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遠かった中ノ沢鉱山 [鉱物 (阿賀町・中ノ沢鉱山)]

25日、裏五頭の中ノ沢鉱山(阿賀町)へ行ってみました。
前回初めて下見に来た時は夏草がぼうぼうで、西戸沢川に架かる橋から河原へ降りられるルートがわからずそこで引き返しました。
しかし、今ならルートがわかるはず。
中ノ沢鉱山歴史は古く、江戸時代まで遡りますが、正確にいつ頃から採掘を始めたのかはわからないそうです。
当初は金を掘っていたようですが、その後は銀と銅を採掘し、大正年間に閉山しました。
前山鉱床と元山鉱床の二箇所が知られていますが、地図上でそれぞれの正確な場所を記した資料をネットで見つけることはできません。
しかしながら、どちらの坑口かわからないのだけど1/2.5万地形図に場所が記されている資料を、なんと2時間前に発見。
場所だけでなく、探訪記も書いてあったのですが、結局その方は行き着くことができなかったそうで。
猛烈なヤブに辟易し、撤退したとか。
結論から言うと、ぼくも猛烈な笹藪に跳ね返され、あえなく撤退したのでした。

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これが西砥沢川(橋のたもとには、西戸沢川と書いてある)。
夏と違って、さすがに初冬の今の時期は地形がよくわかります。
橋の手前の左側に緩やかなスロープがあり、そこから河床に簡単に降りることができました。

IMG_0406.JPG

こんな感じの渓相が続くのですが、川底がわずかに緑もしくは青味がかったキメの細かい砂~ほとんど粘土です~にうっすらと覆われています。
その理由はまもなくわかりました。

IMG_0411.JPG

150m弱歩いた所で、前方に堰堤が見えてきたのです。
1/2.5万地形図に記載のない堰堤です。
これは予想外。
堰堤の下流部は、この沢のように濁りが入っていたり、泥や砂が堆積していたりということが多々あります。
もちろんイワナはほとんど絶滅したのではないでしょうか。
よほど下流まで下っていけばいるかもしれませんが。
グリーンタフを含む、風化した流紋岩が多く、ダム造成の際に大量のベントナイトが流失したのでしょう。
それが泥(粘土)の正体です。
三川温泉街から少し赤谷方面へ走った道路脇に、ベントナイトの製造工場があります。
裏五頭ではもう一箇所同種の工場があり、裏五頭ではところどころでこのような地質が見られるものと思われます。
一応堰堤の直下まで行ってみましたが、両岸とも断崖絶壁。
わずかに、右岸を20m戻ったあたりからだと尾根上へ抜けられそうだったので、堰堤を一望する高台まで高巻き開始。
しかし、尾根に出たはいいものの猛烈な笹藪が行く手を遮っており、7~8m歩いてはみたけれど即撤収を決断。
既に夕方が迫っていたので、元来た道をさっさと引き返した次第。
それにしても、どうやってあの大きな堰堤を作ったのでしょう。
周囲に車道はおろか、踏み跡でさえ一切ありません。
さて帰宅後、改めて中ノ沢鉱山のことをネットで調べていると、前述した新たな探訪記を見つけました。
やはり坑口はぼくが目を付けていた場所とほぼ同じ場所にあったのですが、その方もヤブで辿りつけなかったように、中ノ沢鉱山の坑口へ行くのは極めて困難になっているようです。
その方の記録によると、堰堤の左側にトラロープが垂れ下がっていたようで、その方はそれを利用して堰堤を越えたようです。
そのロープには気付きませんでした。
ただ、改めて地形図を観察すると、沢沿いにアプローチするより、あくまで旧鉱山道を終点まで歩き、そこから坑口を目指す方が行きやすいのではと思います。
ネットで知る限りでは、鉄人M君が実際の坑口、それも前山鉱床と元山鉱床のどちらも訪れた唯一の人なのですが、彼に続く人は今後出ないかもしれません。
やはりM君は偉大です。
入渓地点からそれほど距離があるわけではないのだけど、ここは厳しいです・・・

中ノ沢鉱山跡を訪ねる前に立ち寄った場所があります。
今年既に何回も訪れている場所。
結構面積が広く、まだ全域を踏破していないので、残りの1割のエリアを精査すべく軽くハイキングしてきました。

IMG_0376.JPG

IMG_0386.JPG

でも、今回探索したエリアではあまり水晶の脈がありませんでした。
写真を撮ったのはこれらを含めて3枚のみ。
最後の写真はちょっとした晶洞の中にカメラを潜り込ませ、ストロボを発光させて撮った写真。
右手の、晶洞の奥の方はかなり奥行きがあるんだけど、特に水晶系の石は見られませんでした。


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