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倉谷鉱山の通洞坑、他 (後篇) [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

下部坑を出て、次なる目標の大切坑へ向かいました。
これが大変苦労しました。
鉱山道の踏み跡はどこにもなく、砂岩は急なゴルジュとなり、高巻きの連続。
灌木が密に生えており、展望も効きません。

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高巻きの途中で写した、対岸の風景。
正面の広場に選鉱場が建っていたのです。
苦労が報われました。
この方角からだと、選鉱場跡の全容を拝むことができます。
驚くべきことに、かなり広範囲に渡り草木が生えていません。

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来る時走ってきた林道がちらりと見えました。
水色の車がぼくの愛車です。
ちなみにこの林道、昨年の同時期に比べると、後半が一気に悪路と化していました。
この調子だと、2~3年後には通行できなくなるのでは?

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やっと大切坑の前へ出ました。
このような赤茶色の排水は坑口から流れ出てきているもの。
しかも、その量が多いので坑口の規模の大きさも相当なものでしょう。

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茶色の水の供給源はここ。
残念ながら完全に埋没しています。
念の為周辺の斜面も一通り探索したのですが、坑口はここにあったという結論に達しました。

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大切坑直下のズリ。

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そして、これが立坑中段。
ちょっと想像してものと違いましたが、場所的にはここで合っています。
実は立坑中段は注目していたんです。
日本金山誌に次のように書かれていたからです。
「・・・立坑中段坑ではAu 10~40g/tと金の随伴が認められ、中心部ではAu 112g/tと金の異常高を示し、金の特異な凝集が認められた。」

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内部は完全崩落。
大正5~11年、及び昭和12~14年の生産量の表によるとAuの平均生産量は1~2gとなっており、「金・銅鉱床として注目に値する」という日本金山誌の記述を裏付けるものとなっています。

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”東京鉱山監督局管内金属鉱山”の資料から引用します。
「・・・大正四年、天狗岩の露頭を発見してより始まる。(中略)天狗岩の露頭は長二十尺高五十尺にて、巾四尺位の内には輝銅鉱を含むものありたり。」
日本金山誌の記述によると、倉谷鉱山は大正五年(1916)久原鉱業㈱と田辺熊一との共同経営で始まり、その後は日本鉱業㈱が単独で開発した、との由。
そして、この岩峰がくだんの天狗岩なのです。






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