SSブログ
鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山) ブログトップ

赤滝銅山の坑口発見 [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

何回目の探索だろう?
6回目、それとも7回目?
4月6日、やっと間瀬銅山の一角・赤滝銅山(=坂井銅山の可能性もあり)の坑口を発見しました。

IMG_2556.jpg

郷土資料は今井義雄氏の記憶による絵地図を掲載しており、それによると赤滝銅山の坑口は、赤滝を中心に右岸に1個、左岸に3個あることになっています。
最後に訪れたのは昨年1月。
その時の記事にも書いていますが、まずは赤滝の場所を特定することが先決。
今回坑口を1個だけですが発見したことで、やはりこの滝が赤滝であることが明確になりました。
この滝の約30m上流で沢は二手に分かれ、本流と思われる右側の沢はすぐに大きな滝が現れます。
前回はそこで引き返したのですが、今回はその先へ行ってみることが目標。

IMG_2559.jpg

このすぐ奥にも同じくらいの滝が控えており、地形図を見るとこの辺の等高線は緩いのですが、たまにこのような大滝が現れてくるので気が抜けません。
そこが沢登りの面白さであり、危険な要素なのです。
さて、この滝はやはり直登は不可能。
隣の(左側)の沢との境に痩せ尾根があるのですが、そこに踏み跡があったのでそこを辿ってみました。
斜度はえらく急で、だんだん右側の沢からは離れていく感じだったので、途中で方針を変更、左側の沢を詰めてみることにしました。

IMG_2561.jpg

左側の沢の途中に、落差20mくらいありそうな大滝(古い堰堤にも見えるけど)が見えてきました。
これを乗り越えるには高巻き必須で、やはり今歩いている痩せ尾根を登るしか手段がないのです。
そのまま痩せ尾根の踏み跡を辿り、堰堤を乗り越えたところで河原にクライムダウン。

IMG_2562.jpg

坑口や露天掘り跡が現れそうな気配はなかったのですが、非常に美しい渓相だったので、しばらく遡行してみることにしました。
そして、60m弱歩いたところで写真の滝が現れてきてそこでUターン。
標高210m、なんというか、圧倒的な存在感。
坑口はありそうでありませんでした。

IMG_2580.jpg

赤滝上部の探索はそこまでにし、赤滝周辺の探索を続行。
そしてやっと見つけました、赤滝銅山の坑口を。

IMG_2576.jpg

ほとんど土砂に埋もれかけているので、這いつくばってライトで奥を照らしてみて、ここが坑道の入り口であることを確認。
カメラを中に入れるほどのスペースが無いのでなんだかなあというアングルですが、仕方ない。
なんとなくこの坑口の外観に見覚えがあったので帰宅後PCで偉大なる先人のHPを確認してみると・・・やはり同じ場所でした。

IMG_2553.jpg

坑口のすぐ下手に出てくる堰。
この堰が赤滝銅山核心部の入り口に当たります。


IMG_2585.jpg

赤滝銅山への鉱山道のスタート地点の近くに、おそらく間瀬石を採掘していたと思われる坑口があります。
その坑口が今回出てこなかったので、帰りにちょこっと探してみたら坑口周辺が土砂崩れで埋没しかけていたのでした。
ちょっと登ると坑口は出てきましたが、いつ発生したのだろう?
やはり昨年8月の豪雨の時だったのでしょうか。

IMG_2588.jpg

坑口内部の映像。
小さなゴミだったら持ち帰るところだけど、あれじゃ大きすぎて無理です。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

赤滝銅山最終章 [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

10日、新年になってから初めての鉱山探検へ。
行き先は、弥彦山周辺に明治~大正時代にかけて稼業していた複数の鉱山の中で、最も標高が低いところに坑口があったと思われる赤滝銅山。
既に最近2年間で4~5回足を運んでいるけど、まだ坑口らしい坑口を発見していないし、精錬所跡も特定できていません。
昨年は3本ある沢のうち2本を精査し、残るはあと1本となりました。
その沢も途中の堰堤までは行ったことがあるのですが、その先は未踏破。
今回はラスト・フロンティアである最終堰堤から先の沢を詰めてきました。

IMG_4778.jpg

これが最終堰堤。
もう片方の沢のそれも似たような景観ですが・・・

IMG_4796.jpg

途中からパイプが現れ始めました。
あちこちで分断されていますが、総延長250~300mは続いていたと思います。

IMG_4788.jpg

そして、石垣も出てきました。
もう片方の沢は中流部以降石垣は見られなかったので、こちらの沢が本命であることを確信。

IMG_4801.jpg

やがて広い台地が右岸に現れました。
石垣の長さも長い。
広場は縦長となっており、70~80mくらいはありそう。
対岸もフラットな地形になっていて、踏み跡は両岸にはっきり残っていました。
この辺りがやはり坂井銅山の核心部のようです。
ここが精錬所のあった場所なのでしょう。
ちなみに、対岸(左岸)の上手側斜面の中ほどにズリも発見。
幅5~7mくらいに渡ってズリが拡がっており、中心部を20cm程の細い水の流れがありました。
その上部には大きな岩が2つか3つあり、おそらくはその周辺に坑口があったものと思われます。

IMG_4803.jpg

この広場の最も奥の方にも石垣がありました。
帰宅後、唯一人坂井銅山の坑口にたどり着いたM君のブログを読み返してみると、この石垣の写真も載っていました(上から5枚目の写真)。
彼は書いています、奥の石垣、堤防の役目?

IMG_4798.jpg

そして、この広場を抜けると小滝が現れました。
すぐ奥に堰堤というか、堰が見えます。
近づいてみます。

IMG_4800.jpg

ああ、やっと見つけた!
M君のブログで1枚目の写真の堰がここです。
感無量のひととき。

IMG_4805.jpg

あとは坑口探しのみ。
郷土資料の図によると、赤滝を中心に右岸に1つ、左岸に3つの坑口が控えているはずなので、まずは赤滝を特定することが先決。
さっきの広場の下手に右岸側から注いでいる小沢の落ち口が落差7~8mほどの滝だったのですが、岩盤は特に赤くはなく、候補としては弱い。
赤滝探しは別としても、精錬所の置かれていたと思わしき広場の周辺を徹底的に探索したのですが、坑口を見つけることは出来ませんでした。
M君のブログを再度引き合いに出せば、3枚目の写真の場所は大体わかりました。
しかし、4枚目の写真の坑口がわからない。
これは想像ですが、彼がこの地を訪れたのは十数年前であり、その間に埋もれてしまったのではないかと。
隣の沢もそうですが、この辺の斜面はどこも地盤が柔らかいのです。
近年は災害級の大雨も何度もありましたし、他の坑口も含めて全部入り口が埋没してしまったと判断せざるを得ません。
さて赤滝探しですが、広場を抜けて100mくらい上流部に現れたこの滝が最もイメージに近かったです。
広場を抜けた辺りから斜度は微妙に増し、次から次へと小滝が現れるようになりました。
踏み跡はさらに続いていたので、もう少し沢を遡行してみました。

IMG_4807.jpg

さっきの滝の20m上流で沢は二手に分かれ、どちらも20~30mほどでゴルジュ地帯となり、大高巻きしないと前方には進めない滝が出てきます。
この写真の滝は右側の沢(こちらがやや水量が多い)に現れた大滝。
死角になっていて見えませんが、すぐ奥で10~15mの滝が連続しており、直登は不可能。
踏み跡もこの滝の下で途絶えていました。
左側の沢も同様に大高巻きしないとどうしようもない15~20mの滝が出てきて、そこでUターン。
それにしても、上流部はダイナミックな渓相です。
特に上の写真の沢は面白そう。
沢登りの対象としても絶好なのではないかと感じました。

IMG_4824.jpg

帰り、ちょっとでも怪しい地形があったらアルバイトをいとわず探索してみましたが、特に成果はなく・・・
しかし、こんな年代物のドラム缶が転がっていたりと、歴史的な遺物は幾つか発見することができ、高揚感は続きました。

※2024/02/01追記:
当初は赤滝銅山と坂井銅山が同一のものであると思いこんでいたのですが、採掘権第707号などの文献と出会い、坂井鉱山の鉱区を知ることができました。
そこは白瀬川ではなく、宝川中流部に設定されていたのです。
それで今日、該当する記事を全てタイトルや本文を修正したのですが、赤川良作さんから鉱業権を買った坂井氏はその後大幅に鉱区を拡張したと伝えられております。
従って、拡張した鉱区に赤滝銅山が含まれる可能性があるのです。
この場合、坂井鉱山=赤滝銅山ということになります。
本ブログでは一応分けていますが。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

赤滝銅山の坑口はいずこ? [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

明治時代後半から大正5年頃まで栄えた赤滝銅山。
間瀬郷土史と岩室村史におおまかな坑口の位置が記載された図が載っていますが、それによると赤滝銅山のいわれとなった赤滝を中心に、左岸に3つ、右岸に1つの坑口があるはず。
もう一つのキーワードである鮫ハゲ山は特定できたので、あとは赤滝の位置を特定するのみ。
おととしから現地調査を始め、もう4~5回足を運んだのですが、まだ坑口は一つも発見に至っておりません。
22日と23日、2日連続で赤滝銅山の坑口探しに行ってきました。
いずれも半日の探索なので、それほど広い範囲を見ているわけではないけれず、想定していた場所はすべて虱潰しに歩きました。

IMG_4584.jpg

標高約110m地点にある滝を赤滝と仮定すると(今までの調査ではこの滝が、文献に語られている赤滝ではないかと思えた)、再度その滝の周辺を精査する必要があると判断。
赤滝のすぐ下流で沢は二股に分岐するのですが、もう片方の沢は未遡行でした。
22日は開ノ木林道経由で源頭部からクライムダウン、未遡行の小沢へ。
そこで最初に見つけたのがこの滝です。
岩が赤くないので、赤滝ではありません。
ここからさらに上流部も歩いてみたけど、坑口が出てきそうな気配はなし。
ここから分岐点に向かって下降していくと、人工的な石積みを発見しました。

IMG_4586.jpg

原始的な堰といったところでしょうか。
怪しい・・・
しかしながら、周囲の斜面を歩き回るも坑口は出てきません。
そして、やがて分岐点に着きました。

IMG_4596.jpg

念の為、赤滝らしきものが控えている方の沢に入り、赤滝まで歩いてみました。
そして見つけた古い堰堤。
赤滝はここより20m上流に位置しています。

IMG_4600.jpg

周辺の地形を丹念に調べるも、やはり坑口らしき地形は出てきません。
唯一、大きな岩の下に見られたこの洞窟らしき空間がそれなのですが、自然地形の可能性が大きい・・・

IMG_4615.jpg

23日はまだ大雑把にしか見ていない中流部を、じっくり遡行してみました。
そして本命かもしれない赤滝を発見。
落差4~5m、右の岩盤が赤茶色です。
この辺りから左岸に明確な踏み跡が現れるので一旦沢筋を離れ、河床から15~20mほど上がった河岸段丘を歩いてみました。

IMG_4616.jpg

そして程なく現れた、整地されたテラス状のフラットな地形。
これと同じ地形がこの先にも出現し、それぞれの緩やかな斜面の端を小沢が流れています。
その小沢沿いにも踏み跡はやはりあり、この周辺を集中的に調べてみたのですが、坑口の発見には至らず。

IMG_4621.jpg

このような昭和の空き缶や、古いガラス瓶は何個も見かけました。
でも、ズリがありません。
坑口の周辺にはあまり草が生えないはずだけど、初冬にも関わらずまだまだシダ系の植物がそこそこ繁茂しています。
それから2つの沢の間の痩せ尾根(こちらにも明確な踏み跡が付いていた)を登り、周囲の地形を確認したり。
とにかく、これで一番西側を流れる沢は隅から隅まで見て回ったので、残るはそのすぐ東側の沢を残すのみとなりました。
その沢も下流の分岐点から400mくらいは昨年遡行したのだけど、地図を見るとその先から等高線の間隔が詰まってくるので、一度はその先も歩いて確かめて見る必要がありそうです。
それでも坑口が見つからなかったら、坑口は既に埋もれてしまっているということでしょう。
弥彦山系の沢の中でも、最も竹藪&笹薮が密に生い茂っており、来るたびに二度と来るもんかと思ったりします。
しかし、あと一回は来たい。
次は来春になるでしょうけど、雪があまり積もらないようでしたら1~2月のうちに再訪してみるつもりです。

IMG_4611.jpg

最後にオマケ写真。
22日の夕方、開ノ木林道から写した間瀬銅山本坑エリア全景です。
正面の谷間を流れる沢が、江戸時代から大勢の山師を招き入れてきた伝説の深が沢。
過去何回もこの林道を歩いているけど、さすが12月、これだけ落葉が進み、視界を遮るものがなかったのにはちょっと感動。
ピクセル等倍で鑑賞しながら穴らしきものがどこかにないか精査したけど、さすがにそれは徒労に終わりましたが。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

白瀬川源流部を彷徨う [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

sakaikouzan.jpg

間瀬銅山の社宅や事務所などの関連施設があった広場から、北へ林道が伸びています。
林道開ノ木平線です。
林道の終点に立っていた標識によると、平成15年7月31日から平成17年3月31日まで林道の開設工事期間と書かれています。
実はこの標識の存在は今回の踏破で知ったことであり、それまでは知りませんでした。
過去2回赤滝鉱山の坑口を探して白瀬川を遡行しましたが、坑口らしい坑口はまだ発見に至っておりません。
4つある坑口は全部赤滝の周辺にあるらしいので、まずは赤滝の位置を特定することが肝要。
それはできているんです。
昨年4月の初回の探索で見つけた滝が赤滝に違いない。
そのときは赤滝の上流50mまで行きましたが、林道開ノ木平線の終点から沢を降りれば200mもないはず。
それに、そもそもこの林道は赤滝銅山の鉱石を運搬するために作られたのではないかと思っていたので、一度この林道を終点まで歩いてみようと昨年秋から計画していたのです。

IMG_8182.jpg

林道は全体的に日当たりがよく、歩いていて楽しいです。
後述しますが、林道を20分くらい歩いた辺りで、多宝山からの派生尾根の先にある376mの小ピークに通じる登山道が林道を横断する地点が出てきます。
なので、弥彦山や多宝山へ登る際のバリエーション・ルートとしても面白いと思います。
林道沿いに何箇所か岩場が出てきますが、そのうち1箇所だけ、白い方解石脈が付いている岩がありました。
でもここだけです。

IMG_8185.jpg

ここが林道の終点。
ここまでは半分くらい舗装されているし、普通に歩きやすいです。
終点から直下の沢に向かってジグザグに斜面を降りていきます。
踏み跡はあるようなないような・・・

IMG_8187.jpg

この沢が白瀬川の源流部にあたります。
下降地点から見た上流部。

IMG_8188.jpg

こちらが下流部。
今回は下流部を、昨年4月に訪れたときの最終到達地点まで歩く予定。
その間に坑口がないかどうかを調べるのが目的です。

IMG_8200.jpg

沢筋は多数の倒木と、人為的に切り倒した木が折り重なっており、部分的にかなり歩き難いです。
倒木も半分は思い切り腐っているので、あまり体重をかけるとポキリとあっけなく枝が折れることも。
そんなところに注意しながら下降します。
こんな風景が続くのですが、あまり坑口が出てきそうな雰囲気はありません。
落ち込みの数は多いので、その都度伝家の宝刀の懐中電灯で暗闇を照らしながら鉱物探しをしましたが、う~ん、ないですね。

IMG_8205.jpg

そして、30分くらいで見覚えのある地点に到着。
このすぐ下流に赤滝が控えているのですが、今回はここで折り返します。
昨年4月の写真と比べると明らかに葉っぱが落ちており、見通しはとてもいいです。
やはりもう一度赤滝周辺も調べるべきだったか。
坑口らしき地形を途中3箇所見つけ、それぞれ穴の入り口まで行ってみましたが、いずれも目の錯覚でした。
ということで、今回も坑口は発見できず。

帰りに気づいたのですが、林道の終点手前約100mの地点に(B地点)、谷間へ降りていく踏み跡を見つけました。
ちょうど尾根伝いに付いていました。
この谷間にも沢が流れているのですが(地図でいうところのBとCの間)、この沢は未調査です。
昨年この沢の入口(B)までちょっとだけ遡行したのですが、雰囲気的には抜群です。
こちらに坑口がある可能性も残っています。
もう一つ、白瀬川の下流部で分かれる、地図でいうところの未遡行の沢と書いた沢もまだ歩いていません。
昨年2回めの調査をしたとき、A地点まで遡行したのですが、両岸に踏み跡がなく、倒木も激しいので全く人が入っているような雰囲気はありませんでした。
しかし、弥彦山スカイライン上部の佐渡見台に立つ坂井銅山の石碑ですが、なぜあの場所に建てたのだろう?
まさにこの沢の延長線上に佐渡見台があることに、地図を見ていて気づいたのです。
となると、この沢も可能性としては捨てきれません。
尚、この未遡行の沢沿いに(右岸)、290mの小ピークに通じる踏み跡が付いています。
どの程度明瞭な踏み跡なのかはわかりませんが、この旧道から沢の核心部へ降りていくのも一手。
標高差がそれほどないので、下流部のいやらしいヤブをスルーできます。
4回目があるかどうかはわかりませんが、もしもう一度来ることがあったら、そのときはこのルートを試してみたいと思います。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

第二次赤滝銅山調査 [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

昨年4月20日に赤滝銅山のレポを上げましたが、明確な坑口を見つけることはできなかったものの、銅山核心部のランドマークである赤滝は多分これで間違いないだろうという滝を特定できたので、最低限の収穫はありました。
しかし、標高45m付近で東南に分岐している沢が気になります。
坂井銅山の鉱区は意外と広いので、こちらの沢にも採掘跡が残っていたとしてもおかしくはありません。
とうことで、そろそろ流域の雪も溶けたであろう頃を見計らい、2月12日、白瀬川を遡行してきました。
歩き始めてすぐ、昨年よりなんとなく竹藪がひどくなっているように感じました。
倒木も明らかに多く、間瀬石切り出し場跡の坑口へたどり着くまでが一苦労。
踏み跡は沢の右岸に一貫して付いているのですが、途中ところどころ不明瞭になる箇所はあります。
踏み跡をたどれば普通に分岐点から東南側~今回遡行してきた沢~に出るのですが、昨年はなぜ西側の沢へ入ったのだろう?
ひょっとして、ヤブを避けて早めに河原へ降り、沢歩きを続けたせいかもしれません。
水量はわずかに西側の沢が多かったように思えたので、分岐からそちら側を選んだのかも。

IMG_7348.JPG

分岐点のちょっと前だったか後だったかよく覚えていないのですが、ただっぴろくなっている河岸段丘を一段上がったところにこのような残骸が残っていました。
赤滝銅山は精錬所も建っていたということなので、ひょっとしたらここに建っていたのか?
そして、ここから5mほど下手にお墓を見つけてしまいました。
おそらく、自然にそこにある小さな岩を墓碑に見立てたのだと思います。
花束が2つそこに置かれており、ペットボトルに入った水が添えられていたのです。
2人か3人、坂井銅山で亡くなっているのです。
花の様子からすると2ヶ月前後経過している雰囲気でしたが、今でもお参りに来ている人がいるのです。

IMG_7341.JPG

そこを過ぎると、パイプの残骸発見。

IMG_7340.JPG

分岐に入ると、標高47m付近で最終堰堤出現。
ここまで本当に笹薮と竹藪に手こずり、二度と来るまいと思ったほど。

IMG_7333.JPG

藪漕ぎゾーンを抜けると、やっと人の手が入ったかもしれない地形がポツンポツンと現れてきました。
一応この暗い穴?に近寄ってみましたが、奥行きはなかったです。
もっとも、埋没してしまっている可能性もあるでしょうけど、自然地形っぽかったです。

IMG_7332.JPG

ここも怪しいなと感じた場所のひとつ。
坑口が塞がれたのかも。
これも自然地形なのか、人工的にこうされたのかよくわかりません。

IMG_7331.JPG

標高約70m、残雪が現れてきました。
ここにも塩ビのパイプの残骸。
踏み跡が残っていたのはこの辺りまでで、渓相も貧弱なまま。
坑口が出てきそうな雰囲気はないので、早々に引き返しました。
やはり昨年4月に遡行した沢沿いに本坑があったのでしょう。
こちらは滝らしい滝もなく、岩場も少なく、なんだかなあといった感じ。

IMG_7347.JPG

帰りに、標高20mのところで東に分岐している沢に入り、80~90mほど遡行してみました。
上の写真はUターン地点から上流を写したもの。
この沢は両岸に踏み跡はなく、ヤブもそれなりに深く、歩いていて快感度は皆無。
今日歩いた沢はどこもそうですが、転石を見てもなんか平凡な石ばかりです。
石英系は皆無。
白瀬川全体に言えることですが、なんとなくどの沢も陰気です。
ゴルジュ続きの日当たりの悪い沢でも、全然陰気さを感じない沢もあります。
その場所の、その土地の"気"って大切ですね。
3月になったら一度鮫銅山へ行ってみたいと思っているのですが、こちらは先人の記録を読むと開放感あふれる明るい沢みたいです。
雪割草の群生地も近くにあるらしく、桃源郷を発見できるといいなと思っています。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

赤滝銅山を訪ねて [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

間瀬銅山の一角をなす赤滝銅山を訪れました。
以下、間瀬郷土史からの引用です。
「間瀬集落から約半里の東南・白瀬川上流鮫ハゲ山地内にある。坑口は滝の横合いにあり、明治二十五、六年頃、吉田氏の経営にかかり、製錬所も設けてやったほどであった。やがて明治の末には山を掘り尽くし、大正に至らずやめてしまった。」

sakaimap.jpg

赤が今回歩いた軌跡です。右上に、間瀬郷土史に記載されている坑道略図を載せました。
この本には他にも間瀬銅山、太刀川銅山、八前銅山の坑道略図が記載されているのですが、はっきり言ってこれらの図、というかイラストは超いい加減。距離感もなにもあったもんじゃありません。
かといって、今となっては埋もれてしまったり完全崩壊した坑道も多く、当時の坑口の正確な位置を掴むのはほとんど不可能。実地調査あるのみ。
今回もっとも感動したのは、最初の坑口を見つけたときでした。

IMG_1809.jpg

最後の畑地をすぎ、200mほど歩いたところで突然左手に現れたのです。
間瀬郷土史はおろか、どんな文献にも出てこない謎の坑口。

IMG_1814.jpg

内部はご覧のように奥行きがなく、横幅5~6mくらいでしょうか。
天井の高さはかなりあり、身長180cmのぼくでもかがむ必要はなかったです。
もっとも、この坑口は黄銅鉱などを含む鉱石を採掘していたのではなく、間瀬石を切り出していた可能性もあります。
いずれにせよ、坑口らしい坑口はこれしか見つけることができませんでした。

IMG_1856.jpg

鉱山道と思わしき踏み跡は明瞭に続いており、歴史を感じさせる人工物がところどころ現れます。

IMG_1860.jpg

下流にはこのような石垣もあり、製錬所があったという記述が現実味を帯びてきます。
しかしながら、明瞭だった鉱山道もこの先はヤブが優勢となり、倒木もあちこちで道を塞いでいたりで、先日の八枚沢銅山での沢歩き同様、非常に体力・気力を消耗することになりました。

今回、鉱山名のいわれとなった赤滝をまず目指しました。
例のイラストによると、坑口は赤滝を中心に前後に散らばっているので、赤滝を特定するのが先決。
しかし、いけどもいけども傾斜はゆるく、大きな岩場も一向に現れません。
1時間20分ほど歩いたところで沢は二手に分かれており、最初は右俣へ入ったのですが、どうも滝は出てくる気配がなさそうだったのですぐ引き返し、続いて左俣へ進みました。

IMG_1825.jpg

これはくだんの二股分岐点手前で写した写真(ひょっとしたら左俣へ入ってすぐの場所だった可能性もある。記憶があやふや・・・)。
このあたりから大きな岩が間断なく現れてきて、坑口がいつ出てきてもおかしくない雰囲気になってきたのです。
左側の岩の下も、ノミを使った形跡があるようなないような。
右側には黒い穴っぽいものが見えていますが、実は現場ではこれに気づかず、調査していません。
これが坑口だったら少し悔いが残りますね。

IMG_1829.jpg

この分岐点には、写真はありませんが小さな堰堤の残骸が残っていました。
ここから左俣の沢は一気に渓相がよくなり、すぐ上の写真の岩場が現れました。
おそらくここは露天掘りの跡でしょう。

IMG_1845.jpg

その先すぐに赤滝が現れました。
落差はそれほどではないですが、左右の岩はとても大きく、圧倒的な偉容をたたえてそびえています。
白瀬川についての記録は、釣り師のそれであれ沢屋のそれであれネットではみかけないので、この滝が赤滝である確証はありません。
しかしながら、それまでは滝はひとつしか現れなかったし(黒い岩肌だった)、この異様な赤さ・・・間違いなくこれが赤滝でしょう。

IMG_1843.jpg

ここも左右ともに深くえぐれており、特に左側が深かった(この写真)。
ここも100%自然地形であるとは思えません。
おそらく岩を切り出していると思います、右側も同様に。


IMG_1836.jpg

でも、岩場の連続はそこまで。
その先はこのような景色が続き、ここでUターンしました。
坂井銅山は当然坑道掘りをしていたと思うのですが、坑口らしい坑口は赤滝周辺ではひとつも見つけることがかないませんでした。
全体に斜面は灌木や草に覆われており、小さい坑口だと沢からはわからない可能性もあります。
体力がかなり尽きかけていたので、その辺の斜面を少しよじ登って探してみたり、といった作業は全くしておりません。

帰宅後、GPSで記録した軌跡を見ると、やはりというか、間瀬本山から伸びている林道終点がこの沢の延長線上にあることを確認しました。
Uターンした地点から林道まで、標高差で100m、直線距離でわずか250~300mほどです。
なので、次回の探索があるとしたら、次は林道終点まで歩き、そこから沢を赤滝までクライムダウンしながら坑口探しをするのが最も楽チンな方法だと思います。
この林道もグーグルアースで見ると、終点まできっちり視認でき、状態はいいものと予想します。
オフロードバイクだったら余裕で走れるかも。

IMG_1855.jpg

おまけ写真。
昭和の空き缶・・・

※20210213追記:2枚めの写真の坑口は、間瀬石の切り出し場跡であると思われます。事業者が同じであるかどうかはわかりませんが、凝灰岩を切り出していた場所であることは確かです。

※2024/02/01追記:
当初、坂井鉱山と赤滝銅山がイコールだと思いこんでいたため、最初は坂井銅山を訪ねてというタイトルにしていました。しかしながら、先日入手した決定な資料(採掘権第707号)により、ここは坂井鉱山の鉱区ではないことが判明。
よって赤滝銅山とタイトルを修正しました。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山) ブログトップ