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草倉銅山の露天掘り跡 [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

昭和52年版の新潟県地質図説明書からの引用です。
「明治8年、古川氏により開鉱され、大正9年閉山し、現在に至る。鉱床は(中略)草倉、舟内沢、滑滝、東山の4条の鉱脈からなる。・・・鉱石鉱物は黄銅鉱で、黄鉄鉱を少量伴う。二次鉱物として輝銅鉱、赤銅鉱、自然銅を生じている。」
もっとも、これらの文章の元ネタは「日本の鉱床総覧・下巻」から来ており(ほぼパクリ)、さらに詳しく知りたい方は”日本の鉱床総覧”を読むといいでしょう。
国立国会図書館のデータベースに収録されているので、新潟市でしたらほんぽーとか県立図書館へ行けば読むことができます。
草倉銅山の歴史については幾つか他にも資料はあるのだけど、各鉱区の場所や坑口の位置を記した地図を載せている文献は全く見当たりません。
しかしながら、今年に入ってようやく坑口の位置を記した資料を見つけました。
その資料名は「地質要報」(明治19年発行・東京地学協会)。
ここに、明治時代に作成されたものとしてはこれ以上望めないほど精細な地図が載っていました。

IMG_1808.jpg

左側がその地図。
地図の正式名称は「越後国東蒲原郡 草倉銅山 地質略測図」と言います。
オリジナルのそれはかなり大判の地図なんでしょうけど、この本には4枚に分けて部分的に掲載されていました。
当時のものとしては精細ながら、現在の国土地理院の1/2.5万地形図と比べたら等高線の正確さでは足元にも及びません。
しかしながら、この文献は学術的な価値があると思いますし、それを最新の地形図上で照合しながら清書してみたのが右の地図です。
赤丸が坑口、ヒと書いてあるのは、鉱山用語で鉱脈を意味します。
他にも、乙太郎ヒや卯酉立ヒなど、多くの鉱脈が明治時代前半にはあったようです。
一般に、明治10年まではノミとハンマーを使い、人力で鉱石を切り出していました。
明治17年、同じ古川氏が経営する足尾銅山で削岩機の使用を開始。
それまで足尾銅山の銅の産出量は草倉銅山に負けていたのですが、明治17年から生産量は逆転。
この地図が作られたのは草倉銅山が活況を呈していた最中だったわけですが、その頃既に東山鉱区以外の鉱区は開発されていたことがわかります。
もうひとつ、この文献(地質要報・明治19年)が貴重なのは、旧道が記されているからです。
それを破線で地形図に落とし込んでみました。
昨年5月下旬、ぼくが初めてここを訪れた時迷い込んだ踏み跡も、この旧図を見てそれがどこだかわかりました。
本坑口から下の方に破線が伸びていますが、この道は部分的に踏み跡として残っており、そこを辿っていったのでした。

IMG_1929.jpg

おそらくぼくが辿り着いた場所は、地質要報の図によると金ロ立ヒの近くだったと思われます。
そこで見つけた坑口がこの写真。
ここでUターンをし、帰りに踏み跡を見失って道に迷いました。
2時間近く山中をさまよい、遭難しかけたのは本当に苦い思い出です。
昨年5月24日のブログ記事にはその坑口の写真は載せなかったのですが、今回初掲載。

さて、角神温泉脇から車道を上がっていくと、阿賀町が設置した案内板が右手に現れます。
そこが本山の入り口で、その先にある坑口は”本坑口”。

IMG_1776.jpg

本坑口の写真は多くのサイトで取り上げられており、阿賀町でも観光スポットとして整備しています。
次の写真は本山地区の古写真。
完全に自然に帰している現在からは想像もつかないほど、多数の家屋がそこに軒を連ねていたのです。

IMG_0705-1.JPG

地質要報の図を見ると、舟内沢沿い、大切一番坑(=通洞坑)から下手にも大きな飯場があったことが伺いしれます。
通洞坑は、実際に近年訪れたミックンによると青天井状態と化しているみたいですが、舟内沢鉱区も一度は訪れてみたい場所です。

さて、1年ぶりに訪れた草倉銅山ですが、今回は本山地区ではなく、グーグルアースで見つけた広大なズリを訪ねるのが一番の目的でした。
その場所がBになります。
今回、時計回りにAからBを経て角神温泉までぐるりと林道を一周。
昨年は本坑口入り口から200mくらい手前のところまでしか車で行けませんでした。
なぜなら、道路の一部が陥没していたからです。
そこもきれいに修復されており、とりあえずは車で一周できました。
(ただし、落石箇所多数ですし、倒木もありまくりです。自己責任にて。)

IMG_1756.JPG

A地点の写真です。
以外や、ここにも案内板が立っていました。

IMG_1762.JPG

そして、ここがB地点の崖。
3段になっているので、露天掘りの採掘跡と思われます。
広い駐車場もあり、かつては大々的に採掘されていたことでしょう。

IMG_1763.jpg

傾斜はそれほど急ではないものの、不安定な石が多く、歩くには細心の注意が必要。
ぼくはそんなわけで下から2段めのズリ?をざっと歩いただけでお茶を濁しました。
何の鉱物も目につかなかったけど、圧倒的な量があるので、丹念に探せば何か見つかるかも。

IMG_1784.JPG

その後、本山に立ち寄って供養塔に参拝。
そしてもう一つの目的地である不動滝へ移動しました。
ところが不動滝は災害復旧工事中とかで、入り口にロープが張っており、入れない。
河床もほじくり返されており、何やら大体的に工事をしているので、当分見学できないと思います。
ここは不動滝前の駐車場だけど、この広場にかつては選鉱場が建っていました。
そして、ぼくが今回作成した地図を見てもらうとわかるように、写真に写っている斜面のどこかに大切三番坑の坑口があったはずなんです。
あわよくばその坑口を見つけてやろうと思ったけど、想像以上にヤブが密生しており、広場から穴を視認するのは無理でした。
今回の探査はここまで。
次回があるかどうかはわかりませんが、舟内沢鉱区を歩いてみたいです。
林道が鋭角にカーブする辺りに旧道の入り口があるはずだけど、旧道の痕跡は残っているのだろうか。
地形的にも、舟内沢に降りるにはそこから向かうしかありません。


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哀愁の草倉銅山跡 [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

阿賀町の山間部に眠る草倉銅山の始まりは、元文4年(1739)に遡ります。
明治期に入ると、現在の古川財閥を築いた古川市兵衛が経営権を取得。
古川はここで財をなし、その資本を元手に足尾銅山を買収したのは有名な話です。
大正9年(1920)に閉山しましたが、最盛時には約6000人もの人々が(1906年の新聞記事には戸数260戸、人口1826人とあるので、6000人というのは誇張がなされていると思いますが)銅山の周辺で暮らしていたと言われています。
5月23日、初めて現地を訪れてみました。

IMG_1920.jpg

銅山入り口までの林道は舗装されており、思ったより走りやすかったです(ただし、部分的に路肩崩壊の箇所もあった)。
銅山入り口手前100m付近に赤いパイが道路の真ん中に置かれており、その手前の広場に車を停め、そこから歩きます。
パイを過ぎると道路が大きく陥没しかけている箇所があるので、車は確かに通行不可です。
写真は、平成30年に作られた無縁仏供養塔。
右側のこんもり盛り上がった丘の上にはかつての神社跡や小さなお墓が点在し、そこには悲しみの想念が漂っているような気がしました。
明治時代の抗夫は概して短命で、頻繁に起こる落盤事故や珪肺症などの疾患のため平均寿命は40才に届かなかったらしいです。
また、左に建っている供養塔の説明文によると、女性の抗夫も多数働いていたようです。
鹿瀬にある龍蔵寺には抗夫達の200もの無縁仏の墓が存在し、今も毎年7月15日に供養祭がしめやかに行われています。

IMG_1927.jpg

坑道の入り口。
現在は土砂に埋もれています。
付近には事務所の石垣跡などが残っており、ここまではしっかりとした踏み跡が残っています。
そして、この先は踏み跡はほぼ自然に帰しており、新緑萌ゆる5月に入ると全く地形がわからなくなるので、単なる好奇心で立ち入ることは慎むべきと思います(自戒を込めて)。


IMG_1928.jpg

踏み跡らしきものを拾いながらヤブ漕ぎ30分、やっとズリのような場所に出ました。
途中一切木々に赤いテープなどはなく、これ以上深入りすると道に迷う危険が高いと判断したからです。
実はしっかり迷ってしまったのですが・・・

IMG_1934.jpg

付近には自然地形なのか、人工的に積まれたものなのか判然としませんが、岩が点在しています。
よく見ると、石英脈が出ているものや、ちゃんと6角柱をしたチビ水晶が隙間に生えているのを見ることができます。

IMG_1962.jpg

例えば、こんな地形。
これから紹介する写真は全てこの岩場で写したもの。
晶洞らしきものもあり、そこには水晶が見られました。

IMG_1942.jpg

IMG_1953p.jpg

IMG_1959tr.jpg

左上部には紫水晶も見られます。
狭いけど奥行きのある晶洞で、奥の方には4~5cmのポイントが発達していました。
スタート地点の供養塔までの帰り、ぼくはルートをロスし1時間以上山中をさまよったのですが、途中このような岩は何ヶ所も出てきました。
露天掘り跡らしいくぼみもいくつかあり、沢筋には踏み跡があちこちに残っているので、本当に道に迷いやすいです。


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