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三川鉱山宝坑西 (1) [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

期せずして、三川鉱山で最も栄えた宝坑西側の遺構を多数発見しました。
三川鉱山は大谷川上流部に位置する鉱山で、開山は天文2年(1533)と古く、昭和37年の閉山まで金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄などを産出してきました。
昭和10年代前半から20年代後半までが最盛期で、430人の従業員を数えたということです。
現在は基本的に入山禁止となっているので、4年前から鉱物趣味を始めたぼくはまだ三川鉱山のズリで鉱物採取をした経験がほとんどありません。
なので今回もズリでの採取が目的ではなく、大谷川ではない別な沢~増谷沢の支流~を詰めていき、沢の転石でどんなものがあるかという興味で沢へ入ったのです。

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これは現地の地質図ですが、ちょうど地質が大きく変化しているラインに沿って谷地形が見られます。
そこは断層が走っている場所でもあり、このような場所を流れる沢だったら、転石でも面白いものが出てくるのではないかと考えたのです。
ちなみに増谷沢は多くの支流を抱えており、そのうちもう少し北側の2本は遡行経験があります。
どちらもごく短い区間しか歩いていないのですが、煙石英のそこそこ大きなものが見られました。
さて、こちらの支流はどうでしょう?

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入渓地点付近の渓相。
今回は気温も暑いですし、水量がどのくらいあるか読めなかったため、登山靴ではなく沢靴を履きました。
結果的にはそれで正解で、登山靴だと巻かないといけない場所が多く出てくるので、転石をチェックすることがあまりできなくなるからです。

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下流~中流部で目に付いたのは、写真のような蛋白石が多いこと。
地質は安山岩と流紋岩メインでしたが、壁は風化した粘土地帯となっているところが多かったです。

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ちょっとわかりにくいですが、落ち込み両サイドの岩は無数の巣穴が付いています。
巣穴付きの岩が多く、数的には少なかったですが、巣穴に蛋白石が充填されている石も見かけました。

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そして上流部に差し掛かると、なんとカラミを見つけてしまったのです。
これは発見時そのままの状態。
近くの河原に散乱しているそれを一箇所に集めたわけではありません。
もっとも、カラミを見つけたのはこれとあと一箇所のみ。
このとき、次のような考えが頭に浮かんだのです。
一応ぼくは三川鉱山について書かれた文献を複数持っており、各鉱区の特徴や位置を把握しています。
ただしその地質図には坑口の位置までは記載されていないので、地形図と照らし合わせてみた場合、どこに坑口があるのかはわかりませんでした。
ひとつ明確だった点は、宝坑の鉱脈(宝本脈)は東西方向に長く伸びている点。
現在、ズリは第一と第二の二箇所が知られていますが、上の方に位置するズリの左上斜面に口を開けている坑口は宝本脈のもの。
「山師入門」知玄社刊の著者・成谷氏によると、20m先で落盤しているそうで、それは本で読んで記憶にありましたから、もしかしたら坑道の西端は526のピークの北側にあるのではないか、つまりもう一つの坑口がその辺にあるのではないかと思いを巡らしたのです。
だとすると、カラミの由来も納得がいくというもの。

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上流域に差し掛かると沢は幾筋にも分かれ、水量も乏しくなります。
やっとお目当ての岩壁も右側に木々の間から見えてきたので、伏流水気味になった沢からくだんの岩壁直下を目指しました。
そして遡行開始から1時間半、ようやく宝坑エリア末端の岩壁へ到着。
この後は岩壁と平原の境目付近を歩きながら、さらに上へ上へと歩いていきました。

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そして出てきました、最初の坑口が。

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しかしながら内部は4~5m先で閉塞。
狸掘りの跡だったようです。

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ここから坑口や狸掘り跡、露天掘り跡が連続しました。
これは凄い!

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この穴も狸掘り跡でした。
ちなみに、壁には石英が析出している場面が多くなりました。

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これも奥が短いです。
やはり左側の壁面に石英が広範囲に付いています。
GPSの軌跡を見ると、526のピークのほぼ真北に達しました。
斜度はゆるいですし、岩壁直下には踏み跡のような痕跡があったりなかったり。
宝坑のメインの坑口がこの先出てくるのかどうか。
さらに先へと歩を進めました。

※参考
「宝坑の鉱床について・・・山中最大のもので、走向N70-90°W、北に40-70°傾斜し、延長約800mの下盤樋とそれから分岐する中樋・上盤樋・中盤樋の支脈からなっている。母岩は珪化作用の進んだ砂岩・石英粗面岩及び同質凝灰岩や、一部変朽安山岩からなり、東西両部は母岩の相違によって明らかに鉱脈にも相違が見られ、この関係を明らかにするために、立入を境に東、西に分けて記載する。」
(地質調査所月報第4巻・第3号より抜粋~昭和27年3月)




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