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実川鉱山と万治峠 [鉱物 (阿賀町・実川鉱山)]

今年10月7日、初めて実川鉱山の坑口を訪れました。
この坑口は登山道沿いにあるので場所がわかりやすく、すぐ見つけることができました。
しかし坑道の長さが6m弱しかなく、これが本坑ではないはず。
その時のブログ記事にも書きましたが、実川鉱山は4つ前後の坑口を有するはずであり、その中の飯豊坑などは少なくとも長さが57mあることになっているのです。
ある文献には、昭和12年には削岩機2台を持ち込み、翌13年には雪解けと共に削岩機15台を投入予定とあります。
さてつい先日、知人から、万治峠へ登る途中で2つほどの穴を見た記憶があるという話を聞きました。
ぼくも次回行くとすれば、前回は最初の坑口で引き返しましたが、穴探しをしながら万治峠まで行ってみたいと考えていました。
途中の東屋までは昔訪れたことがあるのですが、木々の落葉が進み見通しが良くなったであろう晩秋の17日、万治峠までハイキングに行ってきました。

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前回見つけた坑口を過ぎ、しばらくするとテラス状の地形が現れました。
近づいてよく見ると、これは石垣です。
鉱山の本拠地は近い。

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とある斜面の上の方に穴が見えるような気がしたので、小さな沢を登っていきました。
歩き初めてすぐ、その沢はそれ自体が道っぽい雰囲気が漂っていることに気づき、そう、ちょうど間瀬銅山のあの坑口手前を流れる沢のごとく、坑口の出現を確信しました。
しかし、穴だと思ったのは目の錯覚で、それは光の織りなす影でした。
それでも妙な確信は変わらず、周辺を探し回ってみると・・・

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ありました!坑口です。
前回見つけた坑口より、間口部は一回り小さいでしょうか。
中を覗いてみます。

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あちゃ~、4m先で行き止まり。
水は溜まっているものの、水深は10~15cmくらいでしょうか。
入っていこうと思えば行けるのですが、写真を撮るだけに留めました。
一番奥の壁に青い部分が見られます。
ピクセル等倍で見てみると、銅の二次化合物っぽい。
銅をメインに採掘していた鉱山なので、銅っ気があるんですね。
ただ、坑口前のズリや周辺の地質&岩石をチェックしても、これといった鉱物は見当たりません。
もっとも、奥行きがこの坑口も短いので、本丸ではないはず。
いったいどこにあるのだろう、長さ60mの坑道は。

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引き続き、途中東屋を経由して万治峠まで登山を続行。
そして、このお地蔵様の近くでかすかな踏み跡が東側の谷へ続いているのを見つけました。
30mほど歩いてみましたが、途中から灌木が地を這うように踏み跡に覆いかぶさっていたのでそこでUターン。
目の前を小沢が流れており、その先に坑口が待ち構えている気がしないでもなかったけど・・・
後で思い返すと、この小さなお地蔵様は鉱山で働く人達が祀ったものである可能性もあります。

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そして、ようやく万治峠へ到着。
道すがら、特に穴らしい地形は見当たりませんでした。
この石碑に刻まれている嘉永(1848~55)という元号からすると、江戸時代に建てられたものだということがわかります。
万治峠の由来ですが、万治元年(1658)に開設され、実川集落と荒沢集落を結ぶ重要な生活道路として様々な歴史を刻んできました。

IMG_3643.jpg

これは東屋のある広場からの展望。
飯豊連峰の最高峰・大日岳(2128m)が目の前です。
もちろん万治峠からも同様の眺望は得られますが、飯豊の景色を眺めるのが目的だったら、東屋の建つ広場で来れば十分だと思います。
万治峠、ブナ林主体のため見通しが良く、峠付近まで行くと赤松の大木があったりと、手軽なハイキングコースとしてお勧めです。





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いざ、実川鉱山へ [鉱物 (阿賀町・実川鉱山)]

磐越西線で福島県鏡に近い山あいに位置する町・日出谷周辺には、少なくとも3つの鉱山がありました。
少し前まで実川鉱山だけだと思っていたのですが、新潟県地質図説明書(昭和52年3月)のp360にこうあります。
「新潟県の金属鉱業の最盛期は、第二次大戦の時期で、軍需的な要請により鉱物資源の採掘が進められた。当時の稼行鉱山は90近くであった。その鉱山名を挙げればほぼ次の通りである。・・・(中略)
日出谷鉱山(金・銅・他)、日出谷満俺鉱山(マンガン)・・・」

日出谷鉱山に関しては他に一切文献に出てこないのでこちらの探索はあきらめ、とりあえず大体の場所がわかっている実川鉱山を目指して、9月20日と10月7日の2回に分けて現地へ行ってきました。
実川集落へは約40年前に訪れたのを皮切りに、もう10回近く訪れています。
行く度に廃屋の倒壊が進んでおり、侘しい気持ちになります。

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こんな感じです。
遊歩道が整備されているので、手軽に探検、じゃなかった観光ができるのはいいです。

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こちらは、登山者用の駐車場入口脇にかつて建っていた、曹洞宗山渓寺跡地に残っている石像。
おそらくここが玄関というか、入り口だったのでしょう。

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今回初めて訪れた、五十嵐家のお墓。
さすが、往時の大庄屋だけあって墓地が広いです。
ちなみに、現在でも観光できる国重文・五十嵐家住宅の母屋は宝暦9年(1759)の建築になります。
この秘境・実川集落が開拓されたのは鎌倉時代初期の建久年間(1190~1199)、源義経の配下だった猪俣和泉一族がこの地に住み着き、開拓したのが起源とのこと。

さて実川鉱山ですが、参考文献はミックンのつぶやきというブログ。
ただしその記事は隠れた場所にあり、普通の人はトップページからだとたどり着けないでしょうから、記事へ直接リンクを貼っておきます。
一部引用します。

『3 地質及び鉱床
鉱区は花崗岩を基底とし凝灰岩之を覆い又此等花崗岩及び凝灰岩を貫きて石英粗面岩の露出せるあり鉱脈は石英を脈石とし黄銅鉱を主として他に第二次的の斑銅鉱、 孔雀石を混在す走向略南北傾斜西に30~40度なり現在迄判明せる露頭は4本ありて内最も有望なるは萬治3鉱脈にして走向延長100余米、 ヒ幅1.8 米走向南北傾斜西へ30度なり、萬治1號ヒは幅1.8 米露頭は中断されつつも60米を追跡し得走向傾斜前者と同様にして同品位平均6.2%なり

4 操業の概況
5月着手と共に萬治坑に於いては直に採掘に着手し年来迄に557頓を採掘せり、更に10月より萬治3 號脈探鉱の為飯豊坑、中切坑及大切坑を開鑿、夫々掘進中にして飯豊坑は坑口より57米にして同脈に逢 着中切坑に於いては圧縮機1台、鑿岩機2台を設置鋭意掘進中にして雪解けを待ち更に圧縮機2台、鑿岩 機15台を設置し、又本山日出谷間10粁に索道を架設の予定なり 従業員数42名

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万治峠付近に位置する某坑口。
上記の資料は昭和12年に書かれたものなのですが、一番最初に開拓されたのが万治坑(=萬治坑)ということらしいです。

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入り口は高さはありませんが、なんとか潜り込めました。

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あれ、奥行きがありません。
4~5m先で閉塞。
例の文献をよく読むと、万治一号ヒは幅1.8m、露頭は中断されつつも60mを追跡し・・・と書かれているので、ひょっとしたらこれが万治一号坑口なのかもしれません。

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このように壁面には部分的に石英が露出しているのですが、例の文献に「鉱脈は石英を脈石とし・・・」とあるので、状況は合っています。

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坑口前の谷の風景。
近くに飯豊坑、中切坑、大切坑があるはず。
万治峠まで登ると、飯豊連峰の最高峰である大日岳が正面に見えるようになります。
従って、飯豊坑はここよりもっと上、大日岳の展望が利く斜面のどこかに位置しているのではないかと思うのですが、坑口を発見した満足感が大きく、それ以上の探索はせずに元来た道を引き返しました。
それにしても、削岩機15台を設置し、従業員も42人いたということはかなり規模の大きい鉱山だったはず。
それを考慮すると、またいつか坑口探しに来てみたいと思ったり。





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