SSブログ

赤滝銅山の坑口はいずこ? [鉱物 (弥彦山周辺・赤滝銅山)]

明治時代後半から大正5年頃まで栄えた赤滝銅山。
間瀬郷土史と岩室村史におおまかな坑口の位置が記載された図が載っていますが、それによると赤滝銅山のいわれとなった赤滝を中心に、左岸に3つ、右岸に1つの坑口があるはず。
もう一つのキーワードである鮫ハゲ山は特定できたので、あとは赤滝の位置を特定するのみ。
おととしから現地調査を始め、もう4~5回足を運んだのですが、まだ坑口は一つも発見に至っておりません。
22日と23日、2日連続で赤滝銅山の坑口探しに行ってきました。
いずれも半日の探索なので、それほど広い範囲を見ているわけではないけれず、想定していた場所はすべて虱潰しに歩きました。

IMG_4584.jpg

標高約110m地点にある滝を赤滝と仮定すると(今までの調査ではこの滝が、文献に語られている赤滝ではないかと思えた)、再度その滝の周辺を精査する必要があると判断。
赤滝のすぐ下流で沢は二股に分岐するのですが、もう片方の沢は未遡行でした。
22日は開ノ木林道経由で源頭部からクライムダウン、未遡行の小沢へ。
そこで最初に見つけたのがこの滝です。
岩が赤くないので、赤滝ではありません。
ここからさらに上流部も歩いてみたけど、坑口が出てきそうな気配はなし。
ここから分岐点に向かって下降していくと、人工的な石積みを発見しました。

IMG_4586.jpg

原始的な堰といったところでしょうか。
怪しい・・・
しかしながら、周囲の斜面を歩き回るも坑口は出てきません。
そして、やがて分岐点に着きました。

IMG_4596.jpg

念の為、赤滝らしきものが控えている方の沢に入り、赤滝まで歩いてみました。
そして見つけた古い堰堤。
赤滝はここより20m上流に位置しています。

IMG_4600.jpg

周辺の地形を丹念に調べるも、やはり坑口らしき地形は出てきません。
唯一、大きな岩の下に見られたこの洞窟らしき空間がそれなのですが、自然地形の可能性が大きい・・・

IMG_4615.jpg

23日はまだ大雑把にしか見ていない中流部を、じっくり遡行してみました。
そして本命かもしれない赤滝を発見。
落差4~5m、右の岩盤が赤茶色です。
この辺りから左岸に明確な踏み跡が現れるので一旦沢筋を離れ、河床から15~20mほど上がった河岸段丘を歩いてみました。

IMG_4616.jpg

そして程なく現れた、整地されたテラス状のフラットな地形。
これと同じ地形がこの先にも出現し、それぞれの緩やかな斜面の端を小沢が流れています。
その小沢沿いにも踏み跡はやはりあり、この周辺を集中的に調べてみたのですが、坑口の発見には至らず。

IMG_4621.jpg

このような昭和の空き缶や、古いガラス瓶は何個も見かけました。
でも、ズリがありません。
坑口の周辺にはあまり草が生えないはずだけど、初冬にも関わらずまだまだシダ系の植物がそこそこ繁茂しています。
それから2つの沢の間の痩せ尾根(こちらにも明確な踏み跡が付いていた)を登り、周囲の地形を確認したり。
とにかく、これで一番西側を流れる沢は隅から隅まで見て回ったので、残るはそのすぐ東側の沢を残すのみとなりました。
その沢も下流の分岐点から400mくらいは昨年遡行したのだけど、地図を見るとその先から等高線の間隔が詰まってくるので、一度はその先も歩いて確かめて見る必要がありそうです。
それでも坑口が見つからなかったら、坑口は既に埋もれてしまっているということでしょう。
弥彦山系の沢の中でも、最も竹藪&笹薮が密に生い茂っており、来るたびに二度と来るもんかと思ったりします。
しかし、あと一回は来たい。
次は来春になるでしょうけど、雪があまり積もらないようでしたら1~2月のうちに再訪してみるつもりです。

IMG_4611.jpg

最後にオマケ写真。
22日の夕方、開ノ木林道から写した間瀬銅山本坑エリア全景です。
正面の谷間を流れる沢が、江戸時代から大勢の山師を招き入れてきた伝説の深が沢。
過去何回もこの林道を歩いているけど、さすが12月、これだけ落葉が進み、視界を遮るものがなかったのにはちょっと感動。
ピクセル等倍で鑑賞しながら穴らしきものがどこかにないか精査したけど、さすがにそれは徒労に終わりましたが。







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。