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宝川下流部溯行記 (1) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

日本における近代鉱物学の先駆者となった、東京大学教授の和田維四郎(1856-1920)。
氏の膨大な鉱物コレクションはネットで閲覧することが可能。
で、先日間瀬地区で採取された20個の方解石の写真を見ていたら、より一層方解石に対する興味と愛着が湧いてきました。
弥彦山塊ではやはり間瀬銅山周辺(含・海岸部)が方解石に関しては最も実績があるので、まずは宝川(=真川もしくは真沢)下流部を完全遡行してみようと。
登山者用の駐車場横に堰堤がありますが、そこから深ヶ沢の合流地点までは昨年完全遡行しました。
しかし、駐車場脇から下流部は未知数です。
そこで1月31日、ホテル・トーコー白岩の横から入渓し、駐車場横の堰堤下まで探索してきました。

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出だしがまず密ヤブで、しかも棘棘の枝が多く、先が思いやられました。
しかし、歩きにくかったのはその区間約30~40mだけで、それ以降はスムーズに遡行できました。
ほどなくこの堰堤に出会います。
ここは右岸(左手方向)を巻きました。
あちこちにピンクのテープがぶら下がっているのですが、あまり気にせず気に入ったルートを歩けばいいと思います。

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そして2つ目の堰堤へ。
右岸は無理なので、ここは左岸から高巻き。
ここまではなんとか足を濡らさずに歩けましたが、この堰堤を超えてからはそうも言っていられなくなりました。
この日は沢シューズを履いてきましたが、さすがにまだ水温は低く、なるべく水に浸かりたくありませんから。

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堰堤から先、左岸にはっきりした踏み跡が残っていました。
河原の転石を調べながらの遡行だったので、できるだけ沢筋を歩きました。
しかしほどなくゴルジュ地帯が現れ、沢通しの遡行は無理に。
仕方なく左岸の踏み跡にエスケープ。
それほど水深はなさそうなので、5月以降だったら沢通しでも行けるかと思いますが。
こんな見事なゴルジュが70~80mくらい続いたでしょうか。
そろそろ河原に降りられるかもと思った矢先、大木の根元に絡んでいるロープが目に入りました。

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下の河原へ降りるには、この少し先に簡単に降りられる場所があります。
何もこんな絶壁から下降しなくても・・・
そういえば、ネットでこの絶壁に垂れ下がっているロープの写真を見たことがあります。
ここだったのですね。
いずれにせよ、このロープは腐りかけているので、使わないほうがいいです。

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この頃にはとっくに足は濡れ、完全に沢歩きモードに入っております。
それでもネオプレンソックスを履いてきたので、それほど冷たさは感じませんでした。
2~3時間程度なら足がかじかむこともないでしょう。
そして、ようやくノミの跡が見られる岩場へ到達。
ここまで足元の転石を眺めながら歩いてきたのですが、特にこれは思うような鉱物はなかったです。
間瀬銅山のズリで見かけた黄銅鉱や方解石が付着した石は見当たらず。

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その先には狸掘り跡が待ち構えていました。
ここは林道のすぐ近くで、結果的にここから下流部は見るべき鉱物はなかったですから、ここから入渓するのもいいかもしれません。
登山者用駐車場横の堰堤まで、距離は短いですが美しい渓谷が続きます。
この辺りからぼちぼち鉱石が現れ始めますし、間瀬銅山の鉱山集落横の河原に比べたら圧倒的に人が入っていませんから、思わぬお宝を発見する可能性もあります。

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そこからちょっと上手に、誰が置いたのか、苔むした倒木の上にカラミが置かれていました。
鉱山集落には精錬所もありました。
そこから流れてきたのでしょう。
ちなみに、登山者用駐車場から河原へ降りる踏み跡の周辺にも多数のカラミが転がっています。




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真川の露天掘り跡 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]


かつて間瀬銅山の鉱山集落(宿舎・神社・事務所・選鉱所・精錬所・長屋)があった真川の河原を、再度徹底的に探索してきました。

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まずは下流部から。
この堰堤は最終駐車場脇にある堰堤。
ここは比較的簡単に河原へ降りることができます。
左側の岩場に注目。

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一部えぐれている箇所があるのですが、堰堤建設のためにこういう地形になったとも考えられ、この岩場で採掘が行われたのかどうかは不明。
尚、間瀬銅山で採っていた鉱物は、黄銅鉱・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱・方鉛鉱など。
鉱脈は第三紀中新世の粗粒玄武岩を貫く閃緑ひん岩です。
真川も、その支流の深ヶ沢も基本的には粗粒玄武岩が主体であり、毛色の変わった岩はほとんど見ません。

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その上流にある堰堤。
右手のこの岩場が今回来たかった場所です(前回の記事で2枚めの写真の岩場)。
下の堰堤から河原を歩いてくると途中で高巻きが必要な小滝が現れるので、なんとか堰堤直下に近く河原へロープを使わずして降りられるルートを探したところ、それを見つけることができました。
かすかな踏み跡を辿っていくと、ピンポイントでゴルジュ状の谷間へ下降することができ、そこから一投足で念願の岩場にたどり着きました。


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思っていた通り、人工的に岩を削った跡が不規則にあちこちにあり、露天掘り跡であることが確定。
深くえぐれている部分、ライトを当ててみると手当たりしだいに掘ったような複雑な形状となっている部分もあり、先人の苦労が忍ばれました。
壁面にはこれといって鉱物の結晶は見当たらず、しかし精鉱したら取り出せるかもしれないと思われる箇所もあることはありましたが、写真を撮るだけに留めました。

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堰堤下から下流部はこんな感じ。
20mほど先に何やら洞窟がありそうなので行ってみます。

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本流は左側の方です。
ここは明らかに露天掘りの跡。
近寄ってみます。

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フムフムなるほど・・・

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周辺の河原には、真川のもっと上流部分の河原よりはるかに高密度で、黄銅鉱や黄鉄鉱、方解石が付着した鉱石が落ちていました。

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これも黄銅鉱と黄鉄鉱の組み合わせ。

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この白い結晶はおそらくマンガン方解石でしょう。
このあとズリに立ち寄り、足場の不安定な上の方で格闘しましたが収穫なし。
真川って思ったよりも面白いです。
探せばまだまだほとんど人が入っていないような場所もありますし、もっと上流の方はさらに未知の部分が大きい。
明治時代は見事な紫水晶も産出した間瀬銅山なので、紫水晶を密かに探しているのですが、今のところ水晶系の玉髄はほとんど見かけておりません。
田ノ浦では小さいながらも、またかなり風化が進んではいますが紫水晶の小片が見つかっていますから、可能性はゼロではないと思っています。






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間瀬銅山入り口 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨年5月、初めて間瀬銅山の坑口が連なっている深ヶ沢を遡行しました。
江戸時代から稼業されていた間瀬銅山、幾つかの鉱区が知られていますが、最も歴史が古く、かつ規模が大きいのが深ヶ沢沿いの坑口群なのです。
それ以来の間瀬銅山だから、1年半ぶりの訪問。
ただし、今回は坑口探しが目的ではなく、鉱山集落があったあたりの河原の転石を調べるのと、深ヶ沢の出合付近の地形を再度確かめるのが目的。

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不動明王が藪の中に埋もれているあたりの河原で、何やらプレハブの建物の残骸が斜面に散らばっているのを発見。
よく見ると背後の岩場の上部がえぐれているので、露天掘りが行われていたのかもしれません。
念の為そこまでよじ登って、ライトで中を照らし出してみました。
奥行きはごく浅かったですが、間違いなく露天掘りの跡でした。


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深ヶ沢の合流点の近くに堰堤があります。
林道のどん詰まりにある駐車場の近くにも堰堤がありますが、この堰堤はそこよりやや上流側にあるのです。
本流筋に当たる真川(=宝川)を詰めていくと途中小さな滝があり、そこで行き止まりになります。
つまり、沢沿いにこの堰堤の下へ行くには高巻きが必要となるのです。
なので、もっとラクに降りられそうなところがこの付近にないか、今日は時間がなくて探せませんでしたが、次回は新しいルートを見つけてこの堰堤の下へダイレクトに行ってみたい思います。
このえぐれた岩場も露天掘り跡でしょうか?
先人の取りこぼしがあったら嬉しいなあ。


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そして、深ヶ沢下流部。
ここで5~6cmほどの方解石を見つけ、持ち帰りました。

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本流筋に当たる真川では、このように緑青が付着している石をかなり見かけました。
その中ではこの石が最も大きく(20cmくらい)、色も鮮やかでした。
右側には赤茶色をしている銅が見られます。
裏側には小さな黄鉄鉱も付いていました。

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同じく、真川の河原で見つけた方解石。
やはり小さな黄鉄鉱や黄銅鉱も付いています。
サイズはこぶし大くらい。
あとで持ち帰ろうと思っていったんはスルーしたのだけど、帰りにピックアップするのを忘れてしまいました。

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これが唯一持ち帰った小さな方解石。
マンガンを含んでいるようで、長波(365nm)のUVライトを当てたら見事なサーモンピンクに蛍光しました。

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裏面。
やはり金属(黄銅鉱)の部分は真っ黒になりますね。
明るい水色に蛍光している部分はどんな鉱物なのだろう?

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四面体の結晶は黄鉄鉱(パイライト)。
黄銅鉱と同居しています。
鉱物の小宇宙を机上で探検していると、1時間なんてあっと言う間です。



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間瀬銅山の核心部 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

間瀬銅山は弥彦山山麓に展開する複数の鉱山の総称、いわばブランド名です。
開発の歴史は古く、元禄13年(1700)にまで遡ります。
大正時代前半に最盛期を迎え、その頃は270人あまりの人々が鉱山集落に住んでいました。
真沢(=宝川)沿いにあった飯場には製錬所や選鉱場が置かれ、極めて高品質な銅は燕の銅食器の製造に使われたそうです。
今でも鉱山集落の名残を残す遺構は多く、その一つとして山の神の祠を紹介しましょう。

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さて、江戸時代から大正時代に至るまで、最も多く探鉱されたのは深ヶ沢沿いでした。
なので、間瀬銅山の坑口を見てみたいと思ったら、まずは深ヶ沢はどこかを特定するのが先決。
これはそれほど難しい作業ではないと思います。
そもそも真川自体大きな川ではないですし、地図を見れば候補は3つぐらいに絞られるのではないでしょうか。
3~4年前に飯場周辺の観光は済ませているのですが、実際坑口を見つけることを目的に深ヶ沢を沢登りするのは初めて。
行きは沢沿いを歩き、帰りは標高230m付近から深ヶ沢の左岸沿いにハッキリした踏み跡があったので、そこを辿って下山しました(その踏み跡は標高130mで沢に降りるまで続いていました)。

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最初の坑口まではかなり沢沿いも歩きやすく、要所要所にはこのように補助ロープも付いていました。
歩きやすいといっても微妙なバランスを要する箇所も少なからずあり、登山靴や沢靴は必須です。

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そして、右岸に坑口が現れました。
岩の上の方には露天掘り跡。

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しかし、穴の間口はそこそこの幅があるものの、1.5m先からは天井の高さが70cmくらいとなり、そのままの高さで坑道は奥の方まで伸びています。
江戸時代規格?
匍匐前進しないと前に進めず、さすがに中へ入ってみようという気にはなれませんでした。
間瀬銅山の坑口の写真を掲載しているHPやブログは決して多くはなく、ぼくの知る限り5つくらいなもんです。
そのいずれのサイトもこの坑口の写真を載せています。
理由は一番最初に出てくるからです。
行ってみて初めて納得しました。
間瀬銅山を語るとき、誰もが参照する資料は”間瀬郷土史”でしょう。
この資料には坑口の位置の概略図も載っているのですが、あまたある坑口のどれもが左岸にあることになっているのです。
そこが矛盾するのですが、もっともあの資料に載っている図はどれもいい加減なので、深く悩む必要はないか・・・


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そこから少し先に巨大な露天掘り跡が左岸に現れました。
圧巻です。
一応中へ入ってみましたが、坑口はありませんでした。
また、ここから先にも似たような感じの露天掘り跡が左岸に出てきました。
ちなみに、帰りに利用した踏み跡はその露天掘り跡が起点です。
起点となる箇所で大木が根っこごと倒れており、それがゆえに踏み跡の存在が下からはわからないのです。
それが難点。
踏み跡に入りさえすれば水色のテープが木の枝に巻きつけられていますので、それを辿っていけばOK。
その区間、沢沿いには露天掘り跡や坑口は出てこないので(多分)、上部の坑口を目指すのであればかなり時間が短縮できます。

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そして、もう一つ坑口が左岸に現れました。
この先は沢も傾斜を増し、標高175m付近で沢は二手に分かれます。
水量は同じくらいで、地形の雰囲気も大同小異。
さて迷いました、どちらへ進むべきか。
結局右手の沢へ歩を進めたのですが、70~80m進んだところで再び二股に分かれています。
そのあたりから水は付流となり、踏み跡も消えます。

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ここで詰まった・・・
結局、標高270mのあたりでUターンしたのですが(時間切れ&体力切れ)、目指す上部坑口にはたどり着くことが出来ませんでした。
深ヶ沢上流の坑口の存在は、HP「柵の向こう側」さんや、第15回歴史ウォーキング”間瀬銅山跡を歩く”(寺泊公民館および寺泊地区体育協会主催)のレポートで知ることができます。
坑道の長さは少なくとも200m以上あるとのこと。
でも天井が低く、背を屈めないと進めないそうなので、身長180cmあるぼくは入口付近の写真を撮るだけで終わりそうですけど。
”間瀬郷土史”から引用します。
「・・・大正四年始め、大平山の上部に露脈を発見して探鉱したら、坑口より約100mの地点に新鉱脈を掘り当てた。ちょうど大正天皇即位式当時だったから”万歳鉱”と名付けた。月産30トン以上で最大の探鉱場となった。」
この文献に書かれている万歳鉱が、ネットで坑道内部の写真が詳しく紹介されている坑道と同じ場所なのかどうか?

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沢沿いで見かけた鉱物です。
黄銅鉱や黄鉄鉱を採掘していた鉱山なので、ズリを探すと比較的容易に黄銅鉱が付いた石は見つけることができます。田ノ浦海岸でも同様の石ころは落ちているし。
これは50~60cmくらいの大きな転石の表面に付いていたもの。場所は最初の坑口の手前の河原です。

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近くには、一回り小さい似たような石が・・・
今回、間瀬銅山のズリを見て回る余裕はなかったのですが、知人が昨年博物館クラスの方解石の美晶をゲットしたし、紫水晶のポイントを拾った人もいます。
真川に関してはそれほどヤブが深くないので、沢沿いでは通年鉱物探しができると思います。










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