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倉谷鉱山の鉱物 [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

頑張って上部のズリまで行くと、あるいは自形の水晶ポイントが見つかるかもしれません。
しかし余りにも面積が広すぎて、探すのは時間と根気を必要とします。
鉱山入り口では、3年前までは比較的容易に色は薄いものの紫石英を見つけることができましたが、今はほぼ絶産したように思います。
それでも、黄鉄鉱はまだまだあちこちに散らばっています。
形の良い結晶は少ないですが、ゼロではありません。

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整形はしていません。
簡単に水洗いしただけの状態。
水晶と黄鉄鉱のコラボレーション。
最もよく見かける産状です。

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形はいびつですが、長辺2.3cmくらいある黄鉄鉱の単結晶を道端で見つけました。

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流紋岩ベースの紫石英。
ほとんど水晶と言ってもいいと思いますが、上部のズリではこのタイプの結晶をよく見かけます。
ただし、サイズは2~3cm と小さいものがほとんどですが。

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今回の白眉。
ある石を割ったら中から紫水晶がお出まし。

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部分拡大。

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分割した片割れの方も、あちこち紫水晶だらけでした。



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倉谷鉱山・本坑口 [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

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これが本坑口です。
ちょっとしたすり鉢状の地形になっており、壁はかなり高く、迫力満点。
斜め下方向に向かって坑道は進んでおり、地形的に土砂の流入がしやすいのでどうかなと思いましたが、やはり坑道は半分以上埋没していました。

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坑道は左側へ向かって伸びており、意を決して降下してみました。

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上の壁と地面の間の高さは20cmほどでしょうか。
這いつくばってこの隙間から奥を眺めたのですが、やはりというか、左右に広そうな空間が拡がっていました。
土砂の流入がなければ、あるいはちょっとしたホールがそこにあるのかもしれません。
でも天盤が脆そうだったので、入っていくことは断念。

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それにしても、地底から流れてくるエネルギーがすごい。
全ての坑道がそうではありません。
中には何も感じない坑道もありますが、ここの坑道は大地の底から吹き上げてくるどっしりとした波動に満ち満ちていました。
こればっかりは、ぼくの拙い文章では伝わらないと思います。
その場へ行かないと体感できないことは、この世界にはたくさんあるのです。

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坑口周囲の岩壁がこれまた異色でした。
このような青緑色の細かい結晶があちこちに付いているのです。

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拡大してみて、胆礬(たんばん)であることがわかりました。
硫酸銅からなる鉱物で、銅鉱山の坑道などでよく見られる鉱物です。
この岩壁は地表側なので結晶は硬かったですが、坑道の内壁で見られるそれは、胆礬が水溶性であることから水分を含んでいるので柔らかいことが多いです。

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坑口を離れると、ナイフリッジがさらに上に向かって伸びており、もうもう上部に坑口はないはずと思いながらも、なんとなく右側に踏み跡の痕跡が認められたのでさらに上を目指しました。
そして、この岩峰が出現。
岩峰の裏までなんとか行くことができ、周囲を360度見渡すことのできる2m四方の平らなスペースで踏み跡も途絶えました。

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そこから下界を見下ろすの図。
標高500mをとうに過ぎています。
この先は猛烈な灌木藪となり、人が歩けるような感じではないのでここでUターン。
”富鉱部の鉱体幅は最大20m(平均5m)、上下に60mある”と日本金山誌には書いてありますが、トロッコ軌道が置かれていた中切坑から本坑口間の標高差が50mくらいでしょうか。
そして、本坑中段と本坑口の間の標高差は約5m。
大体辻褄が合います。
あとは、一番下に位置すると思われる大切坑がどこにあるかですが、やはりあそこかなあ・・・
先人のM氏の偉大さをまたしも思い知った、倉谷鉱山探検でした。




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倉谷鉱山・中切坑と本坑中段 [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

5月31日と6月1日、2日連続で倉谷鉱山へ行ってきました。
まだ上部1/3のエリアを探索したことがないのでそこを探索し、できれば坑口を見つけることを目的に。
倉谷鉱山の沿革をまだ述べたことがなかったので紹介します。

同鉱山のスタートは大正5年。
久原鉱業、倉谷鉱業など鉱業権は点々とし、最終的には合同資源産業に移ったのが昭和41年。
合同資源産業㈱は今でも存続している会社で、現在は社名が合同資源㈱となっています。
同社のHPを見ると、昭和61年まで全国各地の主に金銀を主とする金属鉱山事業を展開してきたとあります。
補足すると、同社は令和4年10月、新社屋の一角に鉱石資料館を開設。
全国830鉱山の鉱石標本を約1050点、国内外の鉱物約200種類の標本約300点を展示しているそうです。
これは見たい!
会社の場所が千葉県の、わりと太平洋に近い町なので日帰りで行くのは厳しいですが、いつか必ず。
倉谷鉱山の沿革に戻りますが、倉谷鉱業に鉱業権が移転した昭和36年には引き続き探鉱がなされたとあるので、少なくとも昭和36~41年の間は稼働していたと思われます。

次に鉱床について。
倉谷鉱床は、倉谷凝灰岩中に胚胎する細脈網状鉱染状の金・銅鉱床。
主要坑口は、本坑、本坑中段、中切坑、立坑中段、大切坑の5つ。
中心部にある富鉱部の走向延長は約60m。
鉱体幅は最大20m、平均で5m、上下に60mある。
鉱石鉱物は自然金、黄銅鉱、黄鉄鉱、少量の方鉛鉱、閃亜鉛鉱、輝安鉱で、二次的に斑銅鉱、輝銅鉱、自然銅。
脈石鉱物として、石英、緑泥石がある。

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中間部のズリで見られる鉱物。
海綿状の石英と黄鉄鉱が主流。
鉱山入り口の斜面と比較すると、かなり流紋岩が見られるようになります。
鉱床の母岩となっているのは、倉谷凝灰岩中の緑色葉層状凝灰岩。
鉱床周辺には倉谷凝灰岩および内出沢凝灰岩が広く分布し、それらを貫いて流紋岩が見られる、とある文献に書いてあるのですが、それらの記述がよくわかりました。

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選鉱場近くの沢で、年代物の瓶を発見。
半分埋もれていたので取り出しました。
現代ではこのような色のガラス瓶はほとんど見かけないような・・・

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沢の一角に、銀竜草(ギンリョウソウ)の群生地がありました。

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中間部の斜面ですが、この先にも何かありそうです。
体力温存のため、こっち方面の探索は断念。

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ここから先は今回が初探索の領域。
早速、木製のトロッコ軌道を発見。

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その背後に坑口。
おそらくこれが中切坑だと思います。

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立派な支保工が確認できました。
大量の土砂の流入&陥没で埋まっていますが、どうやら立坑のようです。

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トロッコ軌道はこの大斜面を走っていたのでしょうか。
彼方に選鉱場が立っていたと思われる広場が見えます。
わかりやすい構成です。

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中切坑から上部は傾斜がきつくなりますが、なんとなく踏み跡とまではいかないまでも人が通ったような痕跡が残っていたので、それを辿っていったら坑口が現れました。
この2つの坑口は隣り合っており、内部で繋がっているようでした。
やはり土砂の流入が激しく、侵入は不可能でした。
今回3つの坑口を見つけたのですが、GPSで記録したそれらの位置を俯瞰すると一直線上に開口されていることがわかります。
坑口の名称はそれらを踏まえ、ぼくの判断によるものです。念のため。
上の写真の坑口は、本坑中段だと思われます。
それだと納得が行くのです。
(本坑口の記事は明日投稿予定)

※参考文献:日本金山誌(第三編 東北)




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倉谷鉱山の核心部へ [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

9日、2年ぶりに阿賀町の倉谷鉱山へ行ってきました。
2019年5月に行った時は坑口へたどり着けなかったので、できれば坑口を間近で見てみたいなと。
しかし、林道の終点の露頭までは相変わらず悪路。
ラストの400mが悪く、ジムニーでないと行く気になれないレベル。
一応大きな落石などはどかしてあるのですが、10年後には廃道になっている可能性大ですね。

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ここが林道の事実上の終点にある露頭。
念の為、ほぼ同じアングルで2019年に撮った写真と比較してみたのですが、地形にほとんど変化はありません。
右奥にある小さな晶洞も覗いてみたのですが、特に奥行きは変わっていなかったです。
倉谷鉱山はいくつかの資料に名前が出てくるのですが、本当に名前だけ。
わかっているのは銅、亜鉛、鉛を採掘していたということぐらい。
大正5年の操業で、少なくとも昭和36年までは稼行していたらしいのですが、正確な閉山の時期は不明。
結局、あの方のHPが一番詳しいという。

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露頭の左側に登山道が伸びており、そこを登っていきます。
それ以外にも露頭の周辺に踏み跡がないか調べたのだけど、やはりわからなかった。
前回は50分ほど登って引き返しました。
地図やグーグルアースを見ると、標高差にして駐車場からズリの下部までは100m弱しかないはずなので、時間にしたら30分も歩けば出るはず。
しかし、どうやら登山道は鉱山のあった谷方向へ伸びているわけではなく、隣接する痩せ尾根上に伸びているのです。
なので、右側に分岐する踏み跡がないか注意しながら登っていきます。
でも、今回も見当たりませんでした。
前回と違って今回はGPS機器を持ってきているので、登山道が伸びている尾根と鉱山があったはずの斜面はクロスしないことがその軌跡からわかりました。
しかし、上の方で迂回して鉱区の上端に出る可能性も捨てきれない。
ということでひたすら登山道を詰めていったのですが、とうとう標高540m地点、上の写真の倒木のところで道が途絶えてしまいました。
仕方ないので、下りながら赤茶けた斜面に最も近接した地点から意を決して登山道を外れ、林間にかすかに見え隠れしているズリ斜面を目指しました。

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灌木地帯を抜けたらほどなくここへ到達。
標高410m、3段ほどのテラスになっており、おそらくここに昔は何らかの鉱山関係施設があったものと思われます。
取りあえず、最低限の目的達成。
思ったよりテラスの面積は広く、草丈は1~1.5mあるので移動に時間がかかります。
なにせ足元が全く見えないので。


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テラスから上の方へカメラを向けてみました。
近そうで遠い。
さらに斜面を下って、谷を流れる小沢へ。

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実はテラスからはるか下の方にもズリと思わしき斜面が見えており、それはグーグルアースでも視認できる地形なのですが、一見すると沢の落ち込みの段差がかなりあり、苦労しそう。
なので、そっちへ行くより上を目指すほうが歩きやすかったので、ここから沢沿いを歩き、広大なズリ山の取り付きを目指しました。

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がれ場歩きを想定してミッドカットの登山靴を履いてきていたのでそれほど苦にはなりませんでしたが、浅めの軽登山靴だとかなり歩きにくいと思います。長靴は論外。
そこそこ斜度はあるものの、鉱山の上端と思われる右奥の岩場へ行こうと思えば行けると思います。
しかし既に時間が押しており、体力的にも余力がなくなってきたのでここでUターン。
地質ですが、駐車場の露頭と全く同じです。
周囲の植生さえも同じ。
紫石英を内包する岩石は、ひょっとしたら駐車場周辺の露頭のほうが多いと思いました。

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あの岩場の付け根へ行けば、何かしらお宝的結晶に出会えるかもしれませんが・・・
坑口もありそう。
そして、今回も坑口の位置を確認することはできませんでした。
鉱区の下半分の斜面も同様の地形となっており、丹念に歩き回れば見つけることができるかもしれませんが、下の斜面へ行くとそこから元来た登山道に戻るのが大変。
そこまで行くなら駐車場まで沢沿いに下るのが最短距離ですが、駐車場から標高差で20mぐらいは斜度が非常に急であり、ザイル持参でないとリスキーなのです。
ということで、今回は鉱区の真ん中の斜面をちょろっと歩いただけでお茶を濁した次第。

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なんだかんだ言って、やはり駐車場周辺の方がこの鉱山の目玉である紫水晶ないしは紫石英(今もヤフオクに倉谷鉱山産の紫水晶の小さなポイントが出品されています)を拾える確率が高い。
知人の情報によると、駐車場のすぐ下を流れる沢の河原でもいろいろ見つかるらしい。
最後の写真のやつなんて、本当に立派だと思います。
どちらも誰かの置き土産。
まだ現地にありますよ~。




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遠かった倉谷鉱山 [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

阿賀町のとある沢を訪れた後は、室谷川支流の倉谷沢へ。
林道のどんづまりに倉谷鉱山跡への道が続いているはず・・・
倉谷鉱山の操業開始は大正5年(1913)。
黄鉄鉱をはじめ、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、斑銅鉱など複数の鉱物を採取していたようですが、近年ここを訪れた鉄人M君によると、黄鉄鉱しか見当たらなかったそうで。

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林道の終点にある大きな露頭。
中央やや右には、おそらくマニアの人たちが掘ったのであろう小さな穴が見られます。

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中を覗き込んでみました。
奥行きは1mくらいでしょうか。
下には水がたまっています。
そして、壁面のところどころにキラキラした黄鉄鉱(パイライト)が見られます。

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もっとも、下のズリでもこれと同じくらい黄鉄鉱が付いている小石は拾えるので、これ以上穴は掘らないでもらいたいと個人的には思います。
さて、グーグルアースでこの辺を俯角すると、左側の谷筋に大きなガレ場が2箇所あるのが見えます。
事前に、そのガレ場に坑口があるとにらんでいたので、現地に着いてすぐ、上部へと続く踏み跡があるかどうか調べました。
そしてすぐ、広場の左側にザイルが垂れ下がっているのを発見。
これを伝って10mも登ってみると、尾根筋に一定の間隔で赤いテープが木の枝に結ばれており、これを伝っていけば坑口へ辿りつけると確信しました。
ところが踏み跡はかすかに残っているものの、かなりの急傾斜で枝がせり出しており、非常に歩きにくいです。
標高差で100mも登れば下の坑口には辿りつけると思っていたのですが、50分歩いてもまだ開けた地形の所には出ません。
時刻は既に夕方であり、この辺がタイムリミットと途中で引き返しました。
おそらく、下の坑口に辿り着くにはさらに30分くらい歩く必要があるのかなと。
上の坑口はさらに上、グーグルアースで見ると標高差で少なくともさらに70mは上まで登らないといけないだろうし、体力的にもシビアなものを要求されます。
今日の(沢歩き後の)へろへろになりかけている体調では、体力的にも無理。
それにしても、鉄人M君すごいです!
どの鉱山でも複数の坑口を訪れているけど、それがいかに超絶的なことか、よくわかりました。

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帰りに、ぼく自身初めてとなるN山へ立ち寄りました。
時刻は既に18時を回っていたので、林道沿いの露頭をざっと見学しただけですが、さすがに有名ポイントだけにかなり削り取られている様子が伺えました。
それでも、何ヶ所かで写真のようなアルミノセラドン石を含む碧玉の脈が出ている所を見つけました。

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林道沿いにかなり歩いた所で、おもむろにズリのような小山を発見。
そこに多数の玉髄が転がっていました。
それらのうち半分くらいは誰かがハンマーで割ったものなのでしょう、青みがかった灰色~水色のカルセドニーやオパール質の部分が露出しています。
ほとんどの玉髄は直径1~1.5cm程度と聞いていたのですが、最後の写真のそれは結晶部分だけで3cmあります。
もっともっと探したかったのですが、薄暗くなってきたので今回はここまで。
あとでさらに調べてみると、河原へ下りると一回り大きな真珠岩が見られるということなので、次回は沢沿いを探してみたいと思いました。

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