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宝川中流部溯行記 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

登山道に合流してからも、よく見ると広い河岸段丘の中に踏み跡らしきものがあることに気づきました。
そこを辿っていくと、前方に石垣が・・・

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登山道の先には明神沢立坑が待ち受けています。
詳しい場所は特定できないけど、宝川上流には太刀川鉱山もあったはず。
鉱山関係の施設の石垣でしょう。

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宝川はこの先で二手に分かれますが、どちらも堰堤がそれぞれ2つ待ち構えており、特に本流側(左側)の堰堤を乗り越えて上流へ迎えるかどうかを確認しました。
まあ、なんとかなるでしょう。
そして、2つの沢の出合の近くでかなり大きな石碑を発見。
これはネットでも見たことがありません。
天保3年ということは西暦1832年。
今からおよそ200年近く前に建てられた石碑です。
間瀬銅山は江戸時代初期から手が付けられていますが、その頃は深ヶ沢を開拓したと思い込んでいました。
しかし、そこよりはるかに上流側のこの地に石碑があるということは、少なくとも江戸時代後期には鉱区はかなり広範囲に及んでいたことが伺いしれます。

IMG_7722.jpg

石碑の裏側です。てか、こちらが本来は表ですね。
銅山師2名の連名になっていますから、鉱区を見渡すことのできるこの地に安全と繁栄を祈願して建てたものでしょう。

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帰りは登山道を歩きました。
道すがら、ちょっとした踏み跡やよさげな岩場がないか、観察しながらゆっくり歩きます。
すると、2箇所の間瀬石石切場跡を見つけることができました。
上の写真のそれはよくネットでも取り上げられている石切場跡ですが、ぼくはまだここには行ったことがなかったので、行けてよかった。
登山道より5mほど上がったところにあり、ちょっと取り付きが悪いです。
内部はそこそこ広く、角田山麓にある同様の石切場跡(当ブログ1月31日の記事参照)と比べていい勝負。
ただし、こちらは内部に池があるのが違います。
そして、その池にはサンショウウオが生息しているようでした。

IMG_7733.jpg

サンショウウオの卵のうです。
これだけだとオオサンショウウオかクロサンショウウオかどっちなのかわかりませんが、かなりの数の卵のうが両方の池にあったのでなんだか嬉しくなりました。

IMG_7741.jpg

残念ながら内部にも周辺にもこれといった鉱物や結晶は見当たらなかったけど、大満足。
ここの岩は緑色凝灰岩でした。





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