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鹿瀬鉱山のすべて (1) [鉱物 (阿賀町・鹿瀬鉱山)]

今年の春、4回に渡って調査した鹿瀬鉱山。
ほぼ全容が明らかになったので、数回に分けてレポートしたいと思います。
まずは沿革から。
開山は明治37年。
当初は美濃和鉱山と称していたが、大正2年に鹿瀬鉱山と改名。
銅の精鉱量は大正元年1.9t、大正2年36t、大正3年102t、大正4年207t。
正確な閉山時期は定かではありませんが、昭和2年までは銅の精鉱量のデータが有り、それによると昭和2年のそれは10t。
ピークは大正時代5~7年頃だっと見え、大正5年のそれは1532tとかなりの産量を誇っていました。
一方鉱業権者の変遷をみると、昭和14年に東京の高橋芳雄氏に鉱業権が移譲されているので、昭和初期まで稼行していたのは確かなようです。
大正5年の文献によると、主要な鉱脈は下山坑の1条だとあり、下山1号坑と2号坑を開発していた模様。
角神方面に向かって、長盛ヒ、大正ヒ、新盛ヒの3鉱脈を探鉱中であるとの記述が見られます。
4回の調査で、確かに角神方面にかけても幅広く、そして多くの坑口や狸掘り跡を確認しましたが、下山坑以外はそれぞれの鉱脈の範囲がわかりません。
なので、下山坑とそれ以外と2つに大別して紹介したいと思います。
まずは下山坑から。

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今も残る選鉱場の廃墟。

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隣接して大きな石垣が数段に分かれて残っています。

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石垣と石垣の間には、それぞれこのような遺構が人知れず眠っています。

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このガラス瓶も当時のもの(昭和初期?)でしょう。

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一番上の坑口。

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途中で下のレベルを垣間見ることのできる窓?が出現。

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その先にも、左側に別な下層世界を覗ける展望スペース?が現れました。

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ということは、この坑口より下にも坑口があるはず。
のちの調査でその坑口を発見することができました。

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主坑道は途中で崩落。



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