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間瀬銅山最終章 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

今年1月31日、間瀬銅山本坑エリアで未踏波のエリアをガッツリ探索してきた時、未知の坑口を2~3個発見しました。
それらのうち、かなり上の方に位置する、より大きい方の坑口は是非とも雪が溶けたら真っ先に訪れたいと思っていたので、3月25日、満を持して現地を訪れました。

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これは1月31日に写したものですが、中央の縦長の洞窟が目指す坑口になります。
その周辺にも2つか3つ、小さい坑口がありそうです。

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かなり登らないといけないので結構疲れましたが、かすかに踏み跡が残っていたせいもあり、なんとか見つけることができました。
想像通り、なかなか風格があります。
さて、どこまで入っていけるのか。

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入口はやたら天井が高かったけど、すぐに四つん這いにならないと進めない高さになりました。
しかも、3m先に立坑が待ち構えているっぽい・・・

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やはり立坑が控えていました。
この先の坑道へは進めません。
当時はおそらく何らかの道具を使っていたことでしょう、丸太梯子とか。

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足場が非常に悪いので、手だけ伸ばしてカメラのレンズを適当に下に向け、立坑を写してみました。
あの青い脈は胆礬だと思われます。
下まで5mくらいあるでしょうか。
ザイルを使って懸垂下降すれば降りられますが、とにかく幅が狭いので苦労しそうです。

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早々に洞窟を出て、周辺を探索。
すぐに坑口を2つ見つけることができました。
最初の写真で、雪渓がある辺りに坑口が隠れていました。
こちらは立坑でした。
ほとんど埋没しかかっています。

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もう一つの坑口。
こちらは水平坑道だけど、自然閉塞。
今回の坑口は一応本坑エリアに属するのだけど、かなり標高があり、明治時代半ばに書かれた文献には記載がありません。
江戸時代のものか、或いは明治時代前半のものか・・・

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弥彦山の日本海側斜面も、先日のラスト寒波で真っ白になり、つい最近雪が溶けたばかり。
ゆえに見通しがいいので、深ヶ沢沿いに連続する露天掘り跡をじっくり観察することができました。
こちらは左岸。

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こちらは右岸。
露天掘り跡は本当にたくさんあり、これらはほんの一部に過ぎません。
坑口らしき暗い穴もいくつか写っていますが、すべて露天掘り跡か狸掘り跡。
帰りに左岸で一番大きな露天掘り跡に立ち寄り、坑口のように見える穴へ数年ぶりに入ってみました。
露天掘り跡上部へ行くのは、坑口へ潜り込むのより下手するとスリリング。
結構肝を冷やす場面も。
それにしても、露天掘り跡の壁面には本当に何も残っていませんね。
タイムマシンに乗って当時の採掘現場を訪れ、鉱夫さんたちがどのような鉱物を切り出していたのか、この目で確かめてみたいものです。

まとめ:本坑エリアでの坑口発見数=約19個
露天掘り跡の数=10ヶ所以上




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露天掘り跡を渡り歩く [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

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間瀬銅山(新潟県)には特に共同墓地のようなものはないのですが、それでも山中に数ヶ所、人知れずこのような墓碑が立っています。
こちらは裏面なのですが、明治32年、天命45才と刻まれています。
このお墓の背後にかすかな踏み跡が残っており、その近くにも別な踏み跡が残っているのですが、どちらも途中から壮絶なヤブとなり、完全にトレースしたことはありません。
しかしながらおととしだったか、かなり上の方でそこそこ大きな露天掘り跡を見つけたことがあります。
今回はそこからさらに尾根の上部を目指しました。

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この斜面は宝川右岸側に位置しており、いろいろな文献を当たってみましたが、こちら側に坑口があったという確証は得られませんでした。
今回想定していたよりずっと上の方まで登ったのですが、下からは見えないもののひたすら岩稜地帯が続いており、ある程度大きな岩場にはことごとく露天掘り跡ないしは狸掘り跡が認められました。

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一見立派な坑口に見えますが、どれも奥行き2~3mしかなく、露天掘りの延長線上といった感じです。

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岩は全て凝灰岩で、本坑エリアの凝灰岩より若干風化気味。

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大きな穴の下にはたいていズリも見られます。
ざっと表面を見る限りにおいては、特に銅の二次鉱物や方解石はなかったけど。

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この岩尾根ですが、下部はあれだけヤブが密生しているのに、そこを抜けると別世界となり、とてもすっきりした林間になります。
この岩場地帯はかなり横幅があるので、片っ端から制覇していくとあっという間に時間が過ぎてしまい、全部は見きれませんでした。

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こちらは絵に書いたような露天掘り跡。

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とにかく岩場が途切れません。
ヤブも薄いままです。
これで好みの鉱物が拾えたなら言うことなしなのですが、そう甘くはありませんでした。

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この岩壁には径30cmほどの晶洞が二つありました。
人間が掘ったものです。
ライトで中を照らしてみたけど、特にこの鉱山で採れていたような鉱物や石英などは見られませんでした。
鉱夫さんは何をゲットしたのだろう?

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今回の最高到達地点。
思えば上まで来たもんだ・・・
ここから先は岩場が途切れ、斜度も少し緩やかになっていったのでもう露天掘り跡は現れないものと判断。
もっとも、雪がかなり増えてきたので、これ以上は進めなかったというのが本音ですが。



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自形の胆礬結晶と霰石など [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]


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1月20日、昨年10月7日に初めて入った明治時代の古い坑道へ入ってみました。
場所は間瀬銅山の本坑エリア上部。
非常にわかりにくい場所にあり、今回も見つけるまで20分近く右往左往してしまいました。
昨年10月に入った時は四つん這いにならないと前に進めず、従ってカメラも持たずに空身で侵入したのです。
どうせ20mほどで閉塞しているだろうという思いもあったし。
ところがあに図らんや、坑道はどこまでも続いており、なかなか終わりが見えてきません。
そればかりか、壁面にはところどころ白い霰石がびっしりと付いています。
10数メートル間隔でこのように上層階も採掘されており、圧倒的な岩の芸術美に明治時代の鉱師たちの心意気と感性の高さを感じます。

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60~70mほどで坑道は下り坂となり、この先は水没しています。
前回はここで引き返したわけですが、水没地点の側壁に見事な水色のフローストーンが付いていたので、その写真を撮りたくて今回ここまで再訪しました。
この坑道には霰石も胆礬もあるのだけど、質感から言うと胆礬のような気がします。

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そして、ふと天井を見上げると、ちょっとした窪みに真っ青な鉱物が・・・
手が届かないので、写した画像をピクセル等倍で鑑賞しての感想ですが、どうやらこちらも胆礬のようです。
色合いだけだったら青鉛鉱に似ているのですが。

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一方、こちらは確実に霰石かと思われます。
赤谷鉱山のあれと同じ質感だし、こちらも蛍光現象を示します。
硫酸塩鉱物は蛍光しないので、蛍光するということは炭酸塩鉱物である証。
ただし、70m前後のこの坑道で、このような結晶は3つか4つしか見かけませんでした。
10月に訪れた時はもっとあったと思うんですが、元旦の地震のせいで天板が一部崩れており、その上に乗っかってた岩石が床に落ちていた箇所があったので、もしかしたら埋もれてしまったのかもしれません。

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さて、20日はさらなるサプライズが待ち受けていました。
帰りに同じような大きさの坑口を見つけてしまったのです。

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こちらも大正時代ではなく、明治時代の坑道のようです。
やはり天井が低く、身長180cmの自分では四つん這いにならないと進めません。

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坑内の地質は先の坑口と全く同じで、あちこち白い霰石で覆われています。
この霰石も蛍光するのです。
水色のそれより強めに蛍光します。

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この坑道も予想以上に長く、すでに70~80mは進んできていると思うのですが、終わりが見えません。
しかし、この先15mで崩落しているようです。
這いつくばればその先へ抜けられそうですが、そこまでのリスクは背負いたくないのでここでUターン。

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持ち帰った石3個。
こぶし大サイズのこれは胆礬。

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マクロレンズで撮った画像をトリミングしてみました。
板状の透明な結晶は自形の胆礬。
どの程度珍しいのか珍しくないのか、ぼくにはよくわかりませんが、本来の結晶の形を愛でるのは本能的な快感を覚えます。

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こちらは地面に落ちている奴を拾ったのですが、おそらく霰石でしょう。
こちらもピクセル等倍で見ると、赤谷のそれと同じパターンが認められます。

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こちらが蛍光写真。

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もっときれいな結晶を持ち帰ればよかったのですが、モコモコ度の大きさを優先しました。

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さすがに、汚れている部分は黒いですね。




間瀬銅山本坑エリアの全貌 (5) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨日の記事の坑道では、いくつかの注目すべき鉱物に出会いました。
本坑エリアの全貌シリーズも今回が最終回です。

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万才坑でもよく見られる胆礬です。
あちらほどあちこちにあるわけではありませんでしたが、このような銅の二次鉱物を見るとワクワクします。

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今回は荷物軽量化のため、ハンマーを持っていきませんでした。
なので写真だけなのですが、複数箇所でこのような白い鉱物を見ました。
間瀬銅山のズリや他の坑道の例からすると、水晶か方解石ということになるのですが、どうも質感が微妙に違います。
いろいろ調べましたが、どうやらこれは沸石のようです。
写真のような仏塔状ないしはモコモコした形状の奴が見られたのですが、似たような外観の沸石はソーダ沸石、中沸石、ゴンナルダイトあたりでしょうか。

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こちらは自信がないのですが、おそらく珪孔雀石。

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端っこの方に紫色の部分があったので、そこの部分を拡大してみました。
???ですが。

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坑道の入り口付近にこれと類似の鉱物が多数見られました。
最初は孔雀石かなと思ったのですが、緑簾石かもしれません。

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中にはこのように宝石質?の緑色の結晶もありました。
細い針状の透明な結晶~多分ソーダ沸石系だと思うのですが~が共生しています。

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さすがにサンプルを持ち帰りたかったのですが、ハンマーは持参しなかったため仕方なく地面に転がっている石を1個持ち帰り、マクロレンズで写真を撮ってみました。

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緑色部分の拡大。
緑簾石と沸石の組み合わせだと思うのですが、よくわかりません。
緑簾石もそこそこ透明感があるので、ハイグレードな孔雀石と見分けが付かないくらい。

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この石の後ろには1/4ほど焦げ茶色の脈が入っていたのですが、その部分の拡大です。
間瀬銅山では菱鉄鉱も採れていたので、変質しかかった菱鉄鉱だと思います。
透明な板状の沸石もありました(中央やや上)。
この石はたわしでゴシゴシ水洗いしたのですが、よく生き残ったなあ・・・
この石の中身は鉄がかなりのウェートを占めているようで、比重がずしりと重かったです。




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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (4) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

4月14日の記事で一番最後の写真の坑口を探すべく、間瀬銅山本坑エリア上部へ。
地形が思ったより急峻で、樹木もそれなりに密生しており、発見するのにかなり時間を要しました。

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坑口は絶壁に近い斜度80度ぐらいの大岩壁の途中に開口しており、過去4年間に訪れた中で、最も坑口へたどり着くのに苦戦しました。

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坑口前にスペースはほとんどなく、正面に立てません。

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入ってすぐの光景。
この近くで見つけたもう一つの未知の坑口より広いです。
というか、ここの坑道は万才坑に次ぐほどの規模だったです。

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壁が青白くなっているのは、色温度がちょっと高いフラッシュライトを当てたせい。

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途中から二段構造になりました。
ここは天井が高いので背伸びできますが、それまでは(そしてこの先も)高さが1.5mくらいしかないため、身長182cmのぼくは前かがみになって歩かないといけません。
これが結構ツライ。
そして、30mくらいで終わるだろうと思っていたこの坑道、歩けど歩けど終わりが見えてきません。

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上段部分。

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もう100m以上歩いてきています!
二段どころか、三段構造になっている箇所もあり、さらには下層階の存在が判明。
しかし坑道は左右に分岐することはなく、ひたすら真っ直ぐ前進あるのみ。
上の写真の坑道も、この先右側にゆるくカーブして続いていました。
一応、ここがぼくの最終到達地点になります。

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奥の方の上層階。
二段構造の上層部はずっと連続しているわけではなく、2~3箇所に分断しているようでした。
それにしても、下層階にしろ上層階にしろ、どうやって侵入していたのでしょう?
ハシゴがあればいいのですが、何も坑内には見当たらず。

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結局100~120mくらい歩いたところでUターン。
途中から垣間見えた下層階が、非常に脆そうな構造の上に成り立っていることがわかり、これ以上進むのは危険と判断したからです。
従って、坑道の全長は不明なまま。
もう一つの疑問は、この坑内で採掘した鉱石をどのように鉱山集落まで運んだのか、ということ。
この坑口は80度の絶壁の途中に開口しており、左右からなんとかトラバースできますが、非常に微妙なバランスが要求されるため、何十キロもの鉱石を背負って歩くのはさすがに考えられません。
鉄索があればいいのですが、鉄索の痕跡はありません。
いろんな意味で、なんとも不可解な坑口・・・
間瀬銅山、一般に知られている以上に謎に満ちています。


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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (3) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

14日、五号坑と思われる結構大きな坑口の先に、続いて新たな坑口が右岸に出てきた話を前回書きました。
さて、この日はここからが本番。
前日下山時に、対岸のかなり上の方に坑口が二つあるのを見つけたわけですが、それらの探索に入りました。

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標高差で40mぐらいでしょうか、沢筋を離れ、急斜面をひと登りしたところで目的の坑口を発見。
これは14日の記事の、下から二番目の写真の坑口です。
ちなみに、一番下の写真の坑口はここよりざっと20mくらい上に位置するのですが、今回は見つけることができませんでした。

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驚くべきことに、非常に長い水平坑道が正面に伸び、右下には立坑が待ち構えていました。
小さめな間口からは想像できない、立派な坑道(ただし、高さはない)。

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望遠レンズで捉えた最奥部。
どうやらあそこで閉塞しているようです。
距離はだいたい40m弱でしょうか。

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こちらは右手の立坑内部。
左斜上方向に坑道が続いているように見受けられます。

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坑口を出て、ここからほとんど真上方向にあるはずの別な坑口を求め、斜面をああだこうだと登っていくと、なんとはっきりした踏み跡に遭遇。
ちょっと右側に逸れてしまったし、高度も予定より10mほど登りすぎてしまったので修正しようと思っていたら、立派な踏み跡が出てきました。
まさかこちら側の斜面~それもかなり沢から登っています~に踏み跡が出てくるとは全く予想外だったので逆に興味を惹かれ、あるべきもう一つの坑口探しはまたの機会に譲り、この踏み跡を辿ってみることにしました。

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踏み跡は終始明瞭で、弥彦スカイライン方面に向かって一直線に伸びています。
このまま稜線に突き上げるのかな?そろそろ引き返した方が無難かなと考えあぐねていた時、唐突に踏み跡が途絶えました。
正確に言うと、途絶えた地点からジグザグに方向を変え、やや不明瞭になりながらも踏み跡は続いていたのでそこを辿っていくと、写真の坑口に遭遇。
これが八号坑か!
全く予想外の斜面に坑口はありました。
内部は落ち葉が例によって厚く堆積しており、入れるような高さはなかったです。
明治時代の坑口であり、八号坑に関してはおそらく大正時代まで持たなかったと思われるのですが、かつては大勢の人がこの踏み跡を辿って行き来していたのでしょう。
多宝山周辺の坑口もそうでしたし、直近の例で言えば県北の大沢鉱山もそうだったように、必ず坑口に至る踏み跡が山中に残っているものです。
坑口を探す前に、それらしい踏み跡を見つけることが大切。

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八号坑から半径10m以内に、二つの坑口を見つけました。
といっても、これら二つはグレーゾーンではありますが(坑口でないかもしれない確率40%)。
でも、八号坑がそうであるように、廃坑の入り口には切り取られた大木が斜めに置かれていることが多いです。
この坑口もらしい大木が置かれているので、坑口である可能性大だとは思います。

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これは対岸に見える尾根ですが、本当は八号坑はこの斜面の7~9合目にあるのではないかと思っていました。
なぜなら、郷土史の絵図では八号坑が沢の左岸に描かれているからです。
まだこの対岸尾根で予想した斜面を歩いていないので断定はできないのですが、従って向こう側にも坑口が出てくる可能性は残っています。
いずれ確かめてみたいと思いますが、正面に見えている谷の下の方は何度か歩いたことがあるのだけど、明瞭な踏み跡は見られません。
なので、絵図が間違っていると思うのですが・・・

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帰りは沢には降りず、この踏み跡を辿って下山することにしました。
どこへ通じているか、確かめてみたかったし。
だいたい予想通りのルートで下へ下へと伸びていました。
途中2箇所ほど大きな倒木が道を分断しており、ルートファインディングに迷う場面もあったけど、上の写真のようにうっすらと苔むした道は歩いていてとても快感でした。

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踏み跡は2/3ほど下った辺りで二手に分岐。
ここで尾根筋を離れ、沢方向に向かっている踏み跡をチョイス。
しばらくしたら、新たな坑口がまたまた出てきました。

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こちらも内部は落ち葉の山に埋もれていますが、元は坑道の高さが1.5m以上あったように思われます。
この先、こちらの踏み跡は尾根筋からの踏み跡と合流したのでした。
最終的にスタート地点とさほど離れていない場所へ通じていました。
帰宅してGPSのログを地図(カシミール3D)に落とし込んでみて、改めて分析してみると、本坑エリアの全体像が自分なりに掴めました。
今回の最高到達地点の標高は約340m。
まだまだこの広い谷間一帯には坑口が隠れているものと思います。

※補足
間瀬郷土史の八号坑を記した絵図に、鮫坑に至ると小さく書いてあるんですけど、なるほど昔は鮫ノヒの露頭まで踏み跡が続いていたのかもしれません。





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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

14日、前日に対岸尾根から見つけた坑口2箇所を探しに、いつもとは違うルートでアプローチ。

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深ヶ沢の上流へ行くときにいつも通る鉱山道はパスして、沢を忠実にトレース。
実は中流部から上を遡行したのはこれで2回目。
鉱山道に比べると、やはり歩きにくい。
しかし、このように深山幽谷的風景が連続し、出てくる滝もほとんどは直登可能なので面白いです。

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以前の投稿で五号坑を発見した、という記事を書きましたが、こちらが間瀬郷土史の絵図が語るところの五号坑ですね。
場所的には近いのですが、風格が違いました。
五号坑確定。
河床からやや上がった左岸にあり、ちょっとわかりにくいです。

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坑口は横長となっており、左右にそれぞれ開口部があります。
内部で両者はつながっているのですが、泥や砂、落ち葉の堆積が厚く、無理に侵入してもすぐ進退窮まるでしょう。

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もう一つ、今回新たに沢沿いで坑口を発見。
こちらは五号坑のすぐ上手の右岸で見つけました。

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斜坑気味になっており、潜り込むのがこの辺が精一杯。
これは江戸時代の坑口っぽい。

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右岸に切り立つ大岩壁。
地形図を見ると雨裂記号が4本並んでいますが、その辺り一帯が急峻な岩場となっています。
しかしながら絶壁というわけではなく、ホールドも豊富にあり、ある程度ロッククライミングの経験者でしたらするすると登っていけるでしょう。
これは13日の記録に戻るのですが、この広大な岩場をさまよっていたら偶然坑口を見つけてしまいました。

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13日、対岸で坑口を二つ発見したと書きましたが、それらの坑口を探しに対岸の岩場を探索したわけではなく、位置的にもずっと北の方なのです。
GPSのログを見たら、なんと河床から標高差で60mも上がっていたのでした。
坑口内部は落ち葉の堆積が厚く、奥の方の状況はわかりません。
しかしあくまで堆積しているのは落ち葉なので、丹念に落ち葉を掻き出せば、或いはその奥が見通せるようになるかもしれません。








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天狗の庭に遊ぶ [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨年12月15日の記事の最後の方にアップしている、間瀬銅山の露天掘り跡へ行ってきました。

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これが伝説の深ヶ沢下流部。
間瀬銅山の本山エリアは、江戸時代から大正時代に至るまで、すべてこの深ヶ沢沿いに探鉱が続けられてきました。
露天掘り跡も非常に多く、真川(もしくは宝川)沿いにも多くありますし、坑口もそうですが、数ある露天掘り跡や狸掘り跡も全部カメラに収めたいという思いが強くあります。
一般に知られているのは深ヶ沢左岸のそれだと思うのですが、12月に見つけたそれは右岸の上の方。
5月30日は既に夏場と変わらぬくらい草が生い茂り、見通しは利かなかったけど、なんとか目的の岩場へ到着。

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ところがこの岩場、思っていたより左右に長く、端から端まで60~70mくらいあります。
たまたま最初に到達したのが左端の岩場だったので、崖の直下をトラバースしながら右端まで歩いてみました。
上の写真は左端から10mほどのところにあった大きな露天掘り跡。
圧巻でした。
タイトル通り、天狗の庭を彷彿とさせます。

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地質をチェックしながら右手方向に歩いていきます。

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右端に到着。
右端が昨年12月15日に写した写真の場所。
奥行き4mほどの洞窟になっており、なんと一番奥まったところの壁面に銅の二次鉱物が析出しているではありませんか。

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胆礬だと思うのですが、この左側の壁面にも水色の二次鉱物が見られました。

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天井はかなり高く、脚立でも使わないとこのあたりは手が届きません。
よくぞ掘ったり!
天狗なんだから、驚くほどのことではないかもしれませんが。

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その下に方解石の群晶。
こちらはあの坑道内で見られるマンガン方解石とは違って、色もクリーム色だし、マンガンは含んでいないようです。
間瀬銅山やその周辺の海岸では、ぼくの経験からすると、方解石は3種類あると思っています。
白い奴でマンガンを含むものと含まないもの(蛍光色が違ってきます)、クリーム色ないしは飴色の奴でマンガンは含まないもの。
ちなみに、この辺の露天掘り跡ではわずかながら乾ききった(要は風化の進んだ)水晶や石英も見られました。
白系の色ばかりで、憧れの紫はなかったけれど。

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見上げると、夏の太陽が・・・
暑い・・・
しかしシアワセ。

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岩壁の下に小さな露天掘り跡。
帰りは沢の左岸の岩場を調べながら下っていったのですが、上の写真とは異なるまた新たな露天掘り跡を発見。
旧鉱山道が深ヶ沢を渡るところの左岸上部に大きな露天掘り跡がありますが、そこよりやや下手上部。
本当にあちこちにありますね。

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そこには坑口らしき穴もありました。
露天掘りもしくは大きめの狸掘り跡の穴が土砂に埋もれたものかもしれませんが。

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その背後の岩壁に、これもかなり大きな露天掘り跡が出現。
横幅5~6mはあるでしょう。

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直下は険しい崖。
どうやって降りよう・・・







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間瀬銅山万才坑についての新考察 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨年12月15日の記事で『間瀬銅山の鉱脈につきての観察大略』という文献を取り上げました。
思い切り文語調で書かれているので読むのには根気がいるのだけど、間瀬郷土資料より学術的な視点から書かれており、改めて読み直してみると新たな発見が幾つもありました。
昨年来、間瀬銅山で最大の出鉱量をみたという大正4年発見の万才坑を探しているのですが、どうやら見当違いのところを探していたようでした。
結論から言うと、ぼくが八号坑口ではないかと考えてきた坑口こそ万才坑だったのです。
その根拠を列挙します。

*間瀬郷土史(岩室村史も内容は同一)における鉱山略図(p92)を見ると、大平山の位置が間瀬銅山事務所の横に描かれており、場所が全く違う。同様に各鉱山坑道略図(p93)、間瀬銅山の絵図も大平山の位置がおかしく、著者の今井義雄の記憶があいまいだったか、記憶違いであった可能性がある。
p93の絵図は、他の鉱区のそれも山の位置が微妙におかしい。

*これらの資料は今井義雄氏が直接書いたわけではなく、ライターが今井氏から聞き取ったものを文章にしたもの。つまりここでワンクッション入るので、情報の正確さが損なわれることも影響しているだろう。

*大正4年、当時の経営者だった白瀬氏が佐渡より優秀な技師を連れてきて、最新の方法で鉱脈を探して発見した。その場所は大平山上部。坑口より約100m掘り進んだところで新鉱脈を掘り当てた。ちょうど大正天皇即位式当時だったから万才坑と名付けた、というのが今井氏の語る概略。
ここで注目すべきは、100m掘り進んだところで富鉱体に出会ったという下り。
ぼくが八号坑と思いこんでいた坑口は、最初80~100mほど坑道が直進する。そして100mほど進んだところで枝分かれし、それ以降蜂の巣状に坑道が分岐する。よって、坑道の特徴が一致する。

*八号坑と思いこんでいた坑口近くの岩場に、大三という文字が刻まれている。これは大正三年を意味するのではないか。大正4年に発見されたというが、実際に発見されたのは大正3年であり、翌年から本格的に採掘活動が始まったのではないだろうか。

以上です。
次に『間瀬銅山の鉱脈につきての観察大略』を読んで思い至った点を列挙します。
なお、この資料を昨年12月にブログで紹介した時点では書かれた年代がわからなかったのですが、1901年(明治34年)に発行された文献であることがわかりました。
なので、この文献には万才坑のことはもちろん出てきません。

*間瀬銅山に関して、明治34年の時点で一号坑から八号坑まで、既に開発されていたことが明らかになっている。この文書には16個の鉱脈が取り上げられているが、鉱脈によっては露天掘りで済ませたものもあるだろうし、坑口が16個あるということではない。
鉱脈名と坑口名が一致するのは八号坑だけで、あとの鉱脈は間瀬郷土史における坑口名と名称は一致しない。
それらを踏まえてぼくが今まで深ヶ沢左岸で見つけてきた坑口の数をカウントすると、まだ1~2個足りない。
考えられるのは、鮫銅山との分水嶺近くにあったという八号坑が未発見である可能性。
今まで八号坑だと思いこんできた坑口が万才坑だとすると、万才坑から上、沢は3つに分岐するが、既にそのうちの2つは標高差にして60~70mほど沢沿いに歩いている。
今後は再びそれらの沢をさらに上まで登り、坑口があるかどうか調べてみたい。

*この資料には鮫銅山と鉢前銅山についてかなり詳しく書いてある。
鮫銅山に関しては2つ鉱脈があり、それぞれ鮫ノ沢と滝壺の沢に露頭があるとのこと。
これに関してはつい先日、鮫銅山探検へ行ってきたので、章を改めて述べてみたい。

*明治34年に発行されたこの文献にも、紫水晶と菱鉄鉱が少量ではあるが間瀬で採れたことが書いてある。
つまり大正4年に発見された万才坑ではなく、それらは一号坑から八号坑で採掘されたものであろう。
これらの坑口は全て深ヶ沢左岸に位置しているので、やはり左岸に連続している露天掘り跡を改めて調べてみるのも面白いかもしれない(ぼくも含め、ほとんどの人は紫水晶にあこがれているだろうから)。

*黄銅鉱や黄鉄鉱の脈石は方解石であることが明記されている。例外は鉢前の脂樋(樋はヒ、鉱脈の意)。こちらは石英が脈石。この場所は大体わかっているので、石英好きな身としては改めて鉢前(=八前)鉱山を調査してみたいと思っている。

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万才坑を探して [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

間瀬銅山に関して、詳しく言及している資料(学者の論文も含め)はほとんどありません。
郷土資料の記述が全て。
過去何度か当ブログで書いているので詳しくは書きませんが、大正4年に発見された万才坑が間瀬銅山の歴史において最大の採掘量を誇ったと郷土史にあります。
場所については地図はなく、大平山上部というのが唯一の手がかり。
大平山は結局大平園地のあるピークだと突き止め、一昨年から何度か虱潰しにこれはと思う地形を歩き回ってきました。

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イエローのラインが今回(29日)歩いた部分です。
数十メートル途切れてはいるんですが、その右の登山道は昨年弥彦スカイライン側から往復しました。
ピンクで囲んだエリアが坑口が控えているのでは?と予想している場所で、今日の結果を踏まえて言うと、一番上のエリアの可能性は消滅。
その下のピンクのエリアも可能性は限りなくゼロに近い。
あるとすれば明神沢立坑の東、尾根一つ隔てた谷の沢筋あたりが怪しいと思います。
明神沢立坑が一つだけ独立してあるのは何とも解せず、地中で他のもっと大きな坑口とつながっていると考えるのが自然。
その大きな坑口こそ万才坑ではないかと。
今度弥彦スカイラインが開通したら、一番下のピンクのエリアを探索してみるつもりです。
明神沢立坑の近くに旧道の分岐があるとの記述をどなたかのブログで読みましたので、今は廃道となっている旧道こそ、万才坑のために作られた道ではないかと想像したり。
ところで、なぜ今回このルートを歩こうと思ったかと言うと、月産30tの産出をみたというほどの坑道であれば、そこに至る踏み跡が残っているはず。
イエローのラインの尾根筋に明瞭な踏み跡が残っていることに昨年気づきました。
A沢の分岐から上の方の沢沿いは既に探索済みなので、今回は分岐から下の方の沢沿いに坑口があるのではないか、となるとこの尾根道から坑口に至る踏み跡が分岐しているのではないかと考えを巡らせ、沢の分岐点のやや上~標高420m付近~まで歩いてみました。
そのまま弥彦スカイラインに出て田ノ浦コースで下山してもよかったけど、1年で最も見通しが効くこの時期を有効利用したく、帰りも同じルートを下りながら左右の地形をつぶさに観察しながら歩いたのです。
途中からA沢に降り、沢沿いに踏み跡がないかもチェック。
踏み跡がなければA沢の上流に坑口が控えている可能性はなくなりますから。

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下降地点から20m上流のゴルジュ帯。
すぐに小滝が連続する地形となり、この先から踏み跡は完全に消えました。

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左にカーブするとすぐこの滝が行く手を塞ぎ、ここでUターン。
沢靴を履いていれば直登できますが。
この沢の源頭部は地図を見てもらうとわかるように、昨年遡行しています。
傾斜はそこそこ急でしたが、ザイルを使うような場所はなかったので、おそらくこの沢は通しで難なく遡行できるでしょう。
中級者レベルから多分OK。
快適な沢歩きができるものと思われます。

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正面右のピークが大平園地(大平山)。
痩せ尾根に付いている踏み跡は明瞭で、地形図をみてもらうとわかるように斜度はほぼ一定です。
最初の7~8分は視界があまり良くないですが、標高200mの辺りから視界が開け、その後はそこそこ広い視界を保ったまま歩けます。
ヤブが深いところもなく、鎖場もありません。
はっきり言って、このルートを利用する人がいないのは弥彦山七不思議の一つ。
田ノ浦コースと合わせて周遊コースとして利用するといいのでは?
唯一の難点は、コースの入口がわかりにくいこと。
田ノ浦側からもそうですし、スカイライン側から下山ルートして利用する場合もコースの入口に標識はないため地図読みが必要です。
田ノ浦側から登る場合の注意点を述べます。

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写真には写っていませんが、すぐ左手に「登山口->」大きく書かれた看板が立っています。
その前に登山道を挟んでこんな倒木が横たわっていますからここが目印。
東側20m先に沢が流れており、写真にはかすかにしか写っていませんが堰堤があります。
この堰堤は階段が設けられているので、階段を利用して河床に降り、沢を横断します。
すぐ目の前に尾根の末端が見えてくるので、そこまで踏み跡は一時的に不明瞭になるのですが痩せ尾根の真ん中を登っていきます。
2~3分も歩けば踏み跡は明瞭になり、普通の登山道と同一レベルになるので、あとは無心に登るだけ。
途中枝道もなく、迷うことはないでしょう。
ちなみに、なにげにこのルートは下から上まで(上と言っても引き返した地点までですが)山野草があちこちで咲き乱れており、疲れが吹き飛びました。
歩く人がほぼ皆無なので、踏み跡ギリギリまでお花畑が続いているのです。
山野草ファンにもオススメしたい穴場ルートです。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは4月4日の記事参照。



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