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小杉沢銅山へ [鉱物 (五泉市・小杉沢銅山)]

早出川上流を取り囲む山塊を川内山塊と言います。
粟ヶ岳、白山、菅名岳などがこの山塊を代表する山ですが、他はほとんど無名の山ばかり。
標高的には1000m前後の山の集まりなのですが、面積が恐ろしく広く、しかも登山道はほんの僅かしかありません。
またヤマビルの生息地でもあるので容易にアプローチすることもままならず、今でも太古の自然が保たれています。
川内山塊の中でも旧上杉川村や旧仙見谷村の山間部には、小さい規模の鉱山がほとんどながらもたくさんの鉱山がかつてありました。
片道4~5時間もかかる鉱山も珍しくなく、昔の人のバイタリティーに感服するばかり。
そんな数ある川内山塊の鉱山群の中で、ひとつだけ何とかぼくの体力でも辿り着けそうな所を発見しました。
そこが今回取り上げる小杉沢銅山(=川内鉱山)。
延亭二年(1745)の文献に、小杉沢銅山が稼働していたことが書かれており、昭和30年頃閉山するまで断続的にトコヤ沢沿いの谷間で採掘が行われてきたようです。
閉山時の経営者は日本鉱業KK。
前身は明治38年に設立された久原鉱業所日立鉱山。
大正元年に久原鉱業と社名変更、昭和3年には日本鉱業になり、昭和48年には日立鉱山と変遷。
昭和56年に鉱量枯渇により日立鉱山は閉山となります。

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スタート地点はこの水道橋。
坑口発見より、まるで古代ローマ遺跡のような佇まいを見せる水道橋の存在感にしびれました。
歴史や変遷など、ネットで調べてみましたが出てきません。
もちろん五泉市観光協会のページにも取り上げられていないし、無名の存在のようです。
このまま朽ちさせるのはとてももったいないと思います。
貴重な文化財と言えるのではないでしょうか。
ところで、登山道取り付き付近には鉱石集積場が置かれ、そこには4棟の飯場の建物があったとのことです。

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歩き始めからおよそ15分で、今でも草木がほとんど生えていない広場に着きます。
精錬所跡です。

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精錬跡の岩盤状鉱滓。いわゆるカラミです。

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登山道(=鉱山道)はひたすら尾根の中腹をトラバースするように伸びています。
路肩がほとんど消えかけている箇所も多く、あと10年もするとまともに歩けなくなるかも。

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登山道途中から見た採掘現場跡の斜面。
やはりここもあまり草木が生えていません。

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登山開始から約1時間。
やっとズリの下部に到着。
まずこの坑口が現れます。
といっても、登山道からは見えません。
テラス状の地形が幾つも現れるので、そこで怪しいと感じた地形を左手方向にトラバースしていったら見つけました。

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支保工が残っている立派な坑口ですが、内部は完全に埋まっています。

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そして、ズリ斜面の上部で2つの坑口が並んでいました。
こちらは小さい方のそれ。
30~50cm先で閉塞しているので、内部の写真は省略。

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そして、これが一番大きな坑口でした。
間口も1m以上余裕であります。

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しかし、こちらも奥へ進めません。
閉山時に、鉱毒の流出と入坑の危険を防ぐため、いくつかの坑口を埋め戻したらしいので、これは仕方ありませんね。

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最後の坑口は2.5m先で終わっているものの何とか入れそうだったので、潜り込んでみました。
入ってみてビックリ!
青は胆礬でしょう。
白い部分は初生期の霰石のように見えました。

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その近くの壁にもこんなところが・・・
この鉱山では銅、亜鉛、鉛などを採掘していたので、銅の二次鉱物が見られるのはごく自然なこと。
削岩機や火薬の使用はなく、純粋に手掘り坑道だったようなのでそれほど坑道の奥行はないかと思いますが、もっと奥へ入ってみたかったというのが本音です。

※参考資料:「川内山鉱山跡」吉田忠著



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