富鉱体の発見 [鉱物 (胎内市)]
今日は脈の入り方、凝集の仕方を大自然を教師に学びました。
こういうこともあるんですね。
取りあえず、まだじっくり歩いたことのない斜面を歩き始めたのだけど、なんとなく見えないチカラに導かれ、見晴らしのいい丘へ出ました。
ふと足元を見ると、メノウや玉髄片が無数に転がっているではありませんか。
ここはメノウ主体のエリア。
他には煙水晶ならぬ煙玉髄だけが密集しているエリアもありました。
厚さが4cm位ある煙カラーの玉髄。
そして、まさかまさかの水晶とご対面。
他のメノウと同じく、厚さは2cm前後しかありません。
つまり母岩は付いておりません。
このままの格好で、下半分が地面に埋まっていたのです。
こちらは五頭山系でよく見かけるタイプの玉髄。
モコモコ系のかわいらしい結晶も、数は少ないながらも見られました。
そして再び美麗な水晶とご対面。
こちらも母岩は付いておりません。
結晶の粒がかなり大きく、わずかに寒色系の色味が感じられる良品です。
脈は東西方向に伸びており、この辺が脈の下端。
結晶片の数は減りましたが、たまに大物が潜んでいます。
正面に玉髄あり。
重さは1kgぐらいでしょうか。
とても厚みがあり、茶色~焦げ茶色のグラデーションが美しいです。
この日見た中で最も大きかった結晶がこのメノウ。
重さは2~3kgぐらいといった感じ。
全体の形も整っていて、玄関に飾っておきたいと思わせる素晴らしい結晶でした。
蛋白石化している部分もあり、蛍光もバリバリしそうです。
この日見つけた3つの水晶クラスターの中で、唯一紫っぽい色が付いていたのがこの結晶。
長辺は18cmくらいでしょうか。
タワシでごしごし洗ってもこれ以上粘土汚れは落ちないので、酸で洗浄するしかありません。
その前にパチリ。
この結晶のみ結晶面が地面に埋まっており、そのため太陽光による色彩の劣化の影響を受けなかったので、このような色味が保たれていたのでしょう。
現地は表土が粘土化しているため、大雨が降ったあとなどまた新たな結晶がひょこりと地面から顔を出すかもしれません。
1年に2~3回は定期巡回しなければ。
こういうこともあるんですね。
取りあえず、まだじっくり歩いたことのない斜面を歩き始めたのだけど、なんとなく見えないチカラに導かれ、見晴らしのいい丘へ出ました。
ふと足元を見ると、メノウや玉髄片が無数に転がっているではありませんか。
ここはメノウ主体のエリア。
他には煙水晶ならぬ煙玉髄だけが密集しているエリアもありました。
厚さが4cm位ある煙カラーの玉髄。
そして、まさかまさかの水晶とご対面。
他のメノウと同じく、厚さは2cm前後しかありません。
つまり母岩は付いておりません。
このままの格好で、下半分が地面に埋まっていたのです。
こちらは五頭山系でよく見かけるタイプの玉髄。
モコモコ系のかわいらしい結晶も、数は少ないながらも見られました。
そして再び美麗な水晶とご対面。
こちらも母岩は付いておりません。
結晶の粒がかなり大きく、わずかに寒色系の色味が感じられる良品です。
脈は東西方向に伸びており、この辺が脈の下端。
結晶片の数は減りましたが、たまに大物が潜んでいます。
正面に玉髄あり。
重さは1kgぐらいでしょうか。
とても厚みがあり、茶色~焦げ茶色のグラデーションが美しいです。
この日見た中で最も大きかった結晶がこのメノウ。
重さは2~3kgぐらいといった感じ。
全体の形も整っていて、玄関に飾っておきたいと思わせる素晴らしい結晶でした。
蛋白石化している部分もあり、蛍光もバリバリしそうです。
この日見つけた3つの水晶クラスターの中で、唯一紫っぽい色が付いていたのがこの結晶。
長辺は18cmくらいでしょうか。
タワシでごしごし洗ってもこれ以上粘土汚れは落ちないので、酸で洗浄するしかありません。
その前にパチリ。
この結晶のみ結晶面が地面に埋まっており、そのため太陽光による色彩の劣化の影響を受けなかったので、このような色味が保たれていたのでしょう。
現地は表土が粘土化しているため、大雨が降ったあとなどまた新たな結晶がひょこりと地面から顔を出すかもしれません。
1年に2~3回は定期巡回しなければ。
謎の水色鉱物 [鉱物 (胎内市)]
先週金曜日の夕方、翌土曜日からチューリップフェスティバルの始まる長池公園(胎内市)へ花の開花状況を調べに立ち寄りました。
このとき、正面駐車場でなく長池のある方の奥の駐車場へ車を停めました。
そして農道を歩いている途中、何か胸騒ぎがして足元に目をやった瞬間、水色の面がちょこんと顔を出している2~3cmの小石が目に止まったのです。
ここで見つけました。
おそらくこの農道の砂利は外部から持ち込まれたものだと思うのですが、念のため日曜の夕方も立ち寄り、公園周辺を散策、ネイティブの岩石が集中している場所がないかをチェック。
結果、やはりここは砂丘地帯なのでネイティブっぽい岩石は皆無であり、農道の砂利はよそ者、つまり外部から持ち込まれたものであるとの結論に達しました。
長辺約3cm。
ピクセル等倍で見ると、どうやら複数の鉱物が混ざり合っているようです。
拡大してみると、黄鉄鉱でさえ視認できます。
黒いのは黒雲母でしょうか。ちょっと自信がありませんが。
水晶や微細な柘榴石も見られます。
そして方解石・・・
裏面です。
この水色の被膜は孔雀石でしょうか。
側面です。
この水色の部分に惹かれた次第。
我ながらよく見つけたと思います。
長波のUVライトを当ててみました。
水色の部分はあまり蛍光していません。
白っぽい半透明の部分が淡い水色の蛍光を示しています。
その日50~70cm離れた場所で、これより一回り小さい類似の小石を2個見つけ持ち帰ったのですが、こちらはもっと結晶部分の面積が大きいです(次の写真)。
あれこれ調べてみたのですが、どちらも方解石なのかなと。
最初は水色部分は異極鉱かなと思ったのですが、ある資料に異極鉱は短波で緑、長波でピンクに蛍光すると書いてあったのでこの線は消えました。
表面の質感と色合いは昨年赤谷鉱山で見つけたブルーアラゴナイトと似ているのですが、結晶の形から判断すると方解石の方がより近い気がします。
方解石にも水色カラーは存在するようなので、白っぽい部分も水色の部分も共に方解石じゃないかと思うのですが、よくわからないというのが本音。
それにしても蛍光色が本当にきれいです。
このとき、正面駐車場でなく長池のある方の奥の駐車場へ車を停めました。
そして農道を歩いている途中、何か胸騒ぎがして足元に目をやった瞬間、水色の面がちょこんと顔を出している2~3cmの小石が目に止まったのです。
ここで見つけました。
おそらくこの農道の砂利は外部から持ち込まれたものだと思うのですが、念のため日曜の夕方も立ち寄り、公園周辺を散策、ネイティブの岩石が集中している場所がないかをチェック。
結果、やはりここは砂丘地帯なのでネイティブっぽい岩石は皆無であり、農道の砂利はよそ者、つまり外部から持ち込まれたものであるとの結論に達しました。
長辺約3cm。
ピクセル等倍で見ると、どうやら複数の鉱物が混ざり合っているようです。
拡大してみると、黄鉄鉱でさえ視認できます。
黒いのは黒雲母でしょうか。ちょっと自信がありませんが。
水晶や微細な柘榴石も見られます。
そして方解石・・・
裏面です。
この水色の被膜は孔雀石でしょうか。
側面です。
この水色の部分に惹かれた次第。
我ながらよく見つけたと思います。
長波のUVライトを当ててみました。
水色の部分はあまり蛍光していません。
白っぽい半透明の部分が淡い水色の蛍光を示しています。
その日50~70cm離れた場所で、これより一回り小さい類似の小石を2個見つけ持ち帰ったのですが、こちらはもっと結晶部分の面積が大きいです(次の写真)。
あれこれ調べてみたのですが、どちらも方解石なのかなと。
最初は水色部分は異極鉱かなと思ったのですが、ある資料に異極鉱は短波で緑、長波でピンクに蛍光すると書いてあったのでこの線は消えました。
表面の質感と色合いは昨年赤谷鉱山で見つけたブルーアラゴナイトと似ているのですが、結晶の形から判断すると方解石の方がより近い気がします。
方解石にも水色カラーは存在するようなので、白っぽい部分も水色の部分も共に方解石じゃないかと思うのですが、よくわからないというのが本音。
それにしても蛍光色が本当にきれいです。
石切山の洞窟巡り [鉱物 (胎内市)]
櫛形山脈の白鳥山近くに羽黒石の産地がありました。
江戸時代の安永年間(1772~1781)から石の切り出しが始められ、最盛期を迎えた明治~大正時代半ばには石工の数が500人近くに及んだとのこと。
羽黒石の正体は凝灰角礫岩。
当ブログでも過去3回取り上げており、全体像はおおむね把握したつもりでしたが、地元の石材屋さんから量は少ないものの蛍石が出たこともあるという情報を得、改めて蛍石探しに出かけてみました。
まだところどころ残雪が残る石切山の旧登山道を登っていくと、左側にも岩場が連続していることに気づきました。
左側斜面は全く探索したことがないのでちょっと寄り道をしてみました。
すると、やはり露天掘り跡や洞窟がどんどん現れてきました。
国土地理院の地形図には、222mのピークの西~西南西側にしか岩場マークがありませんが、実際には北西側斜面にも同規模の岩場が連続しているのです。
地質的にはやはり凝灰角礫岩でしたが、切り出した跡の地形が個性的で、じっくり写真を撮りたくなります。
いや、本当に素晴らしかったです。
櫛形山脈にこのような産業遺産が残っているなんて・・・
上の2枚はいずれも北西側斜面で新たに発見した洞窟群です。
さて、この日はこの洞窟下部へ下降するのが目的でもありました。
この洞窟は、旧登山道沿いにある最も大きな洞窟の最下層レベルにあたります。
北西側斜面の洞窟探検を終え、猛烈な笹薮のヤブ漕ぎを終えるとちょうどこの洞窟の入口に出ました。
この写真のスロープはなにげに傾斜が急で、この空間へはまだ侵入したことがなかったのです。
この日は20mのザイルを持参、満を持して未知の洞窟へ降りてみました。
思ったより奥行きがありました。
やはり地質に変化はなかったのですが、人を引きつける妙な磁力がこの空間にはありました。
そして面白いことに、この洞窟にはあちこちにゴミが捨てられていたのです。
お菓子の袋とカップラーメンの容器が主でしたが、空き缶やガラス瓶の破片も結構目立ちました。
どれも年代物で、おそらく30~40年以上前のものではないでしょうか。
石切山の10数カ所に及ぶ大小の洞窟をほとんど探検しましたが、ゴミが見られたのはここが初めてです。
とても広い空間であり、かつ侵入するのは地形的に難しいので、昔から人を引きつける何か、自尊心をくすぐるなにかこの空間にはあったのでしょう。
いわば、この空間が”ラスボス”みたいな。
ザイルを入れてきたビニール袋を急遽ゴミ袋にしてゴミ収集。
ガラス系のゴミはそのままにしてありますが。
ちなみに、この洞窟を含め、蛍石はおろか石英のせの字も見当たりませんでした。
鉱物的には面白みはありません。
降りてきた方をパチリ。
やはりこの空間は神々しい。
最下部の空間はコウモリ天国でもありました。
まだ冬眠しているのかな?
正面の黒い塊、これ全部コウモリなんです。
最下部の洞窟から這い上がった上の空間。
ギリシャ神殿そのものです。
帰りに、登山道から外れたところにある洞窟へ立ち寄りました。
おととしの12月に発見した洞窟で、訪れるのは今回が2回目。
石切山に現存する洞窟でこのように池を有するものは5~6箇所あるのですが、ここが最もキレイ。
水質もそうですし、地形を含めたビジュアルもスッキリして美しい。
この洞窟も非常に規模が大きく、コウモリのフンが堆積してできた山の高さもここが最も高い。
実は北西側斜面の洞窟もまだ岩場が連続していたのですが、時間を食いすぎたので途中で切り上げてきたのです。
ということは、まだまだ石切山には人知れず洞窟が眠っている可能性が高いわけで、飽くなき探究心を掻き立てられます。
江戸時代の安永年間(1772~1781)から石の切り出しが始められ、最盛期を迎えた明治~大正時代半ばには石工の数が500人近くに及んだとのこと。
羽黒石の正体は凝灰角礫岩。
当ブログでも過去3回取り上げており、全体像はおおむね把握したつもりでしたが、地元の石材屋さんから量は少ないものの蛍石が出たこともあるという情報を得、改めて蛍石探しに出かけてみました。
まだところどころ残雪が残る石切山の旧登山道を登っていくと、左側にも岩場が連続していることに気づきました。
左側斜面は全く探索したことがないのでちょっと寄り道をしてみました。
すると、やはり露天掘り跡や洞窟がどんどん現れてきました。
国土地理院の地形図には、222mのピークの西~西南西側にしか岩場マークがありませんが、実際には北西側斜面にも同規模の岩場が連続しているのです。
地質的にはやはり凝灰角礫岩でしたが、切り出した跡の地形が個性的で、じっくり写真を撮りたくなります。
いや、本当に素晴らしかったです。
櫛形山脈にこのような産業遺産が残っているなんて・・・
上の2枚はいずれも北西側斜面で新たに発見した洞窟群です。
さて、この日はこの洞窟下部へ下降するのが目的でもありました。
この洞窟は、旧登山道沿いにある最も大きな洞窟の最下層レベルにあたります。
北西側斜面の洞窟探検を終え、猛烈な笹薮のヤブ漕ぎを終えるとちょうどこの洞窟の入口に出ました。
この写真のスロープはなにげに傾斜が急で、この空間へはまだ侵入したことがなかったのです。
この日は20mのザイルを持参、満を持して未知の洞窟へ降りてみました。
思ったより奥行きがありました。
やはり地質に変化はなかったのですが、人を引きつける妙な磁力がこの空間にはありました。
そして面白いことに、この洞窟にはあちこちにゴミが捨てられていたのです。
お菓子の袋とカップラーメンの容器が主でしたが、空き缶やガラス瓶の破片も結構目立ちました。
どれも年代物で、おそらく30~40年以上前のものではないでしょうか。
石切山の10数カ所に及ぶ大小の洞窟をほとんど探検しましたが、ゴミが見られたのはここが初めてです。
とても広い空間であり、かつ侵入するのは地形的に難しいので、昔から人を引きつける何か、自尊心をくすぐるなにかこの空間にはあったのでしょう。
いわば、この空間が”ラスボス”みたいな。
ザイルを入れてきたビニール袋を急遽ゴミ袋にしてゴミ収集。
ガラス系のゴミはそのままにしてありますが。
ちなみに、この洞窟を含め、蛍石はおろか石英のせの字も見当たりませんでした。
鉱物的には面白みはありません。
降りてきた方をパチリ。
やはりこの空間は神々しい。
最下部の空間はコウモリ天国でもありました。
まだ冬眠しているのかな?
正面の黒い塊、これ全部コウモリなんです。
最下部の洞窟から這い上がった上の空間。
ギリシャ神殿そのものです。
帰りに、登山道から外れたところにある洞窟へ立ち寄りました。
おととしの12月に発見した洞窟で、訪れるのは今回が2回目。
石切山に現存する洞窟でこのように池を有するものは5~6箇所あるのですが、ここが最もキレイ。
水質もそうですし、地形を含めたビジュアルもスッキリして美しい。
この洞窟も非常に規模が大きく、コウモリのフンが堆積してできた山の高さもここが最も高い。
実は北西側斜面の洞窟もまだ岩場が連続していたのですが、時間を食いすぎたので途中で切り上げてきたのです。
ということは、まだまだ石切山には人知れず洞窟が眠っている可能性が高いわけで、飽くなき探究心を掻き立てられます。
砂利浜できれいな石ころ探し (2) [鉱物 (胎内市)]
昨日に引き続き、胎内市の海岸部へきれいな石ころ探しに行ってきました。
この日はさらに荒川河口に近い、ポイントCを主体に探索。
帰り際に撮ったポイントCの写真ですが、気がつくと右側に彩雲が現れていました。
少なくとも5分くらいは出現していました。
昨日の場所より小石の粒が大きめで、どちらかというとゴロタ石の浜と言う方がふさわしいと思います。
場所によっては20~30cmサイズの石ばかりなので、大きい玉髄の出現を期待したのですが、それは叶わず。
その代わり、1~2mmの極小サイズながら、20cm弱の石英の石ころの窪みに水晶を発見。
ポイントÇも結構面積が広いのですが、全体的に赤玉(赤い碧玉ないしはジャスパー)と純白の石英ないしは珪岩が目立ちました。
幅25cmくらいでしょうか。
ちょっと風化が進んでいますが、赤いジャスパーに白い石英脈が入っている石。
そして、今回最大の発見。
この浜は特に花崗岩が多く、巣穴や窪みがあちこちに着いている石もありました。
そのような石には、2枚めの写真に見られるように水晶や玉髄が付いていることがあります。
これは玉髄ですね。
近くに似たような20cm大の石があったので、持ってきたハンマーで割ってみました。
ほとんど同じような結晶が現れました。
ところで、右下に石英が写っています。
ここのコンクリートのブロックにはあっちにもこっちにもこのような石英が露出しているのでした。
そこそこ透明度の高いものもあり、これにはちょっと感動。
こんな感じです。
さて、さっきの割った石の片割れ内部。
飴色の結晶がいい感じ。
まるでべっ甲亜鉛みたいです。
ピンク色の石英系の石も多数見られました。
もう少し透明度が高ければ言うことなしなのですが・・・
真ん中の緑の石は、グリーン・ジャスパーでしょうか。
この浜では赤と緑の碧玉が目立ちました。
その代わり、ポイントA&Bで多く見られた黄色のジャスパーはあまり見ませんでした。
このカット、特にきれいな石を集め、写真を撮るため1箇所に置いたわけではありません。
偶然なのです。
特にこの場所では、透明度の高い石英系の石ころが密集していました。
波打ち際は、常時水に濡れているせいか石の色と質感がわかりやすく、3m以上内陸に入ったところの砂利を探すより効率がいいです。
これは水面下の部分を含めたら30cmはありそうな、大きめの石英。
白い石英も、昨日の場所より3倍以上多くあったと思います。
この日、持ち帰った石は3個のみ。
これはそのうちの1個で、蛋白石っぽい質感の玉髄です。
ルーペで見ると縞模様が入っています。
このあと、荒川の橋を渡り、塩屋海岸もちょっとだけ下見しました。
現地着が18時20分なので、空身で15分ほど歩いただけ。
ここも石のサイズが大きく、砂利浜と言うよりはゴロタ石の浜と言ったほうが正確。
やはり赤いジャスパーが多く、ポイントCと似たような構成かなと。
塩屋浜も未知の可能性を秘めていると感じました。
この日はさらに荒川河口に近い、ポイントCを主体に探索。
帰り際に撮ったポイントCの写真ですが、気がつくと右側に彩雲が現れていました。
少なくとも5分くらいは出現していました。
昨日の場所より小石の粒が大きめで、どちらかというとゴロタ石の浜と言う方がふさわしいと思います。
場所によっては20~30cmサイズの石ばかりなので、大きい玉髄の出現を期待したのですが、それは叶わず。
その代わり、1~2mmの極小サイズながら、20cm弱の石英の石ころの窪みに水晶を発見。
ポイントÇも結構面積が広いのですが、全体的に赤玉(赤い碧玉ないしはジャスパー)と純白の石英ないしは珪岩が目立ちました。
幅25cmくらいでしょうか。
ちょっと風化が進んでいますが、赤いジャスパーに白い石英脈が入っている石。
そして、今回最大の発見。
この浜は特に花崗岩が多く、巣穴や窪みがあちこちに着いている石もありました。
そのような石には、2枚めの写真に見られるように水晶や玉髄が付いていることがあります。
これは玉髄ですね。
近くに似たような20cm大の石があったので、持ってきたハンマーで割ってみました。
ほとんど同じような結晶が現れました。
ところで、右下に石英が写っています。
ここのコンクリートのブロックにはあっちにもこっちにもこのような石英が露出しているのでした。
そこそこ透明度の高いものもあり、これにはちょっと感動。
こんな感じです。
さて、さっきの割った石の片割れ内部。
飴色の結晶がいい感じ。
まるでべっ甲亜鉛みたいです。
ピンク色の石英系の石も多数見られました。
もう少し透明度が高ければ言うことなしなのですが・・・
真ん中の緑の石は、グリーン・ジャスパーでしょうか。
この浜では赤と緑の碧玉が目立ちました。
その代わり、ポイントA&Bで多く見られた黄色のジャスパーはあまり見ませんでした。
このカット、特にきれいな石を集め、写真を撮るため1箇所に置いたわけではありません。
偶然なのです。
特にこの場所では、透明度の高い石英系の石ころが密集していました。
波打ち際は、常時水に濡れているせいか石の色と質感がわかりやすく、3m以上内陸に入ったところの砂利を探すより効率がいいです。
これは水面下の部分を含めたら30cmはありそうな、大きめの石英。
白い石英も、昨日の場所より3倍以上多くあったと思います。
この日、持ち帰った石は3個のみ。
これはそのうちの1個で、蛋白石っぽい質感の玉髄です。
ルーペで見ると縞模様が入っています。
このあと、荒川の橋を渡り、塩屋海岸もちょっとだけ下見しました。
現地着が18時20分なので、空身で15分ほど歩いただけ。
ここも石のサイズが大きく、砂利浜と言うよりはゴロタ石の浜と言ったほうが正確。
やはり赤いジャスパーが多く、ポイントCと似たような構成かなと。
塩屋浜も未知の可能性を秘めていると感じました。
砂利浜できれいな石ころ探し (1) [鉱物 (胎内市)]
石仲間から、胎内川河口から荒川河口にかけての海岸で、様々な色の瑪瑙や玉髄系の小石が拾えると聞きました。
早速行ってみたのだけど、確かにところどころ砂利浜となっており、探せばいろいろと見つかりそう。
2時間掛けて荒川河口手前まであちこち探してみたのですが、ポイントが広大なので一度来ただけではよくわからないのが本音。
こんなもんかなとも思うし、いやいやもっと透明感のある小石が密集しているエリアがピンポイントであると思えなくもないし、とにかくもう一度来なくては。
ポイントA。
白い石英は一定の割合で見つかります。
ただし透明感のある石は少数派な印象。
一番多かったのはイエロー・ジャスパー。
和名:黄玉として知られる石です。
ジャスパーは緑のものを和名では青玉といい、赤いものを赤玉と言いますが、両方ともありました。
しかし、3cm以下の小さい石しか見つかりませんでした。
ポイントBです。
こちらに着いたときはもう遅かったので、ゆっくり探せなかったのが残念。
大物(=大きい玉髄)が潜んでいそうな雰囲気ビンビンでした。
海岸で鉱物探しと言えば、県内では糸魚川の翡翠が思い浮かびますが、なかなかどうしてその辺の海岸でも結構きれいな鉱物が見つかります。
足場もいいし、波の穏やかな日だったら子供でも安全に石と触れ合うことができます。
海岸でのきれいな石ころ探し、お勧めのアクティビティーです。
本日の収穫。
右側奥の黄褐色の石が黄玉、白っぽい石は全部石英ないしは無色の玉髄(=カルセドニー)、やや透明感の黄色っぽい石は黄色の玉髄もしくはメノウです。
365nmのUVライトを当ててみました。
蛍光するものしないもの、様々です。
左手前の石は集合写真ではアングル的にわかりにくいのですが、明るい懐中電灯を当てると透過します。
この程度の透明度を持つ黄褐色の石はかなりありました。
さて、問題は集合写真の中央奥に写っている水色の小石。
マクロレンズで撮り、思い切りクローズアップしてみました。
どうやらガラス片ではないようです。
こちらが蛍光写真。
黄緑色にほんのりと蛍光します。
いろいろ調べてみたのですが、多分ブルーカルセドニーかブルークォーツァイトかなと。
横文字で書くとお高い鉱物に見えますが、なんのことはない、青い玉髄もしくは青い珪岩ということ。
色合い的には下越地方で見つかる鉱物としては超珍しいのですが、成分的にはごく普通の水晶です。
アクアマリンではないと思うのですが、見た目はそっくりなんですけどねえ。
※9月29日追記:
この水色の石はシーグラス(or ビーチグラス)でした。
これを専門に集めている方もいるようですね。
砂浜より砂利浜や川の河口に集まる傾向があるそうです。
早速行ってみたのだけど、確かにところどころ砂利浜となっており、探せばいろいろと見つかりそう。
2時間掛けて荒川河口手前まであちこち探してみたのですが、ポイントが広大なので一度来ただけではよくわからないのが本音。
こんなもんかなとも思うし、いやいやもっと透明感のある小石が密集しているエリアがピンポイントであると思えなくもないし、とにかくもう一度来なくては。
ポイントA。
白い石英は一定の割合で見つかります。
ただし透明感のある石は少数派な印象。
一番多かったのはイエロー・ジャスパー。
和名:黄玉として知られる石です。
ジャスパーは緑のものを和名では青玉といい、赤いものを赤玉と言いますが、両方ともありました。
しかし、3cm以下の小さい石しか見つかりませんでした。
ポイントBです。
こちらに着いたときはもう遅かったので、ゆっくり探せなかったのが残念。
大物(=大きい玉髄)が潜んでいそうな雰囲気ビンビンでした。
海岸で鉱物探しと言えば、県内では糸魚川の翡翠が思い浮かびますが、なかなかどうしてその辺の海岸でも結構きれいな鉱物が見つかります。
足場もいいし、波の穏やかな日だったら子供でも安全に石と触れ合うことができます。
海岸でのきれいな石ころ探し、お勧めのアクティビティーです。
本日の収穫。
右側奥の黄褐色の石が黄玉、白っぽい石は全部石英ないしは無色の玉髄(=カルセドニー)、やや透明感の黄色っぽい石は黄色の玉髄もしくはメノウです。
365nmのUVライトを当ててみました。
蛍光するものしないもの、様々です。
左手前の石は集合写真ではアングル的にわかりにくいのですが、明るい懐中電灯を当てると透過します。
この程度の透明度を持つ黄褐色の石はかなりありました。
さて、問題は集合写真の中央奥に写っている水色の小石。
マクロレンズで撮り、思い切りクローズアップしてみました。
どうやらガラス片ではないようです。
こちらが蛍光写真。
黄緑色にほんのりと蛍光します。
いろいろ調べてみたのですが、多分ブルーカルセドニーかブルークォーツァイトかなと。
横文字で書くとお高い鉱物に見えますが、なんのことはない、青い玉髄もしくは青い珪岩ということ。
色合い的には下越地方で見つかる鉱物としては超珍しいのですが、成分的にはごく普通の水晶です。
アクアマリンではないと思うのですが、見た目はそっくりなんですけどねえ。
※9月29日追記:
この水色の石はシーグラス(or ビーチグラス)でした。
これを専門に集めている方もいるようですね。
砂浜より砂利浜や川の河口に集まる傾向があるそうです。
石切山鉱山を極める [鉱物 (胎内市)]
29日、記憶が薄れないうちに再び石切山を訪れました。
今回は本来の坑口、つまり中条町教育委員会の古い案内板が立っている大洞窟を目指しました。
そして、周囲に大きな岩場があれば併せてそこを訪れるつもりで。
カウントの仕方にもよると思いますが、十数箇所あるという洞窟をいくつまで発見できるか。
旧登山道を登っていくと、最初に現れる採掘場跡がここ。
おとといアップした記事の洞窟は、すべてここより下部に位置しております。
右手奥の暗い空間は斜坑の入り口で、奥があるのです。
奥の洞窟へは右側から斜面をトラバースし、回り込んで行くことが可能です。
しかし、そこも急な角度で下へ落ち込んでおり、洞窟内部へ侵入するのは難しそう。
ということでスルーし、上へと山道を上ります。
ほどなく、右手にこんな岩場が見えてきました。
この日はGPS機器を持っていき、ログを取りました。
帰宅後歩いたルートを地図(カシミール3D)でチェックすると、くまなく歩いたつもりが、この岩場の向こうにどうもさらなる岩場が連続しているようで、ちょっと悔いが残りました。
この岩場にも洞窟が見えていますが、取り付きまでいやらしい斜面が続くのでここもスルーしたのです。
ということで、数年ぶりにやって来ました。
大洞窟はかなり複雑な構造をしており、これは最上部の洞窟。
中央下に暗い空間が見えますが、ここは今回も行けませんでした。
かなり広い空間となっているのですが、落盤の恐れがあるのと(本能的にそう感じる)、侵入するにはできれば10mほどのトラロープがあったほうがいいので、今回も無理をせず写真を撮るだけに留めました。
最上部の洞窟を左側から回り込んで写しました。
今の時期限定の構図です。
さっきの写真を撮った場所の手前に高さ60cmくらいの窓があり、そこから内部を写してみました。
この空間こそ、入りたくても入れなかった秘密の空間なのです。
こちらの窓からも腹ばいになれば入れそうですが、服を汚したくないのでパス。
最上部の洞窟から一段下の洞窟です。
この辺が一番美しいと思います。
ギリシャ神殿そのものです。
尚、地質は全面的に凝灰岩ないしは凝灰角礫岩で占められていました。
他の鉱物、一切なし。
下山途中で、もう一箇所新規の洞窟を探検。
ここも登山道からやや離れています。
背後に屹立した岩壁があり、そこの底部にも採掘跡がありました。
さっきの写真の岩壁で、右側の底部に狭い洞窟らしきものが見えるので行ってみました。
これはその入口から内部を写したもの。
ある程度の大きさの岩場だったら、もれなく採掘跡が残っています。
メインの大洞窟を幾つとして数えるかで変わってきますが(ここでは3としてカウント)、おととい見つけのが4箇所だとして、この日は大洞窟以外に5箇所の洞窟を発見しました。
ですから、合計12の大小の洞窟を見つけたことになります。
2枚めの写真の岩場は遠目で見ただけですが(ここでは、この場所は1としてカウントしています)、この奥にさらに岩場が拡がっている可能性が高く、となると洞窟(=採掘跡)がもっとあるかも。
これで、たま~にでいいので水晶(玉髄)などの透明系の鉱物が見つかると俄然やる気が出るのですが・・・
実はこの日、この場所を訪れる前に、昭和30年代なかば、燐灰ウラン鉱を試掘したという沢へ行ってみたのです。
その論文には沢の名称が書かれているのみで、具体的にどこで試錐したのかはわかりません。
1/2.5万地形図に記載の堰堤からその先に、計4つの堰堤が作られていました。
これが最奥部にある堰堤なのですが、割と最近作られたっぽいですね。
沢の転石を調べてみましたが、たま~に石英(白or赤褐色)があるのみで、そもそも転石の数が少ないので調査らしい調査はできませんでした。
この沢はH川の支流であり、本当は本流に行きたかったのですが、林道から本流の最終堰堤(大きな砂防堰堤です)へ降りていく道が完全に自然に還っており、猛烈なヤブになっていました。
なので、この支流の方でお茶を濁した次第。
ウランはもういいかな・・・
今回は本来の坑口、つまり中条町教育委員会の古い案内板が立っている大洞窟を目指しました。
そして、周囲に大きな岩場があれば併せてそこを訪れるつもりで。
カウントの仕方にもよると思いますが、十数箇所あるという洞窟をいくつまで発見できるか。
旧登山道を登っていくと、最初に現れる採掘場跡がここ。
おとといアップした記事の洞窟は、すべてここより下部に位置しております。
右手奥の暗い空間は斜坑の入り口で、奥があるのです。
奥の洞窟へは右側から斜面をトラバースし、回り込んで行くことが可能です。
しかし、そこも急な角度で下へ落ち込んでおり、洞窟内部へ侵入するのは難しそう。
ということでスルーし、上へと山道を上ります。
ほどなく、右手にこんな岩場が見えてきました。
この日はGPS機器を持っていき、ログを取りました。
帰宅後歩いたルートを地図(カシミール3D)でチェックすると、くまなく歩いたつもりが、この岩場の向こうにどうもさらなる岩場が連続しているようで、ちょっと悔いが残りました。
この岩場にも洞窟が見えていますが、取り付きまでいやらしい斜面が続くのでここもスルーしたのです。
ということで、数年ぶりにやって来ました。
大洞窟はかなり複雑な構造をしており、これは最上部の洞窟。
中央下に暗い空間が見えますが、ここは今回も行けませんでした。
かなり広い空間となっているのですが、落盤の恐れがあるのと(本能的にそう感じる)、侵入するにはできれば10mほどのトラロープがあったほうがいいので、今回も無理をせず写真を撮るだけに留めました。
最上部の洞窟を左側から回り込んで写しました。
今の時期限定の構図です。
さっきの写真を撮った場所の手前に高さ60cmくらいの窓があり、そこから内部を写してみました。
この空間こそ、入りたくても入れなかった秘密の空間なのです。
こちらの窓からも腹ばいになれば入れそうですが、服を汚したくないのでパス。
最上部の洞窟から一段下の洞窟です。
この辺が一番美しいと思います。
ギリシャ神殿そのものです。
尚、地質は全面的に凝灰岩ないしは凝灰角礫岩で占められていました。
他の鉱物、一切なし。
下山途中で、もう一箇所新規の洞窟を探検。
ここも登山道からやや離れています。
背後に屹立した岩壁があり、そこの底部にも採掘跡がありました。
さっきの写真の岩壁で、右側の底部に狭い洞窟らしきものが見えるので行ってみました。
これはその入口から内部を写したもの。
ある程度の大きさの岩場だったら、もれなく採掘跡が残っています。
メインの大洞窟を幾つとして数えるかで変わってきますが(ここでは3としてカウント)、おととい見つけのが4箇所だとして、この日は大洞窟以外に5箇所の洞窟を発見しました。
ですから、合計12の大小の洞窟を見つけたことになります。
2枚めの写真の岩場は遠目で見ただけですが(ここでは、この場所は1としてカウントしています)、この奥にさらに岩場が拡がっている可能性が高く、となると洞窟(=採掘跡)がもっとあるかも。
これで、たま~にでいいので水晶(玉髄)などの透明系の鉱物が見つかると俄然やる気が出るのですが・・・
実はこの日、この場所を訪れる前に、昭和30年代なかば、燐灰ウラン鉱を試掘したという沢へ行ってみたのです。
その論文には沢の名称が書かれているのみで、具体的にどこで試錐したのかはわかりません。
1/2.5万地形図に記載の堰堤からその先に、計4つの堰堤が作られていました。
これが最奥部にある堰堤なのですが、割と最近作られたっぽいですね。
沢の転石を調べてみましたが、たま~に石英(白or赤褐色)があるのみで、そもそも転石の数が少ないので調査らしい調査はできませんでした。
この沢はH川の支流であり、本当は本流に行きたかったのですが、林道から本流の最終堰堤(大きな砂防堰堤です)へ降りていく道が完全に自然に還っており、猛烈なヤブになっていました。
なので、この支流の方でお茶を濁した次第。
ウランはもういいかな・・・
洞窟のラビリンス [鉱物 (胎内市)]
2016年5月7日の記事で、初めて石切山鉱山(胎内市)のことを取り上げました。
当時はまだ鉱物趣味を始めていなかったので知識がなく、単に洞窟探検に行っただけ。
凝灰岩鉱床なので水晶系の鉱物が見つかる可能性は低いですが、一度再訪してみたいと思っていたのです。
12月27日、櫛形山脈下部はほとんど雪がないことを確認し、今年最後の探検に行ってきました。
その前に、「新潟県地質図説明書」(昭和52年3月発行)に、”中条羽黒山鉱床”についての記述があるので引用します。
『中条羽黒山鉱床は北蒲原郡中条町半山東方の標高100m近くの丘陵にあり、露天掘りにより酸性白土を採掘している。鉱床は流紋岩質凝灰岩が続成作用によって粘土化したものである。この凝灰岩層は北部で層厚を増し、南部へは層厚が低くなる。露天掘りでは上、中、下の3段に区切って採掘が行われているが、下段は主に灰青色の軽石質凝灰角礫岩を主にし、最上部に暗灰色頁岩と黄色粘土の互層で、上段には凝灰岩質頁岩が分布する。』
櫛形山脈に関して、個人的には大いに興味を抱いており、これから少しずつ鉱物探査を続けていきたいと考えています。
なにせ、文献に出てくるのは石切山くらいで、その他の鉱物があるのかどうか、特に水晶系(玉髄など)の脈がどこかにないか、全く情報がありません。
つまり未開拓ゾーン。
夢とロマンを秘めた山域なのです。
さて、凝灰岩を切り出していた石切山ですが、改めて現地に立っている案内板の文章を読むと、大小合わせて10数カ所も洞窟があるといいます。
今は廃道となっている石切場経由の登山道ですが、近年地元の有志たちが登山道を整備し(ただし建前上は立ち入り禁止で、分岐点にトラロープが垂れ下がっていますが)、ヤブが深くなる夏場以外は駐車場からほんの一投足で石切場の3段になっている大洞窟に到達することが可能。
この日もその大洞窟を目指して歩き始めたのですが、歩き始めて数分後、洞窟らしき地形を発見、そこへ行ってみました。
近づいていみると、露天掘り跡でした。
これら2箇所の穴は入り口こそ狭いものの、奥行きはかなりありました。
明らかに天然の洞窟ではなく、石を切り出した跡です。
この岩のすぐ上にもさらに大きな岩場があり、行ってみると予想以上に大きな洞窟が出現しました。
右側の洞窟は垂直方向に10mほど掘られており、下部で右側の洞窟とつながっていました。
この場所は登山道からは死角になっていて見えません。
このあとさらに上部で未知の洞窟を発見したのですが、10数カ所あるということですから、探せばまだまだ見つかることでしょう。
左側の洞窟内部。
水没していますが、右側奥に通路があり、次の写真の洞窟とつながっています。
洞窟前の雪原~といっても2~3cmうっすらと積もっているだけですが~にカモシカかイノシシのものと思われる足跡が残っていました。
洞窟を出て登山道に戻り、大洞窟へと歩を進めます。
しかし、ほどなく洞窟らしき地形が目に入り、行ってみると大きな洞窟が待ち構えていました。
扇形に横に広がっており、本来の目的地である、もっと上の尾根上にある大洞窟と遜色ない大きさ。
興奮を禁じえませんでした。
奥の方にはコウモリの糞がうず高く堆積しており、そこにゴミや足跡(獣のそれも含む)は一切見当たりません。
面積が広いので半分くらいしか歩き回っていませんが、残念ながら珪質化した岩は見られず。
それでもところどころ色が着いていた部分があったので、写真に収めました。
これがアメジストだったら嬉しいのですが、そう甘くはありません。
部分的に黄色~茶褐色に変色している部分はたくさんありましたが、紫色に変色しているところはここだけ。
ライトを当てる前からキラキラしているところが何箇所か洞窟内にありました。
銀色に光っている部分は単なる水滴に光が反射していただけだったけど、それとは別に金色にきらめいている部分も少なからずありました。
金色部分はどれも手の届かない高所ばかりだったので正体はわからないのですが、細かいパイライトかもしれません。
これがそうなのですが、写真に写すと黄色味が薄くなってしまいます。
アリの巣のような洞窟は、さっきの洞窟もそうでしたが下部に池がありました。
これらの洞窟の探索で時間を食ってしまったので、本来の目的地には行けませんでした。
ぼくのかすかな記憶を辿ると(2016年5月以降、ブログには載せていませんがもう一度だけその大洞窟を訪れたことがあるのです)、メインの大洞窟の近くにも大きな岩場があったと思うので、その岩場にも洞窟があるのではと推測します。
鳥坂山から櫛形山に向かう縦走路沿いにも大きな岩場が出てくるみたいなので(ネットで写真を見ると凝灰岩っぽいですね)、来年は一度櫛形山脈を縦走しないといけません。
※追記:櫛形山脈某所で昭和30年代半ば、放射能異常が観測され、地質調査と試錐調査が行われたようです。
その論文を持っていたのを忘れていたので、改めて読んでみました。
たった4個ではあるが、発見されたウランノジュールを分析すると、燐灰石中に最大0.33%のウランが含まれることが推定されたそうです。
含ウラン燐鉱は国内では非常に珍しく、かつウランの含有量も国内トップクラスで学術的に興味を惹かれるが、たった4個見つかっただけなので経済的な価値があるとは考えられないと結んでいます。
その論文の地図でおおよその場所はわかったので、そこも併せて探査してみたい。
燐灰石は蛍光することが多いので、UVライトは忘れずに持っていかなくては。
当時はまだ鉱物趣味を始めていなかったので知識がなく、単に洞窟探検に行っただけ。
凝灰岩鉱床なので水晶系の鉱物が見つかる可能性は低いですが、一度再訪してみたいと思っていたのです。
12月27日、櫛形山脈下部はほとんど雪がないことを確認し、今年最後の探検に行ってきました。
その前に、「新潟県地質図説明書」(昭和52年3月発行)に、”中条羽黒山鉱床”についての記述があるので引用します。
『中条羽黒山鉱床は北蒲原郡中条町半山東方の標高100m近くの丘陵にあり、露天掘りにより酸性白土を採掘している。鉱床は流紋岩質凝灰岩が続成作用によって粘土化したものである。この凝灰岩層は北部で層厚を増し、南部へは層厚が低くなる。露天掘りでは上、中、下の3段に区切って採掘が行われているが、下段は主に灰青色の軽石質凝灰角礫岩を主にし、最上部に暗灰色頁岩と黄色粘土の互層で、上段には凝灰岩質頁岩が分布する。』
櫛形山脈に関して、個人的には大いに興味を抱いており、これから少しずつ鉱物探査を続けていきたいと考えています。
なにせ、文献に出てくるのは石切山くらいで、その他の鉱物があるのかどうか、特に水晶系(玉髄など)の脈がどこかにないか、全く情報がありません。
つまり未開拓ゾーン。
夢とロマンを秘めた山域なのです。
さて、凝灰岩を切り出していた石切山ですが、改めて現地に立っている案内板の文章を読むと、大小合わせて10数カ所も洞窟があるといいます。
今は廃道となっている石切場経由の登山道ですが、近年地元の有志たちが登山道を整備し(ただし建前上は立ち入り禁止で、分岐点にトラロープが垂れ下がっていますが)、ヤブが深くなる夏場以外は駐車場からほんの一投足で石切場の3段になっている大洞窟に到達することが可能。
この日もその大洞窟を目指して歩き始めたのですが、歩き始めて数分後、洞窟らしき地形を発見、そこへ行ってみました。
近づいていみると、露天掘り跡でした。
これら2箇所の穴は入り口こそ狭いものの、奥行きはかなりありました。
明らかに天然の洞窟ではなく、石を切り出した跡です。
この岩のすぐ上にもさらに大きな岩場があり、行ってみると予想以上に大きな洞窟が出現しました。
右側の洞窟は垂直方向に10mほど掘られており、下部で右側の洞窟とつながっていました。
この場所は登山道からは死角になっていて見えません。
このあとさらに上部で未知の洞窟を発見したのですが、10数カ所あるということですから、探せばまだまだ見つかることでしょう。
左側の洞窟内部。
水没していますが、右側奥に通路があり、次の写真の洞窟とつながっています。
洞窟前の雪原~といっても2~3cmうっすらと積もっているだけですが~にカモシカかイノシシのものと思われる足跡が残っていました。
洞窟を出て登山道に戻り、大洞窟へと歩を進めます。
しかし、ほどなく洞窟らしき地形が目に入り、行ってみると大きな洞窟が待ち構えていました。
扇形に横に広がっており、本来の目的地である、もっと上の尾根上にある大洞窟と遜色ない大きさ。
興奮を禁じえませんでした。
奥の方にはコウモリの糞がうず高く堆積しており、そこにゴミや足跡(獣のそれも含む)は一切見当たりません。
面積が広いので半分くらいしか歩き回っていませんが、残念ながら珪質化した岩は見られず。
それでもところどころ色が着いていた部分があったので、写真に収めました。
これがアメジストだったら嬉しいのですが、そう甘くはありません。
部分的に黄色~茶褐色に変色している部分はたくさんありましたが、紫色に変色しているところはここだけ。
ライトを当てる前からキラキラしているところが何箇所か洞窟内にありました。
銀色に光っている部分は単なる水滴に光が反射していただけだったけど、それとは別に金色にきらめいている部分も少なからずありました。
金色部分はどれも手の届かない高所ばかりだったので正体はわからないのですが、細かいパイライトかもしれません。
これがそうなのですが、写真に写すと黄色味が薄くなってしまいます。
アリの巣のような洞窟は、さっきの洞窟もそうでしたが下部に池がありました。
これらの洞窟の探索で時間を食ってしまったので、本来の目的地には行けませんでした。
ぼくのかすかな記憶を辿ると(2016年5月以降、ブログには載せていませんがもう一度だけその大洞窟を訪れたことがあるのです)、メインの大洞窟の近くにも大きな岩場があったと思うので、その岩場にも洞窟があるのではと推測します。
鳥坂山から櫛形山に向かう縦走路沿いにも大きな岩場が出てくるみたいなので(ネットで写真を見ると凝灰岩っぽいですね)、来年は一度櫛形山脈を縦走しないといけません。
※追記:櫛形山脈某所で昭和30年代半ば、放射能異常が観測され、地質調査と試錐調査が行われたようです。
その論文を持っていたのを忘れていたので、改めて読んでみました。
たった4個ではあるが、発見されたウランノジュールを分析すると、燐灰石中に最大0.33%のウランが含まれることが推定されたそうです。
含ウラン燐鉱は国内では非常に珍しく、かつウランの含有量も国内トップクラスで学術的に興味を惹かれるが、たった4個見つかっただけなので経済的な価値があるとは考えられないと結んでいます。
その論文の地図でおおよその場所はわかったので、そこも併せて探査してみたい。
燐灰石は蛍光することが多いので、UVライトは忘れずに持っていかなくては。
幻の竹豊胎内鉱山 [鉱物 (胎内市)]
先日、ある偉大な?HPで新発田市に千石鉱山という鉱山があったことを知りました。
千石鉱山が文書に出てくるのは、「新潟県地質図説明書 1962年版」。
ネットで調べてみたら、1962年版の新潟県地質図は全国4箇所の図書館で閲覧できることがわかりました。
しかし、付録として同時に発行された小冊子・新潟県地質図説明書はどこにもないようです。
でも、数日後改めて調べてみたら、なんとぼくの地元・新発田市の歴史図書館に収蔵されていることが判明。
しかも、貸し出し可能とのこと。
千石鉱山が文書に出てくるのは、「新潟県地質図説明書 1962年版」。
ネットで調べてみたら、1962年版の新潟県地質図は全国4箇所の図書館で閲覧できることがわかりました。
しかし、付録として同時に発行された小冊子・新潟県地質図説明書はどこにもないようです。
でも、数日後改めて調べてみたら、なんとぼくの地元・新発田市の歴史図書館に収蔵されていることが判明。
しかも、貸し出し可能とのこと。
29Pの小冊子ですが、そこに稼業中の鉱山、休鉱山(含・廃鉱山)のリストが載っています。
鉱山の所在地と、採取されている鉱物の種類、生産量、所有者などが記載されているのです。
すごいのは、廃坑になった鉱山と休止中の鉱山の多さ。
なんと、新潟県全体で272件もあるのです!
新発田市を例に取ると、1962現在稼業中の鉱山は千石鉱山と赤谷鉱山、飯豊鉱山。
休廃鉱山が菅谷鉱山、三光鉱山、高知山鉱山、笠菅鉱山、釜ヶ沢鉱山となっています。
(亜炭や石炭を採っている鉱山は省略しました。)
話は表題の竹豊胎内鉱山(旧黒川村)に戻りますが、この鉱山は胎内第2ダムのダム湖に注ぎ込むシシノセ沢沿いにあったようです。
先の地質図説明書には位置は明記されていないのですが、小冊子ではなく、ペアで発行された地質図の方に鉱山マークが載っています。
しかしながら、新発田の歴史図書館には地質図の方は置いてないのです。
これらの資料は新潟県がおよそ10年に一度刊行しているのですが、1980年以降の地質図はネットで見ることができます(地質調査総合センターでググってみて下さい)。
で、2010年発行の地質図を見てみたのですが、ちゃんと休廃鉱山の位置も記してありました(一部ですが)。
ただし、新発田市で検証すると飯豊鉱山・赤谷鉱山以外では一つしか鉱山マークがなく、それは二王子山麓にあるのですが、それが休廃鉱山のどれなのかよくわかりません。
1962年版の地図ではそれぞれの鉱山マークに番号が振ってあり、鉱山名と対比できるようになっているようです。
話は逸れましたが、胎内市エリアに関してはそういった混同もなく、すぐ竹豊胎内鉱山の位置がわかりました。
シシノセ沢がダム湖に流れ込んでいるその場所へ、ぼくは高校生の時にルアー釣りで行ったことがありました。
橅平橋からダム湖の右岸に沿って、当時は踏み跡があったのです。
そこを辿って10数分歩いていくと(かなり苦労した覚えがあります)、沢が左手から出会い、その流れ込みに降り立ったのです。
当時は山菜採りが作った道ぐらいにしか思っていなかったのですが、今から思うとそれこそ鉱山関係者が作った踏み跡だったことがわかります。
5月9日、約40年ぶりに橅平橋からシシノセ沢を目指して歩き始めました。
100mも歩かないうちに、前方に深い谷が現れました。
それまでの林の中に、かつての踏み跡は全く残っていません。
林の中をあっちこっち歩き回りましたが、小沢へ下りられそうな斜面はピンポイントで1箇所だけ。
何とか枝につかまりながら沢に降り立ちましたが、そこで行き詰まりました。
(上の写真はその小沢上部の風景。)
傾斜がきついだけでなく、ホールドに適した枝がほとんどないのです。
そこさえクリアすれば、あとはシシノセ沢の出会いまでなんとかトラバースできそうなのですが。
ザイルがあれば何とかなるかもしれませんが、潔く撤退しました。
昔より斜面の土砂が削り取られているようで、へつりもきつそうに思えましたし。
正面左側の谷がシシノセ沢。
上流部に下川鉱山、中流部に竹豊胎内鉱山がありました。
どちらの鉱山もマンガンを採掘していたようです。
※ちなみに、2000年に発行された新潟県地質図説明書は、新潟県立図書館で閲覧可能。
1962年版のそれと違って、本の厚さが何倍もあり、内容もすごく充実しています。
休廃鉱山のリストは大幅に削減されていますが、何かと勉強になる資料ではありました。
新潟県地質図の方は、1/20万のそれがネットや一部の図書館で見ることができます。
1/5万のそれも地域によっては作られているのですが、新潟県全体では2/3の地域が1/20万の地図しかありません。
(おおよその位置はこれでもわかるので、あとは1/2.5万の地形図と照らし合わせれば、目的の鉱山の場所はまあまあ絞り込めるでしょう。)
クリアクオーツの聖地 [鉱物 (胎内市)]
鉱物マニアが密かに大事にしている、別な言い方をすれば極力秘密にしている、下越地方の某ポイントへ初めて行ってきました。
そこで見られる鉱物は水晶のみ。
色も透明~白までの、王道的水晶だけです。
先日訪れた五頭山麓のポイントでは透明な水晶はほとんど見かけませんでしたが、ここでは結構見つけることができました。
柱面の長さも長いもので3cmくらいあり、見慣れた形をしているクラスターも少なからずありました。
しかしながら、ポイントが途中で折れてしまっているものが大半を占め、A級品は皆無でした。
そこで見られる鉱物は水晶のみ。
色も透明~白までの、王道的水晶だけです。
先日訪れた五頭山麓のポイントでは透明な水晶はほとんど見かけませんでしたが、ここでは結構見つけることができました。
柱面の長さも長いもので3cmくらいあり、見慣れた形をしているクラスターも少なからずありました。
しかしながら、ポイントが途中で折れてしまっているものが大半を占め、A級品は皆無でした。
このポイントの長さは1cmくらい。
赤サビが付いている個体がほとんどでした。
赤サビが付いている個体がほとんどでした。
こちらはクローライトになかば覆われたポイント。
ガーデンクオーツと呼称されますが、個人的にはこの色合い好きです。
新潟市の海岸で透明感のない白い石英はたくさん撮ってきたので、今回透明感のある個体だけ写しました。
ポイントの長さは1.5cmくらい。
ハーキマーダイヤモンドに準ずる透明度と質感を持つポイント。
残念ながら少し欠けていますが、透明な水晶を観察するのは我を忘れるほどワクワクします。
欠けが多いながらも、ガラス質の質感の高さと透明度ではピカイチの個体。
こぶし大のこのクラスターは現地で拾ったものですが、夜いつものようブラックライトを照射してみました。
ご覧のように、上部が赤っぽく発光しました。
今回持ち帰った3個の石はどれも蛍光せず、部分的にせよ蛍光現象が見られたのはこれだけでした。