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鮫銅山の坑口は見つからなかったけれど・・・ [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

明治34年に書かれた曽我俊二郎氏の文献が、おそらくは鮫銅山に書かれた最も詳しい資料。
実際に鮫銅山の坑口にたどり着いた某ブログ主さんが紹介している「日本の鉱山文化」(国立科学博物館刊)を、ぼくも入手しました。
ここに鮫銅山の絵図が採録されているからです。
しかしながら絵図の大きさが思ったより小さく、ルーペを使っても文字や記号が判読できません。
結局この本は全く役に立ちませんでした。
さて、曽我氏の文献には鮫銅山の鉱脈に関して2つ取り上げられています。

一つは間瀬銅山の八号坑から南におよそ四百五十尺、鮫ノ沢沿いにあり、脈は東西に走っている。
もう一つは鮫ノ沢の鉱脈から南方、滝壺ノ沢に露頭がある。

現代は急速に古い地名や川の名称などが失われ、特に沢の名前は一部の登山用の地図に書かれている以外、全く知るよしもありません。
従って鮫ノ沢と滝壺の沢の特定もできないでいたのですが、ようやく先日多分これだろうと確信するに至りました。

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滝の川が滝壺ノ沢ではないでしょうか。
滝の川はこの先大きく二手に分岐しますが、おそらく左側が鮫ノ沢、右側~こちらが本流筋にあたるのですが~滝壺の沢ではないかと。
先日2度めの実地調査に行きましたので、その報告です。

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昨年の調査では沢の分岐点から鮫の沢方面へと進み、返りは二つの沢の中間にある尾根に付いていた踏み跡を辿って下山しました。
今回は滝壺の沢をまずトレースしてみました。
鮫ノ沢にも言えることですが、どちらの沢も結構倒木やブッシュが多く、踏み跡はあるようなないような。
かなり不明瞭です。
しかしながら、鮫ノ沢より川幅のあるこちらでは、沢沿いに早くも産業遺構が現れてくれました。
ドラム缶です。

IMG_5588.jpg

そして、このような黒いパイプが連続して現れるようになりました。
断続的に5本くらいありました。
上流へ行けば行くほどその太さは増し、これで25~30cmくらい。

IMG_5586.jpg

両岸の傾斜もそれほどではなく、平坦な中洲も出現します。
中洲はお花畑となっており、様々な山野草が咲き乱れていました。
ゴミも全く見当たらず、桃源郷そのものでした。

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ある程度上流になると傾斜も増してきて、写真の大きな滝が現れました。
直登できなさそうだったので、ここは右岸を高巻き。
鮫ノ沢にも滝が連続する箇所はありますが、川幅がとても狭いので滝と呼ぶのは憚れる感じ。
なので、こちらの沢を滝壺の沢と命名するのは極めて自然であり、滝の沢=滝壺の沢であると判断しました。

IMG_5595.jpg

玄武岩質の岩(一部頁岩)が連続し、沸石も見られました。

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そして、左岸に坑口かもしれない穴が出現。
内部は1.5m弱しかないので、坑道なのか自然地形なのかは判然としません。

IMG_5593.jpg

もうあと標高差にして50m登ってみればよかったなあと後悔しているのですが、本命は鮫ノ沢だと踏んでいたので時間的にそれほど余裕もないことだし、ここで方向転換。
標高310m付近でそれ以上登るのをあきらめ、斜面を左にトラバースしながら鮫の沢上部を目指しました。

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鮫ノ沢で最も美しい辺り。
もっと下流部はボサが続くのですが、この辺まで来ると桃源郷が展開します。
ここから先は傾斜も急になり、体力の消耗も激しく、標高335m付近でUターン。
やはり、標高差にしてもう40いや30mほど登ってみればよかったなあと思うのですが、ここまでの沢沿いに坑口は出てきませんでした。
あとで地図をつぶさに見てみると、標高210mの辺りで小さな沢が北に分岐しているのですが、その沢が怪しい。
というか、あとはその沢しか行く場所がありません、335mよりもっと上に登る以外は。

IMG_5610.jpg

下山後、顔を洗うために車を停めた付近の小さな沢に降りました。
すると目の前に透明感のある石英か方解石っぽい石があるではありませんか。
数十センチ離れた場所にも類似の石がもう一個。
どちらも方解石でした。
持ち帰ってUVライトを当ててみたら見事に赤く蛍光。
マンガン方解石確定。
この沢、ちょっとすごいかも。
ということで、翌日はこの沢を遡行したのでした・・・







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