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いざ、実川鉱山へ [鉱物 (阿賀町・実川鉱山)]

磐越西線で福島県鏡に近い山あいに位置する町・日出谷周辺には、少なくとも3つの鉱山がありました。
少し前まで実川鉱山だけだと思っていたのですが、新潟県地質図説明書(昭和52年3月)のp360にこうあります。
「新潟県の金属鉱業の最盛期は、第二次大戦の時期で、軍需的な要請により鉱物資源の採掘が進められた。当時の稼行鉱山は90近くであった。その鉱山名を挙げればほぼ次の通りである。・・・(中略)
日出谷鉱山(金・銅・他)、日出谷満俺鉱山(マンガン)・・・」

日出谷鉱山に関しては他に一切文献に出てこないのでこちらの探索はあきらめ、とりあえず大体の場所がわかっている実川鉱山を目指して、9月20日と10月7日の2回に分けて現地へ行ってきました。
実川集落へは約40年前に訪れたのを皮切りに、もう10回近く訪れています。
行く度に廃屋の倒壊が進んでおり、侘しい気持ちになります。

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こんな感じです。
遊歩道が整備されているので、手軽に探検、じゃなかった観光ができるのはいいです。

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こちらは、登山者用の駐車場入口脇にかつて建っていた、曹洞宗山渓寺跡地に残っている石像。
おそらくここが玄関というか、入り口だったのでしょう。

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今回初めて訪れた、五十嵐家のお墓。
さすが、往時の大庄屋だけあって墓地が広いです。
ちなみに、現在でも観光できる国重文・五十嵐家住宅の母屋は宝暦9年(1759)の建築になります。
この秘境・実川集落が開拓されたのは鎌倉時代初期の建久年間(1190~1199)、源義経の配下だった猪俣和泉一族がこの地に住み着き、開拓したのが起源とのこと。

さて実川鉱山ですが、参考文献はミックンのつぶやきというブログ。
ただしその記事は隠れた場所にあり、普通の人はトップページからだとたどり着けないでしょうから、記事へ直接リンクを貼っておきます。
一部引用します。

『3 地質及び鉱床
鉱区は花崗岩を基底とし凝灰岩之を覆い又此等花崗岩及び凝灰岩を貫きて石英粗面岩の露出せるあり鉱脈は石英を脈石とし黄銅鉱を主として他に第二次的の斑銅鉱、 孔雀石を混在す走向略南北傾斜西に30~40度なり現在迄判明せる露頭は4本ありて内最も有望なるは萬治3鉱脈にして走向延長100余米、 ヒ幅1.8 米走向南北傾斜西へ30度なり、萬治1號ヒは幅1.8 米露頭は中断されつつも60米を追跡し得走向傾斜前者と同様にして同品位平均6.2%なり

4 操業の概況
5月着手と共に萬治坑に於いては直に採掘に着手し年来迄に557頓を採掘せり、更に10月より萬治3 號脈探鉱の為飯豊坑、中切坑及大切坑を開鑿、夫々掘進中にして飯豊坑は坑口より57米にして同脈に逢 着中切坑に於いては圧縮機1台、鑿岩機2台を設置鋭意掘進中にして雪解けを待ち更に圧縮機2台、鑿岩 機15台を設置し、又本山日出谷間10粁に索道を架設の予定なり 従業員数42名

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万治峠付近に位置する某坑口。
上記の資料は昭和12年に書かれたものなのですが、一番最初に開拓されたのが万治坑(=萬治坑)ということらしいです。

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入り口は高さはありませんが、なんとか潜り込めました。

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あれ、奥行きがありません。
4~5m先で閉塞。
例の文献をよく読むと、万治一号ヒは幅1.8m、露頭は中断されつつも60mを追跡し・・・と書かれているので、ひょっとしたらこれが万治一号坑口なのかもしれません。

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このように壁面には部分的に石英が露出しているのですが、例の文献に「鉱脈は石英を脈石とし・・・」とあるので、状況は合っています。

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坑口前の谷の風景。
近くに飯豊坑、中切坑、大切坑があるはず。
万治峠まで登ると、飯豊連峰の最高峰である大日岳が正面に見えるようになります。
従って、飯豊坑はここよりもっと上、大日岳の展望が利く斜面のどこかに位置しているのではないかと思うのですが、坑口を発見した満足感が大きく、それ以上の探索はせずに元来た道を引き返しました。
それにしても、削岩機15台を設置し、従業員も42人いたということはかなり規模の大きい鉱山だったはず。
それを考慮すると、またいつか坑口探しに来てみたいと思ったり。





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