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奇跡のマンガン方解石 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

19日、おそらく今年最後になるであろう石活にいそしんできました。
場所は弥彦山の日本海側山麓の山奥。
早朝まで雪がちらついており、麓の林道などはところによっては2~3cmうっすらと雪に覆われていましたが、沢に入るとほぼ雪は消えました。

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水量はさすがに多め。
しかし、落ち葉が意外と少なかったので石探しには絶好のコンディションでした。

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この地区での典型的なマンガン方解石の産状。
母岩は緑泥石系の石。
方解石はすべからくマンガンを含んでおり、長波でピンク~赤に蛍光します。
ハンマーで割るとたまに黄銅鉱も出ます、間瀬鉱山界隈の鉱石全体に言えることですが。

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水垢かなんかで黒ずんでいますが、緑泥石の表面が厚さ2cm前後の白い方解石でびっしりと覆われています。
横幅は20cm以上ありそう。
この沢、石英は全く見かけないのですが、マンガン方解石は本当に多い。

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そして奇跡の瞬間が訪れました。
最初は遠目に残雪かなと思ったのですが、近づいてみると大きなマンガン方解石の塊が水中に横たわっていたのです。
これは大きい・・・
しかも結晶の表面がとてもきれいで、水垢が付いていない。
なんだかんだ、ぼくの5年に及ぶ鉱物採集歴の中で、気がついたら方解石、特にマンガン方解石は水晶に次ぐお気に入りの鉱物となっていたのでした。
母岩は含めずあくまで結晶部分の体積でいったら、間違いなくこのマンガン方解石は過去一大きい。

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形状的に結晶部分だけを切り離したり、母岩を半分にカットしたりするのは形状的に不可能に思えたので、このまま両手に抱えて持ち帰りました。
ザックにはまだスペースに余裕があったけど、両手でおへその上辺りに石を押し付けると重心が取れ、安定するんです。
長距離をこのスタイルで歩くのは無理だけど、少なくとも片手で石を入れた袋を持つよりは疲労が少ないことを発見。

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横幅28cm、質量6.2kg。
蛍光具合、最高!



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鮫銅山滝壺ノ沢鉱区の搬出ルート解明 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

自分の中では迷宮入りしかけていた、鮫銅山滝壺ノ沢鉱区のどこかにあるはずの、複線レールの残骸とコンクリートの土台を発見しました。
(今回も名無し氏のアドバイスに助けられました。深く感謝します。本当にありがとうございました、押忍。)

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わかりにくいですが、レールが飛び出しています。
その数4本。

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真横から。

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突き出たレールの左側は広いテラスが2段に整備されており、かつての賑わいを彷彿とさせました。

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右斜め上がレールが突き出ていた場所。
おそらくは白い山野草で埋め尽くされたこの斜面の中央をレールが走っており、滝壺ノ沢鉱区で採掘した鉱石を野積村方面へ運搬していたはず。
行きは小沢を詰めて問題の場所を目指しました。
つまり、この斜面を登っていったのです。

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広場を挟んで、レールの反対側にはコンクリートの土台が一つだけ残っていました。
昔は鉄索が、露天掘り跡直下の河岸段丘からここまで設置されていたのではないかと。
これだと全てが符号します。
帰りはこの広場から尾根沿いに踏み跡が伸びていたので、そこを辿って下山。
最初、尾根の上部への踏み跡を100mほど辿ってみたのですが、GPSのログを見ると、4月10日の記事で発見した踏み跡とつながっているようでした。
それを確認してから下り方向の踏み跡を改めて辿り、下山。
行きに通った、小沢の右岸尾根をひたすらトレースしており、途中不明瞭になる箇所も2~3回ありましたが、なんとか最短ルートでスタート地点まで戻ってこれました。







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鮫銅山滝壺ノ沢徹底調査 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

明治時代に間瀬銅山について書かれた、曽我俊二郎氏の文献から引用します。
「八号ひの南方凡そ四百五十尺程にして東西に走るひなり、此れを鮫ノひとなす。(中略)鮫ノひの南方に走向して南に傾くひあり、野積の滝壺ノ沢に露頭あるにより滝壺のひと云う。此れ野積鮫ノ沢付近の主なる鉱脈なり。」
※ひ=鉱脈

どちらの沢も現在用いられている名称とは違うのですが、本ブログでは明治時代の山師たちに敬意を払い、当時用いられていた鮫ノ沢、及び滝壺の沢という名称を使います。
さて、ここ2年間の度重なる現地調査によりそれぞれの沢を特定しました。
鮫銅山は「日本の鉱山文化」(国立科学博物館)に絵図が載っており、江戸時代から稼業されている古い鉱山であることがわかっています。
しかし、明治時代以降の変遷については間瀬銅山以上に資料がなく、謎に包まれています。
滝壺の沢鉱区については、沢の名称の由来となったと思われる、中間部に現れる2段の大滝までしか行ったことがなかったので、先日源流部まで歩いてみました。

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これが大滝(この写真だけ昨年撮影のものを使いました)。
左側に大岩壁があり、露天掘り跡らしきものや膨大なズリがあります。
加えて右岸の河岸段丘には古いドラム缶も放置されており、大岩壁は南斜面。
したがって、”南方に走向して南に傾くひ”という条件に合致していることから、ここが滝壺の沢であると判断する次第。
鮫ノ沢も3本の支流に分かれており、それぞれ滝を有しますが、スケールが全然違うのです。

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4月4日と9日それぞれ滝壺の沢を訪れたのですが、4日は弥彦スカイラインを利用し、5合目の駐車場に車を駐車。
そこから車道を歩き、源頭部が近くなったところで林に突入、一気に河原へ降り立ちました。
ここは100mほど下ったところですが、やっとこの辺りから水がちょろちょろ流れ出しました。
地図で想像していたより傾斜は緩やかで、割とスムーズに大滝の真上まで来ることができました。

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正確に言うと、途中から左岸に踏み跡が出てきたのでそこをトレースしたのですが、途中で謎の石垣が出現。
索道の土台とは思えないし、焼き窯用の石組みでしょうか。

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滝はこの下に位置しているのですが、さすがに傾斜が急なので、この時は河原には降りず、踏み跡を辿ってみました。
ここまでの区間に露天掘り跡や坑口は現れなかったので、途中から現れた踏み跡がどこへ通じているかの興味が勝ったのです。
大滝直下の左岸には大きな岩壁があるのですが、ここからそっち方面を見ると、真下からは見えなかった風景が目に飛び込んできました。
左側の黒い岩壁はそれでも下からなんとか見えたけど、右側のそれは今回初めて見ました。
ひょっとしたら坑口が待ち構えているかもしれません。
9日、上の写真の岩壁上部を訪れることを目的に再訪。
その日はいつものように下流部からのアプローチ。

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滝壺の沢は河原が比較的広いので、とても歩きやすいです。
途中からこのようなちょっとした岩場が出てきたり、方解石の結晶がたまに現れたりするので飽きることがありません。

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この沢の河原で見られる方解石はマンガンを若干含んでいるようで、長波のUVライトでピンク色の蛍光を示します。

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大岩壁直下へやってきました。
記憶にあるより傾斜が絶壁に近く、上部の岩場へ行くには左側から大きく巻く必要があります。
取りあえず岩壁の付け根を端から端までくまなく探索しましたが、坑口が潜んでいそうな怪しい暗がりのある空間は右端の奥にありそう。

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この大岩壁はどこもややオーバーハングしていたので、一応高巻きして岩場の上端を歩いてみたのですが直下の地形が全く見えないため、いったん大滝の中間部にザイルを使って下降しました。

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降下地点から滝の下半分を眺めるの図。
しかしながら、ここからも岩壁の地形はよくわからなかったため(思ったより起伏が大きく、複雑な構造だった)、歩けそうなリッジを歩いてギリギリまで接近してみました。

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対岸から眺めた時に見つけた”怪しい場所”とはやや違うような気がするのですが、どうも天然の地形のよう。
坑口ではなかったです。

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帰りは、この岩場の上に現れた尾根を下って下山。
なんと、対岸のみならずこちらがわの斜面にも踏み跡が現れたのです。
そして、こちらでも焼き窯用と思われる石組みを発見。

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さらには古い瓶まで出現。
一升瓶よりは気持ち小さい気がしますが・・・
踏み跡は終始しっかりしており、ピンクのテープも3~4本見かけました。
尚、対岸にあった踏み跡はどこに通じていたかというと、標高約240m地点で西生寺から伸びる登山道に合流したんです。
こちらの踏み跡も終始しっかりしており、ひょっとしたら大滝直下の現場から採掘された鉱石は、この踏み跡を通じて野積村へ運ばれていたのかもしれません。
いや、きっとそうです。






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鮫銅山・滝壺の沢鉱区の痕跡 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

11日、先日初めて訪れた、弥彦山麓を流れる小沢を再訪しました。
その沢はマンガン方解石がゴロゴロしており、途中二股に分かれているため、今度はもう一方の沢に入ってみました。

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ある程度は予想していたけど、倒木だらけの陰気な感じのする沢でした。
岩の種類などは隣接する沢とほぼ同一だったけど、方解石は全く見当たりませんでした。
そして、20分も歩かないうちに行き止まり。
直登は微妙に難しそうで、ここは左岸を高巻き。
その先も狭いゴルジュ帯が続くようで、水量も少ないのですぐに進退極まることは確実。
なので早々に見切りを付け、前回歩いた尾根一つ隣の沢へ移動しました。
ちょうどこの滝の右手の斜面にかすかな踏み跡が付いており、そこを辿ると隣の沢へ通じていました。

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やはりこちらの沢は面白い。
結局前回引き返した大きな滝の下まで遡行したのですが、体感以上に長い距離を歩いており、直線距離でも1km以上分岐点から歩きました。
上流へ行けば行くほど方解石脈が頻繁に出てくる様子。

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3cm近い厚みのある方解石。

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本日の大物賞。
ワイルドな感じが気に入りました。

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これも厚みが2.5~3cmあります。
切りがないので大物だけ写真を撮り、あとはじっくり転石を観察しながらの沢歩きに集中。

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前回引き返した、倒木の詰まった滝から何とか先に行きたいと思い、改めて周囲の地形を観察。
その先に控える落差20mの大滝を乗り越えるのは無理でも、この滝の全容を見てみたかったのです。
すると、かすかな踏み跡が左手側、10m手前の尾根の先端に付いていることに気づきました。
そこは確かにその周辺で一番斜度がゆるいところで、ここしかないというところにルートが見えたのです。
標高差にして10mくらいでしょうか、急斜面を登りきるとかなり大きな広場に出ました。
30~40cmのヤブや灌木に覆われていますが、何か人工的な要素を感じます。
その広場の端っこから写したのがこの写真。
絶景でした。
今まで見てきた弥彦山系の滝の中では最も豪快です、周囲の地形を含めての印象ですが。

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時系列は前後しますが、この広場に出たときすぐ目に飛び込んできたのがこのドラム缶。
この瞬間、鉱山跡であることを確信。
ドラム缶から5~6m先には、直径8~10cmくらいの黒いパイプ(or 導管?)も地面に半ば埋もれていました。

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広場の下手側から上手側(滝側)を写しています。
黄色で囲んだのがこのドラム缶。
ちなみに右端にはかすかな、本当にかすかな踏み跡が部分的に残っています。

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広場全体、及び沢からこの広場までの斜面の広い範囲にズリが散らばっていました。

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滝の左側(沢の右岸)は、絶壁に近い大きな岩壁となっています。
広場との境目付近、どこに坑口があってもおかしくない雰囲気。
かなり時間をかけて坑口探しをしたのですが、多分土砂で埋もれてしまったのでしょう、わずかな開口部も見つけることはできませんでした。

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大岩壁の一部。
正面に筋のようなものが上下に走っていますが、もしやと思い、帰宅後”ミックンのつぶやき”というHPで「鮫銅山付近」という記事を見てみたら・・・
やはりそうでした。
上の写真は、彼の当該記事で上から3枚目の写真と同じ岩を写しています。
ドラム缶の形も同じですし、ズリの記述、埋もれたと予想される坑口のことなど、ぼくの感想と全面的に一致するのです。

明治34年に書かれた文献によると、鮫銅山は鮫ノ沢と滝壺の沢にそれぞれ鉱脈があったと書かれていますが、4月4日の記事で、現地に立っている看板から滝の川は滝壺の沢のことであり、鮫の沢は滝壺の沢が上流で分岐する左側の沢を指すのではないか、と書きました。
それを訂正したいと思います。
滝の川は鮫ノ沢のことであり、妻戸川が滝壺の沢を指すというのがぼくの見解です。
滝の川上流にも立派な滝は出てきますが、今回見つけたこの大滝の比ではありません。
それにしても、弥彦山系随一の滝がこんな山中に眠っているとは・・・
目指す鉱物が含まれる転石を辿っていくと、坑口にたどり着くことはよくあります。
ぼくの経験でいうと、新発田の千石鉱山と菅谷鉱山がそうでした。
坑口の位置はもちろん、あちこちで分岐している沢のどれが坑口につながる沢なのかわからないまま現地入りしたのですが、坑口に近づくにつれて石英の数が多くなっていったのです。
今回の大滝直下の河原に方解石は見られなかったですが、地質的には全くそれまでの沢筋と同じでした。
いつかこの大滝の上にも行ってみたいです。









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鮫銅山の坑口は見つからなかったけれど・・・ [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

明治34年に書かれた曽我俊二郎氏の文献が、おそらくは鮫銅山に書かれた最も詳しい資料。
実際に鮫銅山の坑口にたどり着いた某ブログ主さんが紹介している「日本の鉱山文化」(国立科学博物館刊)を、ぼくも入手しました。
ここに鮫銅山の絵図が採録されているからです。
しかしながら絵図の大きさが思ったより小さく、ルーペを使っても文字や記号が判読できません。
結局この本は全く役に立ちませんでした。
さて、曽我氏の文献には鮫銅山の鉱脈に関して2つ取り上げられています。

一つは間瀬銅山の八号坑から南におよそ四百五十尺、鮫ノ沢沿いにあり、脈は東西に走っている。
もう一つは鮫ノ沢の鉱脈から南方、滝壺ノ沢に露頭がある。

現代は急速に古い地名や川の名称などが失われ、特に沢の名前は一部の登山用の地図に書かれている以外、全く知るよしもありません。
従って鮫ノ沢と滝壺の沢の特定もできないでいたのですが、ようやく先日多分これだろうと確信するに至りました。

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滝の川が滝壺ノ沢ではないでしょうか。
滝の川はこの先大きく二手に分岐しますが、おそらく左側が鮫ノ沢、右側~こちらが本流筋にあたるのですが~滝壺の沢ではないかと。
先日2度めの実地調査に行きましたので、その報告です。

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昨年の調査では沢の分岐点から鮫の沢方面へと進み、返りは二つの沢の中間にある尾根に付いていた踏み跡を辿って下山しました。
今回は滝壺の沢をまずトレースしてみました。
鮫ノ沢にも言えることですが、どちらの沢も結構倒木やブッシュが多く、踏み跡はあるようなないような。
かなり不明瞭です。
しかしながら、鮫ノ沢より川幅のあるこちらでは、沢沿いに早くも産業遺構が現れてくれました。
ドラム缶です。

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そして、このような黒いパイプが連続して現れるようになりました。
断続的に5本くらいありました。
上流へ行けば行くほどその太さは増し、これで25~30cmくらい。

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両岸の傾斜もそれほどではなく、平坦な中洲も出現します。
中洲はお花畑となっており、様々な山野草が咲き乱れていました。
ゴミも全く見当たらず、桃源郷そのものでした。

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ある程度上流になると傾斜も増してきて、写真の大きな滝が現れました。
直登できなさそうだったので、ここは右岸を高巻き。
鮫ノ沢にも滝が連続する箇所はありますが、川幅がとても狭いので滝と呼ぶのは憚れる感じ。
なので、こちらの沢を滝壺の沢と命名するのは極めて自然であり、滝の沢=滝壺の沢であると判断しました。

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玄武岩質の岩(一部頁岩)が連続し、沸石も見られました。

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そして、左岸に坑口かもしれない穴が出現。
内部は1.5m弱しかないので、坑道なのか自然地形なのかは判然としません。

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もうあと標高差にして50m登ってみればよかったなあと後悔しているのですが、本命は鮫ノ沢だと踏んでいたので時間的にそれほど余裕もないことだし、ここで方向転換。
標高310m付近でそれ以上登るのをあきらめ、斜面を左にトラバースしながら鮫の沢上部を目指しました。

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鮫ノ沢で最も美しい辺り。
もっと下流部はボサが続くのですが、この辺まで来ると桃源郷が展開します。
ここから先は傾斜も急になり、体力の消耗も激しく、標高335m付近でUターン。
やはり、標高差にしてもう40いや30mほど登ってみればよかったなあと思うのですが、ここまでの沢沿いに坑口は出てきませんでした。
あとで地図をつぶさに見てみると、標高210mの辺りで小さな沢が北に分岐しているのですが、その沢が怪しい。
というか、あとはその沢しか行く場所がありません、335mよりもっと上に登る以外は。

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下山後、顔を洗うために車を停めた付近の小さな沢に降りました。
すると目の前に透明感のある石英か方解石っぽい石があるではありませんか。
数十センチ離れた場所にも類似の石がもう一個。
どちらも方解石でした。
持ち帰ってUVライトを当ててみたら見事に赤く蛍光。
マンガン方解石確定。
この沢、ちょっとすごいかも。
ということで、翌日はこの沢を遡行したのでした・・・







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鮫銅山初挑戦 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

16日、間瀬銅山の一角をなす鮫銅山へ初めて行ってきました。
といっても坑口を見つけることはできず、鉱山道や山ノ神の祠、坑口につながると思われる沢の途中での、小さな堰堤の発見にとどまりました。

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鮫ノ沢中流部です。
最終堰堤までは林道が通じていますが、廃道に近い状態のため、無理に終点まで行こうとしないことです。
途中小さな沢を横断しますが、その手前に広いスペースがあるので、車はそこに停めるといいでしょう。
その先は枝が道路までかなり飛び出しており、車を傷つけること必至。
基本的に右岸に踏み跡がうっすら残っていますが、崖松方面へ抜ける登山道の出会いまでは倒木も多く、足元は非常に悪いです。
結果的にこの区間が最も疲れました。
登山道の出会い(ただし不明瞭です)から先は徐々にすっきりしてきます、上の写真のように。
そしてこの先、沢が二手に分かれるところから傾斜が増してきます。

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途中右側の斜面に巨岩が現れます。
連続して出てきますが、じっくり見ていると時間があっという間に過ぎてしまうので、スルーして先を急ぎます。

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行くときは忠実に沢を詰めていきました。
300mほど歩いたでしょうか。
開けた台地上の斜面を過ぎると一気に激しいヤブとなり、途中で引き返しました。
Uターン地点の10m下流にこの堰堤を見つけました。
幅5mほどの小さな堰堤ですが、間違いなく鉱山関係の施設でしょう。
開けた台地に戻ると、そこにきっと鉱山関係の施設、ないしは人工地形が見られるはずと踏み、その辺を歩き回ってみました。

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標高290mの地点で石垣を発見。
この角度からだとわかりにくいですが、明らかに人工的な石積みです。
この台地の北端に、先程の堰堤のある沢の源頭部へ通じるであろうかすかな踏み跡がありましたが、そこが最も怪しいと思いつつ、台地の南端にも行ってみました。
すると、谷を挟んで斜め下の斜面にかなり大きな坑口か洞窟らしい暗い穴が見えました。
ただし、枝がうるさくて釈然とはしません。
昨日紹介した文献によると、鮫銅山の鉱脈は2箇所あるらしく、それぞれに坑口が待ち構えている可能性もあります。

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そこから写した野積海岸方面の風景。
一応、ネットで唯一見ることのできる、鮫銅山の坑口へ実際に行った人が撮った写真と地形がよく似ているので、おおまかな場所は合っていると思います。
ただ、その方の写真はもっと標高が上の場所から写したものです。
次回来る時、参考にしたいと思います。

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さて、台地の南端付近から岩稜の痩せ尾根が始まるのですが、そこに踏み跡らしきものがあったので辿ってみました。
ひょっとしたら坑口へつながっているかもしれないと思いつつ。
標高差で70mほど登ったのですが、ひたすら弥彦スカイラインの道路に向かってまっすぐ伸びているだけで、左右の谷からは距離は遠ざかるばかり。
この踏み跡は鉱山道ではなく古い登山道であると判断、途中で引き返しました。

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既に時間も押しており、体力も尽きかけていたので下山開始。
帰りはひたすら尾根を辿ってみたのですが、すぐに踏み跡が現れ、結果的にこれが鉱山道であり、上り勾配の始まる沢の分岐点まで快適に下ることができました。
途中、右側に巨岩がどんどん出てきました。
来る時も同様の巨岩が現れましたが、思ったより広範囲に散在しており、格好の被写体になってくれました。

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岩は凝灰岩です。
残念ながら、石英や黄銅鉱、方解石など、間瀬銅山界隈でよく見られる鉱物を見つけることはできなかったのですが、晶洞らしいものもあり、じっくり探せばなにか見つかるかもしれません。

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そして、この日の最大の成果、鉱山道を降りていく途中で山ノ神を祀ったと思われる祠が出てきました。
これは間違いなく鉱山関係者が祀ったものでしょう。
やはり坑口は、あの台地から上のどこかにあるものと推察します。


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