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深戸鉱山・昭和の坑口 [鉱物 (阿賀町・深戸鉱山)]

大正時代のものと思われる(特に根拠はありませんが)二つの坑口からやや離れた場所に、一回り大きな坑口が控えていました。
見つけた時はちょっと感動。

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坑口を入ってすぐ右側に、銅の二次鉱物が露出していました。
胆礬だったと思います。

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なんと、この坑道にはトロッコが走っていたようで、枕木が敷かれていました。

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ここには写っていませんが、金属製のレールが残存しているところもありました。
この規格の坑道は多分昭和のものでしょう。

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どのくらい歩いただろう?
50m前後だと思うのですが、その先は落盤で進めませんでした。

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途中、立坑が左側に顔を覗かせていたり・・・(ここにはレールが写っています)。

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大きな立坑です。
これは深い・・・
坑木もレールも浮いているので、ぎりぎりまで接近できません。
両腕を伸ばして撮っています。

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こちらはレンズを真上に向けて写しています。
ところどころ、上の方も採掘されていました。

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こちらは中間地点の辺り。
この坑道内で、最も侘び寂びを感じた場所。

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こんなに大きな立坑があるならば、どこかに出口があるかもと思い、ごくごく狭い谷地形を下っていったら坑口が現れました。
ほとんど塞がっていますが、標高差にして約20m、さっきの立坑に繋がっている可能性は十分にあります。
今となっては確かめようもないけど。

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この鉱山はかなり広範囲にズリ、ないしはズリっぽいガレ場が見られ、このようなミリ単位の水晶が一定の割合で見られました。
これと同じ産状は、草倉銅山の上部でもよく見かけます。




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深戸鉱山・大正時代の坑口 [鉱物 (阿賀町・深戸鉱山)]

かれこれ4回目の探索になるけど、ようやく深戸鉱山の坑口を探し当てることができました。
「本邦鉱業の趨勢」(昭和11年)によると、大正6年12月、鉱業権者の宮川謙が試掘権を設定。
昭和5年11月、㈱深戸鉱山が権利を譲り受け現在に至る、とあります。
昭和5年当時の鉱夫の数が23名。
昭和11年度の産出量は34tで、銅の品位は10~30%。
その後はいくつかの変遷を経て、昭和26年最終鉱業権者の㈱只見鉱業へ引き継がれたのですが、いつ閉山したのかは不明。
尚、新潟県地質図説明書(昭和30年)によると、昭和28年の従業員数は44名、生産量は銅の精鉱205tとあります。

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道中、クマ捕獲の檻を二つ見かけました。

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かなり上の方で石組みを発見。
溶鉱炉でもあったのかな?

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そして、こじんまりとした広場にお決まりの一升瓶発見。
ということは、坑口は近い?

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やっぱり近くに坑口が控えていました。
10m間隔で二つの坑口が並んでおり、こちらは右の方の坑口。

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全長15~20mでしょうか。

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続いて、左側の坑口に入ります。

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こちらの方がやや天井が高い・・・

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途中、立坑が控えていました。

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立坑内部。

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そして閉塞。
全長20~25mといったところでしょうか。
どちらの坑道も赤鉄鉱と石英の脈があちこちに析出していました。





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鷺沢鉱山跡を訪ねて [鉱物 (村上市・鷺沢鉱山)]

昭和27年2月に発行された「新潟県鉱業の趨勢」において、新潟県下金属鉱山一覧に名前を連ねているものの、登録番号と鉱業権者の欄がブランクになっていたりと、全く無名になっている鉱山を探検してきました。
これはぼくの想像ですが、昭和17年頃稼行開始、第二次大戦終了の前後に閉山したのでは?と思っています。
そのような経緯を辿った、他の多くの零細鉱山と同じ様に。

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一番下の坑口。
内部は10~15cmほど滞水しています。

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一番上の坑口。
こちらは15~20cmほど滞水しているでしょうか。
どちらも中には入っておりません。

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それらの中間部に露天掘り跡がありました。

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近くに平らなテラス状の広場があり、そこにこれがありました。
鉱山稼働時を彷彿とさせる遺構。
坑口を見つけた時以上にうれしかったです。

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ズリには多数のモリブデン(輝水鉛鉱)鉱石が散らばっていたので、それらを集めて記念撮影。

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鉱床は斑状黒雲母花崗岩に胚胎します。
前を流れる沢も、斑状黒雲母花崗岩ないしはアプライト質花崗岩のオンパレード。
しかし、ズリ以外ではざっと見た感じ、銀色に渋く光る輝水鉛鉱は見つけられませんでした。

※2024/02/16追記:
沿革が少しわかりましたので補足します。
昭和17~20年に探鉱。
昭和28年、㈱日本無機化学工業により稼行。





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50年ぶりに白沢鉱山を訪れる [鉱物 (村上市・白沢鉱山)]

新潟県地質図(1955)に記載があるものの、他には一切文献に出てこない白沢鉱山を探索してきました。

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狭い林道沿いには何軒か小屋がかろうじて立っているのですが、全て廃屋ばかりでした。
休耕田の跡も認められ、昔はかなり山奥で人々の生活が営まれていたことが想像されます。

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ここは、今回探索した沢の最上部に位置する滝ですが、ここから先には坑口はなさそうでした。

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銅の二次鉱物が認められます。
近隣には主として銅を採掘していた高倉鉱山がありますが、ここでも銅を採っていたのかもしれません。
1970年代に行われた調査では地元民にも聞き込みがなされているのですが、この鉱山の存在を知る人はいなかったそうです。
そんな超マイナーな鉱山ですから、もちろん産出量などを示すデータはあろうはずもなく。

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滞水している坑道がほとんどでしたが、ここは滞水地帯の先にも坑道が伸びていました。

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こちらは立坑。
土砂の流入で空間が狭まっており、侵入は無理。

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一見疎水坑と思いきや、ライトで内部を照らしてみるとかなり広い空間が拡がっていました。
ほぼ水没しているので侵入は不可能。

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下山時、沢の転石で珍しく純白の石英を見つけたので割ってみたら、中からキラリと光る鉱物が。
黄銅鉱と輝水鉛鉱でしょうか。
輝水鉛鉱(=モリブデン)は、葡萄山地に点在している多く鉱山共通の産出鉱物です。








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