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飯豊鉱山飯豊坑索道終点を望む [鉱物 (新発田市・飯豊鉱山)]

27日、飯豊鉱山に何度も来たことがあるというJさんに誘われ、飯豊鉱山へ行ってきました。
黄鉄鉱や苦灰石の脈があることで知られる、一番大きな坑道へ入るのはこれで2回目。
前回訪れてから1ヶ月近く間隔が空いてしまいましたが、その間ヤブの成長は著しいものがあり、見慣れぬ風景の連続。
そのため途中で道を間違ってしまい、正しい道に復帰するまで50分近くかかってしまいました。
これで体力を大幅に消耗、飯豊鉱山の怖さを再認識した次第(結局、行きは2時間かかってしまいました。帰りは45分で済んだのに)。
Jさんがいなかったら途中で引き返していただろうし、正しい鉱山道への復帰も無理だったかもしれません。
Jさん、本当にお世話になりました。
さて、飯豊鉱山について書かれた2つの論文を改めて読み直してみて、現在わかっている点を整理します。

a.鉱区は飯豊坑と小岐坑の2つがある。前者は鉛と亜鉛、後者は主に銅を採掘。より後期に開発されたのは飯豊坑。(注:戦後、赤谷鉱山に近い側に大スダチ沢鉱区が開発されましたが、これらの論文には出てこないので省略。)
b.下一番坑と大成坑は飯豊坑に属する。下一番坑が鉱床の下限であり、蟹鋪坑が上限。その間の深さは160~200m。
c.小岐坑では緑泥石脈中に黄鉄鉱の大晶(時に直径4cmを超える)が存在する。
d.旧索道起点の鉱床を”小岐一号宝鉱床”と言う。

これではっきりした点は、古岐沢右岸の地中に展開している坑道は飯豊坑、古岐沢左岸のそれは小岐坑であること。
明治初期から銅を採掘していた小岐銅山は小岐坑のことであり、当初ぼくが勘違いしたように小岐坑の坑口群が出てくる前の斜面のどこかに古い坑口があるわけではない。
下一番坑も大成坑も飯豊坑に属するので、古岐沢左岸に展開している坑口群は小岐坑のもの。
よって、過去記事の一部を訂正しました。

IMG_1474.jpg

今回の一番の収穫は、小岐坑のもう一つの出口を発見したことです。
そこから真正面に坑口が見えますが、これが飯豊坑の入り口。
HP「四方沢の旅」の長島氏はこの坑口を下の河原側から写していますが、それがどの辺に位置するのか、旧鉱山道からはその坑口が見えないためわからずにいました。
それがやっとクリアになりました。
対岸の坑口周辺にワイヤーや金属片が見られますが、そこが索道終点だったのです。
地質図と照らし合わせると一目瞭然で、全体の位置関係がよくわかります。
(ちなみに、索道起点の坑口がこの坑道、つまり小岐坑本坑もしくは小岐一号坑入り口にあたります。)

IMG_1468.jpg

今回Jさんに教えてもらって探索した、このもう一つの出口を沢側から写してみました。
入り口の坑口からここまで結構距離があります。
体感的には500m前後でしょうか。
「飯豊鉱山鉛亜鉛鉱床調査報告」記載の地質図は思ったより正確であり、今回非常に役に立ちました。
一方、今井直哉氏の「飯豊鉱山下一番坑第一中段地質図」は小岐坑ではなく飯豊坑のものであることがわかったわけですが、そう思ってよく地質図を見てみると、なるほど、飯豊坑の坑道図と大体重なります。

IMG_0908.jpg

この坑口は前回の訪問時に写したものですが、先の索道終点前の坑口よりやや上流側対岸に位置する坑口です。
どちらが下一番坑なのかは判然としませんが、果たしてそこまでのアプローチが可能なのか?
上の写真の坑口は沢からやや斜面を上ったところに開口しているのですが、岩場が絶壁に近く、下から登っていけるのかどうか。
どちらへ行くにせよ、旧鉱山道を終点まで歩き、そこまで行くと沢まで10m弱で降りられるのでそこから沢に降り、古岐沢を下流側に向かって歩いていくしかないと思います。
1枚目の写真の出口の真下もほぼ絶壁で、ザイルを用いて懸垂下降しないとどうしようもないからです。
ただし、その場合気になる点が一つ。

IMG_1465.jpg

1枚目の写真を撮った場所から上流側に見える、この滝の存在です。
長島氏の遡行記によると、3m+4m2段となっており、4m2段は左岸から高巻いた模様。
斜度がそれほどなさそうなのでクライムダウンは難しくないとは思うのですが、行ってみないとわかりません。
治水ダムからの旧鉱山道を早い段階で河原に降り、沢沿いに遡行するルートは、途中でエキスパートでも手こずる難しい4m&5mの滝が出てくるので無理。
対岸の鉱区(=飯豊坑)へのアプローチは、いずれにしてもかなり難しそうです。

IMG_1461.jpg

さて、小岐坑メイン坑口の内部は昭和の遺物がところどころ散乱しています。
飯豊鉱山の閉山は昭和42年ですが、それは飯豊坑のことで、小岐坑の閉山は昭和30年代前半と言われています。
どっちみち10年しか違いはないのですが、昭和の臭いがプンプンしています。

IMG_1447.jpg

とある枝坑道の奥。
地面は緑泥石の泥&粘土で覆われており、数ミリから1cmの黄鉄鉱の単晶がところどころ顔を出しています。
こんなところが数箇所あり、坑道の壁に黄鉄鉱の脈が付いているところもあちこちで見られます。

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今回、特に美しいなと感じたのは苦灰石で覆われた壁面。
ある坑道へ入ると5~6mに渡って壁面が白っぽい苦灰石で覆われており、ところどころ30cm前後の晶洞が掘られた跡が見られました。
上の写真は、そんな晶洞の内部。

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さすがに表面を観察しただけでは自形結晶の大きなものは見られませんが、まだまだ潜在力を秘めています。
小さい石だったら文字通り無数に地面に山積みされており、よりどりみどり。

IMG_1446.jpg

石灰岩メインの坑道なので鍾乳石が発達しているエリアがないか探したのですが、ありませんでした。
これが唯一カラフルだった壁ですが、触るとベッチャリしており、指に色が付きます。
アラゴナイトではありません。
青い部分も胆礬のようでした。

IMG_1451p.jpg

坑道はまだまだ続きますが、上層と下層もあるので、それらを含めたらかなりの広さ。
対岸の飯豊坑の場合で高低差160~200mあるとのことでしたが、こちらも少なくとも100mの高低差はあるのではないでしょうか。
竪坑を2つ3つ覗き込んみたけど、底が見えませんでした。
ともあれ、閉山以来誰も入ったことがないと思われる飯豊坑。
そちらの坑内にはどのような風景が待ち構えているのでしょうか?

追記:この記事を書くにあたってHP「四方沢の旅」をじっくり再読してみましたが、作者の長島氏が2020年10月、飯豊の沢で亡くなられたことを知りました。
植村直己、長谷川恒男、加藤保男、栗城 史多・・・大好きな山男たちはみんな亡くなるのが早いなあ。
ご冥福をお祈りします。








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