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三川鉱山宝坑西 (3) [鉱物 (阿賀町・三川鉱山)]

宝坑西側の坑口発見後は、岩壁直下と沢の間の斜面を行ったり来たりしつつ、登りとは重ならないルートを選んで下山。
その間も露天掘り跡や狸掘り跡は幾つか出てきたのですが、一つ一つ詳細に調べていたら時間がいくらあっても足りないので、基本スルー。
しかし標高411m地点で、無視できない坑口を発見しました。

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20m離れたところを歩いていたのですが、なんとなく苔むした丸太が人工的に組み合わされている感じがしたので近づいてよく見ると・・・

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なんと、縦坑でした。
やや手前にカーブしながら落ち込んでおり、地形的に身を乗り出すことができないため、二十数メートル下の辺りまでしか視認できませんでした。

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印象的だったのは、木組みが非常にしっかりしているように見えた点、丸太がそれほど腐食していない点、そして壁面の鉱物~緑泥石化した変朽安山岩や凝灰岩など~が新鮮だった点です。
昭和27年3月の調査に基づいて書かれたある文献によると、”現在は宝坑西部の下部、東部の通洞地並およびその下部、本盤坑四号樋の下部、および真名板倉坑の下部が採掘されている”とあります。
そして、この縦坑こそ”宝坑西部の下部”を採掘していた坑口なのです。
だから比較的経年劣化が少ないのでしょう。
ちなみに、露頭から最下部への垂直深度はどのくらいあるかというと、宝坑宝樋の場合300mもあるのです。
(参考までに述べると、二番目は真名板倉坑下盤樋の250m。以上、昭和52年3月発行の新潟県地質図説明書による。)

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周辺には露天掘り跡や小さな坑口が集中していました。
これもその一つ。

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間口が結構大きかったのですが、奥行きは4~5mしかありませんでした。
でも、この坑口も壁面が新鮮。
赤みの強い部分が多いのは、含まれる鉄分が多いせいでしょうか。
菱鉄鉱がたくさん見受けられます。

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これはある狸掘り跡の突き当りの壁面。
白いのは石英ですが、ピクセル等倍で見ると黄鉄鉱も多少見受けられます。
左側の濃緑色は緑泥石で、閃亜鉛鉱らしい結晶も見られます。

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幅4mくらいある大きな露天掘り跡。

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支保工か坑木が折り重なるように倒れていた、とある坑口。

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岩場地帯はこの縦坑までで、この先は傾斜も緩やかになりました。
最後の露天掘り跡を抜けてしばらく歩くと、草木があまり生えていない広場を2箇所通過しました。
鉱山関係の何らかの施設があったのでしょうか。
自然地形には見えませんでした。

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最後に、ズリで見かけた鉱物を紹介します。
といってもほとんど苔や落ち葉に覆われているので、観察できたのはごくわずか。
上の写真は、奇跡的に出会えた紫水晶です。
30cm四方の岩石に結晶が付いていました。
触ってみると意外ともろく、結晶の形も完全な自形とは言えないので鉱物としての価値は高くはないのですが、この色の濃さは特筆もの。
ネットや雑誌でしか見たことがないのですが、戸神山のアメジストを彷彿とさせます。

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もう一つは、ここに至る沢筋でも多少見られた水晶系の鉱物です。
この産状は、三川鉱山の一般に知られているズリでよく見られるタイプの鉱石だと思います。
素人なのでよくわからないのですが、この赤いのはひょっとしたら赤鉄鉱かもしれません。
水晶の細かな群晶に赤鉄鉱が鉱染したタイプの鉱石かなと。
三川鉱山のそれ以外の鉱区も色々調べてみたのですが、総面積は広いです。
これだけ広大な鉱山でありながら、鉱物ファンを含む一般の人間が訪れるのは2箇所のズリのみ(近年ここも他チリ禁止になりましたが)。
社宅や学校があった居住区も、選考場や貯鉱場の置かれた広場も現在は立入禁止になっています。
かつてここに鉱山があった。
江戸時代から続き、このヤマで多くの人が暮らしていた。
人々の時空間を超えた息吹、心臓の鼓動をぼくは感じました。
間瀬銅山も草倉銅山もそうですが、今もそこへ行けば時空に刻印されている人々の思い、喜怒哀楽を、まるでラジオの周波数にチャンネルを合わせるがごとく、そういう圧倒的な情報量をシャワーのように浴びることができるのです。
明らかに彼ら彼女らは”生”をしっかりと生きていた。
明治時代の鉱夫の平均寿命は30歳と言われていますが、それでも彼らには後悔はなく、納得のいく人生を送っていた。
そして、大自然は、母なる地球は常に温かい眼差しで我々を見守り、見つめ、我々のつかの間の人生を通して我々が生の最後に放ってきた”ルーシュ”を光として吸収し、毎瞬毎瞬新たなる光として地上に照射している。
これが我々の原点。
我々は光の子。
帰り道、沢の浅瀬をバシャバシャ音を立てながら歩いていると、川面に反射している無数の光の小片が全て等しく自分そのものであることを悟ることなく悟ったのでした。











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