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畑鉱山の主坑道発見! [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

前回見つけた水晶谷の位置を地形図でつぶさに調べてみたら、すぐ右横にも谷地形があることがわかりました。
柳の下のドジョウを得るべく11月3日、一目散にその斜面を目指しました。

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10月15日の記事で、下から2番目にこれと類似の写真を載せました。
今回新たに、周辺の斜面で同様の木組みで作った堰のようなものを2箇所で目撃。
共通しているのは、この上に明確な踏み跡が左右に伸びていること。

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そこを辿っていくと、この坑口の下へ出ました。
そうです、これは坑口なのです。
灌木が密生しているので分かりづらいけど、直下の斜面にはズリが拡がっており、上の写真に見られる白い支保工(立木ではありません)が、6m程離れた右端の茂みの背後にもう1本立っているのです。
坑口は茂みでよくわからないのですが、岩を積み重ねて塞いであるようでした。
ここから右斜め上の斜面上部に、本能的に怪しさを感じたのでさらに登っていきました。

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基本的に坑口探しより、谷でのチビ水晶脈探しが目的だったので、道中斜面にところどころ点在している岩を調べながらゆっくり登攀。
今回捜索したエリアは前回のエリアに比べると転石も少なく、チビ水晶付きの岩石もなかなか見られませんでした。
それでもこの辺りで、少ないながらも脈が集中していることに気付きました。

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この辺では典型的なパターンです。

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窪みには、小さいながらもシャープな佇まいの水晶が成長しています。

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さらにはこんな石も。
幅40cmぐらいでしょうか。
たくさん開いている小さな穴の1/3に、チビ水晶が生えています。

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かぐや姫水晶のバリエーションでしょうか。
これで水晶に色が付いていたら、もう一回り水晶が大きかったら・・・
見るだけに留めましたけど。

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そして、目星を付けた斜面の上には風格ある坑口が待ち構えていたのでした。
これは大きい・・・
(古い資料には大盛坑や大切坑の固有名詞が出てきますが、それのどちらかだと思います。)

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入ってすぐの坑道内部。
支保工の残骸が転がっています。
この先にはトロッコのレールの廃材(長さ4mくらい)がまとめて横たわっていました。

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既に30mは歩いてきています。
まだまだ先があるようです。
途中から青緑色がかった粘土が足にまとわりつくようになり、歩きにくくなりました。
かなり水分を含んだ粘土の厚さは3~5cmくらいでしょうか。
流紋岩が風化して粘土化したものだと思います。

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森のくまさんの足跡。
冬眠用にもこの洞窟は理想的かも。
気配がなかったので、さらに先へ進みます。

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やっと終点が見えてきました。
ここまで長さ70~80mくらい。
ここから水が15cmほど冠水しているようで、その先の粘土地帯もさらに堆積が厚そうなので、ここから先には行きませんでした。

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左側の斜面。
枝坑道があったのではないでしょうか。

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最奥部をクローズアップ。
左側の流出してきた土砂の先には、やはり坑道が伸びている可能性があるのであと3m進んでみたかったけど、これ以上泥にまみれたくないので自重しました。
進行方向は十中八九まだ先があるものと思われます。
自然に崩れてきたものか、人の手によって坑道を埋めたものかわかりませんが、どちらかというと後者のような感じがしました。

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坑口を出てからさらに斜面を上へ。
あと150~160mくらい東へトラバースしていくと、もう一つの怪しい地形に出るのですが(さっきの主坑道の伸びている方向を考慮すると、そこに坑口があるとしたら中でつながっている可能性もある)、それは来春の宿題にします。

補足:昭和22年版の国土地理院地形図(1/50,000)小国に、畑集落が記載されています。
さらには鉱山マークも付いているのですが、その場所がまさに今回発見した大きな方の坑口の場所とほぼ一致することを発見しました。
なるほどね。






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畑鉱山の水晶谷 [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

29日、再び畑鉱山(関川村)へ。
前回(10月15日)訪れた際たまたま見つけたチビ水晶だらけの谷を精査するのと、唯一残っている坑口へ入ってみることが目的。

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まず、坑口へ入ってみました。
奥行き20mくらいでしょうか。
入り口から中を覗くと、なんとなくどん詰まりで右へ曲がっているように見受けられたので、それを確かめてみたかったのです。

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左側は単なる壁となっていましたが、やはり右側は坑道が続いている様子でした。
明らかにズリ石で坑道を塞いでいます。
それがわかっただけで大満足。

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坑道の奥の方で、写真の古い空き缶?を見つけました。

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前回より100m手前から斜面に突入、道なき道を歩きます。
植生も地質も全く同じで、傾斜の強まる標高330m付近からチビ水晶の付いた流紋岩が現れてきます。
結局368mまで登りましたが、坑口が現れそうな気配はなかったため前回の最高到達地点までトラバース、その後その谷を20mくらい登ったところでUターン。

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カリフラワー状の水晶。
横幅30cmあります。この右にも方向を変えてさらに水晶脈は続いていました。

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この谷で見られる典型的なパターン。
周辺の斜面はどこでもそれなりに流紋岩の大小の岩石が点在し、それらの岩にかなりの確率でこうした窪みにチビ水晶やカリフラワー状の水晶が見られます。
しかし、最も脈が集中していたのは前回歩いたこの谷なのでした。
幅20~25m、延長100~150mが富鉱体ゾーン。

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その一角で、初めて紫がかったポイントを晶洞の中に発見。
ほとんど土に埋もれていたので、細い枝で土を掻き出していきます。
すると3本ほど紫色の、柱面が2~1.5cmほどある細い結晶が見えてきました。
ペットボトルの水を口に含んで吹きかけたら逆に泥だらけになってしまい、焦って泥をもう一度掻き出していたら最も長い2cmのポイントが根本から折れてしまいました。

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それがコレ。
色合いだけは完璧です。
畑鉱山でアメジストにお目にかかれるとは。
やはり、土に中に埋もれていたのがよかったのでしょう。
表面が露出していると、どうしても色が退化してしまいますから。

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この後、この谷のやや下の斜面でこんな石を見つけました。
これも母岩は流紋岩なのですが、今まで畑鉱山で見た中では最も大きなポイントが付いています。
折れてもいないし、透明度もいい。
これは持ち帰って、マクロレンズでアップの写真を撮りました。

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この5倍大きいと文句なしなのですが、贅沢は言いますまい。

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そして2.7cmのアメジスト(現場で撮った写真の奴とは別な結晶。同じ晶洞から)。
今年5月上旬、下越の他の山で見つけた、やはり2.5cmくらいのポイントと色合いも質感も酷似しています。
飯豊連峰や御神楽岳には水晶尾根と名付けられた尾根がありますが、それにちなんでこの谷を水晶谷と勝手に名付けることにしました。
御神楽岳の湯沢の頭(1184)から東に伸びる水晶尾根も、こんな感じで1cm前後の小さな水晶がびっしり岩場の窪みなどに見られるのでそう呼ばれるようになったということです。






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チビ水晶だらけの谷 [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

昨日の記事の続きです。
実は行くとき、大きな寄り道をしました。
ピンクのテープに引き寄せられて、若ぶな山(630)の南西斜面へ。
ひょっとしたらこのテープを辿っていくと、未知の坑口へ出られるのではないかと期待してのことですが、どうやら林業関係者が付けたテープだったようです。
ある程度斜面を上がるともうあちこちにテープが林立しており、これは鉱山のためのものではないなと悟りました。
しかし、15~20分も歩くといかにも坑口が待ち受けていそうな地形に出て、しかもズリっぽい岩石や針水晶がところどころ露出している1mくらいの岩がどんどん出てきて、行けるところまで行ってみようと決意。

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斜面にもよりますが、このように上からの土砂がかなりなだれ込んでいる斜面もありました。
しかしここでサプライズが。
これらの岩石を見てみると、結構水晶脈が付いているのです。

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この谷間がもっとも脈が濃く、これでもかこれでもかというぐらいチビ水晶付きの岩が目に飛び込んできます。

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今回、5~7cmほどの球顆的箱庭水晶?を2個持ち帰りました。
この個体は比較的折れているポイントが少なく、一目惚れ。

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マクロレンズによるクローズアップ。

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ほとんどが無色透明の水晶ばかりでしたが、例外的にややピンクがかっている個体も。

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谷を詰めていくと、このような場所に出ました。
断定はできませんが、人工的な匂いがプンプン。
この上もさらに標高差で15m登ってみましたが、時間も押してきたのでこの先でUターン。
ここは左右に踏み跡が伸びており、左手の方へ進んでみましたが、やがてヤブに埋もれていきました。
そこから下へと下降開始。
ほどなく再び人工的な地形を見つけました。

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幅7~8mに渡って、このような丸太の木組みが半ば土に埋もれていました。
その前はフラットな地形で、やはりズリっぽい石がゴロゴロ。
ここが坑口だった可能性もあります。

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ただし、水晶脈が見られたのはこの辺りまででした。
目に付くのはひたすらチビ水晶だけですが、あまりにも簡単に見つかるので結構うれしくなってしまいます。
今回の脇道探索では標高差にして約100m、斜面を上下しましたが、坑口の匂いのする地形が何箇所かあったので、次回来る機会があったらこの谷をもっと精査してみようと思います。



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畑鉱山の今 [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

14日、2年ぶりに畑鉱山(関川村)へ行ってきました。
関川村はほぼ全域において8月の記録的な豪雨により甚大な被害を被っており、畑鉱山へ至る林道もただでは済まないだろうと思っていましたが、やはり悲惨な状況でした。

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おととしは鉱山入り口の広場まで何とか車で入っていけたのですが、さすがに今回はわかぶな高原スキー場横の道路を100m入った地点の三叉路までにしておき、そこからは徒歩。
途中ロッジ風の小屋が現れるまでの区間が最も悪かったです。
このように路肩が崩落していたり、道路が陥没していたりで、オフロードバイクでも走行するのは難しそうな状況。
しかし歩く分には特に危険はなく、貯鉱場の廃墟が佇む広場まで1時間ほどで歩いていけました。

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この辺りに昔は集落がありました。
いつ離村したのか正確な年月日は知りませんが、畑鉱山の閉山が昭和25年ですから、村がなくなってからもう60年は経っているものと思われます。

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車で広場まで走ると見過ごしてしまいやすいのですが、徒歩だと微妙な地形の変化がわかりますから、久々に坑口へ立ち寄ってみました。
上の写真が2019年4月、下が今日(2022/10/14)の撮影になります。
意外や全く変わっていませんでした。
周辺のちょっとした谷間は軒並み大量の土砂がなだれ込んでいましたが、ここはピンポイントでセーフだったようです。

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坑道内部もセーフ。
特に土砂の流入はなかったようです。

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そして、貯鉱場前の広場。
この広場は昔通りでした。
でも年々樹木が高くなり、ほぼほぼ建物を覆い隠すようになってしまいました。

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さらに大里峠方面へと歩を進めます。
この先にもう一つ広場が出てくるのですが、中間地点に立つ鉄塔の周囲が無惨な状態になっていました。

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林道はここまで何本かの小沢を横断してきますが、それらの沢が軒並み土砂で埋もれていたり、水流で土手が削られていたり。

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しかし、選鉱場前のズリはおととし写した写真と全く同じでほっと一安心。
このあと広場の下まで降りていったのですが、ヤブの深さが尋常ではなく、選鉱場エリアに踏みこむことはありませんでした。
まとめると、徒歩ならスキー場横の道路からここまで歩いていくことが可能です。
わかぶな高原スキー場周辺には大規模な風力発電所建設計画が持ち上がっており、ひょっとすると将来的には畑鉱山跡がなくなってしまう可能性もあります。
本当にどうなるか余談を許さないけど、まだ建物は残っているし、かろうじてそこへ通じる林道も(車では通行不可能になったけれど)残っています。
この日は道路状況を確認することの他に、もう一つ目的がありました。
それはのちほど。


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蛍石の蛍光 [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

昨日関川村の畑鉱山で拾ってきた10cmと7cmの、部分的に蛍石の脈が付いている石の蛍光写真を改めて撮ってみました。

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10cmの方の石。
底面にも少し筋状に蛍石の脈が走っています。

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365nmのブラックライトを照射.
昨年買った福島県蛍鉱山産の蛍石同様、真っ青に蛍光しました。

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拡大写真。
結晶は摩耗しているし形が崩れてはいますが、蛍光度合いは最高です。

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7cmの方の石は汚れがひどく、タワシで洗っても汚いままだったので、実験がてらハンマーとタガネで真っ二つにカット!
すると、断面には新鮮な蛍石だけでなく、黄鉄鉱と微量の閃亜鉛鉱が顔を出しました。石英も少々。
複数の鉱物が同居している石は、特に種類が3種類以上の場合は観察していて飽きません。







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畑鉱山の蛍石 [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

関川郷土資料によると、畑鉱山の起源は明治7年、地元の農民が銅鉱を発見したのがきっかけだったとか。
閉山は昭和24年。
最盛期には220人の従業員が就労していました。
鉱山手前には畑集落があり、ここには江戸時代から人が住んでいたようです。
古文書によると戸数および住民の数は、享和元年(1801)戸数3・16人、大正9年戸数23・83人、昭和10年戸数55・303人、昭和35年戸数10・36人。
廃村となったのは昭和42年。
羽越豪雨による水害の後に離村したそうです。

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これらの祠が畑集落の存在を暗に物語っています。
背後には杉林の中に古い墓が点在しており、その中には江戸時代の墓もあります。
さて、畑鉱山で採掘していた鉱物は次の通り。
黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、斑銅鉱、石英。
畑鉱山へ行くのは今回(5月12日)で3回目。
前回行けなかった若ブナ山の南南西斜面上部にある巨大洞窟の下のズリ(自然崩落による岩石の堆積かもしれないけど)を調べるのと、蛍石の脈が付いた石を見つけること、この2つを目標に訪れました。

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思えば遠くへ来たもんだ・・・
標高350mラインを過ぎた辺りから、このようなズリだかなんだかわからない岩石の破片が散りばめられている斜面が現れます。
歩きにくいので慎重に。

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標高393m、写真で見る以上に垂直に近い岩場が出てきました。
頭上を送電線が走っており、送電線監視路も兼ねているみたいです。
ロープがぶら下がっていますが、足場がないんです。
この頃、膝に痛みも生じてきていたので、ここでリタイア。
今回もあの巨大洞窟には行き着くことが叶いませんでした。
あとでGPSのログを分析してみると、標高差でもう20mも登れば洞窟直下のがれ場下部に到達していたのですが・・・

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スタート地点の、標高268mに位置する広場(林道終点)に戻るまでの間、足元を入念にチェックしながら下山。
なにせこの監視路(=鉱山道)、ズリとカラミで覆われているような案配なので、もしかすると目ぼしい鉱物が落ちているかもしれません。
そして、奇跡的に写真の石を見つけることができました。
横幅10cm、質量470g、蛍石と水晶の結晶が同居しています。
その場で長波(365nm)のブラックライトを当てたら、見事に紫色に蛍光してくれました!
その後、300mくらい下ったところでも7cmほどの同様の石を発見。
若ブナ山のどこかに、細々と蛍石の脈があるのかもしれません。

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ついでに、大里峠の途中までちょっと歩いてみました。
大里沢は女性的な渓相で、非常に美しい。
写真には写っていませんが、右手奥にも赤いテープが巻きつけられており、尾根上に伸びている踏み跡へ続いていました。
地図を見ると、もう数十メートルも登るとかなり大きな岩場が出てくるので、ひょっとしたらその辺りに坑口もあるのかも。
などという妄想をしたり。
畑鉱山は学者の論文で取り上げられていることはなく、従って詳しい地質図や坑口の位置を記した地図が手に入らないのです。

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大きい方の石(長辺10cm)です。
水洗いしてまだ完全に乾いていないので、疑似蛍光(赤い部分等)している部分もあります。
蛍石の部分は赤紫色に蛍光しています(実際はもう少し青っぽい紫なんですけど)。

※夕方、まだ明るさが残っているうちの撮影ですが、夜完全に暗くなってからもう一度ブラックライトを当ててみたら、赤みが消え真っ青に光りました。
明日の夜、改めて蛍光写真を撮り直したいと思っています。





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畑鉱山、再び [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

昨年4月29日に初めて訪れた、関川村の畑鉱山を再訪しました。
ここはグーグルアースで見ると、国土地理院の地形図に記載のないたくさんの林道が縦横無尽に走っており、予めプリントアウトした地形図にそれらの林道を正確に清書しつつ、マイマップを作成。
そして、いつものGPS機器(ガーミン)を携え、グーグルアースで目をつけた2箇所のズリを目指しました。

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国土地理院の1/2.5万地形図では、標高268m地点から左斜上に伸びる林道の記載はありません。
しかしながら、グーグルアースで眺めるとちゃんとした林道が上の方に向かって伸びており、その先には2箇所のズリが視認できます。
赤はGPS機器で記録した歩いた跡ですが、これが林道の正確な位置です。
今回道なき道は全く歩いていません。
貯鉱場跡の下の赤い軌跡を除けば、あとは全て林道や登山道の跡を忠実にトレースしています。

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ここが標高268m地点の車道の終点の広場。
この先も林道は大里峠に向かって伸びていますが、どこまで車で入っていけそうな道が続いているのかは未確認です。
地形図に記載のない林道は、上の写真で左側の道。
しっかりした道(悪路ですが)がズリ1まで付いています。
ただし、途中大きな倒木が道を塞いでおり、バイクもそこまで。
その先も林道は伸びていますが、30m先から急に不明瞭になり、ヤブが優勢となります。

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ズリ1です(標高約355m)。
広場からここまでの林道はカラミだらけだったのですが、ここのズリを見て納得。
膨大な量のカラミの山です。

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角度を変えて見てみると、整地された地面の存在に気づきます。
おそらくここに製錬所があったのでしょう。
事実、どこかの文書で上に製錬場があったとの記述を見た覚えがあるので間違えありません。
林道を隔ててやや下手の方にもズリがありました。

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地図で言うところの、ズリ2です。

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こちらが遠景。
中央と右手側に、やはり平らな地形が見て取れます。
この台地の上にも何らかの建物があったのでしょう。

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ぼくはカラミにはあまり興味がありませんが、それでも色々なカラーのカラミが落ちているので結構楽しめます。
こちらはメタリックな質感のカラミ。
ゴールドやアンバー、チャコール、そして青緑っぽい色のもの。

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銅の二次化合物である、このような青みがかった物質が付いた石もあちこちに落ちています。
だけど、なかなかそれ以外の鉱物はお目にかかれません。
今回、知人がここで拾った某レアな鉱物を探すのも目的の一つだったのですが、こっちの目的は果たすことができませんでした。

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このような針水晶というか、ミニチュアサイズの水晶がこびりついた石もそこそこ見かけました。
昨年もこの手の石は見つけたのですが、残念ながらこれより大きい水晶はなかったです。

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さて、ぼくが作成した地図を見てほしいのですが、ズリ1の左斜め上に”二股”という単語があります。
今回歩いていないので赤い軌跡は付いていないのですが、この地点でもうひとつの細い林道が分岐しているのです。
その林道を詰めていくと、おそらくこの岩場の下部に到達するものと思われます。
ぼくはズリ1&2を見学してから、そこから尾根に向かって伸びている登山道を歩きました。
きっとこれは登山道ではなく鉱山道ではないかと思ったものですから、その小道を登っていったのですが、どうも坑口や岩場が現れそうな気配はありません。
(これは鉄塔の監視用の道ですね。鉱山道とは関係ありません。)
その頃、左膝に違和感が生じたのでそこで撤退を決意、下山しました。
登山道を登っていくとすぐ、地形図にも記載のある、標高400~450m付近に屹立する岩場が否が応でも目に飛び込んできます。
それが上の写真。
そうです、あの大岩壁の下にパックリと口を開ける大洞窟・・・”ミックンのつぶやき”というHPで畑鉱山の紹介ページでアップされている大洞窟の写真と同一なのです。
そのときまで、ぼくはミックンのあの写真がどこで写されたものか、全くわかりませんでした。
ミックンのそのページには、他にもカラミのズリの写真が載っていますが、この場所はぼくの地図でいうところのズリ1でした。
ミックンはどちらの鉱山道も歩いていたのですね。

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望遠ズームで最大限拡大した、くだんの大洞窟のアップです。
大洞窟直下まで行ったミックンによると、これは自然地形が崩壊しつつあるものであると結論付けられていますが、写真で見る限りに置いては坑口であるように思います。
それにしてもここまで登っていくのはぼくにはできません。
等高線を見てもらうとわかりますが、おそろしい傾斜です。
その下に赤茶色の岩が散乱している場所がありますが、行けたとしてもその辺りが限界。
ちなみにこの赤茶色の岩、岩場の一番上の部分を見ると、やはり赤茶色の部分が見受けられます。
そうです、その岩場が崩落したため、その斜面に大小の岩石が散らばっているのです。
近寄らないほうが無難ですね。
そのあと、昨年も行った貯鉱場跡の南に展開する選鉱場跡などをざっと見学したのち、帰途につきました。
本当は、地図の左側”二股”と書いた地点から、まだ歩いたことのないそこから斜め右下に伸びる林道を終点まで行きたかったのですが、エネルギーの枯渇により断念。
ちなみに、林道をはさんで山の神とお墓が対峙する地点から下に伸びている、破線で示されている小道は見つけることができませんでした。
もう自然に還ったのではないかと思われます。






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畑鉱山を訪ねて [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

関川村の山奥にある、畑鉱山跡へ行ってきました。
明治7年に銅を採掘する鉱山として操業を開始。
閉山は昭和20年(一説によると昭和24年)。
最盛期には220人が就労していたとのこと。
わかぶなスキー場手前の沼集落よりさらに山奥に、かつては畑集落があったのです。
大正9年23戸83人、昭和10年55戸303人、昭和35年10戸36人と村史にはあります。
昭和42年の羽越豪雨による水害で離村。
昭和41年に閉校となりましたが、当地には沼小学校畑冬季分校もあったとかで、わかぶな高原スキー場からさらに山奥にそんな集落があったとは想像することもできません。
国土地理院の1/2.5万地形図を見ると、わかぶなスキー場のセンターハウス手前で右折、その道を1.5-2kmくらい進めば畑集落跡に出るはず。
道路は途中から破線で描かれているので、荒れ放題になっていることは間違いなし。
なので、車は分かれ道から200mほど進んだ地点、道路の左右に広い路肩が出てくるのでそこに駐車しました。
急な坂を登っていくと間もなく右手に山小屋風のロッジが現れますが、その先は悪路となり、道幅も狭まるので決して車では進入しないことです。

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深い杉林の中をひたすら登っていきます。
よく見ると、2m前後の巨岩があちこちに見られます、道路の右にも左にも。
上の写真のように50~1mほどの岩がたくさん重なって転がっているところもあり、石英の匂いがプンプンします。

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15分ほど林の中をさまよったのですが、水晶を見つけることができました。
どの岩も厚い苔で覆われているので、晶洞につながりそうな割れ目を探すのは結構時間がかかると思います。
しかし、結論から言うと、鉱山のズリを探すより、広大な林の中に点在している巨岩をチェックしていった方が、水晶に関しては見つかる可能性が高いと思います。

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林の中をうろちょろしながら歩いたので、その分を差し引くと、30~40分ぐらいで畑集落跡(この鳥居が目印)に辿り着きます。
背後には林の中に墓石が幾つか顔を覗かせており、人が住んでいたんだなあと実感させられます。

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そこから5分ほどで、畑鉱山のモニュメント的建物が左手に見えてきます。
建物の前はちょっとした広場となっており、それまでの悪路が嘘だったかのように、道路も普通の砂利道となります。
ところで、県内の廃坑関連を調べるに当たっては「ミックンのつぶやき」というHPを参考にさせてもらっているのですが、
そこで紹介されている、ミックンが実際に現場を訪れた時に撮った写真と比べると、建物を覆う樹木の数が全然違うことに気づかされます。
あのHPは2003年スタートですから、多分あの写真も2010年以前に撮られたものではないかと推察します。
他の写真を比較してもやはりヤブの感じが全く違うので、2019年現在は何もかもほぼ自然に帰しつつあると考えた方がいいでしょう。

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こちらはズリ場ですが、ここだけが昔と変わらない風景を見せてくれます。
超小さいサイズの水晶や玉髄を除けば、カメラを向けたくなるような鉱物は皆無でした。

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鉱山の遺構はかなり広範囲に分布しています。
これは選鉱場のようです。

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この穴は、シックナー下部の鉱宰排出口。
5m先で行き止まりでした。
現地に着いたのが16時過ぎだったので、駆け足での見学となりました。
他にも興味深い地形があったのですが。

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坑口はひとつだけ見つけました。
手を伸ばせてストロボ焚いて写真を撮っただけ。
中へは入っていないのですが、奥行き5~6mしかないようでした。

沼集落から畑鉱山へ通じる道は、山形県との境にある大里峠を経て、山形県玉川集落へと続いています。
玉川集落の近くには玉金鉱山があり、こちらでは金を採掘していたようです。
もちろん、今は昔の物語です。


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