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鍋倉鉱山跡まであと一歩 [鉱物 (村上市・鍋倉鉱山)]

3日、初めて鍋倉鉱山跡(村上市)を訪れました。
正確に言うと、直線距離であと130mというところまで行ったのですが、諸々の事情でそこでUターン。
従って、訪れました!と胸を張って言えるのは来年の春頃になるでしょうか。
村上市の笹川流れ山脈?沿いには、岩船花崗岩類を母岩とする、多数のタングステン~モリブデン鉱床が存在します。
そのうち、塩野町鉱床、板屋越鉱床については既に鉱山跡を特定し、坑口も複数見つけているけど、『羽越地域の花崗岩類と鉱化作用』(地質調査所月報 第34巻第1号)で取り上げられている鍋倉、能化山、鷺沢の各鉱床についてはまだ未調査。
うち最も規模の大きいのが鍋倉鉱山で、総延長930mに及ぶ坑道が掘られたと言われています。
この鉱山には飯場もあって、そこから(海岸部から約2km)浜の小学校に通っていた子供もいたとのこと。
昭和20年頃から10年ほど稼働し、数十トンの総生産量があったのではないかと言われています。
鍋倉鉱床は、アプライト脈を伴う斑状黒雲母花崗岩中の鉄マンガン重石石英脈。

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吉浦公民館前の駐車場に車を停め、線路を堂々と渡って林道へ入ります。
車を停める場所と鉱山道のスタート地点付近は既に下見済みのため、手際よく歩行開始。
林道といっても(あとで知ったのですが、そもそもの道幅は2.7mあった由)道幅は狭く、登山道そのものです。
踏み跡は明瞭ですが、行きはよいよい帰りは怖い・・・でした。

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歩き始めてすぐ、落ち葉に埋もれて純白の石英があちこちに転がっていることに気付きました。
透明度の高い石はなかったけれど、結構きれいです。

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しかし楽に歩けたのはここまで。
中間地点でいったん川を渡るのですが、昔は橋がかかっていたらしいのですが、そんなもの、とうの昔に消失しています。
正面奥、川の右岸に黄色いトラロープが垂れ下がっていたので利用させてもらいました。
かなり古そうなロープだったけど、背に腹は代えられません。

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ここの河原で見かけた石英。
林道沿いで見かける石英より、やはり河原に転がっている石英の方がずっと美しいです。
なんていうか、品がある。

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8月の豪雨の爪痕はこんなところでも見られました。
下流から上流まで、全体的に河床は数十センチ上昇していると感じました。
大規模な土砂崩れ部分はなかったものの、倒木の数がやたら多く、ただでさえ狭くなっている路肩に通せんぼをするかのごとく覆い被さっている倒木には苦労しました。

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川を対岸に渡ってから4~5本、小さな沢が左手から出会うのですが、出会い部分の斜面がことごとく崩落しかけており、通過には非常に微妙なバランスを要求されました。
今年イチバンのテクニカルなトラバースの連続。
上の写真は、飯場跡まであと200mのところで見かけた人工物。
多分堰が崩壊したものでしょう。

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今日は紙の地図は持ってこなかったのですが、ガーミンだけだと現在地を把握するのに役不足ですね。
かなり歩いたにも関わらず一向に飯場があったと思わしき広場が出てきません。
かといって、ガーミンの小さな画面に表示される地図を拡大してみても、イマイチどこを歩いているのかわからない。
悪いことに、この日はフラッシュライトを持ってきておらず、明るいうちに下山する必要があったので、タイムリミットが迫っています。
いよいよ終盤に差し掛かっているのは明白でしたが、ここで右岸にあるはずの鉱山道が途切れてしまいました。
このちょっと手前からヤブが濃くなり、茨も増えてきたので、めったやたらな藪こぎはできません。
対岸に渡ればなんとなく左岸に踏み跡が残っていそうな雰囲気でしたが、今回はここまでにし、ここでUターン。
あとで知ったのですが、直線距離で130mも進めば広場に出たのです。
飯場跡までもう一息でした。
そこにはまだトイレ棟の建物が残っているみたいですし、索道の残骸も藪の中に眠っているらしい。
ここまで、特に思ったより茨に悩まされたので、再訪するならやはり雪解け直後でしょう。

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帰りに、こんな標柱を見つけました。
全長2,400mですか。
やっぱり2km以上あったんですね。
幅2.7mとありますが、2.7m幅をキープしているところなんてほとんどありませんでした。
地形の変化は著しいです。



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