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畑鉱山を訪ねて [鉱物 (関川村・畑鉱山)]

関川村の山奥にある、畑鉱山跡へ行ってきました。
明治7年に銅を採掘する鉱山として操業を開始。
閉山は昭和20年(一説によると昭和24年)。
最盛期には220人が就労していたとのこと。
わかぶなスキー場手前の沼集落よりさらに山奥に、かつては畑集落があったのです。
大正9年23戸83人、昭和10年55戸303人、昭和35年10戸36人と村史にはあります。
昭和42年の羽越豪雨による水害で離村。
昭和41年に閉校となりましたが、当地には沼小学校畑冬季分校もあったとかで、わかぶな高原スキー場からさらに山奥にそんな集落があったとは想像することもできません。
国土地理院の1/2.5万地形図を見ると、わかぶなスキー場のセンターハウス手前で右折、その道を1.5-2kmくらい進めば畑集落跡に出るはず。
道路は途中から破線で描かれているので、荒れ放題になっていることは間違いなし。
なので、車は分かれ道から200mほど進んだ地点、道路の左右に広い路肩が出てくるのでそこに駐車しました。
急な坂を登っていくと間もなく右手に山小屋風のロッジが現れますが、その先は悪路となり、道幅も狭まるので決して車では進入しないことです。

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深い杉林の中をひたすら登っていきます。
よく見ると、2m前後の巨岩があちこちに見られます、道路の右にも左にも。
上の写真のように50~1mほどの岩がたくさん重なって転がっているところもあり、石英の匂いがプンプンします。

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15分ほど林の中をさまよったのですが、水晶を見つけることができました。
どの岩も厚い苔で覆われているので、晶洞につながりそうな割れ目を探すのは結構時間がかかると思います。
しかし、結論から言うと、鉱山のズリを探すより、広大な林の中に点在している巨岩をチェックしていった方が、水晶に関しては見つかる可能性が高いと思います。

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林の中をうろちょろしながら歩いたので、その分を差し引くと、30~40分ぐらいで畑集落跡(この鳥居が目印)に辿り着きます。
背後には林の中に墓石が幾つか顔を覗かせており、人が住んでいたんだなあと実感させられます。

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そこから5分ほどで、畑鉱山のモニュメント的建物が左手に見えてきます。
建物の前はちょっとした広場となっており、それまでの悪路が嘘だったかのように、道路も普通の砂利道となります。
ところで、県内の廃坑関連を調べるに当たっては「ミックンのつぶやき」というHPを参考にさせてもらっているのですが、
そこで紹介されている、ミックンが実際に現場を訪れた時に撮った写真と比べると、建物を覆う樹木の数が全然違うことに気づかされます。
あのHPは2003年スタートですから、多分あの写真も2010年以前に撮られたものではないかと推察します。
他の写真を比較してもやはりヤブの感じが全く違うので、2019年現在は何もかもほぼ自然に帰しつつあると考えた方がいいでしょう。

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こちらはズリ場ですが、ここだけが昔と変わらない風景を見せてくれます。
超小さいサイズの水晶や玉髄を除けば、カメラを向けたくなるような鉱物は皆無でした。

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鉱山の遺構はかなり広範囲に分布しています。
これは選鉱場のようです。

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この穴は、シックナー下部の鉱宰排出口。
5m先で行き止まりでした。
現地に着いたのが16時過ぎだったので、駆け足での見学となりました。
他にも興味深い地形があったのですが。

IMG_1310.jpg

坑口はひとつだけ見つけました。
手を伸ばせてストロボ焚いて写真を撮っただけ。
中へは入っていないのですが、奥行き5~6mしかないようでした。

沼集落から畑鉱山へ通じる道は、山形県との境にある大里峠を経て、山形県玉川集落へと続いています。
玉川集落の近くには玉金鉱山があり、こちらでは金を採掘していたようです。
もちろん、今は昔の物語です。


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