宮久炭鉱の珪化木 [鉱物 (胎内市・宮久炭鉱)]
旧黒川村に住む知人から情報提供を受け、初めて宮久炭鉱跡を訪れました。
2回行ったのですが、実はその時はそこが宮久炭鉱跡だとは知らず、単なる珪化木や亜炭の産地と思っていました。
今回記事を書くにあたって色々調べている過程で、その場所こそが宮久炭鉱があったエリアだと。
宮久炭鉱のことは以前からその存在を耳にしていましたが、具体的な場所は知らないでいたのです。
基本的に、亜炭には興味がないですし。
胎内市でガス・給水・下水工事やシステムキッチンなどの販売を行っている会社を経営されている板倉氏のおじいさんが、18歳の若さで起業して起こしたのが宮久炭鉱だったとのこと。
板倉氏が宮久炭鉱の歴史のことをブログで語っておられるので、詳しくはそちらをご覧下さい。
そこにアップされている写真を見ると祠があるようなのですが、それだけはわからなかったです。
この沢沿いのあちこちに亜炭が露出しています。
実は今日、クレーストーン博士の館へ行ってきました。
館内にはたくさん亜炭の標本が展示してあったんですが、どれもラベルが宮久炭鉱となっていました。
まさにこの写真が亜炭の標本そのものです。
この地層のそれはやや良質。
ちなみに、新発田市の赤谷には炭鉱もありました。
そこでは亜炭レベルより良質の石炭が採れたらしく、索道を使って搬出していたようです。
さて、こちらは珪化木。
樹幹が完全に石炭化せず、細胞内や細胞の間に珪酸成分が浸透・沈着し、珪化したものを指します。
その場合、この標本のように、表面に微晶質石英をまとっていることが多いです。
ピクセル等倍で切り出してみました。
ちゃんと水晶が見えます!
こちらが典型的な珪化木。
もとの樹木の微細な構造を留めているため、樹種や類縁関係を知ることができます。
ところで、宮久炭鉱のヤマの面積は80町歩だったとのこと。
東京ドーム8.5個分の大きさです。
2回目に訪れた時は気合を入れてあちこち歩き回ったのですが、細かい起伏が多く、途中方向感覚を失いました。
地図に載っていない古い林道や踏み跡も多いので、探索される場合はGPS機器を併用されることをお勧めします。
おまけ。
ネイチャー写真は楽しいです。
2回行ったのですが、実はその時はそこが宮久炭鉱跡だとは知らず、単なる珪化木や亜炭の産地と思っていました。
今回記事を書くにあたって色々調べている過程で、その場所こそが宮久炭鉱があったエリアだと。
宮久炭鉱のことは以前からその存在を耳にしていましたが、具体的な場所は知らないでいたのです。
基本的に、亜炭には興味がないですし。
胎内市でガス・給水・下水工事やシステムキッチンなどの販売を行っている会社を経営されている板倉氏のおじいさんが、18歳の若さで起業して起こしたのが宮久炭鉱だったとのこと。
板倉氏が宮久炭鉱の歴史のことをブログで語っておられるので、詳しくはそちらをご覧下さい。
そこにアップされている写真を見ると祠があるようなのですが、それだけはわからなかったです。
この沢沿いのあちこちに亜炭が露出しています。
実は今日、クレーストーン博士の館へ行ってきました。
館内にはたくさん亜炭の標本が展示してあったんですが、どれもラベルが宮久炭鉱となっていました。
まさにこの写真が亜炭の標本そのものです。
この地層のそれはやや良質。
ちなみに、新発田市の赤谷には炭鉱もありました。
そこでは亜炭レベルより良質の石炭が採れたらしく、索道を使って搬出していたようです。
さて、こちらは珪化木。
樹幹が完全に石炭化せず、細胞内や細胞の間に珪酸成分が浸透・沈着し、珪化したものを指します。
その場合、この標本のように、表面に微晶質石英をまとっていることが多いです。
ピクセル等倍で切り出してみました。
ちゃんと水晶が見えます!
こちらが典型的な珪化木。
もとの樹木の微細な構造を留めているため、樹種や類縁関係を知ることができます。
ところで、宮久炭鉱のヤマの面積は80町歩だったとのこと。
東京ドーム8.5個分の大きさです。
2回目に訪れた時は気合を入れてあちこち歩き回ったのですが、細かい起伏が多く、途中方向感覚を失いました。
地図に載っていない古い林道や踏み跡も多いので、探索される場合はGPS機器を併用されることをお勧めします。
おまけ。
ネイチャー写真は楽しいです。