの資料を目にした瞬間から、持倉鉱山の坑口以上にその地を訪れてみたいと思ってきました。
場所は林道終点と事務所跡の廃墟が残っている場所との中間地点。

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事務所跡や、川を挟んで対岸にある製錬所(亜鉛電気精錬の製錬所とは別です)の写真はネットで無数に見られますが、亜鉛電気精錬の廃墟の写真は”ミックンのつぶやき”にアップされているそれがオンリーワン。
4月28日、満を持してこの地を訪れたのだけど、予想以上に広範囲に遺構が散らばっており、石垣の規模もかなり大きなものでした。
ぼくが入手した地図によると、亜鉛電気精錬の建物があったのは川に近い側で、そこからやや下手に小学校が建っていたようです(実際に現地を歩いてみた感じでは、山の神の北側にあったのではと思っています)。
ただし、非常にアバウトな地図なので、それがどのくらい正確なのかは判断材料がありません。
カラミレンガで出来た建物の部分的な遺構は、先に述べたように広範囲に分布していたので、ひょっとしたら小学校の建物もカラミレンガで作られていた可能性もあります。

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持倉鉱山が閉山してから植林されたであろう杉林の中には、踏み跡が幾重にも残っていました。
山際の方には道の痕跡も。
昔は持倉川左岸に道路があり、事務所跡の手前に架かっていた橋を渡って右岸に建っていた事務所へ到達したのです。
今はこの少し上流に大きな砂防堰堤があり、その堰堤でこの旧道は分断されていますが。

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ここに集落があったとなれば、人々の心の拠り所となった神社の祠も残っているはず。
ミックンのHPの内容はこの時点ではあまり細部の記憶がなく、実はそこにも山の神の写真が掲載されていることを知ったのは帰宅後でした。
先般訪れた水谷銀山の集落跡地もそうでしたが、ここも山の神に通じる明瞭な小道が残っていました。
境内入り口に立つ祠のひとつは、ミックンが倒れていたものを元に戻して整備したものなのです。
彼に心から敬意を表します。

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裏にはこう刻まれていました。
左右どちらの祠にも同じ名前が刻まれていましたが、どちらも等しく風化が進んでおり、完全には判読不能。

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小高い丘のどんづまりに鎮座しています。
ナムナム・・・

「本山には鉱夫及びその家族たちが住む飯場があり、集落を形成していた。食糧や坑木などは、山道を鉱夫たちが背負って運んだ。また、製錬所は、製錬の際に出る鉱滓(カラミ)を固めたレンガで造られ、その周りにも事務所や職員・鉱夫たちの住宅などが十五、六棟は建てられ、”金山(カナヤマ)”と称した集落を形成していた。最盛期には従業員数二百五十名ほどが働き、これらの集落には四、五十人の子どもたちが学ぶ小学校も、本山と製錬所と二校設置された。」
(”東蒲原郡史 通史編2 近現代”より抜粋)

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大毎金山、再び [鉱物 (村上市・大毎金山)]

4月10日に引き続き、27日、大毎金山(村上市)へ行ってきました。
今回はマンニモ山~十貫山の西斜面を歩き回ってみました。

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こちら側の斜面には、おそらく昭和30年代まで現役だったであろう段々畑(もしくはミニ棚田)があり、そこに朽ちた小屋がありました。
ヒトの生活の匂いがまだ僅かに残っています。

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金子沢を渡渉していよいよ西斜面に取り付きます。
基本的に杉林なのですが、ヤブは薄く見通しはいいです。
標高差で10mも登ると、大きな岩が連続して現れました。

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奇岩のオンパレード。
これは凄い。
当然のことながら坑口への期待が高まります。
しかし、周辺には露天掘りの跡でさえ見当たりません。残念。

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斜面を北東にやや下りながらトラバースしていくと、テラス状の人工的な地形が現れ、かすかな踏み跡が現れました。
その踏み跡を辿っていくと、写真の坑口に出ました。

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ただ、近寄ってみると奥行きは浅く、露天掘り跡といった方が正しいのかも。
これは坑口内部の写真です。

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10m離れたところにも露天掘り跡。
こちらも奥行きは浅く、1.5m弱しかない。

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人工的な凹み地形。
おそらくはマンニモ山中腹をぐるりと一周するように踏み跡は続いているのだろうけど、時間の関係で探索は1時間半で終了。
GPSの軌跡を見ると、まだ総面積の半分くらいしか見ていません。
本当にまだまだ坑口は残っているのだろうか?
最後に、大毎金山の地質について「日本の金銀山遺跡」高志書院~から引用します。
「周りの岩石は石英安山岩(金・銀などを胚胎する)。主たる鉱脈は安山岩の割れ目に満たされた含金石英脈や粘土脈で、脈幅は0.15~0.6mmという・・・」

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三光鉱山探検 [鉱物 (新発田市・三光鉱山)]

HP「ミックンのつぶやき」で紹介されている、三光鉱山(=三光石採掘跡)を訪れました。
実は5~6年前、山菜採りをしていて偶然坑口を見つけたことがあります。
林道の終点にあるその坑口、入ってすぐのところで水没しているので、そのときは入り口から中を覗いただけでした。
当時、その洞窟の正体を調べたことがあるのですが、確か市の郷土史か何かで焼き物の原料の粘土を採掘していた坑口で、その焼物は三光焼きと呼ばれたとか何とか書いてあったのを読んだ記憶があります。

手元にある”新潟県地質図説明書(昭和52年)”から改めて引用します。
「明治初年頃より何回か採掘されたが、いずれも長続きしなかった。戦後は昭和22年より採掘され、原料として陶業地に輸送されたが、運賃高のため出荷がとまり採掘を中止した。三光陶石と呼ばれている。鉱床は、新第三系七谷層の流紋岩質凝灰角礫岩、酸性凝灰岩および砂質凝灰岩を貫く流紋岩質の変質したものである・・・」
さて「ミックンのつぶやき」によると、坑口は二つあることになっています。
今回、まだ見ぬ二つ目の坑口を探すことも目標にしました。

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一つ目の坑口です。
林道の終点に位置しているので、これはすぐわかります。

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内部です。
西洋の神殿みたいで、改めてその美しさに酔いしれました。
沢歩き用の格好で来たので太ももまでの水深なら歩き回るつもりでしたが、思ったよりも水深があり、2mくらい進んだところで太もも上部まで水が来ました。
水はあくまで透明で、水温は低く、長時間水に浸かるのは不可能です。
ここは素直にあきらめ、数枚写真を取り終えると退散。

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2枚めの写真で右側に階段が写っていますが、高倍率ズームレンズの望遠側で拡大してみました。
その奥がありそうですが、この角度からはわかりません。
林道は終点からも登山道となって奥へ続いており、途中何箇所かで送電線監視路が出会います。
その登山道もどきの踏み跡もやがて途絶え、送電線監視路も2本尾根の上まで登りましたが、坑口らしきものは見当たりませんでした。
となると、もう一つの坑口はひょっとしたら最初の坑口の上にあるのではないかと推測、戻って笹薮の中へ突っ込んでいきました。

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数分後、二つ目の坑口が顔を出しました!

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こちらは水没していません。
最初の坑口から標高差で10mくらい上の尾根上に位置するため、当然といえば当然ですが。
内部は最初の坑口と同じくらいの広さがありました。

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正面奥の方に、下の階へ降りるアルミ製のハシゴが設置されていました。
なので多分ですが、最初の坑口とは中でつながっていると思います。
(危険なので、もちろん下へは降りませんでした。)

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右側奥には鉄製のハシゴが立て掛けてあり、その上のロフト?には何やら動物が数匹いるようです。

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ハシゴを半分上り、腕を伸ばしてロフトを写してみました。
この動物の正体はハクビシンでした。
先に1匹ハシゴを伝って逃げていったので、合計6匹このねぐらに住んでいるようです。
ハクビシンは夜行性。
お休み中のところ、激写してすみませんでした。

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もちろん、壁面の鉱物調査も怠りません。
結果、ごく限られた部分なのですが、銀色の細かい粒子がたくさん付いているところがありました。
黄色っぽい粒子が見られる箇所もあったのですが、それは銀を多めに含むアマルガムかもしれません。

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林道の途中に現れる地形。
昔は田んぼか畑だったんでしょうね。
ホタルがたくさん生息していそうです。

※4月28日追記:5~6年前に探しだした資料名がわかりました。
NPO法人加治川ネット21の情報誌”水辺のひろば No.18”です。
pdfファイルを保存していたのでした。
それによると、昭和30年代までは、坑口付近ではヒメサユリが咲き乱れていたそうです。
(今は一面の笹薮ですが・・・)









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二王子岳と桜と天の川 [星景写真(新発田市)]

宮古木(新発田市)の遅咲きの一本桜がようやく満開に近くなりました。
今年は新月期に満開のタイミングが重なったので、快晴になったとあれば行くしかないでしょう。
今年に入ってからずっと昼間の活動優先の生活を送ってきたので、星を見る機会をなかなか作れませんでした。
おそらく、天の川を見るのは今回(25日)が今年初めてではないだろうか。

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EOS6D Mark II 改 + EF16-35mm F2.8 L III (20mm~共通)

宮古木に行く前に、舟山の越後変電所に立ち寄り、思い描いていた構図にトライ。
もう少し高く天の川が昇ってくればいい感じになりそう。
神様仏様Sequator様です。

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で、目的の一本桜なのだが、とても風が強く、8枚も重ねるとなんの木が揺れているんだかわからなくなってしまうのです。
今回どの構図も12枚ずつ撮影し、桜星景に関してはうち1~2枚にライトを照射しました。
ライト照射のカットを含め、3、4、5枚とそれぞれSequatorで合成させてみたけれど、ライトの効果が枚数に比例して落ちていくのではなく、ある枚数を超えるといきなりすと~んと暗くなります。
つまり、ライトを照射しているカットの影響がほぼなくなってしまう。
風が強いときはワンショットが無難です、結局。
(と言いつつ、このカットも次のカットもかなり複雑な過程を経て処理していますが。)

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さっきの写真は風による揺れを生かした絵に仕上げましたが、こちらはライト照射の効果を優先させた絵作りをしてみました。

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墓地をはさんで丘の反対側に立つ、もう一本の桜の木。
どうしても思うような星空の色が出せなかったけど、深夜の桜見物、最高でした。
また来年!

※どのカットも右斜め上にゴーストが写っていますが、これはレンズ保護フィルターの汚れが原因で生じたゴーストでした。



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新発田市真中のチューリップ畑 [チューリップ]

胎内市宮川のチューリップ畑を見に行ってきました。
落堀川をはさんで、新発田市真中地区にもチューリップ畑があり、毎年両方セットにして見学しています。
今がちょうど八分咲きといったところでしょうか。
でも、2000年代はじめに比べると作付面積が減ったし、なんか感動がありません。
なので、すぐに真中のチューリップ畑に移動。
それはそうと、1ヶ月前にEOS M6 Mark II用のレンズを、EF-M 15-45mm F3.5-6.3 IS STMからEF-M 18-150mm F3.5-6.3 IS STMに買い替えました。
最近は星景写真以外は全てこの組み合わせで撮っており、15-45のレンズに比べたらマクロ撮影時の周辺部の画質もよく、大変気に入っています。
だけど、100mmを超える望遠域では解像が十分ではありません。
ISO100で撮っても、遠景はもやもやっとした描写になります(大気の状態にもよりますが)。
今回望遠側主体で写したのですが、満足の行く絵がほとんど撮れませんでした。
やはり、APS-Cで3,000万画素超えは無理がありますね。
こういう描写になるのであれば全然高画素にする意味がない。
もっとも、フル画素で撮ることは少なく、大抵は1500万画素で撮っているのですが。

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アップした3枚の写真は、2番めの写真が宮川地区、それ以外は真中地区で写したものです。


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水谷銀山、再び [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

3月7日に引き続き、4月16日、新発田市の水谷銀山へ行ってきました。
明治時代に栄えた鉱山で、往時には200人もの坑夫が働いており、郵便局、分教場、長屋などがそこにあったそうです。
前回は全体の地形を把握するための調査だったので坑口はひとつも見つけることができませんでしたが、おおよその位置がわかったので、今回は坑口を見つけること、集落跡のどこかにあるはずの山の神の祠を見つけることを目的に訪れました。

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3月7日の記事でも地図を載せましたが、そこにピンクの線で丸を付けた所がありますが、そこが坑口があるに違いないと予想した場所。
また、その地図で黄色の線で囲った所が上の地図で左側、南に伸びる破線で示されている小道の先にある岩場。
まずはその小沢沿いに伸びている小道というか、旧道を歩いてみました。

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ところが、沢の入口の部分から踏み跡が全く残っていません。
いや、水谷林道からの分岐点がそもそも残っていないのです。
100mほど遡行したら薄い踏み跡が現れましたが、それも跡切れ跡切れです。
その踏み跡は右岸に付いているのですが、傾斜が一段増したところで再び途切れ、そこで引き返しました。
上の写真は、Uターン地点で写した沢の様子。
ニノックス方面に通じているこの小道、ひょっとしたら鉱山道かなと思ったのですが、そうではなかったようで・・・

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水谷沢へ引き返し、集落があったであろう林の中を散策。
この辺に何か温かいものを感じました。
ここに長屋があったのかな?

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そして、いきなり現れました。
地図でいうところの坑口Aです。
意外や、平坦な河原に面して支保坑木が立っていました。

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上から見下ろす坑口。

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坑口内部です。
入り口から水没しており、先へは進めません。
水深はかなりありそうで、1m先では水深80cm以上に達している様子。

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このように、支保坑木の遺構が残っているのは珍しいです。
明治時代のそれですから。
今回の、一番の発見でした。
個人的には新発田市有形文化財に指定したいぐらい。
あとでわかったのですが、林道から山の神方面へ向かってはっきりした小道が残っているのです。
この坑口Aはその小道から30~40mほど西にあり、併せて訪れるといいでしょう。
このような貴重な鉱山遺構を、ヤブに埋もれたままにしておくのは実にもったいない。

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そして、これが山の神の祠。
なんのことはない、林道から南に伸びている踏み跡の終点がこの祠でした。
踏み跡はここで途切れ、この先は何もありません。

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そして、前回の地図でピンクの丸印を付けたところへ。
小さな谷間なのですが、こちらはこの日最初に訪れた沢とは違い、ヤブが非常に薄く、視界が良好です。
そして、小沢の転石を見ると石英(珪石)が多く見られるようになりました。
同じ新発田市の千石鉱山と同じパターンです。
その時点で、この先に坑口があることを確信。
そして、間もなくこの坑口が現れました(地図では坑口Bと記載)。

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やはりこちらも入り口から水没しているのですが、奥行きは少なくとも15~20mはありそうでした。
水深は50cmくらい?
天井が低いので入っていく気にはなれませんでしたが、突き当りで終わりではなく、多分その先でも左右どちらかに坑道は延びているものと思われます。

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坑口を出ると、右側急斜面の先に露天掘り跡と思わしき地形を発見。
水谷林道終点から300m先の右岸にあると某HPに書かれている上谷坑は訪れていないけど、これで水谷銀山の概要は掴んだので満足です。





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桜吹雪 [桜]

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新発田市蔵光にて。
天体用改造カメラなので、少し色調が変。
終始風が強く、今までの人生で見た中で最も華麗な桜吹雪ショーを見ることができました。
なんていうか、眺めている間、一瞬意識が時空を超えたというか・・・


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同じ日の夕方(16日)、宮古木の墓地にて。
夜中に来れば天の川と桜のコラボが写せたと思うけど、一日中動き回っていたので既に体力が限界。
時節柄無理はせず、23時には爆睡体制に入りました・・・




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沼金山を目指して [鉱物 (関川村)]

わかぶな高原スキー場(関川村)の西南西に、鋭く屹立する岩峰があります。
地形図には固有名詞が記載されていませんが、これが地元で金山伝説の伝わる猿ヶ城(298m)。
「日本の金銀山遺跡」萩原三雄著~によると、元和年間(1615~1624)、正確な場所は不明ながらも”沼金山”の大掛かりな操業があったとのこと。
村上藩の堀氏が家老あてに出した指示や、現況報告を示す”堀文書”などの古文書がその事実を伝えています。
元和六年当時の掘り子の数は2160人だったこと、村上藩の米糧の年間取扱量の実に1割が沼金山関連に割り当てられたこと、その消費米は3段階のカテゴリーで最も品質の良い飯米が輸送されていることなどが明らかになっています。
その他の資料では、当ブログでも度々引き合いに出しているサルナシ氏のブログ「サルナシの掘り掘り日記」で詳しく取り上げられています。

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沼金山の探鉱範囲は結構広く、西から小綱木川、沼川、猪ノ沢流域、及び猿ヶ城と金山(446.5)山麓を含みます。
当初は沢沿いでの砂金を採取していたものと思われますがすぐに採り尽くし、その後は金山(かなやま)周辺にて坑道掘りに切り替え、新たな鉱脈を求めたというのが全体像のようです。
しかしながら、正保年間(1644~1648)には既に操業を終えていたと思われ、江戸時代初期のほんの短い間しか稼行しなかったらしいです。
近年、佐藤貞二氏やサルナシ氏ら複数の方が猪ノ沢における遺構を確認しているのですが、猿ヶ城に関しては山麓に露天掘りの跡が多数残っていると言われているものの、それを確かめた人はあまりいないようです。
個人的に岩峰は好きなので、金山よりは猿ヶ城に惹かれます。
そこで先日、畑鉱山探索の帰りに立ち寄り、ちょっとだけ山麓を歩き回ってみました。

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北側から撮った猿ヶ城。
地形図通り、中腹を岩場が取り囲んでいます。

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ピークより左側の岩場。

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こちらは右側の岩場。

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まさに黄金色に輝く岩壁が気になったので、もう少し接近して写してみました。
これが全部ゴールドナゲットならいいんでしょうけど、偶然地質がそういう色をしているだけだと思います。
しかしながら、やっぱり砂金を多く含んでいるのでは?と考えるのは素人の妄想か。
採取には本格的なロッククライミングの装備、50mのザイルとディセンダー&アセンダーが必要です。

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右側の山腹です。
地図には記載がありませんが、こちら側にも林道が伸びています。
すっきりして歩きやすいです。

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ブナの大木を何本も見ました。
原生林が展開します。

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こちらは東側の山麓です。
東側は中腹まで、このような大きな岩が散乱しています。
露天掘りのものかどうかはわかりませんが、坑口のような穴が見られるものもあります(この写真にも写っています)。

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この穴には実際に入ってみましたが、天然の穴のような気が・・・
でも、不自然さを感じる部分もあったので、多少岩肌を削ったり、土をほじくり返したりしているのかもしれません。
探せばこのような場所はどんどん出てきます。

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その近くの地形。
本当にこんな岩場が次から次へと現れます。
時間の関係で40分くらいしか散策していませんが、時間があっという間に過ぎていきました。
楽しかった。

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沼川を挟んで対岸にも坑口のような穴がありました。
ちなみに、沼川源流の山中にはかつて沼川鉱山がありました。
硫化鉱物を採掘していた鉱山で、規模は小さいものでした。
沼川沿いの林道は荒れていなくて、路面の状態はとてもよかったです。
もともとはこの林道も鉱山道として開発されたのかな?








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畑鉱山、再び [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

昨年4月29日に初めて訪れた、関川村の畑鉱山を再訪しました。
ここはグーグルアースで見ると、国土地理院の地形図に記載のないたくさんの林道が縦横無尽に走っており、予めプリントアウトした地形図にそれらの林道を正確に清書しつつ、マイマップを作成。
そして、いつものGPS機器(ガーミン)を携え、グーグルアースで目をつけた2箇所のズリを目指しました。

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国土地理院の1/2.5万地形図では、標高268m地点から左斜上に伸びる林道の記載はありません。
しかしながら、グーグルアースで眺めるとちゃんとした林道が上の方に向かって伸びており、その先には2箇所のズリが視認できます。
赤はGPS機器で記録した歩いた跡ですが、これが林道の正確な位置です。
今回道なき道は全く歩いていません。
貯鉱場跡の下の赤い軌跡を除けば、あとは全て林道や登山道の跡を忠実にトレースしています。

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ここが標高268m地点の車道の終点の広場。
この先も林道は大里峠に向かって伸びていますが、どこまで車で入っていけそうな道が続いているのかは未確認です。
地形図に記載のない林道は、上の写真で左側の道。
しっかりした道(悪路ですが)がズリ1まで付いています。
ただし、途中大きな倒木が道を塞いでおり、バイクもそこまで。
その先も林道は伸びていますが、30m先から急に不明瞭になり、ヤブが優勢となります。

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ズリ1です(標高約355m)。
広場からここまでの林道はカラミだらけだったのですが、ここのズリを見て納得。
膨大な量のカラミの山です。

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角度を変えて見てみると、整地された地面の存在に気づきます。
おそらくここに製錬所があったのでしょう。
事実、どこかの文書で上に製錬場があったとの記述を見た覚えがあるので間違えありません。
林道を隔ててやや下手の方にもズリがありました。

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地図で言うところの、ズリ2です。

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こちらが遠景。
中央と右手側に、やはり平らな地形が見て取れます。
この台地の上にも何らかの建物があったのでしょう。

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ぼくはカラミにはあまり興味がありませんが、それでも色々なカラーのカラミが落ちているので結構楽しめます。
こちらはメタリックな質感のカラミ。
ゴールドやアンバー、チャコール、そして青緑っぽい色のもの。

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銅の二次化合物である、このような青みがかった物質が付いた石もあちこちに落ちています。
だけど、なかなかそれ以外の鉱物はお目にかかれません。
今回、知人がここで拾った某レアな鉱物を探すのも目的の一つだったのですが、こっちの目的は果たすことができませんでした。

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このような針水晶というか、ミニチュアサイズの水晶がこびりついた石もそこそこ見かけました。
昨年もこの手の石は見つけたのですが、残念ながらこれより大きい水晶はなかったです。

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さて、ぼくが作成した地図を見てほしいのですが、ズリ1の左斜め上に”二股”という単語があります。
今回歩いていないので赤い軌跡は付いていないのですが、この地点でもうひとつの細い林道が分岐しているのです。
その林道を詰めていくと、おそらくこの岩場の下部に到達するものと思われます。
ぼくはズリ1&2を見学してから、そこから尾根に向かって伸びている登山道を歩きました。
きっとこれは登山道ではなく鉱山道ではないかと思ったものですから、その小道を登っていったのですが、どうも坑口や岩場が現れそうな気配はありません。
(これは鉄塔の監視用の道ですね。鉱山道とは関係ありません。)
その頃、左膝に違和感が生じたのでそこで撤退を決意、下山しました。
登山道を登っていくとすぐ、地形図にも記載のある、標高400~450m付近に屹立する岩場が否が応でも目に飛び込んできます。
それが上の写真。
そうです、あの大岩壁の下にパックリと口を開ける大洞窟・・・”ミックンのつぶやき”というHPで畑鉱山の紹介ページでアップされている大洞窟の写真と同一なのです。
そのときまで、ぼくはミックンのあの写真がどこで写されたものか、全くわかりませんでした。
ミックンのそのページには、他にもカラミのズリの写真が載っていますが、この場所はぼくの地図でいうところのズリ1でした。
ミックンはどちらの鉱山道も歩いていたのですね。

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望遠ズームで最大限拡大した、くだんの大洞窟のアップです。
大洞窟直下まで行ったミックンによると、これは自然地形が崩壊しつつあるものであると結論付けられていますが、写真で見る限りに置いては坑口であるように思います。
それにしてもここまで登っていくのはぼくにはできません。
等高線を見てもらうとわかりますが、おそろしい傾斜です。
その下に赤茶色の岩が散乱している場所がありますが、行けたとしてもその辺りが限界。
ちなみにこの赤茶色の岩、岩場の一番上の部分を見ると、やはり赤茶色の部分が見受けられます。
そうです、その岩場が崩落したため、その斜面に大小の岩石が散らばっているのです。
近寄らないほうが無難ですね。
そのあと、昨年も行った貯鉱場跡の南に展開する選鉱場跡などをざっと見学したのち、帰途につきました。
本当は、地図の左側”二股”と書いた地点から、まだ歩いたことのないそこから斜め右下に伸びる林道を終点まで行きたかったのですが、エネルギーの枯渇により断念。
ちなみに、林道をはさんで山の神とお墓が対峙する地点から下に伸びている、破線で示されている小道は見つけることができませんでした。
もう自然に還ったのではないかと思われます。






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夜桜見物 [星景写真(新発田市)]

11日夜、胎内市飯角のあじさいロード付近へ行ってみました。
先日下見を済ませた際、ビオトープエリアでは水芭蕉が満開でした。

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周囲にはレンギョウが咲き乱れており、枝垂れ桜もたくさんありました。
残念ながら枝垂れ桜はまだつぼみだったけど、そろそろ開花したのでは?との淡い期待を込めて行ってみたのですが、まだ一分咲きといった感じでした。

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枝垂れ桜の濃いピンクができればほしかったですが、ここから見る東の空の雰囲気は好きです。
右にカラス座、中央に乙女座のスピカ、左側の明るい恒星はアークトゥルス。

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次に、昼間訪れたばかりの宮古木(新発田市)の桜を見に行ってきました。
現地へ着くとやや雲が出ており、二王子岳は雲の中。
ここのソメイヨシノは新発田城のそれと同じ時期に開花します。
しかし、この丘の左端にある一本桜は異なる品種なのか、まだ固い蕾のままでした。
開花まであと10日はかかりそう。
4月の第4週の前半あたりがチャンスかな?
新月期に突入するので、天の川桜を見ることができるかも。



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