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幻の竹豊胎内鉱山 [鉱物 (胎内市)]

先日、ある偉大な?HPで新発田市に千石鉱山という鉱山があったことを知りました。
千石鉱山が文書に出てくるのは、「新潟県地質図説明書 1962年版」。
ネットで調べてみたら、1962年版の新潟県地質図は全国4箇所の図書館で閲覧できることがわかりました。
しかし、付録として同時に発行された小冊子・新潟県地質図説明書はどこにもないようです。
でも、数日後改めて調べてみたら、なんとぼくの地元・新発田市の歴史図書館に収蔵されていることが判明。
しかも、貸し出し可能とのこと。

IMG_1676.jpg

29Pの小冊子ですが、そこに稼業中の鉱山、休鉱山(含・廃鉱山)のリストが載っています。
鉱山の所在地と、採取されている鉱物の種類、生産量、所有者などが記載されているのです。
すごいのは、廃坑になった鉱山と休止中の鉱山の多さ。
なんと、新潟県全体で272件もあるのです!
新発田市を例に取ると、1962現在稼業中の鉱山は千石鉱山と赤谷鉱山、飯豊鉱山。
休廃鉱山が菅谷鉱山、三光鉱山、高知山鉱山、笠菅鉱山、釜ヶ沢鉱山となっています。
(亜炭や石炭を採っている鉱山は省略しました。)
話は表題の竹豊胎内鉱山(旧黒川村)に戻りますが、この鉱山は胎内第2ダムのダム湖に注ぎ込むシシノセ沢沿いにあったようです。
先の地質図説明書には位置は明記されていないのですが、小冊子ではなく、ペアで発行された地質図の方に鉱山マークが載っています。
しかしながら、新発田の歴史図書館には地質図の方は置いてないのです。
これらの資料は新潟県がおよそ10年に一度刊行しているのですが、1980年以降の地質図はネットで見ることができます(地質調査総合センターでググってみて下さい)。
で、2010年発行の地質図を見てみたのですが、ちゃんと休廃鉱山の位置も記してありました(一部ですが)。
ただし、新発田市で検証すると飯豊鉱山・赤谷鉱山以外では一つしか鉱山マークがなく、それは二王子山麓にあるのですが、それが休廃鉱山のどれなのかよくわかりません。
1962年版の地図ではそれぞれの鉱山マークに番号が振ってあり、鉱山名と対比できるようになっているようです。
話は逸れましたが、胎内市エリアに関してはそういった混同もなく、すぐ竹豊胎内鉱山の位置がわかりました。
シシノセ沢がダム湖に流れ込んでいるその場所へ、ぼくは高校生の時にルアー釣りで行ったことがありました。
橅平橋からダム湖の右岸に沿って、当時は踏み跡があったのです。
そこを辿って10数分歩いていくと(かなり苦労した覚えがあります)、沢が左手から出会い、その流れ込みに降り立ったのです。
当時は山菜採りが作った道ぐらいにしか思っていなかったのですが、今から思うとそれこそ鉱山関係者が作った踏み跡だったことがわかります。
5月9日、約40年ぶりに橅平橋からシシノセ沢を目指して歩き始めました。

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100mも歩かないうちに、前方に深い谷が現れました。
それまでの林の中に、かつての踏み跡は全く残っていません。
林の中をあっちこっち歩き回りましたが、小沢へ下りられそうな斜面はピンポイントで1箇所だけ。
何とか枝につかまりながら沢に降り立ちましたが、そこで行き詰まりました。
(上の写真はその小沢上部の風景。)
傾斜がきついだけでなく、ホールドに適した枝がほとんどないのです。
そこさえクリアすれば、あとはシシノセ沢の出会いまでなんとかトラバースできそうなのですが。
ザイルがあれば何とかなるかもしれませんが、潔く撤退しました。
昔より斜面の土砂が削り取られているようで、へつりもきつそうに思えましたし。


IMG_1678.jpg

正面左側の谷がシシノセ沢。
上流部に下川鉱山、中流部に竹豊胎内鉱山がありました。
どちらの鉱山もマンガンを採掘していたようです。

※ちなみに、2000年に発行された新潟県地質図説明書は、新潟県立図書館で閲覧可能。
1962年版のそれと違って、本の厚さが何倍もあり、内容もすごく充実しています。
休廃鉱山のリストは大幅に削減されていますが、何かと勉強になる資料ではありました。
新潟県地質図の方は、1/20万のそれがネットや一部の図書館で見ることができます。
1/5万のそれも地域によっては作られているのですが、新潟県全体では2/3の地域が1/20万の地図しかありません。
(おおよその位置はこれでもわかるので、あとは1/2.5万の地形図と照らし合わせれば、目的の鉱山の場所はまあまあ絞り込めるでしょう。)

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