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金丸鉱山のすべて [鉱物 (関川村・金丸鉱山)]

最近、金丸鉱山で数年間働いていたことのあるKさんと知り合いました。
Kさんはある大学の鉱山学部出身。
大学卒業後入社した会社が金丸鉱山を経営していた会社だったのです。
本当は金属鉱山で働きたかったそうなのですが、当時既に金属鉱山は斜陽産業であり、それは叶わなかったとのこと。
数年前にある大学生から卒論の相談を受け、Kさんが働いていたことのある金丸鉱山についていろいろ聞かれたのでそのやり取りをPCに保存しておいたそうです。
その文章を参考までに送ってもらったのですが、それがとても素晴らしい内容だったので、ここでシェアしたいと思います。
快く情報の公開を許可してくださったKさんには、改めて心から御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

ところで、現在ネットで閲覧できる金丸鉱山が稼働していた頃の写真といえば、次のリンクのものが唯一のものだと思います。
”秋遠足”

このHPの写真についても、Kさんは次のように指摘しているので紹介します。
①説明文の「選鉱場」は間違いで実際は山元事務所・休憩所。またこの建物は、村上市役所の建築をコピーして作られた。
②その建物の上に屋根が見えるのが索道の起点。その左側に大切坑ズリ。
③写真の上にぎりぎり写っているのがサイジング(水洗を行う山元選鉱場の屋根)。

ここからはKさんから頂いた文章のコピペです。

金丸鉱山への質問をいただきありがとうございます。若い方が鉱山という産業に興味を持っているので嬉しく思います。
 閉山、会社解散からかなりの年数が経過し、関係者も多くは亡くなり、資料もあまり残っていませんが、 当時のメモと記憶を呼び戻しできるだけお答えします。

①金丸鉱山が始まり、その後衰退し閉山した理由を教えてください

沿革 上ノ沢上流でタングステン鉱が発見され、広島県から来た、山師宮田友二氏により、観世音鉱山と名付けられ1936(昭和11)年から採掘が行われました。
※長石の採掘場所とは反対側の山腹で鉄マンガン重石は採掘、選鉱され、不老峰の尾根を越えて上ノ沢まで簡単な索道と人力で運ばれていましたが、「重石」というだけあってとにかく重くて大変。
そこで効率良く搬出するために大切坑の掘進を始めました。
昭和12年に大切坑(おおぎりこう・鉱山で最下部に位置する坑道。運搬や排水などにも使われる。)掘進の際にペグマタイトの細脈を発見。
しかしながら当時は軍需物資のタングステン、モリブデンの採掘に重点がおかれ、軍も積極的にこれらの金属資源採掘に資金と物資の支援を行いました。
その頃、豊富な水とそれを利用した電力、観世音鉱山からの原料確保が可能な山形県小国町に日本重化学工業(旧・日本電興株式会社)が操業を開始、合金鉄の製造を始めました。
1945(昭和20)年の太平洋戦争敗戦によりタングステン、モリブデンの需要と軍の支援が無くなり、休山。
終戦後、鉱山では大切坑掘進の際に発見されたペグマタイト脈の地表探査を行い、山頂付近に長石の大露頭を発見。
昭和22年から長石の採掘を始めるも、資金難のため、宮田友二氏は上京して、安田信託銀行の頭取と直談判。安田信託銀行の融資を受けて1949(昭和23)年に日本窯業化学㈱を設立し、上ノ沢鉱業所を開設。
1949(昭和24)年11月には上ノ沢鉱業所~選鉱所(越後金丸駅に隣接)4,650mの架空索道が開業。
露頭部の露天堀りから始まり、直ぐに1号坑での採掘へ(当時は大型重機も無く、表土の除去、運搬が困難だったため)。
1950(昭和25年)朝鮮戦争勃発によりタングステン市況高騰。
戦前にマンガンを採掘していた坑内より鉄マンガン重石の残鉱を回収。
その頃、鍋倉鉱山(村上市)を買収し支山とするも、鉱況悪化により売却。
以降長石、珪石のみの採掘となる。
タングステン鉱を採掘していた長石鉱床の西側には莫大な量のアプライト(半花崗岩)が賦存するも、消費地から遠いため稼行対象とならず。
※この不老峰西部のアプライト帯には複数のペグマタイト露頭が有り、中でも最大の不老峰露頭と本鉱体との連続性を確認するため、2号坑より探鉱坑道を掘進するも、鉱体は連続せず、不老峰露頭は独立した衛星鉱床であることが確認されました。
昭和39年に共立マテリアル株式会社(旧社名・共立窯業原料)が買収したことにより、同じ森村グループの陶磁器メーカーにも長石、珪石を販売するようになる。
※名古屋方面の陶磁器メーカー以外にも、東日本各地に板ガラス、光学ガラス、碍子などの原料を供給していましたが、森村グループの傘下に入ったことにより販路が安定。
高度成長期に入ったこともあり、需要増に応えるためにこの頃に積極的な探鉱を行いました。
周辺には大規模な鉱床を発見出来ないものの坑内ボーリングにより、下部への鉱体延長を確認、5号坑の開発に繋がります。
1967年(昭和42年)羽越豪雨で生産設備に壊滅的打撃を受ける(㈱共立窯業原料50年史に被害状況の詳細)。 木造の山元事務所も土砂崩れにより倒壊。
耐久性に優れた鉄筋コンクリート造にするため、当時の村上市役所の建築図面を借りて二階部分までを山元の作業員だけで建築。
かなりの支柱が被害を受けて運行不能だった索道も復旧し、ようやく採掘、販売を再会。
その後、5号坑から下部の6号坑、7号坑(大切坑)への開発を計画(1号坑~7号坑までの間隔は標高差で約30m、鉱山での採掘は基本的に下から上へ向けて削岩して発破。鉱石は自重で下に落ち、最下部の坑道に待機したトロッコに積まれて坑口へ。坑内に湧き出る水もやはり一番下の坑道へ。この主要な坑道を通洞と呼びます。この時点では5号坑が金丸長石鉱山の通洞で、大切坑でもあります)。
しかしながら鉱体下部は長石よりも珪石の割合が多く、長石の品位(アルミナ、アルカリ分)が低下する傾向がみられ、更には鉄分(磁鉄鉱)も増加し品質低下の恐れと資金難もあり開発を断念。
※長石、珪石中の鉄などの金属成分は窯業業界では嫌われます。鉄分が多いと焼成の際に茶色くなり、白い製品が出来なくなります。それ以外にも金属は導体のため、絶縁性が要求される碍子には使用出来ません。 坑内で時折産出される、タングステン、モリブデン鉱は、5号坑口から出て通常の小割、水洗の工程に行く前に大切坑横のズリ捨て場に直行します。
長石は金属鉱物と違い、相場に左右されない比較的安定した鉱石価格ですが、輸入長石の台頭による販売量の減少と羽越豪雨災害からの復旧の借入金が重荷になり赤字体質から脱却できず、 昭和60年に株式会社昭和鉱業(現昭和KDE)に経営権が移り、カナマル株式会社になるも販売先は同じ。
その頃、5号坑の鉱体の一部に鉄分が多く含まれ品質が低下するため、3号坑の残鉱も採掘(採掘の際に天井を支える為に鉱体を柱として残します。
地盤の固さにもよりますが、採掘出来るのは3割~5割、殆どが鉱柱として残ります。
人工的に支柱を作れば鉱石の回収率はupしますが費用対効果で判断。
平成2年に坑内優良鉱の減少、坑内環境の悪化と合理化のため露天採掘に切り換えました。
平成20(2008)年、海外の安価な輸入長石に市場を奪われ閉山。
平成2年当時の長石価格は特級鉱で1トンあたり約2万円前後(名古屋までの運搬費込み)。
輸入長石は、名古屋港に荷揚げして1トンあたり数千円~1万2千円でした。
その後円高がさらに進行したため、価格差はさらに広がっていると思われます。
※窯業業界が価格の安い輸入鉱石にすぐに飛び付いた訳ではありません。原料を混ぜて成形し、焼成する際に若干縮みます。産地が変わるとその収縮度合いも変わるため、ガラスのメーカーとは違い、トイレなどの衛生陶器、碍子などのメーカーは昔から原料(産地)の変更には慎重です。 某高級洋食器メーカー曰く「わが社は一流の製品を作っている。鉱石の価格は高くなっても構わないから、とにかく安定した品質の鉱石を、長期間供給して欲しい」 世の中こういう会社ばかりだと良かったのですが・・・
金属鉱山が次々と閉山していく中で、国内の非金属鉱山は平成の時代まで命脈を保ってこれました。

②長石の採掘量の推移を教えてください

退社してかなり年月が経過していて、当時の資料は殆どありません。
通商産業省・関東鉱山保安監督局の統計資料を調べたらわかるかもしれませんが、ネットでは見つかりません。申し訳ありません。
島根県の馬谷城山鉱山と金丸鉱山で国内の9割以上の長石生産量でした。
かなり古い資料では、上野三義「新潟県金丸鉱山のペグマタイト鉱床について」がネットで閲覧でき、1959~1965年までの生産量が記載されています。
私が勤務していた昭和62年~平成3年の頃の生産量(精鉱)は年1万トン程度でした。
※入社当時、金丸鉱山の仕事をする際に上記の論文が読みたくてあれこれ手を尽くし、やっと探しあてた閲覧場所が、栃木県益子の窯業試験所と国立国会図書館。それが今では簡単に閲覧できるのです。
ネットは本当に便利ですね。 上野三義氏は当時会社の顧問をしておられました。東京本社でお会いした際にご本人もこの資料を所持してなく、コピーを差し出すと「懐かしいね」と言いながら喜んで受けとっていただき、私が緊張して話す金丸鉱山の現況を、目を細めて終始笑顔で聴いておられたのを今でも思い起こせます。

③鉱山ではどのような仕事をされていましたか

私は大学の鉱山学部で採鉱を学んだので、坑内採掘から露天採掘に切り換えるための、 FS(事業化調査)を行い、 露天採掘の技術指導などをしていました。といっても卒業して始めての鉱山の現場ですので、先輩方から 教わりながらですが。

④鉱山付近の集落の様子を教えてください

 昭和の頃は鉱山山元に金丸小学校上ノ沢分校と集落が有りましたが、昭和50年頃廃校。
私が勤務していた昭和62年頃は鉱山に依存する集落は全く無く、 近辺では上ノ沢中流に越戸集落(山形県小国町)が有りましたが、羽越豪雨の被害で集団移転したそうです。
ここで昭和34年に原子燃料公社がウラン鉱を発見。
原子燃料公社小国駐在員事務所を新設して積極的に探鉱を行い、金丸鉱山も鉱区を出願していましたが、鉱山開発に至りませんでした。
昭和50年頃に索道を廃止してトラック輸送に切り替えてからは(鉱山に人々が通うようになったため、上ノ沢小学校は廃校へ)、金丸鉱山従業員は山形県小国町と新潟県関川村から、越後金丸駅横の鉱山事務所と選鉱場に出社。
採鉱員はここで会社所有のジープに乗り換え、上ノ沢上流の金丸鉱山に通勤していました。
豪雪地帯のため、冬季は鉱山までの 道路は通行不可。
冬場は採鉱員5名も、春~秋に貯鉱した長石を越後金丸駅横の選鉱場で選別します。
金丸小学校上ノ沢分校があった頃は冬季は麓の町とも交通途絶するため、食料、日用品、郵便などは索道で運搬していたそうです。
鉱石を越後金丸駅まで運搬して、帰りは空になった搬器に麓の町で調達した物資を運ぶのです。
人間は保安上の理由で索道には乗れませんが、こっそりと乗り込む人もいたそうです。
なにしろ山元(やまもと・鉱山のこと)から越後金丸駅まで狭い山道を約6キロ、国道を約3キロ歩かなければならないので、 かなりの数の大人達が通年で索道をこっそりと利用していたそうです。
バレたら大目玉を食らいますが。 山元から上の沢に沿って国道113号に至るまでの道路は人一人がやっと通れるくらいの悪路で、麓から歩いて帰ってきた、上ノ沢分校に赴任したばかりの若い教員が転落死するという 痛ましい事故もあったそうです。
そのようなこともあり、索道に便乗する人はかなりいたそうです。
索道は人間が乗る事を想定していないため、安全装置も無く、搬器から落下したら大怪我では済まないだろうし・・それにしても昔の人は強者ですね。
索道を廃止し(昭和50年頃?手元に資料有りません)、4トントラックが通行できるように道幅を拡張するまでは索道が鉱山の生命線でした。
全国に鉱山集落がありましたが、急峻な地形の鉱山の多くで鉱石運搬用の索道が物資の輸送と連絡用にも利用されていました。
今のように快適な舗装道路と性能の良いトラックが無い時代の輸送の主役は、山元では索道、平地では貨物列車でした。
戦前に金丸鉱山で産出されるタングステン、モリブデンは地元の山形県小国町の日本重化学工業で消費されましたが、 陶磁器原料の長石、珪石の大消費地は名古屋です。
米坂線が無ければ、運搬手段を持たない日本最大の長石鉱床もただの”石”です。
昭和11年の米坂線開業があってこそ金丸鉱山が誕生したといえます。

⑤また、写真がありましたら見せていただけるとありがたいです

当時はフィルムカメラで、現像と焼き付けが必要でした。
今のように気楽に写真を撮る時代でもなく、以前あった写真も今は見当たりません。申し訳ございません。
ご存知とは思いますが、ネットで、山元の事務所と選鉱場、金丸小学校上ノ沢分校跡、露天採掘場など見ることができます。
私の写真と年代が違うだけでほぼ同じ光景です。
ご質問の内容とは違いますが、金丸鉱山の採掘場は、山形県と新潟県の境界付近で、日本でも数少ない県境未確定地です。
とはいえ上ノ沢小学校は金丸小学校の分校ですから、行政上は新潟県という認識だと思います。
(※原子燃料公社の地質図では山形県になっています・2021年5月追記)
しかしながら鉱山に関係する税金の一部は山形県と新潟県の両方に払っていました。
県境未確定地だけでも珍しいことなのに、そこに鉱床が有り、鉱山が稼行されて税金の問題が持ち上がり、 両県の役人が互いに知恵を絞って駆け引きしたのか、それとも玉虫色の決着をしたのか・・・ なかなか他所では聞かない面白い話だと思います。


以上です。
個人的には、索道にこっそり乗って通勤?していた人達がかなりいたという下りが面白かったです。
ぼくの母は福島県山都町(現・喜多方市)船岡出身なのですが、喜多方市内の高校へ通勤するのに線路沿いを歩くことが多かったと聞いたことがあります。それが最短距離だったからだそうです。
道路はひとつの選択肢でしかなかったのです。
最後に、Kさんが大切坑手前のズリ
で採取したカリ長石の写真を掲載します。
カリ長石と黒雲母花崗岩との境が緑色に変色していますが、この部分がアマゾナイト。
結晶の大小を問わなかれば、ズリでは他にもガーネットや白雲母、黒雲母、曹長石、曹灰長石、燐灰石、磁鉄鉱、輝水鉛鉱、灰重石、鉄マンガン重石、ジルコン、方解石、石英など、いろいろ見つかるようです。

IMG_4914s.jpg







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