2024年葡萄鉱山の今 (4) [鉱物 (村上市・葡萄鉱山)]
念願の巻ノ沢第3坑を発見しました。
これはその近くの斜面。
そして、最も標高の高い場所に開口していたと思われる第3坑を発見。
ここは竪坑を封鎖した跡だと思いますが、定かではありません。
坑内の特定の場所で、このような羽毛状の白い鉱物?を見かけました。
あとで専門家の方に写真を見せたら、硫酸塩鉱物の一種であるエプソマイトと思われると指摘されました。
化学的には硫酸マグネシウムと同一。
硫酸マグネシウムと言ったら、ぼくは入浴剤として2年前からエプソムソルトを愛用しているのですが、なんだ、あれのことかと知り、親近感が湧きました。
また、ある場所の天井にこのような青~水色の部分が見られましたが、くだんの専門家の方によると右側の青いそれは青鉛鉱であるとのこと。
近くに鉛の元となった方鉛鉱があると思われます、との指摘を受けましたが、そこまでは調べませんでした。
中尾山の本坑エリアでは閃亜鉛鉱を主に採掘していましたが、巻ノ沢坑では主として方鉛鉱を採掘したのです。
ぼくももっと勉強しないといけません。
第3坑からやや下の方で、巻ノ沢中切坑と思われる坑口を見つけました。
入口がほとんど埋没していますが、ライトで中を照らすと坑道が現れました。
坑道の向かう先は、さっきの第3坑方面。
葡萄鉱山シリーズはとりあえずこれで完結です。
2024年葡萄鉱山の今 (3) [鉱物 (村上市・葡萄鉱山)]
2024年葡萄鉱山の今 (2) [鉱物 (村上市・葡萄鉱山)]
大切坑です。
鉱山事務所からここまでしっかりとした鉱山道も残っています。
旭坑直下の石垣。
旭坑。
そこからやや離れて大きな坑口。
最初に発見した時、この坑口が旭坑だと思いました。
しかし、その後に入手した資料によると標高差が8mほど違うし、そもそも旭坑はH沢の左岸に位置するので旭坑ではないと判断。
文献には記載のない坑口です。
入坑してすぐ右側に分岐あり。
ほとんど閉塞しかかっていますが、本来は長かったことでしょう。
正面を行くとすぐ行き止まりになるのだけど、そこにちょっとした広場があり、このように多数の坑木が打ち捨てられていました。
ひょっとして、立坑の入口だったりして。
川を挟んで対岸に坑口らしきものが3つほどありました。
すべて埋没していたけど、どちらかがA坑、どちらかがB坑と思われます。
謎の大きな坑口の近くに、もう一つ坑口が。
下に向かって開口しています。
内部はこの通り。
やはり土砂が堆積していて、入ったとしても匍匐前進がマストとなるような。
坑道の向かっている方向は、先の大きな坑口を向いているので、もしかすると右側の枝坑道と合流しているのかもしれません。
ちょっと自信ないけど、これは葡萄第1坑。
2024年葡萄鉱山の今 (1) [鉱物 (村上市・葡萄鉱山)]
葡萄鉱山発見・稼行の最も古い記録として伝わるものは、近隣の神社の文書だそうです。
それによると、嵯峨天皇(平安時代初期)の頃に白銀を採掘したと言います。
江戸時代に入ると村上藩が稼行し、中小屋附近で銀や鉛を採掘したと伝えられていますが、次第に衰微し、いつしか休山しました。
明治40年に長岡市の呉服商・長谷川久太が事業を再開、大正6年に㈱葡萄鉱山設立。
その後幾つかの変遷を経て、昭和30年㈱朝日鉱山が買収。
昭和35年に㈱白銀鉱業(のちの東邦亜鉛株式会社)が買収、昭和41年3月閉山。
2~3月にかけて計3回調査し、だいぶデータが揃ってきたので公開することにしました。
選鉱場跡です。
ネットで散見される選鉱場の写真と比べると、灌木がさらに密に生い茂っているのがおわかりになるかと思います。
夏場になると完全に木々に覆われてしまい、建物を視認することはほぼ不可能になります。
こちらは事務所跡。
思ったより大きく、阿賀町持倉鉱山の事務所跡遺構と同じ面積があるかもしれません。
同じく、事務所跡で見かけた遺物?
このバイクに乗って通勤していたんでしょうね。
個人的には有形文化財に指定したいです。
選鉱場1階部分。
大きな貯水槽まで残っていました。
こちらの坑口は本坑口。
文字が完全に風化しており、判読できなくなりました。
昭和31年撮影の、在りし日の選鉱場。
シリーズはあと2回くらい続くと思います。
※葡萄鉱山の鉱物
①鉱石鉱物:閃亜鉛鉱、方鉛鉱を主とし、少量の黄銅鉱、黄鉄鉱を伴う。
②脈石鉱物:主なものは方解石、鉄苦灰石、苦灰石で、少量の石英を伴う。
晶洞にはときに重晶石や石膏が認められる。
※クレーストーン博士の館(胎内市)へ行くと、葡萄鉱山産の立派な閃亜鉛鉱を見ることができます。
犬牙状方解石と共生しており、一見の価値あり。
それによると、嵯峨天皇(平安時代初期)の頃に白銀を採掘したと言います。
江戸時代に入ると村上藩が稼行し、中小屋附近で銀や鉛を採掘したと伝えられていますが、次第に衰微し、いつしか休山しました。
明治40年に長岡市の呉服商・長谷川久太が事業を再開、大正6年に㈱葡萄鉱山設立。
その後幾つかの変遷を経て、昭和30年㈱朝日鉱山が買収。
昭和35年に㈱白銀鉱業(のちの東邦亜鉛株式会社)が買収、昭和41年3月閉山。
2~3月にかけて計3回調査し、だいぶデータが揃ってきたので公開することにしました。
選鉱場跡です。
ネットで散見される選鉱場の写真と比べると、灌木がさらに密に生い茂っているのがおわかりになるかと思います。
夏場になると完全に木々に覆われてしまい、建物を視認することはほぼ不可能になります。
こちらは事務所跡。
思ったより大きく、阿賀町持倉鉱山の事務所跡遺構と同じ面積があるかもしれません。
同じく、事務所跡で見かけた遺物?
このバイクに乗って通勤していたんでしょうね。
個人的には有形文化財に指定したいです。
選鉱場1階部分。
大きな貯水槽まで残っていました。
こちらの坑口は本坑口。
文字が完全に風化しており、判読できなくなりました。
昭和31年撮影の、在りし日の選鉱場。
シリーズはあと2回くらい続くと思います。
※葡萄鉱山の鉱物
①鉱石鉱物:閃亜鉛鉱、方鉛鉱を主とし、少量の黄銅鉱、黄鉄鉱を伴う。
②脈石鉱物:主なものは方解石、鉄苦灰石、苦灰石で、少量の石英を伴う。
晶洞にはときに重晶石や石膏が認められる。
※クレーストーン博士の館(胎内市)へ行くと、葡萄鉱山産の立派な閃亜鉛鉱を見ることができます。
犬牙状方解石と共生しており、一見の価値あり。