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石切山の洞窟巡り [鉱物 (胎内市)]

櫛形山脈の白鳥山近くに羽黒石の産地がありました。
江戸時代の安永年間(1772~1781)から石の切り出しが始められ、最盛期を迎えた明治~大正時代半ばには石工の数が500人近くに及んだとのこと。
羽黒石の正体は凝灰角礫岩。
当ブログでも過去3回取り上げており、全体像はおおむね把握したつもりでしたが、地元の石材屋さんから量は少ないものの蛍石が出たこともあるという情報を得、改めて蛍石探しに出かけてみました。

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まだところどころ残雪が残る石切山の旧登山道を登っていくと、左側にも岩場が連続していることに気づきました。
左側斜面は全く探索したことがないのでちょっと寄り道をしてみました。
すると、やはり露天掘り跡や洞窟がどんどん現れてきました。

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国土地理院の地形図には、222mのピークの西~西南西側にしか岩場マークがありませんが、実際には北西側斜面にも同規模の岩場が連続しているのです。
地質的にはやはり凝灰角礫岩でしたが、切り出した跡の地形が個性的で、じっくり写真を撮りたくなります。
いや、本当に素晴らしかったです。
櫛形山脈にこのような産業遺産が残っているなんて・・・

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上の2枚はいずれも北西側斜面で新たに発見した洞窟群です。

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さて、この日はこの洞窟下部へ下降するのが目的でもありました。
この洞窟は、旧登山道沿いにある最も大きな洞窟の最下層レベルにあたります。
北西側斜面の洞窟探検を終え、猛烈な笹薮のヤブ漕ぎを終えるとちょうどこの洞窟の入口に出ました。
この写真のスロープはなにげに傾斜が急で、この空間へはまだ侵入したことがなかったのです。
この日は20mのザイルを持参、満を持して未知の洞窟へ降りてみました。

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思ったより奥行きがありました。
やはり地質に変化はなかったのですが、人を引きつける妙な磁力がこの空間にはありました。
そして面白いことに、この洞窟にはあちこちにゴミが捨てられていたのです。
お菓子の袋とカップラーメンの容器が主でしたが、空き缶やガラス瓶の破片も結構目立ちました。
どれも年代物で、おそらく30~40年以上前のものではないでしょうか。
石切山の10数カ所に及ぶ大小の洞窟をほとんど探検しましたが、ゴミが見られたのはここが初めてです。
とても広い空間であり、かつ侵入するのは地形的に難しいので、昔から人を引きつける何か、自尊心をくすぐるなにかこの空間にはあったのでしょう。
いわば、この空間が”ラスボス”みたいな。

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ザイルを入れてきたビニール袋を急遽ゴミ袋にしてゴミ収集。
ガラス系のゴミはそのままにしてありますが。
ちなみに、この洞窟を含め、蛍石はおろか石英のせの字も見当たりませんでした。
鉱物的には面白みはありません。

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降りてきた方をパチリ。
やはりこの空間は神々しい。

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最下部の空間はコウモリ天国でもありました。
まだ冬眠しているのかな?
正面の黒い塊、これ全部コウモリなんです。

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最下部の洞窟から這い上がった上の空間。
ギリシャ神殿そのものです。

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帰りに、登山道から外れたところにある洞窟へ立ち寄りました。
おととしの12月に発見した洞窟で、訪れるのは今回が2回目。
石切山に現存する洞窟でこのように池を有するものは5~6箇所あるのですが、ここが最もキレイ。
水質もそうですし、地形を含めたビジュアルもスッキリして美しい。

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この洞窟も非常に規模が大きく、コウモリのフンが堆積してできた山の高さもここが最も高い。
実は北西側斜面の洞窟もまだ岩場が連続していたのですが、時間を食いすぎたので途中で切り上げてきたのです。
ということは、まだまだ石切山には人知れず洞窟が眠っている可能性が高いわけで、飽くなき探究心を掻き立てられます。




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