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さらなる未知の坑口群 [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

Kさん、Jさん、S君、事務連絡です笑
さらなる複数の坑口を発見しました。
今回のが最も大きく、坑口直下のズリの規模も大きかったです。

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谷間はズリで埋め尽くされており、この先に坑口が控えているに違いないと判断。
標高差で60mほど登っていきました。

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どんどん傾斜が増していき、巻き気味に登らないといけない箇所も出てきました。
そして、この坑口が出現。
半ば埋没していますが、隙間から中の様子を伺うことができました。

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水平坑道です。
スッと伸びています。
しかし入口が狭く、這いつくばっても侵入は無理です。

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そこから5m先で待望の本坑口が出現。
これは大きい・・・

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天井は高く、上部も掘られています。
しかし前方にプールがあり、水の透明度が悪いため水深はわかりませんが、かなり深いと思います。
この先はゆるやかな上り勾配となり、左にカーブしています。
行きたいけど、このプールを乗り越えないと先へは進めません。
今回は断念。

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50cmはありそうに感じました。

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わかりにくいのですが、上の階層の一部です。

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入口付近の壁はあちこちに石英脈が露出していました。

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この坑口のすぐ左側にも坑口が隠れているっぽい暗がりが見えるのですが、葉っぱが邪魔。
かといって足元が悪いため角度を変えることもできず、指を咥えて眺めるだけ。
ズリは石英系の石が多かったので、丹念に見ていけばこれはと思えるような結晶に出会えるかもしれません。


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未知の坑口群 [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

ぼくの石友にはラインやSNSをやっていない方もいるので、それらの人向けに記事を書きます。
WKさん、読んでね。
最近2週間で計4回の調査レポートです。
まずは、MA坑周辺の坑口から。
下からいきます。

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奥行き約15mで終わっていたので、試掘坑でしょうか。
奥に一升瓶が転がっていました。

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これこそ本坑と思いきや、こちらも10mくらいで閉塞。
こちらには割れたビール瓶が一本転がっていました。

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こちらが本坑でした。
しかし完全崩落状態。

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こちらは一番上の坑口。
斜坑状態ですが、なんとか潜り込めました。

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この洞窟の主がこちらめがけて飛んできました。
偶然写ったものです。
残念ながら旧坑だったようで、7~8m先で閉塞していました。
次にHO坑周辺。

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一番上の坑口から。

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こちらも奥行きがなかったです。
江戸時代末か明治時代前半の旧坑ですね。

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別な坑口。
入口は3~4mの高さがあり、一見立坑かと思われました。

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こちらも奥行きが7~8mしかなく、旧坑確定。
洞窟の主がこちらに向かって飛んできました。

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これらの坑口に至るには、沢からのアプローチとなります。
高巻きが必要な箇所は現れず、標高差で100m上まで登っていけました。

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最初に訪れた時、かなり上の方で割れ目にチビ紫水晶が群生している岩を見つけたのだけど、2回目に行った時はハンマー片手に物欲むき出しで行ったのが悪かったのか、見つけることができませんでした。

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こういう無色の結晶はたまに見かけましたが、色付きのものはレアですね。







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三川鉱山宝坑西 (3) [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

宝坑西側の坑口発見後は、岩壁直下と沢の間の斜面を行ったり来たりしつつ、登りとは重ならないルートを選んで下山。
その間も露天掘り跡や狸掘り跡は幾つか出てきたのですが、一つ一つ詳細に調べていたら時間がいくらあっても足りないので、基本スルー。
しかし標高411m地点で、無視できない坑口を発見しました。

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20m離れたところを歩いていたのですが、なんとなく苔むした丸太が人工的に組み合わされている感じがしたので近づいてよく見ると・・・

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なんと、縦坑でした。
やや手前にカーブしながら落ち込んでおり、地形的に身を乗り出すことができないため、二十数メートル下の辺りまでしか視認できませんでした。

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印象的だったのは、木組みが非常にしっかりしているように見えた点、丸太がそれほど腐食していない点、そして壁面の鉱物~緑泥石化した変朽安山岩や凝灰岩など~が新鮮だった点です。
昭和27年3月の調査に基づいて書かれたある文献によると、”現在は宝坑西部の下部、東部の通洞地並およびその下部、本盤坑四号樋の下部、および真名板倉坑の下部が採掘されている”とあります。
そして、この縦坑こそ”宝坑西部の下部”を採掘していた坑口なのです。
だから比較的経年劣化が少ないのでしょう。
ちなみに、露頭から最下部への垂直深度はどのくらいあるかというと、宝坑宝樋の場合300mもあるのです。
(参考までに述べると、二番目は真名板倉坑下盤樋の250m。以上、昭和52年3月発行の新潟県地質図説明書による。)

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周辺には露天掘り跡や小さな坑口が集中していました。
これもその一つ。

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間口が結構大きかったのですが、奥行きは4~5mしかありませんでした。
でも、この坑口も壁面が新鮮。
赤みの強い部分が多いのは、含まれる鉄分が多いせいでしょうか。
菱鉄鉱がたくさん見受けられます。

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これはある狸掘り跡の突き当りの壁面。
白いのは石英ですが、ピクセル等倍で見ると黄鉄鉱も多少見受けられます。
左側の濃緑色は緑泥石で、閃亜鉛鉱らしい結晶も見られます。

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幅4mくらいある大きな露天掘り跡。

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支保工か坑木が折り重なるように倒れていた、とある坑口。

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岩場地帯はこの縦坑までで、この先は傾斜も緩やかになりました。
最後の露天掘り跡を抜けてしばらく歩くと、草木があまり生えていない広場を2箇所通過しました。
鉱山関係の何らかの施設があったのでしょうか。
自然地形には見えませんでした。

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最後に、ズリで見かけた鉱物を紹介します。
といってもほとんど苔や落ち葉に覆われているので、観察できたのはごくわずか。
上の写真は、奇跡的に出会えた紫水晶です。
30cm四方の岩石に結晶が付いていました。
触ってみると意外ともろく、結晶の形も完全な自形とは言えないので鉱物としての価値は高くはないのですが、この色の濃さは特筆もの。
ネットや雑誌でしか見たことがないのですが、戸神山のアメジストを彷彿とさせます。

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もう一つは、ここに至る沢筋でも多少見られた水晶系の鉱物です。
この産状は、三川鉱山の一般に知られているズリでよく見られるタイプの鉱石だと思います。
素人なのでよくわからないのですが、この赤いのはひょっとしたら赤鉄鉱かもしれません。
水晶の細かな群晶に赤鉄鉱が鉱染したタイプの鉱石かなと。
三川鉱山のそれ以外の鉱区も色々調べてみたのですが、総面積は広いです。
これだけ広大な鉱山でありながら、鉱物ファンを含む一般の人間が訪れるのは2箇所のズリのみ(近年ここも他チリ禁止になりましたが)。
社宅や学校があった居住区も、選考場や貯鉱場の置かれた広場も現在は立入禁止になっています。
かつてここに鉱山があった。
江戸時代から続き、このヤマで多くの人が暮らしていた。
人々の時空間を超えた息吹、心臓の鼓動をぼくは感じました。
間瀬銅山も草倉銅山もそうですが、今もそこへ行けば時空に刻印されている人々の思い、喜怒哀楽を、まるでラジオの周波数にチャンネルを合わせるがごとく、そういう圧倒的な情報量をシャワーのように浴びることができるのです。
明らかに彼ら彼女らは”生”をしっかりと生きていた。
明治時代の鉱夫の平均寿命は30歳と言われていますが、それでも彼らには後悔はなく、納得のいく人生を送っていた。
そして、大自然は、母なる地球は常に温かい眼差しで我々を見守り、見つめ、我々のつかの間の人生を通して我々が生の最後に放ってきた”ルーシュ”を光として吸収し、毎瞬毎瞬新たなる光として地上に照射している。
これが我々の原点。
我々は光の子。
帰り道、沢の浅瀬をバシャバシャ音を立てながら歩いていると、川面に反射している無数の光の小片が全て等しく自分そのものであることを悟ることなく悟ったのでした。











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三川鉱山宝坑西 (2) [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

大岩壁の下をさらに歩いていくのですが、またもやいくらも歩かないうちに坑口が現れました。

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奥行きは浅かったのですが、すぐ右側にも穴が・・・

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”よく見つけたな”と、大地が語りかけてくれたような気が一瞬しました。

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内部です。
狸掘りの跡だったようです。
宝脈上の鉱脈を掘ったものでしょう。
石英や新鮮な緑泥石が析出しています。
しかし、なかなか全長800mに及ぶという宝坑の坑道につながる坑口は出てきません。

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どこの穴のものかわからなくなってしまいましたが、ある狸掘り跡の壁面です。
赤い粘土に埋もれて石英が露出しています。
どこぞの水晶鉱山みたいです。
このまま掘り進めばガマが出てきそうな気配・・・

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各坑口や狸掘り跡前の斜面にはズリが散乱していますが、落ち葉や苔で覆われているため、パッと見はズリなのか、その斜面に元からある岩石なのかは判断がつきません。
それがどちらであるにせよ、上の写真のような細かい水晶や玉髄の付いた岩石が頻繁に目に付くようになりました。

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こちらは坑口が崩落したか、露天掘り跡が崩れたものか、よくわかりませんが、ひたすらこのような光景が連続します。

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右斜め上の斜面に、小さな露天掘り跡。
奥行きは50cmしかありませんが。

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標高493m、最後の最後で宝坑のものと思われる坑口に遭遇。

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恐る恐る入ってみると、メインの坑道は下に伸びているようです。
30-35度の角度で落ち込んでいるのですが堆積物の層が厚く、腹ばいにならないと中へは侵入できません。
正面上段の穴は2m先で閉塞。

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下段の様子を観察してみると、4m先で二手に分岐していることがわかります。
この先は結構急だし高さがないので、あの分岐まで進むには腹ばいにならないといけません。
そこまでしたくなかったので、両手を目一杯伸ばして坑道の奥を写してみました。

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より道幅の広かった右側の坑道の様子です。
左側の坑道もそうなのですが、土砂が厚く堆積しているため、下へなんとか降りていったとしても、その先も四つん這いにならないと進めません。
土砂もおそらく30cm以上は堆積してるでしょうから、底なし沼のように20cm以上一気に埋もれてしまう可能性も。
宝坑の地底世界は永遠に閉ざされてしまったようです。
この坑口を出た先も少し歩いてみましたが、右手の岩壁もこの坑口を最後に消失していたのでこれ以上坑口は出てこないと判断、すぐUターンしました。

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閉山時、三川鉱山の坑道の総延長距離は65kmにも達したといいます。
想像を絶する世界がそこにありました。
(写真は阿賀町ふるさと学習館様より)








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三川鉱山宝坑西 (1) [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

期せずして、三川鉱山で最も栄えた宝坑西側の遺構を多数発見しました。
三川鉱山は大谷川上流部に位置する鉱山で、開山は天文2年(1533)と古く、昭和37年の閉山まで金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄などを産出してきました。
昭和10年代前半から20年代後半までが最盛期で、430人の従業員を数えたということです。
現在は基本的に入山禁止となっているので、4年前から鉱物趣味を始めたぼくはまだ三川鉱山のズリで鉱物採取をした経験がほとんどありません。
なので今回もズリでの採取が目的ではなく、大谷川ではない別な沢~増谷沢の支流~を詰めていき、沢の転石でどんなものがあるかという興味で沢へ入ったのです。

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これは現地の地質図ですが、ちょうど地質が大きく変化しているラインに沿って谷地形が見られます。
そこは断層が走っている場所でもあり、このような場所を流れる沢だったら、転石でも面白いものが出てくるのではないかと考えたのです。
ちなみに増谷沢は多くの支流を抱えており、そのうちもう少し北側の2本は遡行経験があります。
どちらもごく短い区間しか歩いていないのですが、煙石英のそこそこ大きなものが見られました。
さて、こちらの支流はどうでしょう?

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入渓地点付近の渓相。
今回は気温も暑いですし、水量がどのくらいあるか読めなかったため、登山靴ではなく沢靴を履きました。
結果的にはそれで正解で、登山靴だと巻かないといけない場所が多く出てくるので、転石をチェックすることがあまりできなくなるからです。

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下流~中流部で目に付いたのは、写真のような蛋白石が多いこと。
地質は安山岩と流紋岩メインでしたが、壁は風化した粘土地帯となっているところが多かったです。

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ちょっとわかりにくいですが、落ち込み両サイドの岩は無数の巣穴が付いています。
巣穴付きの岩が多く、数的には少なかったですが、巣穴に蛋白石が充填されている石も見かけました。

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そして上流部に差し掛かると、なんとカラミを見つけてしまったのです。
これは発見時そのままの状態。
近くの河原に散乱しているそれを一箇所に集めたわけではありません。
もっとも、カラミを見つけたのはこれとあと一箇所のみ。
このとき、次のような考えが頭に浮かんだのです。
一応ぼくは三川鉱山について書かれた文献を複数持っており、各鉱区の特徴や位置を把握しています。
ただしその地質図には坑口の位置までは記載されていないので、地形図と照らし合わせてみた場合、どこに坑口があるのかはわかりませんでした。
ひとつ明確だった点は、宝坑の鉱脈(宝本脈)は東西方向に長く伸びている点。
現在、ズリは第一と第二の二箇所が知られていますが、上の方に位置するズリの左上斜面に口を開けている坑口は宝本脈のもの。
「山師入門」知玄社刊の著者・成谷氏によると、20m先で落盤しているそうで、それは本で読んで記憶にありましたから、もしかしたら坑道の西端は526のピークの北側にあるのではないか、つまりもう一つの坑口がその辺にあるのではないかと思いを巡らしたのです。
だとすると、カラミの由来も納得がいくというもの。

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上流域に差し掛かると沢は幾筋にも分かれ、水量も乏しくなります。
やっとお目当ての岩壁も右側に木々の間から見えてきたので、伏流水気味になった沢からくだんの岩壁直下を目指しました。
そして遡行開始から1時間半、ようやく宝坑エリア末端の岩壁へ到着。
この後は岩壁と平原の境目付近を歩きながら、さらに上へ上へと歩いていきました。

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そして出てきました、最初の坑口が。

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しかしながら内部は4~5m先で閉塞。
狸掘りの跡だったようです。

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ここから坑口や狸掘り跡、露天掘り跡が連続しました。
これは凄い!

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この穴も狸掘り跡でした。
ちなみに、壁には石英が析出している場面が多くなりました。

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これも奥が短いです。
やはり左側の壁面に石英が広範囲に付いています。
GPSの軌跡を見ると、526のピークのほぼ真北に達しました。
斜度はゆるいですし、岩壁直下には踏み跡のような痕跡があったりなかったり。
宝坑のメインの坑口がこの先出てくるのかどうか。
さらに先へと歩を進めました。

※参考
「宝坑の鉱床について・・・山中最大のもので、走向N70-90°W、北に40-70°傾斜し、延長約800mの下盤樋とそれから分岐する中樋・上盤樋・中盤樋の支脈からなっている。母岩は珪化作用の進んだ砂岩・石英粗面岩及び同質凝灰岩や、一部変朽安山岩からなり、東西両部は母岩の相違によって明らかに鉱脈にも相違が見られ、この関係を明らかにするために、立入を境に東、西に分けて記載する。」
(地質調査所月報第4巻・第3号より抜粋~昭和27年3月)




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