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赤谷鉱山琴沢坑口を探して [鉱物 (新発田市・赤谷鉱山)]

昭和52年(1977)にその長い歴史を閉じた赤谷鉱山。
場割沢・スダチ沢・水無沢の3つの鉱区に大別されます。
「赤谷鉱山付近の地質と銅鉱化作用」鈴木雄一~を読むと、昭和30年代後半から45年あたりにかけて、どのように探鉱の範囲を拡げていったかが詳しく書かれており、個人的にはとても面白く読めました。
大雑把に要約すると、東西方向に伸びる断層に沿って胚胎する鉱床群を昭和30年代後半から44~45年まで開発していった。
具体的には、東西鉱床、南押No.1~3鉱床、籠久保No.1~3鉱床、琴沢西鉱床などである。

いずれの鉱床も場割沢鉱区に属するものなのですが、場割沢鉱区は比較的標高の高い斜面にあり、主だった坑口は全て塞がれているため内部へ入ることは不可能。
しかしながら、根っからの悪ガキである当方としては探検意欲をこの上なく掻き立てられる対象であり、赤谷鉱山を代表する場割沢、スダチ沢、水無沢の各坑道に入るのが目下最大の夢だったりします。
つい最近、場割沢の西端、いわゆる琴沢西鉱床から東西鉱床への起点となったであろう琴沢坑口の位置を記した構内図を入手しました。
他の地質図や坑内図ではそこまで載せると大きくなりすぎるので、途中で琴沢坑口への坑道がカットされているのです。
そのため、地形図に照らし合わせるとどの辺に坑口が位置するのかがわからないでいましたが、これでかなり絞れてきました。

kotosawa.jpg

坑口の標高は450m。
右側に、ここでは省略しましたが籠久保坑口を東端とする450m坑の全てが描かれており、明確な位置がわかっている籠久保坑口を基準に琴沢坑口の場所も類推できるのです。
とはいえ、この図は地形図と重ねて描かれてはいないので、それほどピンポイントでの把握は無理なのですが。

kotosawa_map.jpg

25日の記録です。
黒い上下に伸びる破線は、俎倉山への登山道。
標高400m付近まで登山道を利用できるので、体力的に最も消耗せずアクセスできると考えたわけです。

IMG_7098.jpg

ところが一筋縄ではいきませんでした。
この写真は5月11日に写したもの。
最初にアタックしたこの日、歩き始めから15分で登山道はまず琴沢を横断します。
それから5分も歩かないうちに、前方に大きな雪渓が現れました。
1.5mほどの厚さがありました。
アイゼンの有無を問わず、これ以上進むのは無理と判断、ここで撤退。
5月25日に二度目のアタック。
この時はこの雪渓は完全に消失していました。
しかし、登山道を外れてからのヤブが深い・・・

IMG_7449.jpg

視界が全然効かなくて、GPS機器を持っていなかったらたちまち迷子になるでしょう。
目的の沢にやっと出て、そこからようやく目印の大岩壁が見えてきました。
琴沢坑口は琴沢西鉱床や東西鉱床の玄関口だったと思われ、昭和40年代前半まで稼働していたはずだから坑口はそれなりに大きいと予測。
それなら見つけやすいと思ったのですが、甘かった。
これでは10m以内に接近しないと、坑口はわからないかもしれません。

IMG_7456.jpg

IMG_7462.jpg

そして、枝沢に入るとまたもや分厚い雪渓が行く手を塞ぎました。
帰宅後GPSのログを見てみると、一番南の沢は440mあたりで引き返しているのですが、がんばってあと10m登ればよかったなあと深く後悔。
なぜなら、このあたりが最も怪しいと感じるからです。

IMG_7465.jpg

今回訪れた沢は3本全てチャートが主体。
先に掲げた文献通りです。
部分的に珪化が進んでいるところもあり、それはそれでワクワクしましたが、スダチ沢で見られるような鏡鉄鉱、赤鉄鉱、黄鉄鉱化した岩盤などは全く見られませんでした。
俎倉山の登山口にあたる琴沢駐車場までは例年4月29日前までに開通するので、それから速攻で出かければもっと視界が利くと思いたいところなのですが、いかんせん琴沢を登山道が最初に横断するところの雪渓が、今年のようにかなりの大雪だった年はGW中は巨大なスノーブリッジとして残るため、通過は困難かと。
となると、落葉した頃の晩秋がいいのかもしれません。
ということで、次回の探索は11月。




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