未知の大ホール3個発見 [鉱物 (新発田市・赤谷鉱山)]
新潟県下越地方で広く災害をもたらした8月の豪雨は、山奥の鉱山にも影響をもたらしました。
今まで現実を直視するのが怖いのもあって行けていなかったけど、6月上旬の訪問以来久々の赤谷鉱山へ。
赤谷鉱山は大きくA・B・Cの3つの鉱区に分かれていますが、昨年から集中的に探検しているのはB鉱区。
ところどころ鉱山道は沢沿いの急な崖の上を縫うように伸びており、途中何箇所か細い沢を横断しますが、そういった小さな沢が土砂で埋まっていないかが心配。
結論から言うと、やはりというか鉱山道は無傷ではありませんでした。
ある場所では沢の両岸がえぐられており、鉱山道が部分的に消失していました。
他の場所では上流側から沢沿いに大量の土砂が押し寄せ、やはり鉱山道を崩落させていました。
後者では10mほど斜面を下ってそこからトラバースし、なんとか鉱山道に復帰できましたが、ヤブの深さが尋常ではなく、かなり参りました。
ここがくだんの崩落箇所。
鉱山道は谷の、この写真でぎりぎり写っている部分を通過しているのですが、そこが崩落していたため、カメラを構えているこの場所まで降りてこなければなりませんでした。
それでも何とか現地までたどり着くことができ、ほっと一安心。
この鉱区の坑道は7割がた歩きつくしているのですが、今回は残りの2~3割を歩いてみようと。
それら未踏破の坑道はいずれも常時冠水しており、今まで避けていたのです。
その筆頭がこのプールの部分で、腰のあたりまで潜るかなと思いきや思ったより浅く、端っこの方で50cmぐらいしか水深がありませんでした。
背後に未踏破の坑道が伸びており、昭和49年作成の坑内図を見ると、途中にホールがありそうなのです。
その坑道は壁の大部分がドロマイトで覆われており、途中大きな平タガネが捨てられているのを発見。
かなり年季の入っていそうなタガネだったので、持ち主が来たのは最近ではないと思います。
20年以上前じゃないかなあと推測。
いくつか晶洞が開けられていました。
ほどなく坑道の終点に来ました。
坑内図では途中に大きな採掘区があるはずですが、それはなかった。
思ったよりあっけなく坑道の終点に到達。
その向こうには大ホールが待ち受けていました。
しかし、階層が違う。
これは一体?
あとで昭和36年作成の赤谷鉱山地質図~こちらは全ての階層を上から俯瞰して描いたもの~を見てみましたが、この部分には何もないのです。
右側奥。
下を覗き込んでみますが、20~25mの深さがありそうです。
崖ぎりぎりまで歩を進めても、ホールの全容は見えません。
2本の鉄パイプが立っていますが、錆びまくっているのでこれを支点に懸垂下降することは不可能。
近くの別な支柱には太いロープが巻かれていたので、当時はここから下へ降りていたのでしょうか?
しかしこれだけの大きなホールなら、正規の出入り口が別にあるはず。
左側奥。
改めて坑内図を見ても、この鉱区の全階層においてここにつながるような坑道は記載がないのです。
唯一可能性があるとすれば、最下層の280m坑の坑道でしょうか。
その後は2~3本の未踏破坑道を歩きましたが、そこでまた新たな発見がありました。
やはり膝までの深さの水で冠水している他の坑道を歩いていったら、この場所へ出たのです。
なるほど、そういうことか(独り言)。
坑口の向こうに地表の緑が拡がっています。
近くに縦坑がありました。
下から見上げるように撮っています。
この階層の上には340m坑があるはずですが、位置的にも高度差の感覚的にもこの真上には340m坑があるのでしょう。
ちなみに340m坑の坑口はどうも崩落していると思われ、幻の坑道なのですが。
既知の大ホールの最奥部のわずかな隙間から下を覗き込んでみると、そこにもかなり大きなホールがありました。
ここもかなり深さがあり、ひょっとすると最初の大ホールの左端に当たる可能性なきにしもあらず。
そして、今回3つ目の未知の大ホールを見つけました。
写真の赤茶色の鍾乳石の向こうに大ホールが拡がっているのです。
ここも坑内図には記載のない謎の空間。
そこに至る坑道もこの付近には全く見当たらず、謎は深まるばかり。
ある坑口の近くの斜面です。
右上の斜面のかなり上の方から豪快に崩落しています。
坑口が塞がれなかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。
今まで現実を直視するのが怖いのもあって行けていなかったけど、6月上旬の訪問以来久々の赤谷鉱山へ。
赤谷鉱山は大きくA・B・Cの3つの鉱区に分かれていますが、昨年から集中的に探検しているのはB鉱区。
ところどころ鉱山道は沢沿いの急な崖の上を縫うように伸びており、途中何箇所か細い沢を横断しますが、そういった小さな沢が土砂で埋まっていないかが心配。
結論から言うと、やはりというか鉱山道は無傷ではありませんでした。
ある場所では沢の両岸がえぐられており、鉱山道が部分的に消失していました。
他の場所では上流側から沢沿いに大量の土砂が押し寄せ、やはり鉱山道を崩落させていました。
後者では10mほど斜面を下ってそこからトラバースし、なんとか鉱山道に復帰できましたが、ヤブの深さが尋常ではなく、かなり参りました。
ここがくだんの崩落箇所。
鉱山道は谷の、この写真でぎりぎり写っている部分を通過しているのですが、そこが崩落していたため、カメラを構えているこの場所まで降りてこなければなりませんでした。
それでも何とか現地までたどり着くことができ、ほっと一安心。
この鉱区の坑道は7割がた歩きつくしているのですが、今回は残りの2~3割を歩いてみようと。
それら未踏破の坑道はいずれも常時冠水しており、今まで避けていたのです。
その筆頭がこのプールの部分で、腰のあたりまで潜るかなと思いきや思ったより浅く、端っこの方で50cmぐらいしか水深がありませんでした。
背後に未踏破の坑道が伸びており、昭和49年作成の坑内図を見ると、途中にホールがありそうなのです。
その坑道は壁の大部分がドロマイトで覆われており、途中大きな平タガネが捨てられているのを発見。
かなり年季の入っていそうなタガネだったので、持ち主が来たのは最近ではないと思います。
20年以上前じゃないかなあと推測。
いくつか晶洞が開けられていました。
ほどなく坑道の終点に来ました。
坑内図では途中に大きな採掘区があるはずですが、それはなかった。
思ったよりあっけなく坑道の終点に到達。
その向こうには大ホールが待ち受けていました。
しかし、階層が違う。
これは一体?
あとで昭和36年作成の赤谷鉱山地質図~こちらは全ての階層を上から俯瞰して描いたもの~を見てみましたが、この部分には何もないのです。
右側奥。
下を覗き込んでみますが、20~25mの深さがありそうです。
崖ぎりぎりまで歩を進めても、ホールの全容は見えません。
2本の鉄パイプが立っていますが、錆びまくっているのでこれを支点に懸垂下降することは不可能。
近くの別な支柱には太いロープが巻かれていたので、当時はここから下へ降りていたのでしょうか?
しかしこれだけの大きなホールなら、正規の出入り口が別にあるはず。
左側奥。
改めて坑内図を見ても、この鉱区の全階層においてここにつながるような坑道は記載がないのです。
唯一可能性があるとすれば、最下層の280m坑の坑道でしょうか。
その後は2~3本の未踏破坑道を歩きましたが、そこでまた新たな発見がありました。
やはり膝までの深さの水で冠水している他の坑道を歩いていったら、この場所へ出たのです。
なるほど、そういうことか(独り言)。
坑口の向こうに地表の緑が拡がっています。
近くに縦坑がありました。
下から見上げるように撮っています。
この階層の上には340m坑があるはずですが、位置的にも高度差の感覚的にもこの真上には340m坑があるのでしょう。
ちなみに340m坑の坑口はどうも崩落していると思われ、幻の坑道なのですが。
既知の大ホールの最奥部のわずかな隙間から下を覗き込んでみると、そこにもかなり大きなホールがありました。
ここもかなり深さがあり、ひょっとすると最初の大ホールの左端に当たる可能性なきにしもあらず。
そして、今回3つ目の未知の大ホールを見つけました。
写真の赤茶色の鍾乳石の向こうに大ホールが拡がっているのです。
ここも坑内図には記載のない謎の空間。
そこに至る坑道もこの付近には全く見当たらず、謎は深まるばかり。
ある坑口の近くの斜面です。
右上の斜面のかなり上の方から豪快に崩落しています。
坑口が塞がれなかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。
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