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日ノ出鉱山 [鉱物 (阿賀町・日ノ出鉱山)]

日之出鉱山が最初に文献に出てくるのは大正5年のこと。
本邦鉱業の趨勢(大正5)に、7月操業に着手し、もっぱら探鉱中である、書いてあります。
しかし、昭和27年に出された「新潟県鉱業の趨勢」には名前が載っておりません。
従っていつ頃閉山したのか定かではありませんが、昭和初期までは少なくとも稼業していたように思います。
大正5年の資料によると、鉱業権者は五泉の実業家である小出淳太氏。
氏は持倉鉱山を発展させた功労者としても知られています。
なので、それなりに資金が投入されたとは思いますが、隣接する日出谷鉱山同様、戦後までは持たなかったようです。
ちなみに、新潟県鉱業の趨勢(1952)に載っている、日出谷村の旧廃止金属鉱山一覧を挙げておきましょう。
日豊水鉛鉱山、当麻鉱山、大日ビール鉱山、日出谷鉱山(湯本氏の方)、日出谷鉱山(日新鉱業株式会社の方)。
他に、この時点でまだ稼業していた鉱山として、マンガンを採掘していた大豊鉱山があります。
このように、正確な沿革はよくわかっていない日ノ出鉱山ですが、坑口が控えているらしい場所を特定できたので探索してみました(調査日:4月13日)。

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標高はそれほどでもないのに、深山幽谷にいるかのような、ある意味牧歌的な風景がそこに拡がっていました。
ひと目で気に入りました。

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おそらくこの坑口は川前坑だと思うのですが、なんとトロッコが走っていたようで枕木の跡が残っていました。

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この鉱山の地質ですが、古生層及び第三紀層からなるそうです。
前者は粘板岩を母岩とし、後者は頁岩、砂岩、片岩、凝灰岩から成る。
この坑道に関しては頁岩が目立ったように思います。

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引立。
坑道の終点のことを引立(ひったて)と言います。
まだ掘り進んでいる坑道の場合には切羽(きりは)と呼びます。

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坑口の真上、標高差で7~8m上の斜面に小さな坑口がありました。
中を覗いてみると立坑でした。
さっきの坑道のどこかに繋がっているんでしょうね。

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最初の滝を越えてさらに遡行すると、鉄の構造物が河原に散乱していました。

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周囲を見渡すと、古い落石防止柵がずっと上の方まで続いています。
それの一部が崩れ落ちていたのです。
昭和20年代の建造物と判断しました。
尚、ここから標高差で150~200m上の尾根に深谷坑(=真弓坑)があるはずなのですが、今よりさらに傾斜が増すので沢沿いの遡行は不可能でしょう。
痩せ尾根にトレース可能な鉱山道が残っていない限り、そこへたどり着ける可能性はゼロに等しいと思います。

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灰鉄輝石です。
黄銅鉱と硫化鉄鉱を採掘していた鉱山ですが、随伴鉱物として灰鉄輝石、珪灰鉄鉱、柘榴石、方解石、石英の名が挙がっています。

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下越の他の地方では見たことのない、独特の質感の水晶。

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このような針水晶は普通に見られました。
ただし、サイズは小さいものばかりでしたが。









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