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青の洞窟 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨年5月6日に引き続き、間瀬銅山の核心部(江戸時代に開坑された深ヶ沢沿いの坑口群)へ行ってきました。
目的は、ネットで柵の向こう側さんや秘密結社ホールさんが詳細なレポートをしている本格的な坑道を見つけ、探索すること。
昨年行った時は、かなり上の方で沢の分岐を誤った方角へ進んだのが行き着けなかった原因と考え、今回はその分岐を逆の方向へ進みました。
その選択がビンゴでした!
かくして45分で夢の坑口前に到着。

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これは深ヶ沢の右岸に最初に出てくる、おそらく江戸時代の坑道。
昨年5月に訪れた時は、行きは沢筋を忠実に遡行したのですが、今回は時間の短縮を図るため、行きも帰りも巻道を利用しました。
昨年秋の下見で、宝川(=真沢)と深ヶ沢の分岐点から深ヶ沢の右岸沿いに巻道があることを発見。
今回はその巻道を辿ってみたのだけど、この坑口手前まで続いていました。
ここからいったん河原に降り、そこから40~50mほど沢沿いを歩きます。
すると今度は左岸に巻道が現れるので、再び沢筋を離れ、左岸の巻道を登っていきます。
途中、幾つかの露天掘り後や坑口(おそらく沢敷坑)が出てきますが、今回は寄り道せずに目標の坑口へ一直線。
後半の巻道は昨年5月の山行の帰りに利用した道。
一応紫色のテープが要所要所に付いているのですが、とても古いテープなので地面に寝てしまっているものが多く、あまりアテにできません。
途中からぐんぐん登っていくので、そこで道を間違えないことです。

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今回は順調に坑口へたどり着くことが出来ました。
坑口手前がなにげに足場がないので、10mの補助ロープを持っていくと重宝するかもしれません。
郷土史の”各銅山坑道略図”と照らし合わせてみると、この図が非常にいい加減なので断定はできないのですが、おそらくこれは五号坑だと思います。

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間瀬銅山は幾つかの鉱区の集合体ですが、一般的には大正9年の閉山ということになっています。
しかしながら、昭和18~20年にかけて一時的に操業したと言われており、この五号坑や弥彦山への登山道途中にある明神沢立坑あたりがそのとき密かに操業していた可能性があります。
この坑口近くの岩に”大正三”との刻印があるので、発見は大正三年なのでしょう。
はやる気持ちを抑え、いざ内部へ。
入り口から20mほど、15~20cmくらい水が溜まっています。
今回軽量タイプの長靴を坑道探検用に別途持っていこうか迷ったのですが、結局沢靴で歩き通しました。
ヒザ下までのスパッツを併用したのですが、このスタイルは我ながら合理的だったと思っています。

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坑道は長いです。
正面の明るい光が入ってきた場所。
後方にもまだまだ続いていますが、最初の直線は150mはあるのでは?
途中分岐を過ぎ、今回は木製軌道が敷かれている王道ルートを見たかったので、分岐点は左に。

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そこからしばらく歩くと十字路に出ます。
そこに来て、初めて天井が高くなり、身長182cmのぼくはやっと存分に背伸びをすることができました。
上の写真は十字路から左側の坑道だと思います(似たような景色の連続なので、あまり覚えていない)。
十字路の辺りからどの坑道も、側面や天井に青い部分が目立つようになります。
銅の化合物です。
触ってみるとほとんどが柔らかいのですが、あと300年たったらどうなるのかな?

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奥の方の坑道へ来てみると、地面はズリ石や粘土が堆積しており、生々しい感じ。
もちろん鉱物チェックも怠らなかったのですが、密かに思い描いていた鉱物~自形結晶の方解石や紫水晶、蛋白石など~は皆無でした。
三川鉱山のように銅の二次鉱物が豊富にあるわけでもなし、今回は写真を撮るだけで終わりました。

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とある天井。

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とある坑道(この辺にくると、どこで撮った写真だか覚えていない)。

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とある分岐点。
なんちゃって霊視?してみたら、この辺が最も活気があったようです。

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再び、とある天井。
たまに天井を見上げると、こんな軟弱な構造ばかりで生きた心地がしませんでした。
深追いはせず、例の十字路から半径50m以内を探索したのみ。
これで充分満足しました。
以下、青の洞窟シリーズ。

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帰りは40分で駐車場に到着。
巻道ルートだと、沢筋を忠実に歩くのに比べ3割ほど時間を短縮できると思います。
さて、間瀬銅山界隈でやり残したことは次の3つ。

①八号坑の場所を確かめる
”各銅山坑道略図”には、八号坑(--->鮫坑に至る)とあります。
八号坑がここより標高差で40~50mほど上に位置するとなると、尾根の反対側にある鮫鉱山の坑道へ中で繫がることも確かに可能となります。

②鮫鉱山へ行ってみる
おおよその場所の見当は付いているので、晩秋になったら行ってみたい。
今年の春は草倉銅山優先で探索してきたので、秋以降ですね。

③丘敷坑の場所を確かめる
”各銅山坑道略図”記載の坑口のひとつです。
五号坑より西北西に150~180mくらい行った山の斜面に位置していると想像します。
今回その近くの斜面を通過した時に周囲の地形を観察、坑口がありそうな感じはしました。

④万歳坑の場所を確かめる
これは前回の記事でも書きましたが、大正四年に発見されたという、間瀬銅山の歴史の中で最も有望とされた万歳坑はまだ誰も見つけた人はいません。
大平山上部にあるという情報しかありませんが、何とか探し出してみたい。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。






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