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沼金山を目指して [鉱物 (関川村)]

わかぶな高原スキー場(関川村)の西南西に、鋭く屹立する岩峰があります。
地形図には固有名詞が記載されていませんが、これが地元で金山伝説の伝わる猿ヶ城(298m)。
「日本の金銀山遺跡」萩原三雄著~によると、元和年間(1615~1624)、正確な場所は不明ながらも”沼金山”の大掛かりな操業があったとのこと。
村上藩の堀氏が家老あてに出した指示や、現況報告を示す”堀文書”などの古文書がその事実を伝えています。
元和六年当時の掘り子の数は2160人だったこと、村上藩の米糧の年間取扱量の実に1割が沼金山関連に割り当てられたこと、その消費米は3段階のカテゴリーで最も品質の良い飯米が輸送されていることなどが明らかになっています。
その他の資料では、当ブログでも度々引き合いに出しているサルナシ氏のブログ「サルナシの掘り掘り日記」で詳しく取り上げられています。

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沼金山の探鉱範囲は結構広く、西から小綱木川、沼川、猪ノ沢流域、及び猿ヶ城と金山(446.5)山麓を含みます。
当初は沢沿いでの砂金を採取していたものと思われますがすぐに採り尽くし、その後は金山(かなやま)周辺にて坑道掘りに切り替え、新たな鉱脈を求めたというのが全体像のようです。
しかしながら、正保年間(1644~1648)には既に操業を終えていたと思われ、江戸時代初期のほんの短い間しか稼行しなかったらしいです。
近年、佐藤貞二氏やサルナシ氏ら複数の方が猪ノ沢における遺構を確認しているのですが、猿ヶ城に関しては山麓に露天掘りの跡が多数残っていると言われているものの、それを確かめた人はあまりいないようです。
個人的に岩峰は好きなので、金山よりは猿ヶ城に惹かれます。
そこで先日、畑鉱山探索の帰りに立ち寄り、ちょっとだけ山麓を歩き回ってみました。

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北側から撮った猿ヶ城。
地形図通り、中腹を岩場が取り囲んでいます。

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ピークより左側の岩場。

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こちらは右側の岩場。

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まさに黄金色に輝く岩壁が気になったので、もう少し接近して写してみました。
これが全部ゴールドナゲットならいいんでしょうけど、偶然地質がそういう色をしているだけだと思います。
しかしながら、やっぱり砂金を多く含んでいるのでは?と考えるのは素人の妄想か。
採取には本格的なロッククライミングの装備、50mのザイルとディセンダー&アセンダーが必要です。

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右側の山腹です。
地図には記載がありませんが、こちら側にも林道が伸びています。
すっきりして歩きやすいです。

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ブナの大木を何本も見ました。
原生林が展開します。

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こちらは東側の山麓です。
東側は中腹まで、このような大きな岩が散乱しています。
露天掘りのものかどうかはわかりませんが、坑口のような穴が見られるものもあります(この写真にも写っています)。

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この穴には実際に入ってみましたが、天然の穴のような気が・・・
でも、不自然さを感じる部分もあったので、多少岩肌を削ったり、土をほじくり返したりしているのかもしれません。
探せばこのような場所はどんどん出てきます。

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その近くの地形。
本当にこんな岩場が次から次へと現れます。
時間の関係で40分くらいしか散策していませんが、時間があっという間に過ぎていきました。
楽しかった。

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沼川を挟んで対岸にも坑口のような穴がありました。
ちなみに、沼川源流の山中にはかつて沼川鉱山がありました。
硫化鉱物を採掘していた鉱山で、規模は小さいものでした。
沼川沿いの林道は荒れていなくて、路面の状態はとてもよかったです。
もともとはこの林道も鉱山道として開発されたのかな?








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