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大毎金山へ [鉱物 (村上市・大毎金山)]

今年2月、新潟県立図書館でとても興味深い本に出会いました。
それは「日本の金銀山遺跡」萩原三雄著です。
県北の金山や鉱山に関しては、度々当ブログで言及しているHP”ミックンのつぶやき”と、ブログ”サルナシの掘り掘り日記”が詳しいです。
それらのサイトで紹介されている参考書として、”金銀山史の研究”や”日本金山誌”などが挙げられるのですが、残念ながらどちらも国立国会図書館のデジタルコレクションに収録されていないため、また現時点では古本屋にも在庫がないため入手不可能。
ぼくもまだ読んでいません。
「日本の金銀山遺跡」は出版年が2013年と新しく、内容も充実しているため、この本に出会ってから一気に県北の金山や鉱山に対する関心が強まったのです。
そこにきて、つい先日新たに”羽越地域の花崗岩類と鉱化作用”(地質調査所月報・第34巻第1号)を入手。
これは全16pの論文なのですが、地質に関するマニアックな記述は別にしても、大泉・葡萄・大毎・大沢・岩船・鍋倉・塩野町・鷺沢・能化山・鼠ヶ関などの鉱山鉱床について詳述されており、この論文にしか書かれていないことも多く、とても参考になりました。

さて、大毎金山ですが、地質や歴史についてはサルナシさんのブログが最も詳しく、かつ的確にまとめられているのでそちらを一読されることをお勧めします。
サルナシさんのブログのサブタイトルは~越後黄金山の砂金を訪ねて~。
そう、地質のスペシャリストでもある同氏がライフワークとして取り組んでいる対象が新潟県北部の金山なので、気合の入り方が違うのです。
大毎金山について簡単に言うと、江戸時代初期には既に稼行していたらしく、大正年間に閉山するまで長い歴史を誇る金山です。
しかし、県北では鳴海金山の知名度は高いものの、その影に隠れてか、それ以外の鉱山は世間的には全く無名。
大毎金山の位置は「日本の金銀山遺跡」に詳しく記してあるので、正確な場所を知りたい方はこの本をご一読されてみてください。
サルナシ氏のHPでも書かれているように、鉱山遺構はマンニモ山と十貫山にかけて分布しています。
「日本の金銀山遺跡」によると、25~30mの奥行きを持つ多数の坑道があるとのことなので、探検意欲をそそられます。
標高400m地点にあるのですが、そろそろ道路の雪も溶けただろうと、4月9日初めて大毎金山を訪れました。

まず、道路の雪は完全には溶けていなかったです。
十貫山を過ぎるとすぐに道路が10~20cmの残雪で覆われており、そこで行き止まり。
ぎりぎり金山の入り口までは車で行けたので支障はなかったですが・・・
「日本の金銀山遺跡」では、金山の位置がマンニモ山の北西斜面に丸印で記されているのですが、反対側の南東斜面に鉱山道と思わしき寂れた林道が目に止まったので、まずその林道を歩いてみました。

IMG_1922.JPG

IMG_1923.JPG

すると、おお、遺構がどんどん出てきます。
大正年間に操業を終えたことになっていますが、戦後も再開していたみたいですね。
かなり機械が新しいです。

IMG_1930.jpg

鉱山につきものの、写真のような窪地(専門用語でなんというのか知らない)もあちこちに見られ、大体6つはあったと思います。
そして、350~400mくらい歩いたところで、いかにも坑口が潜んでいそうな地形に出会いました。

IMG_1937.JPG

それがここ。
林道から数メートル斜面を上ったところから写しています。
ここには3つの坑口が写っています。
間口が最も広いのは左端の坑口。
斜度もそこが一番ゆるく、といっても結構急でしたが、真ん中と右端の坑口は左側から斜面をトラバースしてアプローチできるだろうと判断。
まずは左端の坑口へ。

IMG_1911.JPG

雪解け直後なのか、たっぷり水分を含んだ地面はとても滑りやすく、なにげにいやらしい地形で、やっとの思いで写真を撮りました。

IMG_1907.JPG

IMG_1905.JPG

身体を潜り込ませようとすると泥だらけになるので、腕だけ伸ばして撮影。
実はヘッドライトを車の中へ置いてきたので、坑口の奥行きや深さはよく確認していません。
写真を見ると左右に広いですが、正面の奥行きはなさそう。
そして、右側手前は水没しています。
右側はさらに奥がありそうな気配でしたが・・・

IMG_1917.JPG

真ん中の坑口が最も雰囲気的に長さがありそうだったので是非覗いてみたかったのですが、5本の倒木がただでさえ狭い足場を塞いでおり、あと少しのところで足が踏み出せません。
補助ロープも持ってきていなかったし、ここで撤収。

IMG_1931.JPG

これは林道終点近くの斜面で見つけた露天掘り跡。

IMG_1934.jpg

その内部。
手前側に多数のズリ。
林道の総延長は450~470mほどでした。
最近何度か足を運んだ弥彦山の沢に比べたら、シダ類が多いため林の中の見通しはいいです。
道のない斜面を歩くのも、滑りやすいのには閉口しましたがそれほど苦にはなりません(スパイク付きの長靴がいいかも)。
時間の関係で、マンニモ山の南東斜面のみの探索に終わりましたが、十貫山のすぐ北に、やはり鉱山道と思しき小道を見つけたので、今度はそこからアプローチしてみたいです。
名前を上げた参考図書?によると、全部で8つの鉱脈があり、7個の坑道が残っているらしい。
鉱物的には、砂金以外では黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方解石、石英、アンケライトなどが採れたとのこと。
尚、マンニモ山の頂上には鉄塔が建っており、監視用の小道がマンニモ山の痩せ尾根沿いに伸びています。
途中まで歩いたけど、視界も広くとても歩きやすかった。
山頂には古い露天掘りの跡が残っているみたいなので(そのときは知らなかった)、距離も短いですし、この次行くことがあったら山頂まで往復してみたいと思っています。

※2020/09/27追記:
林道沿いに放置されていた機械は、林業用のものである可能性が高いことがわかりました。
文献によると大毎金山は大正2年に休山したことになっていますが、それ以降稼働を再開したことを匂わせる資料はありません。なので、大正時代の閉山と考えるのが自然です。








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