探検!飯豊鉱山 ① [鉱物 (新発田市・飯豊鉱山)]
今日(5月31日)から加治川治水ダムまで車で行けるようになったので、早速飯豊鉱山へ行ってきました。
といっても、過去2回探索しましたが、まだ坑口は一つも見つけておりません。
果たして今回は?
ガーミンによる記録です。
沢沿いの赤線は昨年のもの。
さて、今回はおおよその坑口の位置は見当が付いていたので、それとは別に未知の坑口がないか、或いは飯豊鉱山が開かれる前に一足早く稼行していたとされる小岐銅山の痕跡がないか、鉱山道を辿りつつちょっとでも踏み跡があったら山側の方へ辿ってみることにしました。
地図で雪渓と記している場所の写真です。
まだ大量の残雪が残っていました。
その近くでかすかな踏み跡を見つけ、辿っていくと小さな谷間に出ました。
ここもまだ残雪が残っています。
そこから斜面をへつりながら(傾斜が急なのでキツかった)、東へと移動。
途中、ズリっぽい石が散乱している谷間を発見したり。
その上部で謎の坑口を発見。
カメラを構えている側からだと接近するのは不可能。
木の枝が邪魔してよくわからないのだけど、右下の斜面からなら何とかアプローチできるかも。
しかし、基本的にはロッククライミングの世界で、よくこんな垂壁の途中に開坑したなと。
さらに斜面を東側へとトラバース、すると2本の太いワイヤーを発見。
それに頼り切って急斜面を登っていくとここへ出ました。
あれ~、今にも枝が折れそう。
登っている途中に大事に至らなくてよかったです。
さらに左斜め上にも、新たなワイヤーが現れました。
どこまで伸びているのか確かめてみました。
地図でいうところの堰堤1です。
堰堤1の上。
さすがに坑口が出てきそうな気配はありませんが、ワイヤーはこの堆積物の下を、さらに上の方に向かって続いていました。
このあと堰堤2も見学しましたが、同じような地形で、坑口はなし。
飯豊鉱山は大きく、飯豊鉱床と大鉾立鉱床に分かれていました。
大鉾立鉱床は、治水ダムから蒜場山へ登る登山道の西側上部の大岩壁にあったもの。
ぼくはまだその登山道を歩いたことがないので見たことはないのですが、複数の登山者の記録によると標高約500m付近の痩せ尾根にトロッコや索道の遺構が残っていることが報告されています。
しかし、この堰堤1&2の谷間の延長線上には独標(738m)があり、尾根上に残っている鉱山遺構とはちょっと位置がずれています。
多分、痩せ尾根上に残っているトロッコの残骸ですが、トロッコの軌道は堰堤1&2のちょっと上の斜面に向かって走っていたのではないでしょうか。
それなら納得がいきます。
やはりこれらのワイヤーは、大鉾立鉱床で採掘した鉱石を運搬するトロッコ軌道に関係するものだと思う次第。
この頃、既に五頭山を8合目まで登ったくらいのカロリーは消費していたので、未知の地形&坑口探しは断念。
余力のあるうちに、まだ見ぬ飯豊鉱山の坑口群を目指したのでした。
※6月28日追記:小岐銅山は飯豊鉱山の小岐坑のことであり、別な鉱山というわけではありません。
古岐沢左岸の坑口群が小岐坑ということになります。
といっても、過去2回探索しましたが、まだ坑口は一つも見つけておりません。
果たして今回は?
ガーミンによる記録です。
沢沿いの赤線は昨年のもの。
さて、今回はおおよその坑口の位置は見当が付いていたので、それとは別に未知の坑口がないか、或いは飯豊鉱山が開かれる前に一足早く稼行していたとされる小岐銅山の痕跡がないか、鉱山道を辿りつつちょっとでも踏み跡があったら山側の方へ辿ってみることにしました。
地図で雪渓と記している場所の写真です。
まだ大量の残雪が残っていました。
その近くでかすかな踏み跡を見つけ、辿っていくと小さな谷間に出ました。
ここもまだ残雪が残っています。
そこから斜面をへつりながら(傾斜が急なのでキツかった)、東へと移動。
途中、ズリっぽい石が散乱している谷間を発見したり。
その上部で謎の坑口を発見。
カメラを構えている側からだと接近するのは不可能。
木の枝が邪魔してよくわからないのだけど、右下の斜面からなら何とかアプローチできるかも。
しかし、基本的にはロッククライミングの世界で、よくこんな垂壁の途中に開坑したなと。
さらに斜面を東側へとトラバース、すると2本の太いワイヤーを発見。
それに頼り切って急斜面を登っていくとここへ出ました。
あれ~、今にも枝が折れそう。
登っている途中に大事に至らなくてよかったです。
さらに左斜め上にも、新たなワイヤーが現れました。
どこまで伸びているのか確かめてみました。
地図でいうところの堰堤1です。
堰堤1の上。
さすがに坑口が出てきそうな気配はありませんが、ワイヤーはこの堆積物の下を、さらに上の方に向かって続いていました。
このあと堰堤2も見学しましたが、同じような地形で、坑口はなし。
飯豊鉱山は大きく、飯豊鉱床と大鉾立鉱床に分かれていました。
大鉾立鉱床は、治水ダムから蒜場山へ登る登山道の西側上部の大岩壁にあったもの。
ぼくはまだその登山道を歩いたことがないので見たことはないのですが、複数の登山者の記録によると標高約500m付近の痩せ尾根にトロッコや索道の遺構が残っていることが報告されています。
しかし、この堰堤1&2の谷間の延長線上には独標(738m)があり、尾根上に残っている鉱山遺構とはちょっと位置がずれています。
多分、痩せ尾根上に残っているトロッコの残骸ですが、トロッコの軌道は堰堤1&2のちょっと上の斜面に向かって走っていたのではないでしょうか。
それなら納得がいきます。
やはりこれらのワイヤーは、大鉾立鉱床で採掘した鉱石を運搬するトロッコ軌道に関係するものだと思う次第。
この頃、既に五頭山を8合目まで登ったくらいのカロリーは消費していたので、未知の地形&坑口探しは断念。
余力のあるうちに、まだ見ぬ飯豊鉱山の坑口群を目指したのでした。
※6月28日追記:小岐銅山は飯豊鉱山の小岐坑のことであり、別な鉱山というわけではありません。
古岐沢左岸の坑口群が小岐坑ということになります。
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