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宝川下流部溯行記 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

林道から簡単にアプローチできる狸掘り跡をすぎると、いよいよ間瀬銅山エリアです。
今回はそれほど丹念に石探ししていないので何も見つけられませんでしたが、この辺りからぼちぼち黄銅鉱や方解石の小さな石片が河原で見られることでしょう。

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いい渓相です。
上流に精錬所があったので魚は見られませんが、本来ならイワナやヤマメがいてもおかしくない渓相。

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さて、初めて大きな釜を湛えた滝が現れました。
ここは右岸から高巻き。
滝の上、右側に穴が見えます。
別なアングルでも写してみたのですが、やはり人工的に掘られた穴のようでした。
あとで調べてみると、坑道からの排水口であるとの由。
実はこのあと、この少し上流で坑口を見つけてしまったのです。

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残念ながら2m先で水没していますが、なぜか実際の大きさ以上に貫禄を感じさせる坑口。
やはり後日ネットで調べてみると、この坑口の写真をブログにアップされている方がお二方いらっしゃいました。
そうとは知らず、この時は鬼の首を取ったような、誇らしげな気分になっている自分がいました。
間瀬郷土史に次のような記述があります。
「間瀬銅山の坑道は真沢にあり、ここから第一坑道を掘り、第一運搬坑道に使用した。深ヶ沢には第二、第三、第五坑道を掘った。第四坑の四は死に通じ、忌み嫌われたので名付けられなかった・・・」
ということは、この坑口は第一坑道ではないでしょうか。

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この写真ではわかりませんが、水中には複数の坑木が眠っています。
また、奥の方には立っている坑木も1本見られます。
やはりここが第一坑道では?
ピクセル等倍で見てもイマイチ判然としないのですが、ひょっとしたら右に直角に、突き当りでカーブしているかもしれません。
右側は例の滝上の排水口の穴とも繋がりが出てくるので、水が温む時期になったら一度探検してみたい気もします。
しかし天井が低く(水深は目分量で50~70cmくらい)、匍匐前進必須なので、全身ずぶ濡れになる覚悟が必要。


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しばらくして前方に大きな堰堤が見えてきました。
最終目的地到着です。
この滝の左横には、登山者用の駐車場があるはず。
そして、左手方向にはやはり人の手が加わったと思われる地形があり、そこを改めて調べました。

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真ん中あたりに青く発色している部分があるので、近寄って撮ってみました。

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銅の化合物がにじみ出ているようです。
何箇所が木材が突き出しているので、崩壊する以前は何かの施設の一部だったのかもしれません。

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ここから林道に這い上がると(途中、大きな四角い御影石が斜面に横たわっていた)、なんと大きな火焔土器の前に出ました。
ネットでは見た記憶があるけど、自分でじかに見るのは初めてです。
やはり後日調べてみると、作者は彫刻家の早川亜美さん。
昭和38年、新潟国体が開催されたとき、聖火台として早川さんが制作したのがこの大きな火焔土器だったのです。
早川さんは白岩観音ビーチの駐車場に建っている越後七浦観音像の制作者としても知られ、昭和43年、間瀬銅山精錬所跡にアトリエを建てたようです。
すると、ひとつ前の写真の場所にあった施設は精錬所だった可能性があります。
古図を見ると、最も真川に近い側に精錬所が建っていたので、おそらく間違いないでしょう。

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火焔土器風聖火台から10mほど下手に、作りかけらしい石像が建っていました。

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位置関係はご覧の通り。
神社の手水鉢も残っていました(火焔土器の手前)。

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最後に山神社へ参拝して終了。
毎年6月13~14日、年に一度の銅山祭が山神社を中心にして盛大に催されたようです。
郷土史の資料によると、銅山祭は間瀬村の祭とは別なもので、村祭では見られないサーカスや芸者踊りなどが見られたとのこと。
この銅山祭は、間瀬銅山が閉鎖された大正9年まで続いたそうです。
今は昔の物語・・・







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