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石瀬鉱山再び [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

29日、3回目の石瀬鉱山探検に行ってきました。
行くたびにもっと楽なルートがないものか、探してみるのだけど、そもそもが急斜面に位置しているし、どこからアプローチしても毎回大汗かきます。

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ちょっとわかりにくいけど、これが坑口の周辺に残っている鉱山道の名残り。
部分的にしか残っておらず、まずこの道を見つけることが肝要。
あとは辿っていけば自然に坑口にたどり着けます。
畑鉱山(関川村)の本坑口も、やはり坑口周辺にしか鉱山道は残っておらず、林道から初見で来ることは不可能。
昔はもっと下からはっきりした踏み跡が残っていたんだろうけど、今は踏み跡も途絶え、完全に自然に還っています。

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ぼくの知る中では、この鉱山が最も複雑怪奇であり、坑道の総延長こそ短いものの、立体的な構造の複雑さは類を見ません。
上の階層は侵入ルートがなく(ひょっとしたら、ここより20m上部に位置する別な坑口からアクセスできるのかもしれない)、思い切り狭いです。
下の階層も2つのレベルからなり、やはり降りていけそうもないのですが、今回1.5m下の空間に降りることができ、初めて知り得た光景もカメラに収めました。
さて、これは下の階層を写した写真ですが、下の階層も南北に2つの空間があり、それらは分断されているので余計地形の把握が難しくなります。
この坑道で唯一、ブルーアラゴナイトらしい色合いと質感の鉱物を発見。
高い壁の途中にあるので、手を触れることもできませんが。

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これら3枚は、今回初めて下降した坑道の風景の一部です。
一番下の写真は前方にプールがあり、深さもかなりあるのでその先に行くのは難しそう。

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こちらは天井。
天井も3箇所ぐらいで上方に向かって掘られており、どこも支保工がいつ崩れてもおかしくない状況なので、見るだけでハラハラ・ドキドキです。
それにしても、どのようにあんな狭く高い空間から採掘できたのか、同じ人間のやることとは思えません。

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今回のもう一つの収穫は、銅で覆われた壁を見つけたこと。
70~80cmくらいの幅があるでしょうか。
下に転がっている鉱石も含め、ここが銅山であることを示す、確たる物証を得ました。

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やや離れて、ここにも銅が・・・
ただ、どれも奥の方まで銅にはなっておらず、わりと表面の浅い層だけのようでした。
だから品位的には低く、それで鉱夫たちは手を付けなかったのでしょう。

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帰りに、スタート地点近くの岩場で、弥彦&多宝山系で初めて”らしい”石英脈を発見しました。
4mの高さの岩のあちこちに石英やチビ水晶が付いている。
サイズは小さいものばかりだったけど、晶洞があればもっと水晶らしい水晶が顔を出すかもしれません。
急斜面ばかりでなにかと神経を使う多宝山だけど、自形の水晶がどこかに眠っている可能性が出てきました。

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最後に、坑道内の壁から剥離した25cmほどの珪孔雀石です。
この坑道ではマラカイトよりクリソコラの方が一般的でした。
もっとも、どちらもごく一部でしか見られないのですが。




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石瀬鉱山の全容 (5) 大岩壁に5つの坑口 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

上流から中流に差し掛かってきたけど、まだ昨日の見覚えのある岩場は出てきません。
おそらく昨日よりは10m程高いレベルをトラバースしているのが原因かな、もうちょっと河床へ近づこうかなと思いを巡らせたその瞬間、目の前に黒々とした大岩壁が現れました。

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斜度は30~34度ぐらいでしょうか。
しかも坑口があちこちに口を開けています。
ここは昨日訪れた坑口ではないけれど、これは一つ一つ探索してみなければなりません。

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こちらは上方向。
とんでもないところを見つけてしまいました。

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下の方から順番に写真を撮りました。
斜度もあるし、落ち葉がとても滑るので冷や冷やものでした。
ここ数年で最も神経をすり減らしたかも。

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いきなり水没しています。
水深も結構ありそう。
でも、その先は奥まで歩けるかもしれません。
坑道はこの先も伸びていそうでした。

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この坑口の縁へ出るのが一番緊張しました。
登る時は直登できなかったので、左側から大きく回り込んでいます。

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なんと、立坑でした。

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底が見えません。
オーブのような小さな光体が写りましたが、これは?

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片っ端から攻めてみます。
一応ザイルを持っていて着るので、いざとなったら懸垂下降で安全地帯へ降りるつもり。

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ここも立坑でした。

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岩壁の半分以上まで登ってきました。
やや斜度が増してきているような。

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これも立坑です。
ぼくの想像ですが、これらの立坑群は中で繋がっているのかもしれません。

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これも高さがあります。

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おそらくこの坑口が最後だと思います。

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この坑道だけ、2.5~3m下に降りてからは水平に伸びているようです。

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足元の地形。
3mほど離れたところに大木があるので、そこにザイルをフィックスすれば下降は問題なし。
ここから視認できるのは7~8m先までで、その先も坑道は続いているように見受けられましたが、どうでしょう?
やはり下部の立坑群へ合流するのだろうか。
いつか確かめてみたい気もしますが、なにせこの日はまだ本来の目的~ガーミンの回収~を果たしていないので長居はできません。
これを最後にこの岩壁の付け根まで一気に下降し、再びトラバース開始。
そして、5分後にめでたくガーミンを置き忘れた坑口に到達。
無事ガーミン回収。
思ったよりこの大岩壁と距離が近かったので、両者の坑道がやはり中でつながっている可能性も捨てきれません。
このように、本鉱山は坑口の数も多く、坑道内部もそこそこ広大で、全く文献には出て来ないものの規模の大きな鉱山だったようです。
個人的には間瀬銅山エリアよりこちらの山の方が探検のしがいがあり、冒険らしい冒険を楽しめたので、近年にない充足感に包まれたのでした。




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石瀬鉱山の全容 (4) 上流部の坑口群 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

昨日までの記事は3月23日の記録。
今日からの記事は25日の記録を元に構成しています。
23日にガーミンのGPS機器を最後に訪れた坑口入り口に置き忘れてきたので、25日はそれを回収するのを目的に山へ入りました。
ところがすんなりとはたどり着けず、3月25日の記事の滝よりはるかに上流部へ進んでしまったようです。
しかし、副産物として新たに坑口を3つ発見することができました。
いずれも23日に訪れた滝より上流部に位置しています。
ガーミンはこの日最後に回収したのでGPSのログはなく、正確な位置は不明ですが。

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これがその坑口なのですが、入ってすぐ水没しており、かなり深そうだったのでこれ以上中へ入っていません。
この画像だと、3~4m先で終わっているのか左にカーブしているのか、ちょっとわかりません。

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その坑口まで来ると周囲の斜面はジャングル状の密藪となり、人が歩いた形跡がないのでそこでUターン。
上の写真は最初の坑口から10分くらい歩いた辺りの河原です。

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写真の順番が前後しますが、正面奥に2段になっている滝が写っています。
これがその滝の詳細な画像。
右手に坑口が控えていました。

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こちらも半ば水没しており、入ってすぐ緑の藻がたくさん繁茂していました。

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足を濡らしたくないので、この坑道も入り口から奥を写したのみ。
これも突き当りで終わっているのか、左右に分岐しているのか微妙なところ。

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もう一つ、ちょっと下手にも坑口あり。

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これもまたまた微妙・・・
右へゆるくカーブしていますが、そこで終わっているようにも見受けられます。
水深は今までの坑道すべて15~25cm(たぶん)。
足を濡らすにはまだ気温も水温も低いので、中へ入るのは自重しました。




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石瀬鉱山の全容 (3) 蜂の巣状の坑道 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

ズリの小山を乗り越えて先へ進むと、すぐ十字路に出ました。

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その右側の坑道。
二段構造になっていますが、よく見るともっと複雑そう。

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天井を見上げると、支保工が数本。
さらに上の階層がありそうです。

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こちらは下の階層。
立坑がそれぞれの坑道沿いに併設されていました。

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別な坑道です。
ここも立坑となっており、下の坑道はどこまで伸びているのか、ここからはわかりません。
水色の鍾乳石っぽい鉱物が気になります。
間瀬銅山万才坑の場合はほとんどが胆礬でしたが。

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十字路に戻って、反対側を写してみました。
正面の足場はさらに向こうの部屋に行くために、意図的に残されているようです。
各坑道はそれほど長くないと思うのですが、上下左右あらゆる方向に伸びており、明治時代の文献にちらりと書かれている以上の規模だったかことがわかります。

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もう少し右側から斜め上方向を見上げると、地上風景が見えることに気付きました。
おそらくあの空間が、最初に見つけた立坑の一部なのだと思います。

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その天井。
支保工が複雑に積み重なっており、天盤はあまり堅固な構造だとは思えません。
万才坑の天盤よりはマシでしたが、この辺はやはり大正時代の鉱山ですね。
それにしても、上の階層にはどのルートから行けるだろう?
危険は冒したくないので、十字路から半径5~7mくらいしか歩き回りませんでした。

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十字路手前に見えていた、青緑色の岩です。
孔雀石でしょうか?

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その隣に新鮮な結晶があったので、クローズアップしてみました。
鉱物に詳しい知人に見せたら、やはり孔雀石かなあ?と言われましたが、銅の二次鉱物は種類が多いので、実物がないと鑑定は難しいかもしれません。
珪孔雀石もこんな感じなので、塩酸を垂らして発泡すれば孔雀石、しなければ珪孔雀石ですかね。




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石瀬鉱山の全容 (2) 本格坑道の発見 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

右岸の斜面~かなり河床から離れている斜面~をヤブのうすそうな部分、斜度が少しでも緩い箇所を拾いながらトレースしていくと、突然ちょっとした岩場に出ました。
そこにぱっくりと大きな坑口が口を開けているのを発見。

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かなりの急斜面で、足場が非常に悪いので慎重に穴の縁へ接近します。

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立坑でした。
これと同じぐらいの幅で左右に拡がっており、右側には支保工が2本突っ張っているのが見えました。

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岩場は斜度が急でどこへも移動できないため一旦下降。
これほどの規模の立坑なら、ひょっとすると出口があるかもと思い、周辺部を探し始めたら写真の坑口を見つけました。
この穴の入口にガーミンを置き忘れてきたのだけど、しっかりガーミンが写っています。
ガーミンは無事2日後に回収できました。
もちろんバッテリーは死んでいたけど、本体に不具合は生じていません、今のところ。
翌日は1日雨だったはずなのに、ガーミンはタフですね。

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坑口へ入ってすぐ、まるで蛍光色のような明るい黄緑色の岩が数個転がっていました。
単なる苔なのか、それとも銅の二次鉱物の薄膜なのか?

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さらに奥へ歩を進めると、直進方向は正面に見える狸掘りの穴っぽいところで終わっています。
坑道は左にカーブしており、その先は・・・

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これはすごい迫力!
本格的な坑道です。
しかも質感が新しい。
大正時代に閉山した鉱山とは思えません。
戦時中も密かに稼働していたのでは?
奥の壁には青っぽい色の部分も見られ、鉱物調査のしがいもあります。
やはりあの立坑と繋がっているのだろうか?



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石瀬鉱山の全容 (1) ヘツリ道沿いの坑口発見 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

3月23&25日の2回、弥彦山に隣接する多宝山北東麓にあった石瀬鉱山のさらなる探検に行ってきました。
23日は大きな発見があり、おそらくこれが本坑口に違いないと思われる本格的な坑道を発見。
それで石瀬鉱山の探索は打ち止めにするつもりだったのですが、最後に立ち寄った坑口の入り口にどうやらGPS機器(ガーミン etrex 30x)を置き忘れたことに帰りに気付きました。
帰宅後、写した写真をPCで眺めていたら、なんと件の坑口入り口を写した写真に、きっかりガーミンが写っていたのです。
やはりあの斜面に置き忘れてきたか・・・
24日は雨だったので故障しているかもしれませんが、貴重なデータが入っているので天気の回復した25日、もう一度現地を訪れたのです。
かなり地形の急峻な山奥にあるため、行きはすんなりとその坑口にはたどり着けず、想定よりはるかに沢の上流まで行ってしまいました。
しかしその御蔭で、新たな坑口を発見。
帰りに無事ガーミンを置き忘れた坑口にたどり着くことができたのですが、その直前にとんでもない坑口群を見つけてしまったのです。
高さ50~60mくらいの一枚岩の岩盤に、6個の坑口が上下に並んでいるではありませんか。
25日は坑道内部へは入らなかったものの、たくさん写真を撮ったので、多分4回くらい連続で石瀬鉱山シリーズを連載すると思います。

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23日、最初に探したのはこの坑口。
ネットで楽山会の会員の方が、大滝沢コースの古道を拾って多宝山へ登った記録を読みました。
そこにまだ誰もブログやSNSにアップしたことのない坑口の写真が載っており、その坑口を探すのを一番の目的にして訪れたのです。
事実上の旧鉱山道だと思われる、今はすっかりヤブに埋もれてしまっているヘツリ道の途中にあるらしいということ以外に情報はありません。
先日このヘツリ道は発見済みなのですが、小滝沢方面へ伸びるそれは踏み跡が明瞭なものの、大滝沢方面に伸びるそれはほぼ踏み跡が消失しており、沢沿いルートでアプローチしました。
そして、どうにかこうにか坑口の発見に成功(上の写真)。
河床からはかなり離れており、地形的な特徴もないため、見通しの効く早春もしくは晩秋でないと発見は難しいでしょう。

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全長8~10mといったところでしょうか。
途中から水が溜まっていますが、水深は5cmくらいしかなさそうです。

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水溜りの手前で引き返しました。
周辺の壁面に何か鉱物が析出していないか観察していたら・・・

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ありました!黄鉄鉱です。
1mm未満の微粒子ならたまに見かけることはありますが、こちらは5~8mmが平均サイズ。
中には1cm以上の結晶も埋もれていそう。

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さらにこれ。
樹液みたいな粘液が付着していますが、予想に反して触ってみると固かったのです。
もしかしてべっ甲亜鉛?
亜鉛も採掘していたらしいので、可能性はあります。

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坑口を出て、心眼で見ないとわからないようなかすかな踏み跡を辿っていくと、だんだん沢との距離が縮まってきて、ほどなく河原に降り立ちました。
対岸の木にピンクのテープが巻かれています。
この写真には写っていませんが、左上の斜面の中ほどにもピンクのテープがぶら下がっているのが見えました。
楽山会の会員さんのレポートによると、「・・・ヤブのヘツリ道は一旦沢に降り、右岸尾根の杉林に伸びていまいた。」とあります。
ここがヘツリ道と沢が交差する地点なのです。
やはりさっきの坑口は、楽山会の方のHPに載っていた坑口と同じ坑口であることがこれではっきりしました。

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本流はここまで滝の連続で、沢通しの遡行はかなり苦労することでしょう。
でも、ここからは斜度も落ち着き、沢通しに歩けそうなので、もう少し上流を目指してみました。

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深山幽谷といった風情の風景が連続し、ゾクゾクします。
そのゾクゾク感が一時的に高揚したので視線を上げてみると、なんと坑口らしきものが滝の右側に控えているではありませんか。

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坑口は二段構造になっており、こちらは下段側。
間口がとても狭く、空身にならないと潜り込むことは不可能。
下まで垂直に近く、2m前後の距離があるので、入坑は見合わせました。
その先は水平にずっと伸びているように見受けられましたが。

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こちらは上段側。
狸掘りで終わってしまっているようです。
脈に突き当たらなかったんですね。

※今回から始まるシリーズで取り上げる坑口は、去る3月18&19日に紹介した坑口とは別な場所になります。
※2024/02/01追記:
つい先日、採掘権第202号の内容を見る機会がありました。それによると多宝鉱山の区域は全く別な場所にあることがわかったので、当初は多宝鉱山の全容というタイトルだったのですが、タイトルと本文を修正しました。
(もっとも、多宝山の東~北東麓は採掘権の空白地帯で、正確な鉱業権者は今となっては不明。よって、石瀬鉱山という名称もある意味俗称になります。)






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威風堂々~石瀬鉱山の本丸へ (2) [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

さらに沢を右岸から巻き気味に登っていくと、やや平坦な地形に出ます。
その下には直登不可能な滝が鎮座し、横の暗がりには坑口がぽっかり口を開けていました。

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位置的に、県立図書館で入手した絵地図記載の”銅山洞窟”と書かれた坑口がこれでないかと思われます。

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入り口からかなりの急傾斜で下に落ち込んでおり、その先は水没。
どのくらいの水深があるかわかりませんが、かなり深そう。
サンショウウオかカエルのものかはわかりませんが、卵が左側に漂っていました。
この坑道もどのくらいの長さがあるのかは、奥が覗けないため不明です(水際まで行こうとすると泥だらけになるのでやめた)。

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滝の横(右岸)に平べったい地形があると書きましたが、そこに一升瓶が転がっていました。

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さらに上流部に来ると、というかここまで来ると源流部になりますが、圧迫感のある岩場は姿を消し、川幅の狭まった河床には倒木が連綿と折り重なっていました。
この先は踏み跡も途絶えたため、おそらくこれ以上坑口が出てくることはないのでは?
昨日の記事の坑口も含め、これらの坑口で採掘した石はどのようなルートで里へ運んだのか?
それは右岸の尾根ずたいに伸びる小道~へつり道を利用したのではないかと推測します。
それぞれの坑口から尾根側に至るには、斜度も比較的ゆるく、なんとなく踏み跡の痕跡も認められたため、へつり道を経由して下へ運んだのでしょう。

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これがそのへつり道。
中づるねからこのへつり道に出会うまでの尾根道は、最初の100~200mほどが不明瞭。
傾斜が急になると痩せ尾根になり、そうなってくると踏み跡がはっきりしてきます。
当初はこの尾根道を380m地点まで登ってみたのですが、上へ行けば行くほど踏み跡は明瞭になるので、ヤブがうるさくない時期でしたら多宝山への登山ルートとしても使えると思いました。



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威風堂々~石瀬鉱山の本丸へ (1) [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

※2024/02/01記事修正
当初の記事では”多宝鉱山の坑口発見”としていましたが、新たな資料と出会い、多宝鉱山の区域を知ることができました。

弥彦全体図_多宝.jpg

出典:採掘権第202号 鉱山名:多寶鉱山(=太刀川鉱山)。
明治37年宮川伝四郎設定、明治40年太刀川弥十郎へ譲渡、昭和3年太刀川藤一が相続、昭和9年放棄(消滅)

よって、多宝山東~北東山麓に位置する坑口群は石瀬鉱山に統一するものとします。

赤滝上流で、新たに複数の坑口を発見しました。
上半分はナメ滝っぽい細い流れになっており、そこまで含めると落差は少なくとも25~30mはありそう。
目的の坑口は、赤滝のさらに上流部に鎮座していました。

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2020年2月25日の記事に、県立図書館で入手した絵地図を掲載しています。
それをご覧になって頂きたいのですが、中づるねと名付けられた尾根の右側を流れる沢が小滝沢、左が大滝沢です。
実は今回大滝沢上流へ行くつもりで、下流部に出てくる坑口群は無視し、中づるねから登って途中出てくるはずのへつり道を見つけ、そこから沢へ下降する予定でした。
しかし尾根を登りすぎてしまい(標高380mまで登りました)、大滝沢は断念。
途中、今から思うとへつり道を発見してはいたのです。
ですが大滝沢側への踏み跡は不明瞭だったので、明瞭だった小滝沢側への踏み跡を辿っていきました。
そのようにして小滝沢上流部へ下降。
沢沿いに下りながら坑口を探しました。

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さて、この坑口は2020年12月19日の記事で紹介した坑口と同じ坑口です。
小滝沢は入渓して10分弱歩くと大きな最終堰堤が現れます。
そこから5~6分でこの坑口が左岸に現れ、対岸には奥行き2.5mくらいの狸掘り跡の穴も出てきます。
その時はそこで引き返したのですが、最初の写真の赤滝はそこからはるかに上流に位置しています。
もう一度絵地図をご覧になって頂きたいのですが、銅山洞窟と書かれている場所は赤滝より上になります。
当時はそれほど気にも止めていなかったのですが、今回は絵地図で描かれている坑口もこれから紹介する坑口とは別に、さらなる上流部で見つけました。

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今回は上流から下流へ歩いていますが、時系列を逆にし、下流部から順にレポートします。
ところで、赤滝はその上にもナメ滝が連続して掛かっており、まとめて高巻きする必要があります。
左岸は到底無理。
迷わず右岸を高巻きます。踏み跡も部分的に残っています。
ほどなくして再び高巻きが必要な滝が出てきますが、その右奥に大きな坑口が控えていました。

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写真で見ると大きさはわかりませんが、間口の高さは3mはあるでしょうか。
昨年探検した坑口で言えば、水谷銀山の上谷坑、或いは草倉銅山の三角沢坑に雰囲気やスケールが似ていると思います。
まさに威風堂々、ここが本坑口だと言わんばかりの風格を備えています。

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内部は2段構造になっていました。
天井の高さと言ったら・・・

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上段部の奥の方。
手前側からの登攀は無理。
おそらく下段側坑道の奥に、上段部へ上がるハシゴか階段があるのでしょう。

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下段側の坑道の様子。
残念ながら半ば水没しているため、奥へは入れません。
結構リアルです。
10年くらい前まで稼働していたような、生々しい空気感が漂っています。

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写真は、カメラ内蔵フラッシュでは全然役不足なので、2600ルーメンのハンドライトを併用して写したのですが、最奥部までは光が少ししか届きません。
なので、フォトショによる画像処理で暗部を思い切り持ち上げ、かつピクセル等倍で切り出してみました。
これを見ると、坑道はゆるく右へカーブし、さらに奥へ伸びている様子が伺えます。
左手には四角い形状で金属質な何かも写っています。
かなり大規模な採掘が行われた様子が伺えます。




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石瀬鉱山と石瀬神社 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

今年2月25日に、石瀬鉱山の記事をアップしました。
今年の冬は超暖冬でしたが、2月にあんなとこ行っていたんですね。
我ながら感心します。
弥彦山系多宝山の北東麓に位置する石瀬鉱山ですが、大正時代には他の近隣の鉱山同様閉山したようです。
坑口は2つの沢沿いにあったと言われていますが、今年2月に訪れたのはそのうちの1本の沢。
今回(12月19日)はもうひとつの沢を訪れました。
最初は弥彦山の積雪がどのくらいあるかを確かめるのが目的で、岩室温泉だいろの湯へ入る前にちょっとだけ石瀬神社へ立ち寄ってみるかぐらいのノリでした。
ところが、いざ現地へ着いてみると思ったより積雪が少なく、というか中腹より下は皆無に近く、その場で予定を変更、1時間限定でその沢(小滝沢)を遡行してみた次第。

歩き始めは廃林道を行きます。
すぐ脇を流れる沢は三面護岸で固められ、最終堰堤を超すまで風情は全くありません。
大滝沢は歩きはじめから自然の渓相だったので、その点少し残念。
坑口の正確な位置はわからなかったのですが、おそらく20~30分で到達するだろうと踏んでいました。
結果、20分で坑口へたどり着きました。

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最終堰堤を超すのがちょっと大変でした。
そこから先は傾斜が増し、滝が現れてくる気配がしていたので、次のカーブを過ぎて坑口が現れなかったら引き返そうと思っていたのです。
そしたら、カーブの先に坑口が控えていました。
時刻は16時20分。
既にあたりは薄暗く、ストロボを焚かないとISO3200に上げても手ブレする状況。

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ぼくの知る限り、この坑口の写真をネットにアップしているのは2人。
そのうち”柵の向こう側”氏はこの坑口のどん詰まりまで歩いておられ、その写真をブログで見ることができます。
彼が書いている通り、水深は50cm前後でしょうか。
坑口はかなり長く、特に左側の方は15~20mくらいありそう。
その先で右に曲がっているのですが、くだんの先駆者によるとすぐ行き止まりになるそうで。
時間も押していたし、この日は長靴だったので入り口で引き返しましたが、一度は奥まで歩いてみたいですね。
ライトで坑道の奥を照らすと、結構壁がカラフルに写る箇所があるので、そこの地質を調べてみたい。

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カメラ内臓のストロボだと(懐中電灯も併用しています)、これが限界。
肉眼ではもっと奥まで見通せます。

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坑口前の滝。
ここから先を遡行したという記録は見たことがないので、ひょっとしたらこの先にも坑口はあるかもしれません。
しかし、この小滝から先は倒木が思い切り行手を塞いでおり、よほど気力と体力が充実した状態でないと先へ進むきになれません。
そうなのです、弥彦山系の沢はどこも倒木がひどく、ボサに悩まされるのです。
それさえなければそれほど距離があるわけじゃないし、もっと気軽に探検?してみようという気になるのですが。

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帰りに石瀬神社に参拝し、この日の予定を終了。
弥彦山界隈がこのまま少雪で推移するなら、間瀬銅山のズリを歩き回ったり、前回坑口を見つけることができなかった坂井銅山をもう一度探索してみたいと思っています。







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石瀬鉱山探訪記 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

弥彦山と双耳峰の多宝山(633.7m)の新潟平野側(北東~東麓)には、いくつか坑口が残っています。
弥彦山一帯では江戸時代より銅の採掘が行われていたのですが規模は小さく、いつしか立ち消えになったようです。
その後、明治時代後期から大正時代にかけて白瀬財閥が資金を投入するなどし、日本海側の間瀬銅山では短い間ですが鉱山は活況を呈します。
多宝山の平野側の山麓でも一匹狼の山師たちが一攫千金を目論み、あちこちで試掘をしたようですが、大きな脈の発見には至らなかったようです。
従って鉱業関係の文献にも名前が出てくることもなく(そもそも間瀬銅山でさえ、新潟県地質図説明書では取り上げられていない。弥彦~角田山近辺では間瀬の沸石についての言及があるのみ)、郷土誌にも簡単にしか触れられていないので坑口の位置や鉱山の規模などはわかっておりません。

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さて、この絵地図をご覧ください。
ここに古い地名や俗称、旧道や小字名などがもれなく載っています。
青龍寺前から石瀬神社方面に流れている川を茶屋川というのですが、茶屋川上流の沢沿いに坑口が残っているのです。
「ミックンのつぶやき」というHPでは、多宝山界隈という項で3つの坑口が紹介されており、そのページの下部に、それとは別物ですという断り書き付きで石瀬鉱山の坑口が紹介されています。
前後の文脈や地形から分析すると、多宝山界隈の鉱山として紹介されていた坑口は多宝山の8合目から上にあるのだと思い込んでいたのですが、実は全然違いました。
茶屋川は石瀬神社から先、ポンプ場跡から上流で二手に分かれますが、それぞれの沢に正式名称は付いていないようです。
なので、ここでは赤滝のある方の沢を小滝沢、黒滝のある方の沢を大滝沢と呼ぶことにします。
実際、そういうふうに呼んでいる沢屋さんや登山家の方が数名いらっしゃったので、それがわかりやすくていいと思うからです。
2月24日、大滝沢沿いに残っていると思われる坑口を探しに、大滝沢を遡行してきました。
「ミックンのつぶやき」及び「柵の向こう側」というHPで石瀬鉱山の坑口として紹介されている写真はどれも小滝沢で写されたものと判断したので、まだ誰もネットにアップしていない大滝沢沿いの坑口を探しに行った次第。

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入渓して10分も歩かないうちに大きな滝が出てきます。
大滝沢のいわれとなった大滝(落差約20mm)です。
大滝の写真は多くの方がネットにアップしていますが、それらの写真と比較すると倒木の数が半端ないです。
倒木がなかったら、この滝は名瀑であることは疑いようがありません。
この滝の手前から沢沿いに伸びている踏み跡は左岸に移り、左岸から簡単に巻くことができました。
しかし、落ち葉の堆積がすごく、滑りやすいことといったらありません。
岩も非常に滑りやすく、神経をすり減らしました。

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大滝をすぎると、しばらくは癒やし系の渓相が続きます。
新緑の時期だったらさぞかしきれいなことでしょう。
小滝がどんどん現れますが、どれも直登可能。

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そしていきなり最初の坑口が現れました。
GPSによると、標高156m地点になります。
中へ入ってみます。

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奥行きはなく、3mぐらいで行き止まり。
下には錆びた空き缶が2個ほど、泥にまみれて転がっていました。

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鉱物観察が目的なので、側壁の写真も紹介します。
といっても、もう一つの坑口内部もそうですが、何もめぼしい鉱物はみられなかったです。

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標高175m地点で、2つ目の坑口発見。
間口もさっきのそれよりはずっと大きく、入り口から中を覗き込むと思わず手に汗を握りました。

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本格的な坑道です。
4~5m先まで水没していますが、水深は10cmほどしかないので歩を進めてみました。

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約20m先で行き止まり。
壁面を詳しく観察すると、黄鉄鉱(たぶん)の微粒子が坑道終点から3mほどの区間の壁面に浮き出ていることがわかりました。
でもそれだけ。石英もなにもない・・・

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2つ目の坑口から上流部を写してみました。
あるブログで大滝の先に三段滝があるとの記述があったのですが、この滝が三段滝でしょうか。
この先に坑口はないような気がしたし、今回の装備ではこれ以上上を目指すのは危険と判断、ここでUターンしました。

さて、帰宅後改めて「ミックンのつぶやき」を見てびっくりしました。
彼のサイトで”多宝山界隈”の坑口として紹介されている写真、ぼくが今回見つけた坑口と同じ場所ではないですか!
多宝山山頂付近で見つけたんだろうなと思っていたのですが、大滝沢だったんですね。
となると、ひとつだけ解せない点があります。
それならなぜミックンは、すぐ隣の同じような標高の場所に存在する坑口を石瀬鉱山のものとし、こちらを多宝鉱山に分類したのか。
今日新潟市の図書館へ行って、西蒲区の住宅地図を見てきました。
すると、やっぱりこの一帯は石瀬地区に該当するようです。
多宝鉱山も石瀬鉱山も、実は鉱区の名称が昔は結構混同されていた可能性があると思うのですが。
さて、行きは大滝沢を遡行して多宝山へ抜け、帰りは小滝沢を下降するというルートで沢登りした人の記録も読みました。
具体的な場所は書いてなかったですが、3つの坑口を発見したとありました。
小滝沢で2つ(うち1個は狸掘り跡)、大滝沢で2つが現状判明している坑口の数なので数は一致します。
やはりあそこより上流へ行っても無駄足に終わったと思います。
しかし、しかしです。
本日新たな情報を入手。
1枚目の絵地図に、元薬師という地名が見えますが、ここから多宝山山頂~石瀬峠を結ぶ登山道に途中合流するへつり道が元薬師のあたりから存在するみたいなのです。
その方の登山記録によると、大滝沢の三段滝のあたりで踏み跡が消えたから、左岸の尾根を目指してエスケープ、20分後へつり道に出たとありました。
で、へつり道を進んでいたら坑口を見つけたとのことで、坑口の写真が1枚アップされていました。
そのへつり道は採掘した鉱石を運搬するために作られた道だったのでしょう。
弥彦山周辺はこのような地図に載っていない旧道や廃道、作業道やけもの道が多いので、それらを片っ端から歩くのも面白いかもしれません。
実際、それらの道をくまなく探査し、山野草の秘密のお花畑探しに精力を傾けている人も少なくありません。
一例をあげれば、新潟県山岳会の重鎮・上村幹雄氏。
上村氏が自費出版している本を県立図書館で見ることができます。
上下2刊あり、それぞれ角田山編と弥彦山編に分かれ、山野草スポットが詳しく紹介されているのです。
もちろんそこには失われた鉱山道の情報なんかもさらっと書かれていたりして、とても参考になりました。


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