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青龍寺の玉髄 [鉱物 (弥彦山周辺)]

31日、弥彦神社及びその敷地内にある某神社に参拝したあと、石瀬の青龍寺へ立ち寄りました。
こちらが本日のメインディッシュ。
このお寺の境内に幾つもの立派な(蛋白石ライクな)玉髄があるのですが、他にもっとないか、周辺の林の中を探すつもりでした。
しかしながらさすがにこの寒波ゆえ、海岸部に近い石瀬でもうっすらと雪化粧・・・

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と言っても、積雪は5-10cm程度しかないのですが。
青龍寺は弥彦山界隈では最も歴史が古く、天平8年(736)、僧行基による開基と伝えられています。
近くには青龍寺遺跡の名で縄文遺跡があり、縄文時代中~後期の土器や石器が出土しています。
墓地にある古い墓は、墓碑だけでなく基礎部分も周囲の山林から切り出してきたであろう岩からなっており、よく見ると表面に玉髄が付いていることがあるのです。

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薄っすらと付いていた雪を払いのけての撮影。
タンパク石に似た質感の玉髄です。
ピンク~赤紫色の玉髄は他にもありました。
あと、白い玉髄の破片もその辺に転がっていたり。数は多くありませんが。

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ひとつ前の玉髄は以前にも当ブログで取り上げたことがあるのですが、こちらは今回新たに見つけた新規の玉髄。
青龍寺や近くの種月寺近辺で見られる岩石は、流紋岩~流紋岩質凝灰岩がほとんどです。
石瀬集落の民家の岩垣もそれらの岩で構成されており、こちらにも玉髄が付いている岩があったりします。

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こちらは青龍寺の奥の院。
昔の建物は火災で焼け、その後コンクリートで覆いを作って再建しました。
ぼくの好きな空間です。

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そのすぐ脇の林の中に、人知れず佇む高さ3m余の銅像。
案内板が立っていないので、その由緒はわかりません。
このあたりの空間もいいですね。

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そして、ここも案内板は特に立っていないので何の神社かはわからないのですが、青龍寺境内で最も神聖さをかんじる空間。
今は訪れる人もないようで、参道は鳥居をくぐるとすぐヤブとなっており、今まで鳥居から奥へ行ったことはなかったのです。
でも、初冬のこの時期は大丈夫そうですね。

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この祠が聖なる空間の中心地。
なんか、弥彦の某神社と”気”のタイプが似ているような。
今年も残すところわずかとなりましたが、最後の最後で念願だったこの名無しの祠を訪ねることができ、すごくラッキーだったと思います。

どうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい!


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石切山鉱山を極める [鉱物 (胎内市)]

29日、記憶が薄れないうちに再び石切山を訪れました。
今回は本来の坑口、つまり中条町教育委員会の古い案内板が立っている大洞窟を目指しました。
そして、周囲に大きな岩場があれば併せてそこを訪れるつもりで。
カウントの仕方にもよると思いますが、十数箇所あるという洞窟をいくつまで発見できるか。

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旧登山道を登っていくと、最初に現れる採掘場跡がここ。
おとといアップした記事の洞窟は、すべてここより下部に位置しております。
右手奥の暗い空間は斜坑の入り口で、奥があるのです。
奥の洞窟へは右側から斜面をトラバースし、回り込んで行くことが可能です。
しかし、そこも急な角度で下へ落ち込んでおり、洞窟内部へ侵入するのは難しそう。
ということでスルーし、上へと山道を上ります。

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ほどなく、右手にこんな岩場が見えてきました。
この日はGPS機器を持っていき、ログを取りました。
帰宅後歩いたルートを地図(カシミール3D)でチェックすると、くまなく歩いたつもりが、この岩場の向こうにどうもさらなる岩場が連続しているようで、ちょっと悔いが残りました。
この岩場にも洞窟が見えていますが、取り付きまでいやらしい斜面が続くのでここもスルーしたのです。

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ということで、数年ぶりにやって来ました。
大洞窟はかなり複雑な構造をしており、これは最上部の洞窟。
中央下に暗い空間が見えますが、ここは今回も行けませんでした。
かなり広い空間となっているのですが、落盤の恐れがあるのと(本能的にそう感じる)、侵入するにはできれば10mほどのトラロープがあったほうがいいので、今回も無理をせず写真を撮るだけに留めました。

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最上部の洞窟を左側から回り込んで写しました。
今の時期限定の構図です。

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さっきの写真を撮った場所の手前に高さ60cmくらいの窓があり、そこから内部を写してみました。
この空間こそ、入りたくても入れなかった秘密の空間なのです。
こちらの窓からも腹ばいになれば入れそうですが、服を汚したくないのでパス。

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最上部の洞窟から一段下の洞窟です。
この辺が一番美しいと思います。
ギリシャ神殿そのものです。
尚、地質は全面的に凝灰岩ないしは凝灰角礫岩で占められていました。
他の鉱物、一切なし。

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下山途中で、もう一箇所新規の洞窟を探検。
ここも登山道からやや離れています。
背後に屹立した岩壁があり、そこの底部にも採掘跡がありました。

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さっきの写真の岩壁で、右側の底部に狭い洞窟らしきものが見えるので行ってみました。
これはその入口から内部を写したもの。
ある程度の大きさの岩場だったら、もれなく採掘跡が残っています。
メインの大洞窟を幾つとして数えるかで変わってきますが(ここでは3としてカウント)、おととい見つけのが4箇所だとして、この日は大洞窟以外に5箇所の洞窟を発見しました。
ですから、合計12の大小の洞窟を見つけたことになります。
2枚めの写真の岩場は遠目で見ただけですが(ここでは、この場所は1としてカウントしています)、この奥にさらに岩場が拡がっている可能性が高く、となると洞窟(=採掘跡)がもっとあるかも。
これで、たま~にでいいので水晶(玉髄)などの透明系の鉱物が見つかると俄然やる気が出るのですが・・・

実はこの日、この場所を訪れる前に、昭和30年代なかば、燐灰ウラン鉱を試掘したという沢へ行ってみたのです。
その論文には沢の名称が書かれているのみで、具体的にどこで試錐したのかはわかりません。

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1/2.5万地形図に記載の堰堤からその先に、計4つの堰堤が作られていました。
これが最奥部にある堰堤なのですが、割と最近作られたっぽいですね。
沢の転石を調べてみましたが、たま~に石英(白or赤褐色)があるのみで、そもそも転石の数が少ないので調査らしい調査はできませんでした。
この沢はH川の支流であり、本当は本流に行きたかったのですが、林道から本流の最終堰堤(大きな砂防堰堤です)へ降りていく道が完全に自然に還っており、猛烈なヤブになっていました。
なので、この支流の方でお茶を濁した次第。
ウランはもういいかな・・・






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妻戸神社付近の地質 [鉱物 (弥彦山周辺)]

弥彦山周辺は素敵な神社仏閣が多く、鉱物探しに訪れるとついでにそれらのパワースポット?に立ち寄ることも多いです。
日本海側で一番のお気に入り、というか聖地No.1は妻戸神社。
神社の詳しい説明は省きますが、この神社の御神体は高さ18mの岩なのです。
一足早い初詣(ぼくは元旦には神社に行きません。前後1週間の間に、気が向いた時に出掛けます)を兼ね28日、妻戸神社へ行ってきました。

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この岩がご神体。
いつ訪れても一帯の雰囲気は極上です。
昨日の石切山もそうでしたが、広葉樹は既に完全に落葉しているのでとても林内の見通しがいいです。
よく見ると、左右の斜面にも大きな岩がゴロゴロしています。

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例えばこんなふうに。
で、まずはこれらの岩をチェック。
弥彦山と角田山とでは地質がやや異なります。
弥彦山塊は新第三紀の地層で、多宝山と弥彦山を結ぶ稜線より西側で寺泊層に整合的に覆われます。
寺泊層と観音寺層は、立岩~矢楯周辺より南側で頁岩と流紋岩質凝灰角礫岩を主体とします。
(参考文献:”新潟県、角田ー弥彦海岸の水中火山岩の産状と見方” by 山岸宏光)
R460を崖松から寺泊野積に向かって海岸沿いを走ってくると、立岩の手前で左手に滝が現れます。
その一帯の岩場と同じく、この岩場も流紋岩質凝灰岩でした。
もちろんご神体の岩も同様。
部分的に緑色凝灰岩が混ざっています。

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意外と周辺の林の中はヤブが非常に薄かったので、岩の頂上の背後に続く尾根まで登り、さらにそこから痩せ尾根を50mほど歩いてみました。
さすがに途中から蜜ヤブに覆われてきたので引き返しましたが、御神体の岩のてっぺんに立つのは思ったより容易でした。


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ここがピーク。
葉っぱが全く付いていないこの時期でも、木の枝が邪魔で展望はあまり利きません。
なんとか日本海は見えますが。
昔々、この岩の上に天香山命(アメノカグヤマノミコト)は座り、大和に残してきた奥さんのことを偲んだのでしょうか。
ここで簡単に天香山命の知られざるプロフィールの一部を紹介しましょう。
彼の名前は、丹後国の籠神社の社家を代々務めてきた海部氏の系図に出てきます。
海部氏の始祖・天火明命(アメノホアカリ)の息子が彼。
海部氏は邪馬台国連合の一角をなす豪族で、女王・卑弥呼をも排出しています。
当時は既に邪馬台国は権力争いのため弱体化しつつあり、天香山命は自分がリーダーになろうと野望を抱いていたのでした。
しかしまだ自分の一族だけの力では邪馬台国連合に勝利することは無理だったので、中央進出を目論んでいた伊都国の神武(=アマテラス族)を味方につけ、彼らを助っ人として大和へ導き入れる案を考え、実行しました。
ところが天香山命の思惑とは異なり、神武は自分が王権を奪ってしまいます。
仕方なく天香山命は神武に従うことにしました。
その後、神武による中央集権(=ヤマト王権)が確立されると、天香山命ら旧体制派の重鎮たちは僻地へ追いやられ、冷や飯を食わされることになります。
かくして越後国へ派遣された天香山命は地元民に農耕をはじめとする様々な知識を伝え、善政を敷きます。
しかしながら数十年後、崇神天皇は北陸・東海・西道・丹波に四道将軍を派遣、同盟国であったはずのこれら4国を制圧します。
そのとき天香山命も、中央から派遣された軍に暗殺されたのでした。
天香山命の遺体は彌彦神社の奥の院に埋葬されました。
以来、アマテラス族は彼の魂を鎮める、いわゆる封印の儀式(=鎮魂祭)を執り行っています。
宮中以外で鎮魂祭が行われているのは、彌彦神社、石上神宮、物部神社の三箇所のみ。
彌彦神社では今でも年に1回、鎮魂祭が執り行われていますが、関係者は誰もその本当の理由を知らないと思います。
ここに駆け足で述べた歴史観は主として次の本に基づくものです。
「伊勢神宮に秘められた謎」坂本政道著(ハート出版)
この本を含め、坂本氏のいわゆる古代史三部作には大いに感銘を受けました。
あくまで個人的な見解ですが、謎の多い古代史のパズルのピースがうまくはまるのです。


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かなり入念に玉髄脈が出ていないか調べたつもりですが、残念ながらこれだけでした、玉髄の片鱗を伺わせるものは。
キノコに見えますが、一応硬いです。

あと、この近くに即身仏を安置していることで有名な西生寺というお寺があります。
弘智法印が入定した岩屋が寺から数百メートル離れた山中にあるのですが、そこも来年中に訪れてみたい。
岩と名のつく名所旧跡は片っ端から制覇したい。
以前一度行こうとしたことがあるのだけど、100mほど進んだ所で踏み跡が途切れ、猛烈なヤブとなったので撤退したことがあります。
今年はもう無理ですが、雪がなければ2~3月中に一度その岩屋を訪れてみたいです。



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洞窟のラビリンス [鉱物 (胎内市)]

2016年5月7日の記事で、初めて石切山鉱山(胎内市)のことを取り上げました。
当時はまだ鉱物趣味を始めていなかったので知識がなく、単に洞窟探検に行っただけ。
凝灰岩鉱床なので水晶系の鉱物が見つかる可能性は低いですが、一度再訪してみたいと思っていたのです。
12月27日、櫛形山脈下部はほとんど雪がないことを確認し、今年最後の探検に行ってきました。

その前に、「新潟県地質図説明書」(昭和52年3月発行)に、”中条羽黒山鉱床”についての記述があるので引用します。
『中条羽黒山鉱床は北蒲原郡中条町半山東方の標高100m近くの丘陵にあり、露天掘りにより酸性白土を採掘している。鉱床は流紋岩質凝灰岩が続成作用によって粘土化したものである。この凝灰岩層は北部で層厚を増し、南部へは層厚が低くなる。露天掘りでは上、中、下の3段に区切って採掘が行われているが、下段は主に灰青色の軽石質凝灰角礫岩を主にし、最上部に暗灰色頁岩と黄色粘土の互層で、上段には凝灰岩質頁岩が分布する。』

櫛形山脈に関して、個人的には大いに興味を抱いており、これから少しずつ鉱物探査を続けていきたいと考えています。
なにせ、文献に出てくるのは石切山くらいで、その他の鉱物があるのかどうか、特に水晶系(玉髄など)の脈がどこかにないか、全く情報がありません。
つまり未開拓ゾーン。
夢とロマンを秘めた山域なのです。
さて、凝灰岩を切り出していた石切山ですが、改めて現地に立っている案内板の文章を読むと、大小合わせて10数カ所も洞窟があるといいます。
今は廃道となっている石切場経由の登山道ですが、近年地元の有志たちが登山道を整備し(ただし建前上は立ち入り禁止で、分岐点にトラロープが垂れ下がっていますが)、ヤブが深くなる夏場以外は駐車場からほんの一投足で石切場の3段になっている大洞窟に到達することが可能。
この日もその大洞窟を目指して歩き始めたのですが、歩き始めて数分後、洞窟らしき地形を発見、そこへ行ってみました。

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近づいていみると、露天掘り跡でした。
これら2箇所の穴は入り口こそ狭いものの、奥行きはかなりありました。

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明らかに天然の洞窟ではなく、石を切り出した跡です。
この岩のすぐ上にもさらに大きな岩場があり、行ってみると予想以上に大きな洞窟が出現しました。

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右側の洞窟は垂直方向に10mほど掘られており、下部で右側の洞窟とつながっていました。
この場所は登山道からは死角になっていて見えません。
このあとさらに上部で未知の洞窟を発見したのですが、10数カ所あるということですから、探せばまだまだ見つかることでしょう。

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左側の洞窟内部。
水没していますが、右側奥に通路があり、次の写真の洞窟とつながっています。

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洞窟前の雪原~といっても2~3cmうっすらと積もっているだけですが~にカモシカかイノシシのものと思われる足跡が残っていました。


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洞窟を出て登山道に戻り、大洞窟へと歩を進めます。
しかし、ほどなく洞窟らしき地形が目に入り、行ってみると大きな洞窟が待ち構えていました。
扇形に横に広がっており、本来の目的地である、もっと上の尾根上にある大洞窟と遜色ない大きさ。
興奮を禁じえませんでした。

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奥の方にはコウモリの糞がうず高く堆積しており、そこにゴミや足跡(獣のそれも含む)は一切見当たりません。
面積が広いので半分くらいしか歩き回っていませんが、残念ながら珪質化した岩は見られず。
それでもところどころ色が着いていた部分があったので、写真に収めました。

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これがアメジストだったら嬉しいのですが、そう甘くはありません。
部分的に黄色~茶褐色に変色している部分はたくさんありましたが、紫色に変色しているところはここだけ。

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ライトを当てる前からキラキラしているところが何箇所か洞窟内にありました。
銀色に光っている部分は単なる水滴に光が反射していただけだったけど、それとは別に金色にきらめいている部分も少なからずありました。
金色部分はどれも手の届かない高所ばかりだったので正体はわからないのですが、細かいパイライトかもしれません。
これがそうなのですが、写真に写すと黄色味が薄くなってしまいます。

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アリの巣のような洞窟は、さっきの洞窟もそうでしたが下部に池がありました。
これらの洞窟の探索で時間を食ってしまったので、本来の目的地には行けませんでした。
ぼくのかすかな記憶を辿ると(2016年5月以降、ブログには載せていませんがもう一度だけその大洞窟を訪れたことがあるのです)、メインの大洞窟の近くにも大きな岩場があったと思うので、その岩場にも洞窟があるのではと推測します。
鳥坂山から櫛形山に向かう縦走路沿いにも大きな岩場が出てくるみたいなので(ネットで写真を見ると凝灰岩っぽいですね)、来年は一度櫛形山脈を縦走しないといけません。

※追記:櫛形山脈某所で昭和30年代半ば、放射能異常が観測され、地質調査と試錐調査が行われたようです。
その論文を持っていたのを忘れていたので、改めて読んでみました。
たった4個ではあるが、発見されたウランノジュールを分析すると、燐灰石中に最大0.33%のウランが含まれることが推定されたそうです。
含ウラン燐鉱は国内では非常に珍しく、かつウランの含有量も国内トップクラスで学術的に興味を惹かれるが、たった4個見つかっただけなので経済的な価値があるとは考えられないと結んでいます。
その論文の地図でおおよその場所はわかったので、そこも併せて探査してみたい。
燐灰石は蛍光することが多いので、UVライトは忘れずに持っていかなくては。



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石瀬鉱山と石瀬神社 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

今年2月25日に、石瀬鉱山の記事をアップしました。
今年の冬は超暖冬でしたが、2月にあんなとこ行っていたんですね。
我ながら感心します。
弥彦山系多宝山の北東麓に位置する石瀬鉱山ですが、大正時代には他の近隣の鉱山同様閉山したようです。
坑口は2つの沢沿いにあったと言われていますが、今年2月に訪れたのはそのうちの1本の沢。
今回(12月19日)はもうひとつの沢を訪れました。
最初は弥彦山の積雪がどのくらいあるかを確かめるのが目的で、岩室温泉だいろの湯へ入る前にちょっとだけ石瀬神社へ立ち寄ってみるかぐらいのノリでした。
ところが、いざ現地へ着いてみると思ったより積雪が少なく、というか中腹より下は皆無に近く、その場で予定を変更、1時間限定でその沢(小滝沢)を遡行してみた次第。

歩き始めは廃林道を行きます。
すぐ脇を流れる沢は三面護岸で固められ、最終堰堤を超すまで風情は全くありません。
大滝沢は歩きはじめから自然の渓相だったので、その点少し残念。
坑口の正確な位置はわからなかったのですが、おそらく20~30分で到達するだろうと踏んでいました。
結果、20分で坑口へたどり着きました。

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最終堰堤を超すのがちょっと大変でした。
そこから先は傾斜が増し、滝が現れてくる気配がしていたので、次のカーブを過ぎて坑口が現れなかったら引き返そうと思っていたのです。
そしたら、カーブの先に坑口が控えていました。
時刻は16時20分。
既にあたりは薄暗く、ストロボを焚かないとISO3200に上げても手ブレする状況。

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ぼくの知る限り、この坑口の写真をネットにアップしているのは2人。
そのうち”柵の向こう側”氏はこの坑口のどん詰まりまで歩いておられ、その写真をブログで見ることができます。
彼が書いている通り、水深は50cm前後でしょうか。
坑口はかなり長く、特に左側の方は15~20mくらいありそう。
その先で右に曲がっているのですが、くだんの先駆者によるとすぐ行き止まりになるそうで。
時間も押していたし、この日は長靴だったので入り口で引き返しましたが、一度は奥まで歩いてみたいですね。
ライトで坑道の奥を照らすと、結構壁がカラフルに写る箇所があるので、そこの地質を調べてみたい。

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カメラ内臓のストロボだと(懐中電灯も併用しています)、これが限界。
肉眼ではもっと奥まで見通せます。

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坑口前の滝。
ここから先を遡行したという記録は見たことがないので、ひょっとしたらこの先にも坑口はあるかもしれません。
しかし、この小滝から先は倒木が思い切り行手を塞いでおり、よほど気力と体力が充実した状態でないと先へ進むきになれません。
そうなのです、弥彦山系の沢はどこも倒木がひどく、ボサに悩まされるのです。
それさえなければそれほど距離があるわけじゃないし、もっと気軽に探検?してみようという気になるのですが。

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帰りに石瀬神社に参拝し、この日の予定を終了。
弥彦山界隈がこのまま少雪で推移するなら、間瀬銅山のズリを歩き回ったり、前回坑口を見つけることができなかった坂井銅山をもう一度探索してみたいと思っています。







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小雪舞う水晶の森へ [鉱物 (阿賀町)]

10日に訪れた森(五頭山麓)を再訪してきました。
13日の天候はみぞれ、気温2度。
現地へ着いたらかなり小振りになってきたので、おそらく今年最後になるであろう鉱物ウォーキング開始。
前回訪れたポイントから標高差にして5~6m上がった斜面に大きな岩が林立しており、どうしても今年中にそこへ行ってみたかったのです。
年を越すと、そのポイントの正確な位置を忘れてしまう可能性もあるし。

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EOS M6 Mark II + EF-M 11-22mm F4-F5.6 IS STM (共通)

鉱物探しではほぼ100%、このカメラを使っています。
軍艦部がないため非常にコンパクトで軽量。
レンズはこれか EF-M 18-150mm F3.5-6.3 IS STMを使っているのですが、今回のように岩と岩の隙間にカメラを潜り込ませて撮ることが多い場合はレンズ全長の短い超広角ズームを使います。
M6 MarkIIはストロボをポップアップさせてもそれほど高さが変わらないため、光が回り込みやすいのが利点(これ重要)。
EOS 80Dのように軍艦部にストロボが付いている場合は、ポップアップすることでストロボが岩に遮られることがあり、ストロボが用をなさないのです。
またどちらのレンズも、近接撮影時でも軟調な描写にならない点が素晴らしい。
ぼくのカメラ歴の中で、ひょっとしたら最も気に入ってきているカメラなのだけど、ひとつだけ欠点があります。
それは防塵防滴仕様ではないこと。
EOS-Mシリーズは、レンズもボディも非防塵防滴仕様なのです。
従って、この日のようにみぞれの時とか小雨の時はとても神経を使います。
ほんとはもっと岩の屹立する風景写真を撮りたかったけど、そこは仕方ありません。
この日は、くだんの大きな岩が林立している場所からさらに3~4m上がったところでUターン。
上の写真はそのUターン地点から上を見上げて撮った写真。
さらに大きな岩場があちこちに見られます。
斜度は結構ありますが、ノーザイルでもなんとかなりそう(多分)。
ここから上の急斜面は昨年も未踏破のままだし、来年のお楽しみです。

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今日、真っ先に訪れた岩場のプチ洞窟で見つけた紫水晶の結晶。
ラベンダーカラーの素晴らしい色合い。
この日もLEDライトが大活躍。
ライトがなかったら見つけることはできなかったでしょう。

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この水晶も思い切り狭い隙間に顔を覗かせていたのですが、これ以上腕を伸ばせないためこれが限界。
もっとアップで写したかったのですが。
上半分はほんのり紫がかっており、しかもかなり結晶の粒が大きめ。
体勢が窮屈なのを我慢して、しばらく見とれておりました。

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こぶし大サイズの玉髄。
本日唯一のお持ち帰り品です。
帰宅して水洗いしてみたけど、この写真よりイエローの彩度が弱く、無色に近かったです。
でも、前回ゲットしたクラスター同様、プチ洞窟内の地面に半分埋もれていたので結晶は全く摩耗していません。

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この日の探索時間は約1時間20分。
Uターン地点の岩場からやや南側に10m下ったところの岩場で見つけました。
今年の新潟ミネラルマルシェでは、ゴールデンヒーラーというイエローの水晶に一目惚れしクラスターを購入したのですが、まさにこの色合はゴールデンヒーラー!
シトリンではなくゴールデンヒーラーです。
今年山で見てきた水晶&玉髄の中でピカイチの美しさ。
やはり岩と岩が重なり合ったちょっとした空間にあり、ここもとても狭い空間なので写すアングルは限定されているのです。
このクラスターは縦長でして、下半分は別に撮りました。

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下半分はほぼ無色。
上の方の岩場にはあまり玉髄脈は付いていなかったけど、その代わりあるとすればサイズの大きいものが見られました。
阿賀町側の五頭山塊ではあまりラベンダーカラーの玉髄は見かけないのだけど、皆無というわけではないようです。
明治時代に綱木集落の人が博物館クラスのアメジストのポイントを見つけていますが、綱木は阿賀町側、つまり裏五頭ですしね。
特にポイントへのこだわりはないのですが、一度は五頭山塊で、色合いは問わないので3cm以上の長さのポイントを見つけてみたいです。












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五頭の水晶 [鉱物 (阿賀町)]

10日、ある鉱山の2度めの下見をした後、巨石が重なり合っている奇観が気に入っているポイントへ立ち寄りました(阿賀町側の五頭山域)。
昨年来、巨石に付いている玉髄の写真を撮ることに専念していたのだけど、今度は岩と岩の隙間やちょっとした洞窟っぽくなっている空間にライトを照射し、そこに水晶系の玉髄がないかどうかを入念にチェック。

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現場はこんなところです。
杉の大木が岩と一体化しているところも多く、斜面を這いずり回るのが楽しい。
とはいえ、落ち葉がこれでもかというくらい堆積しているので岩と岩の間の隙間が見えず、1歩1歩足元を確かめながら歩かないと落とし穴?にはまる可能性があるので、結構神経を使います。
この日は1時間弱しかこのポイントで探索することができなかったけど、この森のポテンシャルの高さを改めて実感。
およそ10m四方の範囲を調べただけなのですが、この範囲で写真に収めた素晴らしい玉髄や水晶を幾つか紹介します。

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狭い隙間になんとかレンズの先端を潜り込ませて撮ったのですが、長辺30cmほどの玉髄の1/3しか写っておりません。
色合いが見事。
イエロー系の玉髄が結構ありました、薄紫のやつは見かけなかったけど。

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長辺25cmほどの玉髄の中心部。
これも部分的にイエローがかっています。

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これはオレンジが目にも鮮やかな玉髄。

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この日見た中で、最もユニークな形の玉髄。
写真ではサイズ感がわかりませんが、長辺50cmはあります。
玉髄は結構厚みがあり、表面はザラザラでした。
この母岩はやはり2mくらいの大きな岩なのですが、岩の下部がプチ洞窟となっており、そこで次の石を見つけました。

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質量620gの玉髄。
母岩に付いていた大きな玉髄と同様の産状・質感です。
この日は36cmの長さのバールを持っていったのですが、それがなかったら手元に手繰り寄せることはできなかったでしょう。
なかなか手頃なサイズの石でこのように結晶が付いているものは少なく、貴重な結晶です。

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部分のクローズアップ。
さらにルーペで拡大して見ると、1mm未満の小さな結晶にびっしりと覆われているのがわかりました。
ほとんど摩耗しておらず、そのためザラザラな感触があったのです。

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この日は2個持ち帰ったのですが、こちらは質量770gありました。
これもやはりバールを使ってなんとかゲットできた石。

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クローズアップしてみました。
やはり結晶が摩耗しておらず、水晶特有のオーラが強烈に発散されているのがわかります。

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どちらも長波(365nm)のUVライトでかなり明るく蛍光しました。
鉱山の坑口を探すのは容易ではないし、たどり着けたとしても中は常に落盤の危険を伴うので、坑道内で鉱物探しをするのはあまり現実的ではありません。
その点、重なり合った岩と岩の間の隙間~中には大人がなんとか這いつくばって潜り込めるほどの空間があるものもある~をライトで照らして鉱物探しをするのは、もちろんそこに脈が出ていないとだめですけど、無限の可能性を秘めています。
さすがに全身を潜り込ませることは原則しませんが、ヘッドライト使用によるプチ洞窟内での鉱物探し、今年は小沢の同様の小空間でも立派な玉髄を幾つか見つけたし、マイブームになりそうです。







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草倉銅山界隈 [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

阿賀町の赤崎山へ(車で)上ったあと、草倉銅山へその場の思いつきで立ち寄ってみました。
赤崎山へは初めて行ったのだけど、最初の展望台からの眺めが絶景過ぎて驚きました。

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夜間にどれくらい外灯が灯るか未知数だけど、一度は星景写真を撮りに来なくては!
15mm前後の超広角レンズで、縦位置で写せばいい感じになりそう。

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次に、不動沢下流に位置する角神不動滝へ。
2段になっており、2段めの滝の真下までコンクリートの歩道が付いています。
3ヶ月前に初めて訪れたのだけど、そのときはこの歩道が工事中で行けませんでした。
また、その後R459のトンネル工事もあり、11月末まで現地へ立ち入ることができなかったのです。
写真の二の滝は落差23m。
この滝を越え、150mくらい遡行すると滑滝が出てくるはず。
草倉銅山は幾つかの鉱区に分かれていたのですが、そのうちのひとつ、滑滝鉱床がそこにありました。
「ミックンのつぶやき」のミックンが唯一その坑口を訪れた人物だと思うのですが、興味のある人は鉄人ミックンの記事を参照して下さい。
また、この不動沢を完全遡行された方がいます。
「飯豊連峰~四方沢の旅」の長島氏がその人。
やはり遡行記のリンクを貼っておきます。
二の滝はなんとか左岸を高巻きできそうだなと感じたのですが、改めて長島氏の遡行記録を読んでみると、やはり右壁から巻いたとのことでした。
しかし、それからもう一つ高巻きの必要な5mの滝が出てきたりで、滑滝までたどり着くのは容易ではなさそう。
くだんの滑滝は10mの落差があるのですが、滑滝鉱床の坑口はミックンによるといやらしい位置にあるらしく、実際に坑口を訪れるのはその道のプロじゃないと厳しそうです。
なので、せめてその手前にある不動滝へは一度行ってみたいと思っていたのです。
取りあえず満足。


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不動沢の出会いには、かつて大川前選鉱所がありました。
ということは、その周辺に廃鉱石が転がっていてもおかしくない。
選鉱所の遺構は見つけることができなかったけど、その前の河原でチビ水晶に覆われている20数センチの石を発見。


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トリミングして切り出してみました。
他にも類似の石は2,3個あったけど、ネットに書いてあったようなチビ黄銅鉱が付いた石は見かけなかったです。
ハンマーを使って石をかち割れば、あるいはそういう鉱物を見つけることもできたかもしれませんが、基本的に水晶にしか興味がないので・・・

それから草倉銅山本山入り口へ移動。
広葉樹の葉っぱが落ち、林の見通しが良くなったことを確認し、前回ヤブが深くて100mで引き返した踏み跡を辿ることにしました。
最初の150mが倒木やブッシュだらけでなかなかピッチが上がらなかったですが、踏み跡は終始そこそこ明瞭に残っていました。
分岐点から北側にも踏み跡は続いていたのですが、30m先でこれでもかというくらい倒木が行手を塞いでおり、そこでUターン。
というか、分岐点の右手の小道も歩いてみたかったのでそちらへ歩を進めました。
そっち側の小道はさらに歩きやすく、途中から草倉沢を左手に眺めながら歩きました。
そして、この小道は古河機械金属㈱と向鹿瀬地域の尽力で近年建立された供養塔の背後に続いていたのです。
奇しくも昨年5月下旬、初めて草倉銅山跡を訪れた際、深入りしすぎて遭難しそうになったことがあるのですが、そのとき、最後の最後でこの供養塔の白い建造物が視界に入ったため、なんとか生還できたことがありました。
どうも草倉銅山で働いていた人達とは何かの縁があるようで。
自分自身の過去生で、ここで働いていたとか・・・


IMG_6301.jpg

さてその帰り、本山入り口から幾らも走らないうちに、左手前方にこれらの石碑が目に飛び込んできました。
(数ヶ月前にこの道路を通った際は、これらの石碑の存在に気づきませんでした。念の為グーグルアースのストリートビューでもこの場所を見てみたけど、ヤブに埋もれていて道路からは見えません。ということは最近一帯を整備したのでしょうか?展望台に登る小道も、最初の5mは金属製のハシゴが設置されており、これは以前はなかったものです。)


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どれも江戸時代のもののようです。
例えば、これは万延元年とありますから1860~61建立です。
明治元年が1868ですから、江戸時代末期ですね。
これらの石碑の背後の丘に向かって、踏み跡が付いていたので辿ってみました。

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ほんの一投足で本山エリアを一望する展望台(マップ参照)に出たのですが、すぐピンときました。
この場所こそ、草倉銅山を紹介する資料の多くで使われている古写真を写した場所だったのですね。


kusakura.jpg

この写真は明治時代に写されたものとされていますが、正確な年代はわかっておりません。
(引用先はこちら)
ぼくが撮った写真で、三角沢の流れている部分は青でマークしました。木立で水面があまり見えないのでかなりいい加減ですが。
古写真では右端を流れる沢が草倉沢。
ですから、この写真と同一の画角を得るにはもう少し左側にレンズを向けなばなりません。
なにせもう100年以上経過していますので、山肌はとうに原始に還っております。
しかし、木々がもしなかったら、間違いなく古写真に写っている背後の稜線と同じ稜線が現れるはず。
地形図を読んでも、地形的には一致するのでこの高台から写されたことは間違いないでしょう。
そして、主要鉱区のひとつ、舟内沢鉱区へ至るであろう踏み跡の入り口をこの高台の背後で見つけました。
その踏み跡も、今の時期だからかろうじて道の痕跡を認められたものの、灌木に覆われているため舟内沢(=不動沢)に出るまではかなり苦労しそうです。
標高差は100mに過ぎないのですが、草薮でなくて灌木ですから・・・
舟内沢沿いにも、小規模ながら鉱山集落があったようです。
はるか昔の話です。

※2022/05/12追記:
一番下の写真は、明治16~20年に写されたもののようです。



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