SSブログ

麒麟山の岩場巡り [鉱物 (阿賀町)]

おととし、磐越西線脇の道路から阿賀野川越しに麒麟山を双眼鏡であちこち眺めていたら、端っこの方に洞窟らしきものがあるのが見えました。
それから2回下見したのですが、なにげに麒麟山の登山道から西の斜面は急斜面で踏み跡もなく、どうしたものかと悩んでいました。
今回(8日)、裏登山道の方からアプローチし、登りが始まってから適当なところで水面に近い辺りの斜面に降り、そこからくだんの洞窟までトラバースしようという計画。

IMG_9900.jpg

驚くべきことに、水面から2~4m上の斜面に15~20cm幅のかすかな踏み跡がずっと付いていました。
恐る恐るその踏み跡を辿り、なんとか目的の洞窟へ到着。

IMG_9899.jpg

入り口の高さは3mくらいでしょうか。
ところが思ったより奥行きがなく、2~2.5m先で閉塞。
麒麟山は全体的に流紋岩地帯であり、ごく一部の岩場で玉髄が見られるものの、この洞窟と周辺の岩場では玉髄脈はありませんでした。

IMG_9905.jpg

あの細い踏み跡を引き返すのも難儀なのでそのまま進んだところ、すぐにここへ到着。
踏み跡はこの岩場の前でほぼ消滅し、右手側にゆるい傾斜の広場が拡がっておりました。
それにしてもこの岩場、下に自然崩壊した岩の破片が散乱しており、さながら鉱山のズリのよう。
ここでしばらく鉱物探し。
しかし、風化した玉髄が薄く付いている岩を2つ見つけただけで、これといった発見はなし。

IMG_9910.jpg

この先さらに進むと、左側に広大な岩の崖が屏風のように展開しました。
なんという迫力。
そして、右側の杉林の中に「史跡 津川城 倉跡」と書かれた古い標柱が立っていました。
麒麟山にお城が築城されたのは鎌倉時代の建長4年(1252)。
そして、廃城が寛永4年(1627)。
表登山道から登ると途中、石垣や本丸跡などの遺構が現れますが、まさかこんな踏み跡でさえないような山中にも遺構が埋没していようとは。
すぐ目の前は阿賀野川なので、昔は水運が盛んでしたから舟で荷物の積み下ろしをしたのですね。

IMG_9918.jpg

さらに、この先の杉林の中に屋敷跡の標柱が立っていました。
このまま城山橋の駐車場まで戻れるかなと思ったのですが、甘かった・・・
下へも上へも斜度がきつくて(ヤブも壮絶)前進できなくなり、少し戻ってヤブの薄い尾根に取り付き、大汗かきながら登山道に抜けました。
そこからほんの一投足で石垣跡へ。

IMG_9923.jpg

実は麒麟山へ登るのは初めて。
津川城がこんなに大きかったなんて。
古城ファンならずとも感動です。

IMG_9933.jpg

裏登山道と交わるところにお稲荷さんが祀られています。
すぐ左隣に立派な赤い祠があるのだけど、ぼく的にはこちらの古い祠の方に惹きつけられました。
多分江戸時代のものでしょう。

帰りは裏登山道経由で下山。
ほぼ平坦な道に出てから城山隊道トンネルを出たところの駐車場(そこに車を停めた)に戻るまで、しばらく右手方向に大岩壁がひたする連続します。
見るとやはり流紋岩のようです。
意を決して登れそうな岩場を2~3箇所トライ。

IMG_9971.jpg

こういう岩壁が続くわけですが、なかなか晶洞やちょっとした割れ目が出てきません。
非常に勇壮な景色の連続で面白かったけど、鉱物的にはこれといった発見はなし。

IMG_9982.jpg

そんな中で、大きくオーバーハングした大岩壁のくぼみで、写真の祠を発見。
わかりにくいですが、左側にももう一つ建っていたみたいで、崩れた残骸が見られます。

IMG_9988.jpg

こちらが天井部分。
最近、どんどん大岩壁に魅せられていく自分がいます。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。