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水谷銀山の御神木 [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

水谷銀山合宿?三日目。
本日の目標は次の通り。

①日本金山誌の蔵光鉱山(=水谷銀山)鉱床分布図において、”鉱脈3本あり。真ん中大きいと云う”と書いてある場所に2つ描かれている坑口を探すこと。
②そこに至ると思われる枝沢で多くの石英を見たので、もっとじっくり観察してみる。
③おととし訪れた山の神を再訪し、元通り立っているか確認する。

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現地へ着いてすぐ、エメラルドグリーンが美しい池を発見。
幸先いいと思いきや、最初に目指した①の坑口は見当たりませんでした。
今から思うと、もっと上流部だったかもしれない。
まだそれほど落葉が進んでおらず、遠方の視界があまり効かないので、宿題は来春に持ち越しです。

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昨日目をつけた沢はあまり大したことがなく、隣の沢に移ると、そこが石英の楽園でした。
落ち葉に隠れてよくわからないかもしれませんが、石英の多さは金丸鉱山の大切坑下のズリに準ずるほど。
この沢は実はおととしも歩いているのだけど、こんなに石英が多かった記憶はありません。
しばらく昨日同様、透明な結晶が付いている石はないか探し回りましたが、次の写真が限度でした。

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隣の沢も含めて、8月の豪雨では水位が30~50cmは上がったようです。
両岸がえぐれている所が多く、そういったむき出しになった斜面を見ると、結構な密度で石英が混じっているのでした。

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ここでも念入りに水晶が埋もれていないか観察したけど、なかなかないです。
やはりこの沢では、というか、地質学者が言うところの二王子岳花崗岩地帯ではクリアタイプの水晶はほとんど出ないみたいですね。

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さらに登ると、このような地形に2~3回遭遇しました。
やはり土の中には石英が一定の割合で埋もれています。
だから8月の大雨で一気に流出し、それが河原に散らばったのでしょう。

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なぜかこの沢には惹かれるものがあったので、さらに詰めていくと、いきなり桃源郷のような風景を目の当たりにしました。
ヤブがないのです。
広大な草原地帯といった風情。
中央に三角錐の形をした小山がそびえ、その天辺にはなんの木でしょう?辺りを圧倒する生命力を放っている大木が鎮座しています。
その天然のピラミッドにはその木を含め、4本の大木が生えており、天高く枝を伸ばしています。
この広場には明らかに人の気配の名残が感じられ、重要な採鉱区だったことを知りました。
日本金山誌にはこの場所の記載がありませんが、同誌における水谷銀山の記事はかなり古いもので、上谷坑でさえまだ坑口が描かれておらず、探鉱中と書いてあるほどです。

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ピラミッドの手前で沢は二手に分かれ、まず左側の沢を詰めてみました。
やはりというか、ちゃんと踏み跡が尾根筋に残っており、ラクに歩けます。
そして行く手には絶壁がそびえ、その直下がいい感じ(つまり、坑口が控えていそうな感じということ)。

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岩壁の付け根に来ました。
残念ながら穴はなかったですが、この岩壁が素晴らしいバイブレーションを放っているのです。
ここで座って瞑想でもしたいくらいでしたが、時刻はもう16時近いのでそろそろ下山しないといけません。

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右側の沢も下の方だけ歩きましたが、上の方が怪しかった。
こちらも来春の宿題に持ち越しです。
そして、この広場の近くで小さな坑口を発見(上の写真)。

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間口が狭いので奥の方が写せません。
手をうんと伸ばしてライトを奥の方へ向けると、自然地形ではなく坑道であることがわかりました。
まっすぐ東西に伸びているようです。
日本金山誌の”蔵光鉱山坑内平面図”における本脈の辺りに位置するのでないかと思うのですが、よくわかりません。

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それからは早足で下山。
帰りに山の神に立ち寄り、両手を合わせてきました。

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丘を下ると、見覚えのある木組みが出現。
元山坑の入り口です。
支保工もしっかり残っていました。よかったよかった。





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水谷銀山川前坑 [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

26日も引き続き水谷銀山(新発田市)探検へ。
日本金山誌に記載のあった坑口で、まだ行ったことのなかったそれが2箇所あることがわかりました。
うち1箇所は昨日発見したので(上谷坑)、今日は残りの一つを探します。

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最初、水谷林道を終点まで歩いてみました。
坑口探しとは関係なく、どこまで延長されているか確認するためです。
水谷林道は入り口にゲートがあり、一般車は入れないのでそこから歩きます。
ゲートの前に、”災害のため通行止め”と書かれた標識が立っていたのですが、途中大きくワダチ部分がえぐれ、路肩が一部崩落している箇所もあり、この林道にも8月の豪雨の爪痕は残っていました。
徒歩だと問題ないですが、この林道もトラックが通れるようになるまではかなり復旧に時間がかかるでしょう。
林道終点から道幅は細くなるものの、さらに林道は伸びており、180m先まで行けました。
そこから先も踏み跡が付いているようで、どこまで続いているのか見当がつきませんでした。

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水谷沢中流部の風景。
下流部は単なる広い河原といった風情で面白みがありませんが、この辺まで来ると渓流っぽくなります。

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黒い岩場が左岸に現れます。
ひんやりした空気に変わりました。

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そして大きな坑口が左岸に現れました。
昨日の坑口探しは手間取ったけど、今日は全く迷うことなく坑口まで一直線。
地図の読みが当たった。
この坑口もかなり大きいです。

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半分くらい冠水していますが、水深は10cmくらいしかなさそう。
天井も低めなので屈まなければなりませんが、なんとか進めそうです。
この坑道は長そう、と直感。

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結局、30~35mくらいあったでしょうか。
しゃがみながら少しづつ歩を進め、少し天井が高いところは立ち上がってかがんで歩きましたが、20mでギブアップ。
腰が辛くなったので、そこからの撮影になります。
この先はやや水深が増しているようで、15~20cmはありそう。
上谷坑と違って壁に石英脈が走っている箇所はなかったけど、地質は似ていると思いました。
ちなみに、日本金山誌にはこの坑口の名前が載っていないので、便宜上”川前坑”と名付けました。
文字通り、坑口が川に面しているからです。

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帰りに、水谷沢左岸に出会う2本の枝沢を歩いてみました。
日本金山誌の図だと、ひ押坑道のマークが4箇所書いてあるので、その坑口を探すためです。
結果、一つも見けることは叶わず。
試錐だけに終わった可能性もあり、あまり期待はしていませんでしたが、うち1本の沢で石英をたくさん見かけました。
水谷沢本流筋ではあまり石英を見かけなかったのですが、この沢は多かったです。

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もう16時を回っているので、あまりゆっくりはできなかったのが残念。

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50cmほどの珪石の隙間に、小さいけれど透明な水晶が付いていました。

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この小沢で見られる石英には2つのタイプが有り、一つは暖色の白で、部分的に黄色もしくは橙色の部分が見られるもの。
もう一つは上の写真のように黒と白の縞模様のタイプ。こちらは白の色温度もやや寒色気味。
この写真の石英にもちょっとした隙間に針水晶が数カ所で芽生えていました。
集落跡をもう一度じっくり歩き回ってみたいので、あと1回くらい水谷銀山跡へ来るつもりです。





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水谷銀山上谷坑 [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

25日、新発田の水谷銀山を2年ぶりに再訪。
といっても、今回は全く別なエリアの探検です。
9月、本も書いておられるNさんの好意で”日本金山誌”の新潟県版のページのコピーをもらったのだけど、そこに水谷銀山のことが書いてあったのです。
坑口の位置を記載した地図も添えられており、それを見ると当初思っていたよりずっと広い範囲が採鉱区だったことを知りました。
同時に、まだ訪れていない坑口が少なくとも2つあること、そのうち一つは全く場所の見当がつかなかった上谷坑でした。
そうか、尾根の向こうの沢沿いなのね・・・
地図の等高線は手書きで書かれ、デフォルメの多い絵地図もどきのものでしたが、なんとか位置の見当はつきました。
果たして無事坑口を発見できるのか?

水谷銀山は約700年前から採鉱が開始されたと伝えられている、歴史の古い鉱山。
明治30年頃に最盛期を迎え、その頃は水谷沢沿いの平坦な土地に集落が形成され、200人余の鉱夫が働いていたとか。
多くの鉱山がそうであるように、この鉱山も大正時代に閉山となりました。
旧川東村の郷土資料に記述があるほかは、日本金山誌で紹介されているぐらい。
つい数年前までは水谷林道の入り口に、水谷銀山の由緒を書いた標柱が立っていましたが今は倒壊。

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上谷坑へ至る沢(上三光沢)の中流部の渓相。
下流部はゴロタ石が多い、なんてことのない河原が続きますが、上流へ行くに従って岩場が多くなり、ここより先はゴルジュも現れました。

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入渓してすぐ、石英が多いことに気付きます。
今回、水谷坑を過ぎてさらに上流部まで遡行してみましたが、石英脈が途切れることはありませんでした。
二王子岳山麓の沢は、大体どこも石英が多いです。
近くに珪石を採掘していた千石鉱山がありますが、地質はよく似ていると感じました。

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これで50cmくらいですが、あまり大きな珪石はなかったです。
個人的に石英は好きな石なので、透明度の高いものはないか、結晶化しているものはないか、目を皿のようにしながらゆっくり歩いていきました。

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これが今回見かけた中で唯一の、結晶化した水晶が付いている珪石。
日本金山誌から引用します。

「・・・鉱床は古生層粘板岩に胚胎した含金銀石英脈である。(中略) 鉱脈はほとんど石英質であり、金、銀を含み硫化鉄を随伴している。平均品位はAu0.5~2.0g/t、Ag200~1,000g/tであり、一般に銀品位の高いのがが特徴である。石英鉱脈中、銀品位の高い所は第一に黄鉄鉱の濃集した所かその酸化帯である。(中略)鉱脈は概して上部より下位で1~2mと脈幅を増し、優勢となる。また、脈石鉱物の石英が乳白色の場合、金銀品位が一般に低下する傾向がある。」

今回道中見かけた石英の写真をたくさん撮ったのですが、ピクセル等倍で見るとたま~に細粒状の黄鉄鉱がついている場合がありました。
また、後半の記述からすると、乳白色でない石英がある(透明な石英のこと?)と類推できますが、ということは水晶もあるということです。
やはり、水晶探し目的で来てもいいかもしれませんね。

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幅70~80cmくらいの黒色粘板岩に石英脈が走っています。
この石英もある程度透明感があります。

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とうとうかなり上流まで来てしまいました。
これなんかも人工的に作られていますね。
2本ほど途中枝沢が右側(左岸)から出会うのですが、念のためそれらの沢も少し登ってみました。
らしい地形はあちこちに出てくるのですが、なかなか坑口が現れません。
Uターンしてから、今度は本命の右岸を流れる小沢へ入ってみました。
そこがビンゴでした。

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先日の、草倉銅山三角沢坑を見つけたときも感動しましたが、今回も魂を揺さぶられました。
思ったより大きく、大迫力。
入ってみます。

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内部は二股に分かれており、こちらは右側の坑道。
長さは4mといったところ。

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そしてこちらが左側の坑道。
長さは10m弱あるので、入り口からだとストロボが届かず、突き当たりの壁が写りません。
なので、5mほど中へ入ってから写しています。
どちらの坑道も冠水しており、水深は10~15cmほど。

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どん詰まりの壁の一部。
あちこちに石英が露出しています。
銀が含まれるかどうかはぼくみたいな素人にはわからないけど、まだまだ採掘できるのでは?というのが率直な感想。

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何かをくり抜いたかのような採掘跡。

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こちらも石英がびっしり。
小さなポイントも見られます。

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上谷坑を出てすぐの河原に、獣の白骨が埋もれていました。
水谷銀山で、前回(2020/04/18)ぼくが見つけた坑口は元山坑であることが、日本金山誌の当該ページでわかりました。
元山坑から水谷沢をもう少し遡ったところにも坑口があるようなので、近日中にそこも訪れてみたいと考えています。









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水谷銀山、再び [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

3月7日に引き続き、4月16日、新発田市の水谷銀山へ行ってきました。
明治時代に栄えた鉱山で、往時には200人もの坑夫が働いており、郵便局、分教場、長屋などがそこにあったそうです。
前回は全体の地形を把握するための調査だったので坑口はひとつも見つけることができませんでしたが、おおよその位置がわかったので、今回は坑口を見つけること、集落跡のどこかにあるはずの山の神の祠を見つけることを目的に訪れました。

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3月7日の記事でも地図を載せましたが、そこにピンクの線で丸を付けた所がありますが、そこが坑口があるに違いないと予想した場所。
また、その地図で黄色の線で囲った所が上の地図で左側、南に伸びる破線で示されている小道の先にある岩場。
まずはその小沢沿いに伸びている小道というか、旧道を歩いてみました。

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ところが、沢の入口の部分から踏み跡が全く残っていません。
いや、水谷林道からの分岐点がそもそも残っていないのです。
100mほど遡行したら薄い踏み跡が現れましたが、それも跡切れ跡切れです。
その踏み跡は右岸に付いているのですが、傾斜が一段増したところで再び途切れ、そこで引き返しました。
上の写真は、Uターン地点で写した沢の様子。
ニノックス方面に通じているこの小道、ひょっとしたら鉱山道かなと思ったのですが、そうではなかったようで・・・

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水谷沢へ引き返し、集落があったであろう林の中を散策。
この辺に何か温かいものを感じました。
ここに長屋があったのかな?

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そして、いきなり現れました。
地図でいうところの坑口Aです。
意外や、平坦な河原に面して支保坑木が立っていました。

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上から見下ろす坑口。

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坑口内部です。
入り口から水没しており、先へは進めません。
水深はかなりありそうで、1m先では水深80cm以上に達している様子。

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このように、支保坑木の遺構が残っているのは珍しいです。
明治時代のそれですから。
今回の、一番の発見でした。
個人的には新発田市有形文化財に指定したいぐらい。
あとでわかったのですが、林道から山の神方面へ向かってはっきりした小道が残っているのです。
この坑口Aはその小道から30~40mほど西にあり、併せて訪れるといいでしょう。
このような貴重な鉱山遺構を、ヤブに埋もれたままにしておくのは実にもったいない。

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そして、これが山の神の祠。
なんのことはない、林道から南に伸びている踏み跡の終点がこの祠でした。
踏み跡はここで途切れ、この先は何もありません。

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そして、前回の地図でピンクの丸印を付けたところへ。
小さな谷間なのですが、こちらはこの日最初に訪れた沢とは違い、ヤブが非常に薄く、視界が良好です。
そして、小沢の転石を見ると石英(珪石)が多く見られるようになりました。
同じ新発田市の千石鉱山と同じパターンです。
その時点で、この先に坑口があることを確信。
そして、間もなくこの坑口が現れました(地図では坑口Bと記載)。

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やはりこちらも入り口から水没しているのですが、奥行きは少なくとも15~20mはありそうでした。
水深は50cmくらい?
天井が低いので入っていく気にはなれませんでしたが、突き当りで終わりではなく、多分その先でも左右どちらかに坑道は延びているものと思われます。

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坑口を出ると、右側急斜面の先に露天掘り跡と思わしき地形を発見。
水谷林道終点から300m先の右岸にあると某HPに書かれている上谷坑は訪れていないけど、これで水谷銀山の概要は掴んだので満足です。





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水谷銀山跡を訪ねて [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

新発田市のニノックススキー場へ行く途中、左手に菅谷地域コミュニティー実行委員会が作った標柱が現れます。
そこには、「明治から大正にかけて採掘された。最盛期には二百人余りの坑夫が働き、選鉱所、精錬所のほか、長屋、郵便取扱所、学校分教場があり賑わった。大正の始め、鉱脈が薄くなり廃校となった。」と書いてあります。
日本金山誌には蔵光鉱山の名前で出てきますが、地元では水谷銀山で通っているので、水谷銀山と呼ぶことにします。
実はとても歴史の古い鉱山で、600年前から採掘が行われていたようです。
ところで、三光川の支流である水谷沢には、実は30年前から山菜採りで何度か訪れたことがあります。
水谷沢沿いの林道に入って300~400mくらい走るとゲートが現れますが、車はそこまで。
当時からそのゲートはありました。
ゲートの前100mくらいの沢の両岸に多数のタラノキがあり、また、沢の対岸の斜面にはワラビも生えていました。
しかし10年くらいで一気にタラノキは成長し、同時にヤブも深くなり、ワラビが生えていた日当たりの良い斜面は樹木がどんどん成長し、今は単なる藪山と化しました。
水谷銀山に関してはそれほど詳しく調べたわけではないですが(まだ日本金山誌にも目を通していない)、”ミックンのつぶやき”と”新潟県北部の史跡めぐり”という2つのHPから得た情報が全てです。
最低限、石垣でも見つけられればいいやと軽い気持ちで久々に太陽が顔を出した3月7日、懐かしの水谷沢上流を訪ねてみました。

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赤の軌跡はGPS機器ガーミンで記録したそれです。
ゲートを過ぎてからも林道は道幅が狭まることもなく、林道終点の標柱が立っている地点まで(黄色の文字で書きました)しっかりした道が付いています。
林道終点の標柱(幅員3.6m、延長4,344mと表記)を過ぎても、しばらくは軽だったら通れそうな林道が続きます(ただし、路面は一気に悪くなります)。
行きは河原には降りず、ひたすら林道歩きで上流を目指しました。
”ミックンのつぶやき”によると、林道終点より300m先の右岸に、探鉱のために掘られた上谷坑があると書いてあるのですが、見つけることができませんでした。
もっとも、林道から見える範囲に坑口らしきものがあるかどうか、注意力を働かせただけで、坑口が道路から見えないところに位置しているのであればわからないわけで。
もっとも、林道終点から200mと記憶していたので(300mが正解)、その辺の誤差も影響しているかもしれませんが。

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林道終点を過ぎると、間もなく開けた風景が目に飛び込んできます。
気持ちいい!
左側は近年伐採された斜面のようで、グーグルアースでもこの地形を見つけることができます(2020/03/07現在)。

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渓相は基本的に癒やし系。
上流へ行くに従って岩場が出てきますが、まあまあ沢通しに行けます。
林道がなくなってからも、沢に沿って踏み跡がとぎれとぎれに付いていました。

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1.5mの小滝がかかる岩は、よく見ると珪岩でした。
水谷銀山では末期に珪石を採取していたらしいので、さもありなん的風景。
道端にも確かに石英系の石は一定の割合で見られました。
ただし、同じ二王子山麓の千石鉱山の珪石よりは純度が低いです。

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この日、カメラを向けた岩石は、先の小滝の岩とこのピンク色の石英の2つのみ。
地面に半分埋まっていたので汚れていますが、ハンカチでごしごしこすっても汚れは全然落ちませんでした。
しかしながらこの色合い、素敵です。
昨年内の倉川の枝沢でこのような珪石を拾いましたが、その石は赤紫だったけど、こちらはまさにピンクといった風情。
これで透明感があればローズクオーツです。

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そして、やっと人工物を発見。
山の神の祠です。
ただし、鉱山関係者が建てたものではなく、山仕事をしている人たちが建てたものである可能性もあります。
水谷沢沿いの山腹では今も盛んに林業が行われており、森はきっちり管理されています。
”ミックンのつぶやき”の「蔵光鉱山、水谷銀山跡」のページに出てくる、確実に鉱山関係者が作ったものと思われる祠を見つけたかったのですが、そちらはわかりませんでした。
付け加えれば、ミックンはHP内の「祠・石造物1」で、今回ぼくが見つけた祠の写真も掲載しています。
さすがミックン、ここまで来ているとは。
※参考 所要時間:ゲートから林道終点まで約40分、林道終点から山の神の祠まで約30分

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山の神から先は本格的な沢歩きとなり、ゴルジュ地帯も現れます。
ここは左岸を高巻き(踏み跡が付いていました)。
そして、まもなくUターン。
坑口が現れそうな気配がなかったし、帰りの体力のことを考えるとこの辺が引き際かなと思ったので。
途中、滝をかけて出会う枝沢も何本かあり、純粋に風景写真目的で来るのもいいかなと思いました。
(ただし、早春限定ですが。)

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帰りはできるだけ林道を歩かず、沢を歩くようにしました。
石垣は沢沿いにあるはずなので。
1枚目の地図で、ピンク色に囲った部分は”新潟県北部の史跡巡り”さんが、この辺りに男根を添えた山の神と、鉱山の石垣があるよ~と書いている場所です。
この地図をプリントして持参すればよかった!
帰宅してから改めてそのHPを見て気づいたのですが、場所を少し勘違いしていました。
上の写真の野原は、ピンクのエリアから150mほど右側に位置するのだけど、この辺一帯草木が生えていなかったので、てっきりここかなと思い込みました。
ここには石垣は見当たらなかったのですが、選鉱所があったのでは?と思ったりもします。
隣接する沢が非常に美しく、思わず250mほど沢登りをして道草しましたが、その沢では鉱山の名残を留めるものは何もなし。
1枚目の地図で黄色に囲った部分は、ぼくが勝手にこの辺に(岩場マークがある)坑口があるんじゃないかなと思っている場所です。
水谷銀山の鉱区はかなり広かったらしく、未知の坑口があちこちにあるかもしれません。

※水谷林道入口に立っていた、水谷銀山跡を示す標柱、倒れていました。
大きな標柱なので、一人ではなんともしがたく・・・



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