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分水工事採石場跡 [鉱物 (弥彦山周辺)]

多宝山~弥彦山にかけて、かつては山麓のあちこちで銅の採掘が行われました。
古くは江戸時代に始まり、明治末~大正時代前半に最盛期を迎えましたが、ほとんどの鉱山は大正9年までに閉山したようです。
今年の春の間に調査しようと思っている対象は、2020年度に少しだけ調査したことのある多宝鉱山と石瀬鉱山。
これについて書かれた書物はごくごく限られているのですが、次の文章は郷土史からの引用です。
「・・・大正末期頃、間瀬銅山裏側の石瀬地域の多宝山山中でも銅の採掘が始まった。だが大規模な開発はなく、成功した話は聞かない。」
新潟県の鉱物関係HPもしくはブログで草分けの一人である「ミックンのつぶやき」に、間瀬銅山鉱区変遷等というページがあります。
ここに多宝鉱山という名前が出てきます。
そして、このHP以外に多宝鉱山について言及しているサイト、並びに坑口などを紹介しているサイトはぼくの知る限りありません。
石瀬鉱山のものと思われる坑口は過去2年の間に4個見つけていますが、多宝鉱山についてはわからないことだらけ。鉱区が隣接しているのは確かなのですが、その線引きがわからない。
弥彦山~多宝山にかけてはまだまだ歩いたことのない沢や尾根はたくさんあり、取りあえず気になる地形を片っ端から潰していくしかないと判断。
今日(12日)は多宝山山麓を流れる2つの沢を(どちらも今回が初遡行です)、ほんの触りだけですが遡行してきました。

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今回入った沢も林道の前後に堰堤がひたすら重なっており、しばらくは無機質な景観が続きます。
堰堤はかなり古いです。
昭和20~30年代に作られたものでは?
傾斜も急なので、高巻き気味に右岸の尾根を登っていったら、堰堤横の岩場に石碑らしいものが立っているのが目に入りました。
早速近づいてみます。

IMG_1548.jpg

大山祇の神様を祀った石碑でした。
右側に”昭和二十五年四月一日建立”と刻まれています。
戦後まもなく建立されたわけです。

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既に少なくとも4つは堰堤を過ぎています。
なにせ急斜面の連続で、ずっと右岸尾根を高巻きしながら歩いたので、まだ河原には降りていません。
と、眼下に広い野原が目に飛び込んできました。
周囲を崖に囲まれており、どことなく人工的な匂いがします。
坑口もありそうなので、せっかく登った急斜面を30mほどクライムダウンし、その河原に降り立ちました。
(尚、右の方に滝が見えますが、その上流にも大きな堰堤が待ち構えており、それを乗り越えるには大高巻きが必要。ザイルと言わないまでも補助ロープがないと不安なので、今回はここより上流には行きませんでした。)

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一応坑口や露天掘り跡がないか、現地でざっと見て歩いたつもりなのですが、右側に穴のような暗がりが写っています。
確かめてみたいけど、ここへもう一度行くにはかなりの気合が必要。
また来年・・・

IMG_1564.jpg

いかにも崖の下には坑口がありそうだったのですが、埋もれてしまった可能性もありますね。
緑泥石系の岩石も一定数見られますし、ズリっぽい石もあると言えばある。

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パノラマ写真で右側に見えていた滝です。
落差15mくらい。
取水のためなのでしょうか、黒いチューブが垂れ下がっています。
ここにたどり着くまでに既に大汗をかいているので、ここでUターン。
帰りは左岸の踏み跡を辿りましたが、右岸に部分的に残っている踏み跡より明瞭でした。
そこを辿っていくと、隣の沢に出ました。
堰堤を一つ越すと渓相はゴルジュとなり、写真の滝でUターン。

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この沢もこの先高巻きの連続となりそうなので、相応の装備と覚悟を持ってしてかからないと弾き返されます。
尚、この滝にも黒いチューブが垂れ下がっており、滝の中間部にはおそらく自転車のタイヤじゃないかと思うのですが、古タイヤを利用して作ったシュリンゲが垂れ下がっているのです。
ぼくがこの滝を直登しようとする場合、あのシュリンゲが新しいものであったとしても利用するのはまず不可能。
長さが決定的に足りません。
昔の山師は軽業師揃いだったのですね。すごい・・・

IMG_1572.jpg

そしてサプライズが待っていました。
坑口発見!
しかも3つ並んでいます。
石瀬集落からはかなり離れているし、地理的に多宝山山頂が近いので、多宝鉱山というものがあるのなら、これこそが多宝鉱山の坑跡ではないかと。
・・・と思いましたが(実は本文を3月17日に加筆訂正しました)、どうやらこれらの坑口は分水工事採石場跡のようです。

IMG_1574.jpg

坑口はいずれも入り口がコンクリートで封鎖されています。

IMG_1577.jpg

こちらの坑口は石垣が残っています。
この沢ももっと上流まで行けば、今度こそ銅山の坑口が出てくる可能性もあります。
最初に遡行した”大山祇”を祀った石碑の建つ沢もしかり。
今後の課題です。


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コメント 2

名無し

弥彦山麓で絶景ポイントを見つけたのでご案内します。場所は龍池寺跡の西側で、藤内川の砂防ダムの上流側、右岸が岩壁で奥が滝になっています。この地形があったから近くに寺を建立したのでは?という雰囲気がありました。行き方は、林道上泉線から国土地理院地図に記載の山道を上り、37度42分48.57秒 138度49分24.41秒付近(龍池寺跡のちょっと下)から尾根南側の水平道へ進み、砂防ダムを高巻いた先になります。
既にご存じの場所でしたらご容赦ください。
by 名無し (2023-10-16 16:20) 

carlossato

ありがとうございます。すでに知っている場所です。非常に絵になる場所ですよね。弥彦山はそんなところばかり。てか、沢という沢をかなり歩いてきましたが、沢屋さんが入るのはごく一部であり、ほかは現在は誰も入ることもなく、桃源郷となっています。
by carlossato (2023-10-16 17:37) 

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