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鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山) ブログトップ
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初冬の間瀬銅山 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

最近、間瀬銅山について書かれた新たな文献を見つけました。
『間瀬銅山の鉱脈につきての観察大略』曾我俊二郎。
残念ながら地図やイラストは一切載っていないのですが、岩室村史の資料より多くの鉱脈について論述されています。
いつ頃書かれた文献かは不明ながら、太刀川鉱山や坂井銅山についての言及が一切ありません。
なので、明治末か大正初期に書かれたものでは?と推察する次第。
さてこの文献によると、間瀬銅山の鉱区は、間瀬銅山事務所周辺、鮫ノ沢の区域、鉢前沢の区域、の三箇所に分類されるとあります。
そして、主な鉱床として次のものが取り上げられています。

①横樋、②銀棒樋、③脂(やに)樋、④大樋、⑤前樋、⑥本樋、⑦奥樋、⑧八号樋、⑨鮫ノ樋、⑩滝壺ノ樋、⑪鉢前卯酉樋、⑫鉢前本樋、⑬鉢前脂樋、⑭間沢のナバタケの樋、⑮間沢子牛樋、⑯トチノ木沢の樋

実にたくさんあるんですね!
それぞれの樋についておおまかな位置関係が延べられているのですが、思い切り文語体で書かれているのに加え、イマイチ舌足らずな説明なので、やはり図で示してもらわないとさっぱりワカラナイというのが本音。
他には、鉱脈の種類についても延べられています。
曰く、鉱脈の種類は鉢前の脂樋を除けば、方解石を脈石とする黄銅鉱の脈であるとのこと。
これらの鉱脈中に普通に生じる鉱物は、方解石、石英、黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱などだそうです。
この他、菱鉄鉱や紫水晶も産す、とあります。
ここでも紫水晶の名前が出てきました。
前後の文脈から判断すると、特定の場所ではなく、広くこれらの区域で少量採れたと解釈するのが自然なような気がします。
さて、冬将軍がやってくる前にどうしてももう一度行っておきたかった間瀬銅山へ14日、行ってきました。
前回初めて坑道を探検した際、主坑道の最奥部で方解石の脈を見つけたので、そこを詳しく調べてみるのが目的。
あと、余裕があれば、まだほとんど行ったことのない枝坑道も見てみたいなと。

IMG_4450.jpg

そもそも最初道を間違えて、枝坑道へ迷い込んでしまいました。
結果、計2本の枝坑道へ終点まで行ってみたのですが、いずれも長さは60~80m未満と比較的短く、表面をざっと観察した限りでは特にみるべき鉱物はありませんでした。
うち1本はやたら下層エリアへの竪坑が出てきて緊張しましたが、ずっと壁は胆礬と思われる青い鉱物に彩られていたので、視覚的には楽しめました。
でも、鉱物的に見るべきものが多かったのはやはり主坑道の奥(上の写真)でした。
この辺から緑泥石が頁岩に混じって出てくるのですが、壁面に現れる鉱物も胆礬から霰石(アラゴナイト)が主となり、地面に転がっているズリ石は一気に増し、見るからにマラカイトと思われる銅の二次鉱物が増えてきます。

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これはアラゴナイト。
厚みのある結晶はありませんし、カラフルなそれもほとんどないですが、個人的にはアラゴナイトを過大評価?しているので心が踊りました。

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こちらは壁面に発達中の、白のアラゴナイト。
持ってきたUVライトを当てると、神秘的な光を放ってくれました。

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今回、お目当てだった方解石のそこそこ大きな自形結晶は見つけることができなかったものの、方解石とアラゴナイトが共生した形の可愛らしいクラスターを発見。

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これが蛍光写真。
ピンクの部分が方解石です。

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その近くにあった、竪坑内部を激写。
正面に見えるのは木製の階段です。
斜度は70~80度くらいでしょうか。
命綱がないと降りていくのは不可能でしょう。

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ぼくはいつも沢を遡行せず、最初から前半は右岸、後半は左岸に付けられている鉱山道を歩くのですが、今回その中間地点の右岸側の斜面上部で露天掘り跡を見つけました。
鉱山道から標高差で15~20mくらいあるでしょう。
斜面は急で、補助ロープなしだと下降に苦労すると思います。
露天掘り跡は結構たくさんあるのですが、そのほとんどは左岸の斜面に存在します。
帰りにこの露天掘り跡の入り口までよじ登ってみたのですが、右側の暗い洞窟らしいところも坑口が待ち構えているわけではなく、奥行3mくらいの露天掘り跡でした。

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雰囲気的にまだまだ掘れば有用鉱物が出てきそう。
特に、個人的に目を付けている脈石として一般的に産する方解石が採れそうな気がします。
左側のテラス状の地面にもきれいな鉱物が転がっていそうだし、露天掘り跡を徹底的に探るのも面白いかもしれません。
ここに限らず、どの現場も斜度が急なので、そこだけは気をつける必要がありますが。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。




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間瀬銅山のブルーアラゴナイト [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

さて、いよいよ八号坑へ突入です。
今回は木製トロッコレールの敷かれている本坑道を、最奥部まで行ってみるのが目的のひとつ。
もうひとつは、昨日の記事にも書きましたが、坑内にアラゴナイトがあるかどうかを確かめること。
まずは枝坑道は一切無視して、一気に最奥部を目指しました。

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ここがそれ。
びっくりしました。
感覚的には300~400mくらい歩いたような気がします。
これほど距離があるとは。
この記事を書くにあたって再度地形図を見てみました。
八号坑の入り口から真南に直線を引き、鮫銅山の坑口があると思われる沢に交差するまでの直線距離を測ってみました。
すると、470mしかありませんでした。
郷土史の絵図には、八号坑の注釈として”鮫坑に至る”と付記してあります。
当初はまさかと思いましたが、これは事実に違いありません。
かつては鮫鉱山と行き来する、連絡坑みたいな坑道があった可能性も否定できません。
これは面白くなってきました。

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前回到達した坑道までは、壁面は地味です。
ところが、その辺りから壁面に白や水色のフローストーンもどきの模様が現れ、一気に活気を呈してきます。
その辺りから目的の一つであるアラゴナイト探しをしながら歩いたのですが、ほとんどの上の写真のような毒々しいまでの色の凸凹は、触るとべチャリと潰れてしまうのです。
白い部分もしかり。ソフトなゼリー状です。
しかし、かなり奥の方まで来ると、とうとう液体ではない、触っても指が白く染まらない硬い結晶が現れました。

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アラゴナイトです。
結晶の厚みはせいぜい1cmといったところで、生まれてからまだ若い結晶なのですが、このような白いアラゴナイトが現れるようになったのです。

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そして、最奥部に近いこの辺り(前後10m)で壁面の地質が変わり、ズリの中に今まで見られなかったマラカイト(孔雀石)やカルサイト(方解石)の破片がかなりの頻度で見られるようになりました。
他には、田ノ浦ビーチでよく見つかるような、緑泥石ベースに黄鉄鉱や黄銅鉱が鉱染しているタイプの石も見られました。
それどころか、壁面に黄銅鉱脈が露出している露頭もありましたし、鏡鉄鉱のように、キラキラしている壁面も。


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銅イオンの溶け込んだ液体が付着し(こすってもほとんど取れませんでした)、マラカイトのようになりかけている石を集めて記念撮影。

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こちらは壁面に析出していたマラカイト。
やはり触っても指に色が付かず、硬いです。

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そして、とうとう見つけたブルーアラゴナイト!

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こちらもそう。
両者は20cmほどの距離を置いて並んでいました。
どちらも色味の付いた結晶部分は長辺5cmくらいのサイズでしかありませんが、間瀬銅山にもアラゴナイト、及びその中でも貴重とされるブルーのアラゴナイトがあったのです。
これを一度見てしまったら、マラカイト探しはどうでもよくなりました。
スピ的な言い方をすれば、波動が全然違うのです。
アラゴナイト、特にブルーアラゴナイトは5次元に存在する鉱物のようでした。

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こちらは、やはりその近くの壁面に見られたブルーアラゴナイト。
これが色合い的に最も赤谷鉱山のそれと似ているでしょうか。
ただし結晶の厚みはなく、こちらも5~8mm平均といったところ。
ところで、この日はアラゴナイト出現に備えて長波のUVライトを持ってきました。
アラゴナイトは青っぽく蛍光するので、微妙な石があったらUVライトを当ててみて、蛍光の有無が判断材料のひとつになるからです。

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右端はさっきの美麗なブルーアラゴナイトなのですが、蛍光色もこの世のものとは思えないような美しさでした。
ちなみに、中央と左端にもうっすらと水色に蛍光している部分がありますが、これもアラゴナイト。
昼光での色が半透明な薄茶色ないしはクリーム色なのでわかりにくいのですが、アラゴナイトらしく蛍光色は水色を示しました。

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先の蛍光写真で、左側に写っているもっこりした石がこれです。
こちらもアラゴナイトですね。
白っぽい水色の蛍光を示しました。
他にも、木製のレールの一部がクリーム色のアラゴナイト化しているところも複数箇所ありました。

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さらに、この近くで緑泥石のズリの中にカルサイトと思われる無色の半透明の鉱物が見られたので、試しにUVライトを当ててみました。
思わず、うわっと声を出してしまいました。
これは見事だ!
三脚は持ってきていないので、蛍光写真はいずれもザックの上にカメラを置き、シャッタースピード5~6秒での撮影。
その間、UVライトを左右に振りながら照らし続けるわけです。
そういうやり方で撮りました。

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比較的大きめのカルサイトが付いていた石をサンプルとして1個持ち帰り、じっくり観察してみました。
青緑の部分はマラカイトで、左側の茶色い部分は黄銅鉱です。
田ノ浦海岸で見つかるカルサイトがそうであるように、間瀬銅山の山中で見つかるそれもピンク色の蛍光を示します。微量のマンガンが含まれているせいだと思います。
白いアラゴナイトは決して多くはないものの、数箇所で見ることができました。
一方、青いアラゴナイトは特定の場所(1箇所)でしか見られませんでした。
まだ枝坑道へはほとんど入っていませんので、今後は枝坑道の鉱物を調べてみたいと思っています。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。









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間瀬銅山五号坑発見 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

今日、約1ヶ月ぶりに間瀬銅山へ行ってきました。
前回、初めて間瀬銅山で最も本格的な坑道だと思われる坑内へ入り、先駆者が青の洞窟と名付けた、壁のところどころがブルーに染まっている神秘的な光景に感動、夢中でシャッターを押しました。
その後、割と最近になって赤谷鉱山で伝説の青いあられ石を発見。
あられ石の産状を知るに至り、それならば間瀬銅山のあの坑道でも胆礬や緑青でない、白や水色のあられ石も存在するのではないかと。
結果、あられ石はやはり間瀬銅山にもありました!

その前に、いつも沢登りはせず、沢沿いの巻道を利用するのですが、今回はちょうど中間地点で道を間違えかけたのです。
巻道は前半は沢の右岸、後半は左岸に付けられています。
右岸から左岸にチェンジするところで、巻道の入り口を見逃してしまい、ちょっとした急斜面を登りました。
すぐ道を間違えたことに気づき引き返そうとした時、坑口らしき穴を発見。
近づいてみると、ものすごく冷たい風が穴から吹き出してきたので、これが坑口であると確信しました。

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穴の高さは25cmぐらいしかありません。
冷風が吹き出してこなかったら、この小さな穴は自然の造形だと思ったことでしょう。
ザックから懐中電灯を取り出し、穴の中を照らしてみると・・・

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斜坑のようで、一直線に下へ下へと伸びていたのです。
穴が非常に狭いのでカメラの先っぽを入れるのが精一杯。
ストロボをポップアップできないで、懐中電灯の光で写しました。
もっとレンズを下へ向けるべきでした。ダサ。
ともあれ、これは本格的な坑道に間違いありません。
位置的に、これこそが郷土史の絵図にあった五号坑だと思いました。
(全体の位置関係は5月24日の記事参照。)
となると、あの本格的な坑道~ここからひと登りした沢沿いにある~は、自然に八号坑となることでしょう。
やっとこれで胸のつかえが下りた気分。
六号坑や七号坑はどうしたの?という疑問が湧きますが、これもぼくの推測になりますけど、どちらも途中の沢沿いにある坑口であり、規模は小さいのだと思います。
それで絵図からは省略されているのかなと。

IMG_1353.JPG

例えば、七号坑は上の写真で右上に見えている穴ではないかと。
この坑口は八号坑の手前70~80mのところにあります。
内部はすぐ閉塞していますが。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。



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間瀬銅山丘敷坑 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

宝川支流・深ヶ沢沿いには多数の坑口が存在します。
郷土資料の絵図のそれと照らし合わせると、丘敷坑と八号坑をまだ見つけていないので、これらを見つけるために徹底的に深ヶ沢源流部を歩き回ってきました。

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大雑把な位置関係はこのようになっています。
丘敷坑だけが沢筋からかなり離れているので、まずは前回怪しいなと思った斜面を登ってみました。


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基本的に間瀬銅山の坑口は沢沿いに開坑されています。
そしてほぼ予想通りの斜面で、小さな谷筋の奥に坑口が現れました。
画面からは切れていますが、左斜め下にも小さな坑口が口を開けています。

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メインの坑口内部。
竪坑でした。
写真では完全に塞がっているように見えますが、実際は右奥の方へ坑道は伸びています。

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こちらは、もう一つの坑口内部。
やはり竪坑のようでした。

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これら2つの坑口上部に、ご覧の大きな岩場がありました。
ここにも坑口が一つ。
さて、ここから前回見つけた五号坑入り口の痩せ尾根を経て、次のルートを探索してみました。

①その痩せ尾根にはさらに上の方に向かって踏み跡が付いているので、そこを登ってみる。
②その痩せ尾根の手前で沢は二手に分かれるので、右側の沢を登ってみる。
右側の沢は分岐から50mほど上流でさらに二手に分かれるのだが、その右側の沢はおととし既に登っており、そこには何もなかったので、今回は分岐から左側の沢を詰めてみる。

①ですが、標高差で20mほど登ってみたのですが、踏み跡はだんだんと消滅し、沢も平凡な渓相に変化。
何もなさそうなので、途中から右側の沢へと斜面をトラバースしました。
しばらくして②の沢の河原に降下。
途中、沢の右岸に赤いテープが現れました。

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それまでの巻道は一貫して紫のテープだったので、おやっと思いました。

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そして、源頭部の分岐点へ。
おととしの5月に来た時はここで右側の沢を登ったのですが、今回は左側の沢へ行ってみました。

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今回の最高到達点である標高約267m地点で、露天掘り跡らしき岩場を発見、よじ登ってみました。
ここから上は一気に様相が変わり、傾斜もさらに急に。
人が入った形跡は全く見られなかたのでUターン。
ここでこの日初めて10mの補助ロープを出し、懸垂下降3ピッチで安全地帯へ。

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帰りは巻道の終点地点に出るまでひたすら沢筋を下降したのですが、途中坑口らしき穴に遭遇。
内部はすぐ閉塞しているものの、位置的にどうやらこれが五号坑である可能性が高いのです。
となると、前回探索したあの本格的な坑道は八号坑ということになります。
最初はそれが五号坑と思っていましたが、そこより上部の小沢を2本登ってみたにも関わらず何も坑口は見つからなかったので、あの本格的な坑道が八号坑と判断せざるをえません。
ただし、今回も八号坑手前の分岐までは行きも帰りも巻道を利用したので、深ヶ沢本流沿いに、既に場所が確定している沢敷坑と八号坑の間に坑口がないか、今一度調べる必要がありそうです。
何もなかったら、上の写真の坑口が五号坑ということで確定ですが。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。






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青の洞窟 [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨年5月6日に引き続き、間瀬銅山の核心部(江戸時代に開坑された深ヶ沢沿いの坑口群)へ行ってきました。
目的は、ネットで柵の向こう側さんや秘密結社ホールさんが詳細なレポートをしている本格的な坑道を見つけ、探索すること。
昨年行った時は、かなり上の方で沢の分岐を誤った方角へ進んだのが行き着けなかった原因と考え、今回はその分岐を逆の方向へ進みました。
その選択がビンゴでした!
かくして45分で夢の坑口前に到着。

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これは深ヶ沢の右岸に最初に出てくる、おそらく江戸時代の坑道。
昨年5月に訪れた時は、行きは沢筋を忠実に遡行したのですが、今回は時間の短縮を図るため、行きも帰りも巻道を利用しました。
昨年秋の下見で、宝川(=真沢)と深ヶ沢の分岐点から深ヶ沢の右岸沿いに巻道があることを発見。
今回はその巻道を辿ってみたのだけど、この坑口手前まで続いていました。
ここからいったん河原に降り、そこから40~50mほど沢沿いを歩きます。
すると今度は左岸に巻道が現れるので、再び沢筋を離れ、左岸の巻道を登っていきます。
途中、幾つかの露天掘り後や坑口(おそらく沢敷坑)が出てきますが、今回は寄り道せずに目標の坑口へ一直線。
後半の巻道は昨年5月の山行の帰りに利用した道。
一応紫色のテープが要所要所に付いているのですが、とても古いテープなので地面に寝てしまっているものが多く、あまりアテにできません。
途中からぐんぐん登っていくので、そこで道を間違えないことです。

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今回は順調に坑口へたどり着くことが出来ました。
坑口手前がなにげに足場がないので、10mの補助ロープを持っていくと重宝するかもしれません。
郷土史の”各銅山坑道略図”と照らし合わせてみると、この図が非常にいい加減なので断定はできないのですが、おそらくこれは五号坑だと思います。

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間瀬銅山は幾つかの鉱区の集合体ですが、一般的には大正9年の閉山ということになっています。
しかしながら、昭和18~20年にかけて一時的に操業したと言われており、この五号坑や弥彦山への登山道途中にある明神沢立坑あたりがそのとき密かに操業していた可能性があります。
この坑口近くの岩に”大正三”との刻印があるので、発見は大正三年なのでしょう。
はやる気持ちを抑え、いざ内部へ。
入り口から20mほど、15~20cmくらい水が溜まっています。
今回軽量タイプの長靴を坑道探検用に別途持っていこうか迷ったのですが、結局沢靴で歩き通しました。
ヒザ下までのスパッツを併用したのですが、このスタイルは我ながら合理的だったと思っています。

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坑道は長いです。
正面の明るい光が入ってきた場所。
後方にもまだまだ続いていますが、最初の直線は150mはあるのでは?
途中分岐を過ぎ、今回は木製軌道が敷かれている王道ルートを見たかったので、分岐点は左に。

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そこからしばらく歩くと十字路に出ます。
そこに来て、初めて天井が高くなり、身長182cmのぼくはやっと存分に背伸びをすることができました。
上の写真は十字路から左側の坑道だと思います(似たような景色の連続なので、あまり覚えていない)。
十字路の辺りからどの坑道も、側面や天井に青い部分が目立つようになります。
銅の化合物です。
触ってみるとほとんどが柔らかいのですが、あと300年たったらどうなるのかな?

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奥の方の坑道へ来てみると、地面はズリ石や粘土が堆積しており、生々しい感じ。
もちろん鉱物チェックも怠らなかったのですが、密かに思い描いていた鉱物~自形結晶の方解石や紫水晶、蛋白石など~は皆無でした。
三川鉱山のように銅の二次鉱物が豊富にあるわけでもなし、今回は写真を撮るだけで終わりました。

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とある天井。

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とある坑道(この辺にくると、どこで撮った写真だか覚えていない)。

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とある分岐点。
なんちゃって霊視?してみたら、この辺が最も活気があったようです。

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再び、とある天井。
たまに天井を見上げると、こんな軟弱な構造ばかりで生きた心地がしませんでした。
深追いはせず、例の十字路から半径50m以内を探索したのみ。
これで充分満足しました。
以下、青の洞窟シリーズ。

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帰りは40分で駐車場に到着。
巻道ルートだと、沢筋を忠実に歩くのに比べ3割ほど時間を短縮できると思います。
さて、間瀬銅山界隈でやり残したことは次の3つ。

①八号坑の場所を確かめる
”各銅山坑道略図”には、八号坑(--->鮫坑に至る)とあります。
八号坑がここより標高差で40~50mほど上に位置するとなると、尾根の反対側にある鮫鉱山の坑道へ中で繫がることも確かに可能となります。

②鮫鉱山へ行ってみる
おおよその場所の見当は付いているので、晩秋になったら行ってみたい。
今年の春は草倉銅山優先で探索してきたので、秋以降ですね。

③丘敷坑の場所を確かめる
”各銅山坑道略図”記載の坑口のひとつです。
五号坑より西北西に150~180mくらい行った山の斜面に位置していると想像します。
今回その近くの斜面を通過した時に周囲の地形を観察、坑口がありそうな感じはしました。

④万歳坑の場所を確かめる
これは前回の記事でも書きましたが、大正四年に発見されたという、間瀬銅山の歴史の中で最も有望とされた万歳坑はまだ誰も見つけた人はいません。
大平山上部にあるという情報しかありませんが、何とか探し出してみたい。

※4月4日追記:
ぼくが今まで八号坑と思いこんでいた坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。






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万才坑はどこだ? [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

『間瀬郷土史』に次のような記述があり、ずっと引っかかっていました。

「・・・大正四年年始め、大平山の上部に露脈を発見して探鉱したら、坑口より約100メートルの地点に新鉱脈を掘り当てた。ちょうど大正天皇即位式当時だったから「万才坑(バンザイコウ)」と名付けた。月産三十トン以上で最大の探鉱場となった。」

昨年まで大平山がどこかわからなかったのですが、弥彦山ロープウェイ山頂駅の北にある開けた小高い山が大平園地(もしくは大平公園)ということを今年になってから知りました。
ということは、大平園地が大平山?
大平園地周辺では坑口の存在が知られていないことから(明神沢立坑だったら、大平山より弥彦山に近いので、大平山上部とは言わないでしょう)、これは面白いことになりそう。
何人か、間瀬銅山関係の坑道で最も長いと思われるそれの内部写真をネットで公開していますが、確かにそれは予想以上に長く、迷路状になっており、純粋に探検意欲を掻き立てられます。
ぼくの分析だとそこは八号坑だと思うのですが、万才坑は間瀬銅山中最大の探鉱場となったとありますから、八号坑より大規模であることは想像にかたくありません。
弥彦山のどこかに、まだ誰も閉山後訪れていないかもしれない大きな坑道が眠っているとはなんという浪漫。

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最近10日間で2回スカイラインから、これは思える地形や沢を探索してきたので簡単にレポートします。
赤線がGPSの軌跡、ピンクの線が古地図に記されている旧道(明瞭な踏み跡が残っています)。
まずはロープウェイ山頂駅近くの谷間より。

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道路上から見下ろすと、黒い岩盤の沢の下の方に崖らしき地形が見えたので行ってみました。
標高差で約70m降りると、沢の全容が見えてきました。
崖に見えたのは錯覚で、ご覧のようにちょっとえぐれた地形となっており、沢の地質は玄武岩でした。

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間瀬海岸がそうであるように、玄武岩溶岩ときたら沸石なので沸石を探してみたのですが、これしか見つけることができませんでした。
鉱物的には収穫なしです。

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他の場所での探索の帰りに立ち寄ったので、すでに身体はヨレヨレ。
帰りがキツかった・・・

そして2回目の探索は、割と本命視していた大平山の北尾根を歩いてきました。
ここは古地図を見ると、宝川が大きく二手に分岐する地点の尾根まで破線が付いており、先日太刀川鉱山跡と思わしき場所を探索した際、その尾根の取り付きにしっかりした踏み跡が付いているのを確認しています。
ということは、この旧道直下を流れる沢沿いに坑口があったとすると、旧道を取りあえず歩きながらそれらしい地形を探せばいい。
大平山を南北に縦断する遊歩道沿いにこの旧道の踏み跡が残っているかが不安でしたが、それは杞憂に終わりました。

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特に踏み跡のスタート地点に目印があったわけではないのですが、新緑芽生える前の時期ならなんとかそことわかるでしょう。
旧道は終始こんな感じの道幅で痩せ尾根に伸びていました。

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ところが思ったより樹木が密に生えているため見通しが悪く、谷間が見えません。
なので、標高差で約100m下ったところで見切りをつけ、谷へ降りてみました。
そこがここ。
結構大きな岩場があり、近づいてみるとこの岩もやはり玄武岩でした。

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この小滝も玄武岩でしょうか。
たまに現れるこのような小滝は全部直登できたので、技術的にはラクな遡行でした。
沢の周辺に踏み跡は全く見られず、ここではないと感じました。

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源頭部の風景。
ネットでこの沢の遡行記を探しみたのですが、見当たりませんでした。
田ノ浦口登山道(間瀬銅山コース)からアプローチし、登山道が沢を渡るところで入渓、そこから源頭まで遡行すると面白いのでは?
高巻きを要する滝はなさそうなので、沢歩き気分が味わえる中級者向きのバリエーションルートとして使えそうです。
次があるかはわかりませんが、この次行くなら大平山南西斜面(この沢の支流の源頭部)を探索してみたい。
ここは上部にやはり玄武岩の大岩壁がそびえているので、その下あたりが怪しいかも。
明神沢立坑と同じぐらいの標高プラスアルファ(350~400m)の地点が狙い目かと。

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万才坑はいずこ?

※4月4日追記:
現在、間瀬銅山付近で見られる坑口のうち最も本格的な坑口が万才坑である可能性が高いです。
詳しくは2022年4月4日の記事参照。






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間瀬銅山前衛の山を歩く [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

弥彦山山頂から真西に海へ出たところに、浦浜という砂浜があります。
そこからやや北に崖松という岬があるのですが、その岬の付け根に注いでいる川が宝川。
間瀬銅山の本拠地はこの沢の中~上流に位置しています。
国土地理院の地形図を見ると、崖松からやや南に174.1mの小ピークがあるのがわかるかと思います。
そのピークはぐるりと岩がけの記号に取り囲まれており、昨年から一度は行ってみたいなあと思っていました。
ということで、15日にアタック。
尚、この日カメラを忘れてしまったので、スマホでの撮影です。
画質が悪いですが、記録写真として残します。

IMG_8139.jpg

GPS機器でのログです。
以前の記録も混在しているので宝川本流筋はごちゃごちゃしていますが。
崖松トンネルを抜けたところがスタート地点。
ほんの一投足で崖松キャンプ場の管理棟に出ますが、ここからくだんの174m小ピークへ向かって踏み跡があるかどうか・・・
管理棟の周囲は灌木が密生しており、見通しはよくないです。
それでもかすかに踏み跡と思われるルートを発見、そこを辿っていきました(区間A)。
崖松からの支尾根に出たところで幾つかの踏み跡が交差し(分岐点)、そこからゆるやかな登りが始まります。
この辺から踏み跡は明瞭になり、ヤブも薄くなり、普通の登山道を歩くのと変わりありません(区間B)。

DSC_0183.jpg

区間Bの後半に差し掛かると、主として左側に大きな岩場が連続するようになります。
ぼくは道沿いのそれしか調べなかったですが、かなり上の方まで岩場は点在しており、傾斜もそれほどでないので行こうと思えば行けるでしょう。
地質は崖松と同じく、凝灰岩がほとんど。
玉髄脈はありませんでした。

DSC_0185.jpg

地図で、展望良しと書いた場所がここ。
下は断崖絶壁です。
岩はワイヤーでくくられており、おそらく海岸線を走る道路からも見えることでしょう。
ここから岩場の間を縫うように踏み跡は続いており、174mの山頂直下までが岩のオンパレードです。
しかし、探せど探せど玉髄や方解石は現れません。

DSC_0186.jpg

しかしながら山頂手前50~60mくらいのところで踏み跡は不明瞭となり、どこが正規のルートかわからなくなります。
ただ、見通しはいいので山頂方向は視認できますから、ここからは適当に歩きやすそうなルートを辿って登りました。

DSC_0189.jpg

やっと174mの三角点到着。
ヤブに囲まれており、展望は利きません。
踏み跡が再び現れるので、尾根沿いに歩いていきます。
ちなみに、南西方向に伸びている踏み跡もあるのですが、そこは今回パスしています。
どこへ通じているんだろう?

DSC_0190.jpg

区間Eですが、途中左側に、地図に記載されている旧道(廃道)に出会う前に宝川方向へ下っていく踏み跡がないかなあと注意しながら歩いたのですが、なかったです。
そして出会った首なし地蔵。
旧道を歩いた方たちの記録を読むと、必ず首なし地蔵について書かれているのですが、ここにあったのか。
左側が深くえぐれており、踏み跡がここで分岐しています。
引き続き尾根沿いに歩くこともできるけど、少しでも早く下山したかったので、ここから急坂を下りました。
旧道とはなんとなく合流しますが、旧道そのものが非常に不明瞭であり、むしろぼくが歩いてきた急坂ルートのほうがはっきりしてるくらい。
ここから宝川に出るまで、踏み跡は明瞭で迷うことはないでしょう(区間F)。
ぼくの辿ったルート(赤で表示)は地図の破線と部分的にずれていますが、踏み跡は今から思うとどっちとも取れる微妙なルートもあったので、どっちを辿ってもいいのでしょう。
宝川の左岸に伸びている踏み跡と合流すると、目の前に古いロープが木の根元に垂れ下がっています。
両岸とも絶壁で、昔はここから5~6m下流に橋がかかっていたようです。
ここを降りるのは無謀です。
ぼくの以前の遡行記にも書きましたが、やや上流に進むと簡単に降りられる場所があり、そこからは対岸にも簡単に上れるので(ロープがそこにも垂れ下がっています。黄色いトラロープ。この10m先にも白いロープが垂れ下がっており、登る時は白いロープを利用したほうが楽だと思います)、上流側に踏み跡を辿ります。

DSC_0193.jpg

ちなみに、ぼくはあえて下流側へ最初歩いてみました。
すると、ほどなく踏み跡が崩れた橋の前で途絶えていました(次の写真)。

DSC_0192.jpg

ここも沢へ上り下りするのは可能なのですが、どう見ても橋を渡った先に踏み跡らしきものが見えないのです。
誰も歩かないから、踏み跡のあった路肩は消滅してしまったのかもしれません。
君子危うきに近寄らず。

DSC_0194.jpg

さて、トラロープから宝川に降り、すぐそこから対岸に上がるとここへ出ました。
この古タイヤが目印。
この古タイヤの意味が初めてわかりました。

IMG_9516.jpg

今回のハイキングの前に近くの海岸へ立ち寄ったのですが、そこで拾った石の写真です。
この辺ではよく見かける、黄銅鉱や黄鉄鉱と水晶や方解石が同居した鉱物。
これは水晶部分の拡大。

IMG_9524.jpg

こちらは斑銅鉱部分の拡大。
水色の部分が斑銅鉱。
なかなか光の加減でうまくブルーが出せません。
肉眼だと、水色部分の面積はもっと広いのですが。




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宝川中流部溯行記 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

登山道に合流してからも、よく見ると広い河岸段丘の中に踏み跡らしきものがあることに気づきました。
そこを辿っていくと、前方に石垣が・・・

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登山道の先には明神沢立坑が待ち受けています。
詳しい場所は特定できないけど、宝川上流には太刀川鉱山もあったはず。
鉱山関係の施設の石垣でしょう。

IMG_7719.jpg

宝川はこの先で二手に分かれますが、どちらも堰堤がそれぞれ2つ待ち構えており、特に本流側(左側)の堰堤を乗り越えて上流へ迎えるかどうかを確認しました。
まあ、なんとかなるでしょう。
そして、2つの沢の出合の近くでかなり大きな石碑を発見。
これはネットでも見たことがありません。
天保3年ということは西暦1832年。
今からおよそ200年近く前に建てられた石碑です。
間瀬銅山は江戸時代初期から手が付けられていますが、その頃は深ヶ沢を開拓したと思い込んでいました。
しかし、そこよりはるかに上流側のこの地に石碑があるということは、少なくとも江戸時代後期には鉱区はかなり広範囲に及んでいたことが伺いしれます。

IMG_7722.jpg

石碑の裏側です。てか、こちらが本来は表ですね。
銅山師2名の連名になっていますから、鉱区を見渡すことのできるこの地に安全と繁栄を祈願して建てたものでしょう。

IMG_7727.jpg

帰りは登山道を歩きました。
道すがら、ちょっとした踏み跡やよさげな岩場がないか、観察しながらゆっくり歩きます。
すると、2箇所の間瀬石石切場跡を見つけることができました。
上の写真のそれはよくネットでも取り上げられている石切場跡ですが、ぼくはまだここには行ったことがなかったので、行けてよかった。
登山道より5mほど上がったところにあり、ちょっと取り付きが悪いです。
内部はそこそこ広く、角田山麓にある同様の石切場跡(当ブログ1月31日の記事参照)と比べていい勝負。
ただし、こちらは内部に池があるのが違います。
そして、その池にはサンショウウオが生息しているようでした。

IMG_7733.jpg

サンショウウオの卵のうです。
これだけだとオオサンショウウオかクロサンショウウオかどっちなのかわかりませんが、かなりの数の卵のうが両方の池にあったのでなんだか嬉しくなりました。

IMG_7741.jpg

残念ながら内部にも周辺にもこれといった鉱物や結晶は見当たらなかったけど、大満足。
ここの岩は緑色凝灰岩でした。





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宝川中流部溯行記 (1) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

2月2日に間瀬銅山前を流れる宝川下流部の遡行記を載せたけど、今回は前回の最終到達地点(奥の駐車場脇)から弥彦山への登山道が宝川を横断する地点(標高約115m付近)までをトレースしてみました。
駐車場から河原へ降りると、すぐ渡渉せざるをえませんでした。
といっても水深はごく浅いので気を使うことはないのですが、まだまだこの時期は水が冷たいです。
もちろん沢靴を履いての遡行だったので、覚悟の上でしたが。

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この場所もほぼ絶産しましたね。
ごく小さい方解石や、このような銅の化合物が染み付いた石はまだまだありますが。

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以上2個、歩きはじめから100m以内の範囲で見つけた方解石。
3枚目の写真のそれは15cmくらいの横幅があり、黄銅鉱が幾つも付いています。
白い部分は方解石。
昨年このタイプの鉱石~方解石を玉髄に置き換えたもの~を2つほど飯豊鉱山下手集落跡近くの山で見つけました。
2枚目の写真の小さな方解石は持ち帰り、UVライトによる実験をしてみたところ、やはりというかピンク色に蛍光しました。
間瀬銅山の山中で見つかる白い方解石は、すべからくピンク色に蛍光するようです。

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次の堰堤が近くなると、その前に小滝が現れます。
この滝は右岸~水流の左端とそれに接する岩場との境目~をへつって難なく突破。

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そこから約50mで堰堤が現れるのですが、その直下の左岸に大きくえぐれた岩壁があります。
ここも人工的に鉱石を採掘した跡があり、今回もライト片手にじっくり観察。
しかし、今回もカメラを向けたくなるような鉱物を見つけることはできませんでした。
前の河原にも何かおいしい石がありそうなものなんですが、ありませんねえ。

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右岸を巻いて堰堤を越し、再び河原へ。
正面右側の小沢が伝説の深が沢。
今回はスルーし、上流を目指します。
ここから登山道が宝川を横断する地点までは部分的にしか遡行したことがないし、とうにその記憶は消えているので気合が入ります。
ほどなくして、左岸に踏み跡を発見。
本当はずっと沢通しに歩くつもりだったけど方針変更、踏み跡をトレースしてみました。

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すると、なんと火薬庫の廃墟に出ました。
ネットではよく見る写真ですが、まだ自分では見つけたことがなかったので、できれば見つけたいと思っていました。
火薬庫は3つあり、一定の間隔で並んでいました。
上の写真は、一番上手にある3つ目の火薬庫。
これが最も原型を留めており、かつ周囲もすっきりしているので(多分ここだけは夏場でもヤブに埋もれないのでは?)なんか気に入りました。

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踏み跡はこの先ちょっと行くと途絶えており、自然に本流へと導かれ、この辺りの河原へ出ます。
堰堤直下まで行くと高巻きに苦労しそうだったので、左手から早々に巻いていったん登山道に出ました。
堰堤を超してから再び河原へ下降。
しばらくは優しい渓相が続きます。
ほどなくして、右手からナメ滝が美しい小沢が合流。

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30mほど遡行してみてみたのですが、両岸に踏み跡らしきものは見当たりません。
ということは、この先に坑口はなさそうです。
もっとも、ぼくの目指すものは玉髄(=水晶)や方解石が顔を出している露頭の発見なので、そういった露頭に出会う可能性は残っています。
またいつか・・・

IMG_7710.jpg

水量豊富なこの滝はどちらからも巻けますが、右岸を巻くとまた登山道に出てしまうのでここでは左岸を巻きました。
本日の一応の目標地点、登山道が宝川を横断する箇所はこの滝の上すぐだったのでした。
時間に少し余裕があったので、宝川はこの先二手に分かれるのですが、宝川本流(下流から上流を見て左側の沢)へすんなり行けるものかどうか~なにせ出し抜けに大きな堰堤が3つほど待ち構えているのが見えたものですから~ちょっと下見してみました(続く)。






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宝川下流部溯行記 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

林道から簡単にアプローチできる狸掘り跡をすぎると、いよいよ間瀬銅山エリアです。
今回はそれほど丹念に石探ししていないので何も見つけられませんでしたが、この辺りからぼちぼち黄銅鉱や方解石の小さな石片が河原で見られることでしょう。

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いい渓相です。
上流に精錬所があったので魚は見られませんが、本来ならイワナやヤマメがいてもおかしくない渓相。

IMG_7062.jpg

さて、初めて大きな釜を湛えた滝が現れました。
ここは右岸から高巻き。
滝の上、右側に穴が見えます。
別なアングルでも写してみたのですが、やはり人工的に掘られた穴のようでした。
あとで調べてみると、坑道からの排水口であるとの由。
実はこのあと、この少し上流で坑口を見つけてしまったのです。

IMG_7080.jpg

残念ながら2m先で水没していますが、なぜか実際の大きさ以上に貫禄を感じさせる坑口。
やはり後日ネットで調べてみると、この坑口の写真をブログにアップされている方がお二方いらっしゃいました。
そうとは知らず、この時は鬼の首を取ったような、誇らしげな気分になっている自分がいました。
間瀬郷土史に次のような記述があります。
「間瀬銅山の坑道は真沢にあり、ここから第一坑道を掘り、第一運搬坑道に使用した。深ヶ沢には第二、第三、第五坑道を掘った。第四坑の四は死に通じ、忌み嫌われたので名付けられなかった・・・」
ということは、この坑口は第一坑道ではないでしょうか。

IMG_7071.jpg

この写真ではわかりませんが、水中には複数の坑木が眠っています。
また、奥の方には立っている坑木も1本見られます。
やはりここが第一坑道では?
ピクセル等倍で見てもイマイチ判然としないのですが、ひょっとしたら右に直角に、突き当りでカーブしているかもしれません。
右側は例の滝上の排水口の穴とも繋がりが出てくるので、水が温む時期になったら一度探検してみたい気もします。
しかし天井が低く(水深は目分量で50~70cmくらい)、匍匐前進必須なので、全身ずぶ濡れになる覚悟が必要。


IMG_7092.jpg

しばらくして前方に大きな堰堤が見えてきました。
最終目的地到着です。
この滝の左横には、登山者用の駐車場があるはず。
そして、左手方向にはやはり人の手が加わったと思われる地形があり、そこを改めて調べました。

IMG_7096.jpg

真ん中あたりに青く発色している部分があるので、近寄って撮ってみました。

IMG_7100.jpg

銅の化合物がにじみ出ているようです。
何箇所が木材が突き出しているので、崩壊する以前は何かの施設の一部だったのかもしれません。

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ここから林道に這い上がると(途中、大きな四角い御影石が斜面に横たわっていた)、なんと大きな火焔土器の前に出ました。
ネットでは見た記憶があるけど、自分でじかに見るのは初めてです。
やはり後日調べてみると、作者は彫刻家の早川亜美さん。
昭和38年、新潟国体が開催されたとき、聖火台として早川さんが制作したのがこの大きな火焔土器だったのです。
早川さんは白岩観音ビーチの駐車場に建っている越後七浦観音像の制作者としても知られ、昭和43年、間瀬銅山精錬所跡にアトリエを建てたようです。
すると、ひとつ前の写真の場所にあった施設は精錬所だった可能性があります。
古図を見ると、最も真川に近い側に精錬所が建っていたので、おそらく間違いないでしょう。

IMG_7085.jpg

火焔土器風聖火台から10mほど下手に、作りかけらしい石像が建っていました。

IMG_7089.jpg

位置関係はご覧の通り。
神社の手水鉢も残っていました(火焔土器の手前)。

IMG_7103.jpg

最後に山神社へ参拝して終了。
毎年6月13~14日、年に一度の銅山祭が山神社を中心にして盛大に催されたようです。
郷土史の資料によると、銅山祭は間瀬村の祭とは別なもので、村祭では見られないサーカスや芸者踊りなどが見られたとのこと。
この銅山祭は、間瀬銅山が閉鎖された大正9年まで続いたそうです。
今は昔の物語・・・







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