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水谷銀山、再び [鉱物 (新発田市・水谷銀山)]

3月7日に引き続き、4月16日、新発田市の水谷銀山へ行ってきました。
明治時代に栄えた鉱山で、往時には200人もの坑夫が働いており、郵便局、分教場、長屋などがそこにあったそうです。
前回は全体の地形を把握するための調査だったので坑口はひとつも見つけることができませんでしたが、おおよその位置がわかったので、今回は坑口を見つけること、集落跡のどこかにあるはずの山の神の祠を見つけることを目的に訪れました。

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3月7日の記事でも地図を載せましたが、そこにピンクの線で丸を付けた所がありますが、そこが坑口があるに違いないと予想した場所。
また、その地図で黄色の線で囲った所が上の地図で左側、南に伸びる破線で示されている小道の先にある岩場。
まずはその小沢沿いに伸びている小道というか、旧道を歩いてみました。

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ところが、沢の入口の部分から踏み跡が全く残っていません。
いや、水谷林道からの分岐点がそもそも残っていないのです。
100mほど遡行したら薄い踏み跡が現れましたが、それも跡切れ跡切れです。
その踏み跡は右岸に付いているのですが、傾斜が一段増したところで再び途切れ、そこで引き返しました。
上の写真は、Uターン地点で写した沢の様子。
ニノックス方面に通じているこの小道、ひょっとしたら鉱山道かなと思ったのですが、そうではなかったようで・・・

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水谷沢へ引き返し、集落があったであろう林の中を散策。
この辺に何か温かいものを感じました。
ここに長屋があったのかな?

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そして、いきなり現れました。
地図でいうところの坑口Aです。
意外や、平坦な河原に面して支保坑木が立っていました。

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上から見下ろす坑口。

IMG_2133.JPG

坑口内部です。
入り口から水没しており、先へは進めません。
水深はかなりありそうで、1m先では水深80cm以上に達している様子。

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このように、支保坑木の遺構が残っているのは珍しいです。
明治時代のそれですから。
今回の、一番の発見でした。
個人的には新発田市有形文化財に指定したいぐらい。
あとでわかったのですが、林道から山の神方面へ向かってはっきりした小道が残っているのです。
この坑口Aはその小道から30~40mほど西にあり、併せて訪れるといいでしょう。
このような貴重な鉱山遺構を、ヤブに埋もれたままにしておくのは実にもったいない。

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そして、これが山の神の祠。
なんのことはない、林道から南に伸びている踏み跡の終点がこの祠でした。
踏み跡はここで途切れ、この先は何もありません。

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そして、前回の地図でピンクの丸印を付けたところへ。
小さな谷間なのですが、こちらはこの日最初に訪れた沢とは違い、ヤブが非常に薄く、視界が良好です。
そして、小沢の転石を見ると石英(珪石)が多く見られるようになりました。
同じ新発田市の千石鉱山と同じパターンです。
その時点で、この先に坑口があることを確信。
そして、間もなくこの坑口が現れました(地図では坑口Bと記載)。

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やはりこちらも入り口から水没しているのですが、奥行きは少なくとも15~20mはありそうでした。
水深は50cmくらい?
天井が低いので入っていく気にはなれませんでしたが、突き当りで終わりではなく、多分その先でも左右どちらかに坑道は延びているものと思われます。

IMG_2158.JPG

坑口を出ると、右側急斜面の先に露天掘り跡と思わしき地形を発見。
水谷林道終点から300m先の右岸にあると某HPに書かれている上谷坑は訪れていないけど、これで水谷銀山の概要は掴んだので満足です。





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