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間瀬銅山最終章 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

今年1月31日、間瀬銅山本坑エリアで未踏波のエリアをガッツリ探索してきた時、未知の坑口を2~3個発見しました。
それらのうち、かなり上の方に位置する、より大きい方の坑口は是非とも雪が溶けたら真っ先に訪れたいと思っていたので、3月25日、満を持して現地を訪れました。

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これは1月31日に写したものですが、中央の縦長の洞窟が目指す坑口になります。
その周辺にも2つか3つ、小さい坑口がありそうです。

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かなり登らないといけないので結構疲れましたが、かすかに踏み跡が残っていたせいもあり、なんとか見つけることができました。
想像通り、なかなか風格があります。
さて、どこまで入っていけるのか。

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入口はやたら天井が高かったけど、すぐに四つん這いにならないと進めない高さになりました。
しかも、3m先に立坑が待ち構えているっぽい・・・

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やはり立坑が控えていました。
この先の坑道へは進めません。
当時はおそらく何らかの道具を使っていたことでしょう、丸太梯子とか。

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足場が非常に悪いので、手だけ伸ばしてカメラのレンズを適当に下に向け、立坑を写してみました。
あの青い脈は胆礬だと思われます。
下まで5mくらいあるでしょうか。
ザイルを使って懸垂下降すれば降りられますが、とにかく幅が狭いので苦労しそうです。

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早々に洞窟を出て、周辺を探索。
すぐに坑口を2つ見つけることができました。
最初の写真で、雪渓がある辺りに坑口が隠れていました。
こちらは立坑でした。
ほとんど埋没しかかっています。

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もう一つの坑口。
こちらは水平坑道だけど、自然閉塞。
今回の坑口は一応本坑エリアに属するのだけど、かなり標高があり、明治時代半ばに書かれた文献には記載がありません。
江戸時代のものか、或いは明治時代前半のものか・・・

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弥彦山の日本海側斜面も、先日のラスト寒波で真っ白になり、つい最近雪が溶けたばかり。
ゆえに見通しがいいので、深ヶ沢沿いに連続する露天掘り跡をじっくり観察することができました。
こちらは左岸。

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こちらは右岸。
露天掘り跡は本当にたくさんあり、これらはほんの一部に過ぎません。
坑口らしき暗い穴もいくつか写っていますが、すべて露天掘り跡か狸掘り跡。
帰りに左岸で一番大きな露天掘り跡に立ち寄り、坑口のように見える穴へ数年ぶりに入ってみました。
露天掘り跡上部へ行くのは、坑口へ潜り込むのより下手するとスリリング。
結構肝を冷やす場面も。
それにしても、露天掘り跡の壁面には本当に何も残っていませんね。
タイムマシンに乗って当時の採掘現場を訪れ、鉱夫さんたちがどのような鉱物を切り出していたのか、この目で確かめてみたいものです。

まとめ:本坑エリアでの坑口発見数=約19個
露天掘り跡の数=10ヶ所以上




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今、村上が熱い [旧市街 (村上市)]

村上市の早春の風物詩「町屋の人形さま巡り」を見てきました。
2年ぶりくらいだったけど、やっぱりいいですね。
天気は時折雪雲が通過し、風が強まったりもしましたが、全く苦になりませんでした。
毎回そうなのですが、今回も行き当たりばったりで気の向くまま、足の向くままに旧市街を歩き回りました。

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江戸時代の人形たちもたくさんあり、やはり江戸期のものは魂が入っているというか、独特の存在感があります。

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梅もあちこちでほころんでいました。
確実に春のカウントダウンは始まっています。

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”書”の素晴らしさに、目が釘付けとなりました。
やはりこのお店は欠かせません。

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旧味方村の笹川邸にもこれと同じ作りの階段(専門用語でなんて言いましたっけ?)がありました。

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このランプの明かり、優しいんです。

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日曜は休みでした。
入ってみたい誘惑に駆られる素敵なお店が何軒もありました。

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こちらはなんと民泊ができるようです。

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大きな料亭はたいてい似たような作りをしていますが(新潟市内にもあります)、このような大きな木造家屋、個人的に大変惹かれます。
生まれ故郷の新発田市にはもうほとんど残っていませんが、古写真を見るたびにため息が出ます。
旧市街の凋落ぶりは、下越では間違いなく新発田市がトップに君臨するでしょう。

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今日のポトレ大賞笑

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こちらは鍛冶屋さんの作業場。
昔はなんとも思わなかったけど、ウィッチャー3の影響かw、近年鍛冶屋への興味が急上昇したこともあって、ご主人からいろいろと話しを聞きました。

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このあと、ふとした偶然で写真展を見てみたのですが、これがすごく良かった!
会場は大正時代に建てられた町家の1階と2階。
Sさんからいろいろ説明を受けながら見たのだけど、共通の知人が何人もいました。
みなさん好青年、写真にも人柄が現れています。
4月3日まで開催中。







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露天掘り跡を渡り歩く [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

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間瀬銅山(新潟県)には特に共同墓地のようなものはないのですが、それでも山中に数ヶ所、人知れずこのような墓碑が立っています。
こちらは裏面なのですが、明治32年、天命45才と刻まれています。
このお墓の背後にかすかな踏み跡が残っており、その近くにも別な踏み跡が残っているのですが、どちらも途中から壮絶なヤブとなり、完全にトレースしたことはありません。
しかしながらおととしだったか、かなり上の方でそこそこ大きな露天掘り跡を見つけたことがあります。
今回はそこからさらに尾根の上部を目指しました。

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この斜面は宝川右岸側に位置しており、いろいろな文献を当たってみましたが、こちら側に坑口があったという確証は得られませんでした。
今回想定していたよりずっと上の方まで登ったのですが、下からは見えないもののひたすら岩稜地帯が続いており、ある程度大きな岩場にはことごとく露天掘り跡ないしは狸掘り跡が認められました。

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一見立派な坑口に見えますが、どれも奥行き2~3mしかなく、露天掘りの延長線上といった感じです。

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岩は全て凝灰岩で、本坑エリアの凝灰岩より若干風化気味。

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大きな穴の下にはたいていズリも見られます。
ざっと表面を見る限りにおいては、特に銅の二次鉱物や方解石はなかったけど。

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この岩尾根ですが、下部はあれだけヤブが密生しているのに、そこを抜けると別世界となり、とてもすっきりした林間になります。
この岩場地帯はかなり横幅があるので、片っ端から制覇していくとあっという間に時間が過ぎてしまい、全部は見きれませんでした。

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こちらは絵に書いたような露天掘り跡。

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とにかく岩場が途切れません。
ヤブも薄いままです。
これで好みの鉱物が拾えたなら言うことなしなのですが、そう甘くはありませんでした。

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この岩壁には径30cmほどの晶洞が二つありました。
人間が掘ったものです。
ライトで中を照らしてみたけど、特にこの鉱山で採れていたような鉱物や石英などは見られませんでした。
鉱夫さんは何をゲットしたのだろう?

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今回の最高到達地点。
思えば上まで来たもんだ・・・
ここから先は岩場が途切れ、斜度も少し緩やかになっていったのでもう露天掘り跡は現れないものと判断。
もっとも、雪がかなり増えてきたので、これ以上は進めなかったというのが本音ですが。



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深戸鉱山・一番下の坑口 [鉱物 (阿賀町・深戸鉱山)]

おそらく深戸鉱山で最も初期に開発されたであろうと思われる坑口を発見しました。

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その坑口は扇型に拡がった斜面の上部にあり、斜面の入り口には石垣がありました。

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そして、鉄製の鉱山遺構を発見。

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トロッコのレールか何かでしょうか。
この上にあった坑口から、トロッコでこの平坦な斜面に鉱石を運んでいたのかな?

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そこから少し上にはこれがありました。
坑口の出現は近い・・・

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これが坑口です。
完全に埋没していますが、このすぐ左横にもらしい地形があり、本来はかなり大きかったかもしれません。

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坑口直下の斜面には、ワイヤーが転がっていました。

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この坑口周辺のズリで見かけた石英。
若干緑がかっています。

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同じくその場所で針水晶。
アップで撮っているので大きく見えますが、実際は本当に小さいです。
この山はこのような産状の水晶が目立ちます。





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深戸鉱山・昭和の坑口 [鉱物 (阿賀町・深戸鉱山)]

大正時代のものと思われる(特に根拠はありませんが)二つの坑口からやや離れた場所に、一回り大きな坑口が控えていました。
見つけた時はちょっと感動。

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坑口を入ってすぐ右側に、銅の二次鉱物が露出していました。
胆礬だったと思います。

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なんと、この坑道にはトロッコが走っていたようで、枕木が敷かれていました。

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ここには写っていませんが、金属製のレールが残存しているところもありました。
この規格の坑道は多分昭和のものでしょう。

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どのくらい歩いただろう?
50m前後だと思うのですが、その先は落盤で進めませんでした。

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途中、立坑が左側に顔を覗かせていたり・・・(ここにはレールが写っています)。

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大きな立坑です。
これは深い・・・
坑木もレールも浮いているので、ぎりぎりまで接近できません。
両腕を伸ばして撮っています。

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こちらはレンズを真上に向けて写しています。
ところどころ、上の方も採掘されていました。

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こちらは中間地点の辺り。
この坑道内で、最も侘び寂びを感じた場所。

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こんなに大きな立坑があるならば、どこかに出口があるかもと思い、ごくごく狭い谷地形を下っていったら坑口が現れました。
ほとんど塞がっていますが、標高差にして約20m、さっきの立坑に繋がっている可能性は十分にあります。
今となっては確かめようもないけど。

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この鉱山はかなり広範囲にズリ、ないしはズリっぽいガレ場が見られ、このようなミリ単位の水晶が一定の割合で見られました。
これと同じ産状は、草倉銅山の上部でもよく見かけます。




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深戸鉱山・大正時代の坑口 [鉱物 (阿賀町・深戸鉱山)]

かれこれ4回目の探索になるけど、ようやく深戸鉱山の坑口を探し当てることができました。
「本邦鉱業の趨勢」(昭和11年)によると、大正6年12月、鉱業権者の宮川謙が試掘権を設定。
昭和5年11月、㈱深戸鉱山が権利を譲り受け現在に至る、とあります。
昭和5年当時の鉱夫の数が23名。
昭和11年度の産出量は34tで、銅の品位は10~30%。
その後はいくつかの変遷を経て、昭和26年最終鉱業権者の㈱只見鉱業へ引き継がれたのですが、いつ閉山したのかは不明。
尚、新潟県地質図説明書(昭和30年)によると、昭和28年の従業員数は44名、生産量は銅の精鉱205tとあります。

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道中、クマ捕獲の檻を二つ見かけました。

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かなり上の方で石組みを発見。
溶鉱炉でもあったのかな?

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そして、こじんまりとした広場にお決まりの一升瓶発見。
ということは、坑口は近い?

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やっぱり近くに坑口が控えていました。
10m間隔で二つの坑口が並んでおり、こちらは右の方の坑口。

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全長15~20mでしょうか。

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続いて、左側の坑口に入ります。

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こちらの方がやや天井が高い・・・

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途中、立坑が控えていました。

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立坑内部。

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そして閉塞。
全長20~25mといったところでしょうか。
どちらの坑道も赤鉄鉱と石英の脈があちこちに析出していました。





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鷺沢鉱山跡を訪ねて [鉱物 (村上市・鷺沢鉱山)]

昭和27年2月に発行された「新潟県鉱業の趨勢」において、新潟県下金属鉱山一覧に名前を連ねているものの、登録番号と鉱業権者の欄がブランクになっていたりと、全く無名になっている鉱山を探検してきました。
これはぼくの想像ですが、昭和17年頃稼行開始、第二次大戦終了の前後に閉山したのでは?と思っています。
そのような経緯を辿った、他の多くの零細鉱山と同じ様に。

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一番下の坑口。
内部は10~15cmほど滞水しています。

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一番上の坑口。
こちらは15~20cmほど滞水しているでしょうか。
どちらも中には入っておりません。

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それらの中間部に露天掘り跡がありました。

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近くに平らなテラス状の広場があり、そこにこれがありました。
鉱山稼働時を彷彿とさせる遺構。
坑口を見つけた時以上にうれしかったです。

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ズリには多数のモリブデン(輝水鉛鉱)鉱石が散らばっていたので、それらを集めて記念撮影。

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鉱床は斑状黒雲母花崗岩に胚胎します。
前を流れる沢も、斑状黒雲母花崗岩ないしはアプライト質花崗岩のオンパレード。
しかし、ズリ以外ではざっと見た感じ、銀色に渋く光る輝水鉛鉱は見つけられませんでした。

※2024/02/16追記:
沿革が少しわかりましたので補足します。
昭和17~20年に探鉱。
昭和28年、㈱日本無機化学工業により稼行。





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50年ぶりに白沢鉱山を訪れる [鉱物 (村上市・白沢鉱山)]

新潟県地質図(1955)に記載があるものの、他には一切文献に出てこない白沢鉱山を探索してきました。

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狭い林道沿いには何軒か小屋がかろうじて立っているのですが、全て廃屋ばかりでした。
休耕田の跡も認められ、昔はかなり山奥で人々の生活が営まれていたことが想像されます。

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ここは、今回探索した沢の最上部に位置する滝ですが、ここから先には坑口はなさそうでした。

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銅の二次鉱物が認められます。
近隣には主として銅を採掘していた高倉鉱山がありますが、ここでも銅を採っていたのかもしれません。
1970年代に行われた調査では地元民にも聞き込みがなされているのですが、この鉱山の存在を知る人はいなかったそうです。
そんな超マイナーな鉱山ですから、もちろん産出量などを示すデータはあろうはずもなく。

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滞水している坑道がほとんどでしたが、ここは滞水地帯の先にも坑道が伸びていました。

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こちらは立坑。
土砂の流入で空間が狭まっており、侵入は無理。

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一見疎水坑と思いきや、ライトで内部を照らしてみるとかなり広い空間が拡がっていました。
ほぼ水没しているので侵入は不可能。

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下山時、沢の転石で珍しく純白の石英を見つけたので割ってみたら、中からキラリと光る鉱物が。
黄銅鉱と輝水鉛鉱でしょうか。
輝水鉛鉱(=モリブデン)は、葡萄山地に点在している多く鉱山共通の産出鉱物です。








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鉱山野郎の宴の跡 [鉱物 (村上市・能化山鉱山)]

世の中の絶滅危惧種に”山師”や”鉱山野郎”という人種がいます。
最近、彼らのDNAを引き継ぐ若手の学者と知り合いましたが、期を同じくして東北の鉱山野郎とぼくが勝手に思っているKさんから連絡があり、新しくHPを作ったという報告をもらいました。

https://stampmichi.sakura.ne.jp/kouzanyougo.htm

早速見てみると、いや、これは素晴らしい!
ますます”鉱山愛”が深まりました。
ぼくも鉱山野郎の末席に名を連ねたくなってきました。

さて、前回の続きです。

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入ってすぐ、3本の坑道が枝分かれしている広場に出たのですが、そこに釣り用のスピニングリールが2個と釣り竿が転がっていました。
ぼくも小学5年生の頃から海釣りを始めたので、リールの年代はだいたいわかります。
これは昭和40年代のものではないでしょうか。
日本海が近いとはいえ、歩けば40分はかかるし、だいたいなぜこの洞窟に釣り竿を持ち込まなければならなかったのか?
釣った魚を道具と一緒にそのまま持ち込み、酒宴を開いたとしか思えません。

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その近くには多くの酒瓶が転がっていました。
お世辞にもマナーがいいとは言えません。
しかも、この坑道は意外と長く、枝坑道も多数あるのですが、あっちこっちでこのような酒瓶が転がっておりました。
でも、なんかユーモラスと言うか、ネガティブな感じはそれほど受けなかったです。
単に性格が豪快なだけだったのかもしれない。

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鉱山の遺構も幾つか見られました。
こちらは丸太ハシゴ。

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一部石英脈が露出しており、よく目を凝らすと微量のモリブデンとタングステンが見られました。

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とある枝坑道の先に光る眼が・・・
帰宅してから写した写真をフォトショで思い切り明るくしてみたら、この動物がハクビシンであることがわかりました。
新発田の三光石鉱山のホールにもハクビシンの大家族が暮らしているのを見たことがありますが、彼らの繁殖力は強いようです。

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どの枝坑道も道幅は結構あるのですが、少し進むとこのように土砂の流入と自然崩落によって高さが低くなっていました。
そして、ここにも謎の酒瓶が2本。

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主坑道と思われる坑道を行くと、天井の高さが3mはありそうな空間に出ました。
これはすごい・・・

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どのくらい進んだでしょうか。
行く手を水深20~30cmくらいの滞水が阻んでいます。
その先の小山の向こうに視線をやると、なんとなく広い空間が拡がっていそうな気配。

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結構水温はぬるかったので、思い切って正面突破しました。
小山を超えると期待していたホールはなく、さらに坑道が伸びており、再び途中から滞水しているのでした。
今度は水が濁っているので正確な水深はわかりませんが、かなり深そうなのでここで撤退。

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あちこちで水没しかけた坑道を見かけました。
主坑道の奥に出てきたそれ以外は水が澄んでいて、夏になったらシュノーケリングしたいぐらい。
当時からこんなきれいな水が坑内で得られていたのなら、坑内で魚を焼いたり、ちょっとしたツマミを調理したりしていたかもしれません。
酒瓶の数から想像するに、ここで頻繁に酒宴が繰り広げられていたことは確かなようです。






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能化山鉱山の本丸へ [鉱物 (村上市・能化山鉱山)]

ある専門家の方の助言を受けて、再び能化山鉱山(村上市)へ足を運びました。
これから紹介する坑口群は間違いなく能化山鉱山に属するものであることは明らか。
しかし、引き続きぼくが1月15日の記事に書いた坑口は共立鉱山のものなのか、それとも能化山鉱山の一部なのかは不明。
新たな文献が見つからない限り、永遠の謎となるでしょう(大袈裟か)。

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この滝の高巻きは厳しかったです。
この後、もう一つ高巻く必要のある滝が現れたけど、それは難なくパス。
しかし予想以上に本格的なゴルジュ地帯が続き、緊張の強いられる場面もありました。

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いつものことですが、初めて坑口を発見した時は飛び上がりたくなるほど嬉しいものです。
今回も心の中でガッツポーズ。

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20~30cmほど滞水しているでしょうか。
でも、その先はそれほど水深はないようで、坑道はかなり長そうです。
冬でなければ入っていきたいところですが、さすがに自重。

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別な坑口内部。
こちらも入ってすぐ滞水していますが、その先は大丈夫そうです。

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別な坑口。
扇形に拡がる大斜面の下から順に坑口を探していきます。
下から見ると、坑口のありそうな地形がわかります。
おおむね予想した場所に坑口が現れるので、探検冥利に尽きるというか、嬉しいものです。

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上の坑口内部。
上部の坑口は滞水があまり見られなくなりましたが、それなりに崩落しており、なかなか奥へ進めません。
しかし、最後に現れた坑口でサプライズが待っていました(続く)。

Special thanks to Y san.






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