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広谷鉱山探訪記 (4) 鉱脈の詳細など [鉱物 (阿賀町・広谷鉱山)]

帰宅後、本腰入れて広谷鉱山の資料を探したら、意外なことにとても詳細な文献をいくつか見つけることができました。
そこには鉱脈の詳細が書いてあったのです。
それは驚くべき内容でした。
主な鉱脈は二つあり、一つは蝉ヒ、一つは蛍ヒ。
(※鉱脈は全部で3条あると書いている文献もありました。)

①蝉ヒの詳細
下から、大切疎水坑道、三番坑、二番坑、一番坑がある。
大切粗水坑道の総延長は432mあり、うち252mを採掘済(文献では長さの単位に間が使われていますが、ここではメートルに換算し、小数点以下四捨五入して書き直しています)。
三番坑の長さは324m、二番坑は227m、一番坑は54m。
大切疎水坑道と三番坑間の標高差は22m、三番坑と二番坑間の標高差は32m、二番坑と一番坑間の標高差は14m。
坑道の幅は90cmから1.8mある。

②蛍ヒの詳細
下から通洞坑、三番坑、二番坑、一番坑がある。
通洞坑は走向に沿って20mを採掘済。
通洞坑と三番坑間の標高差は36m、三番坑と二番坑間の標高差は32m、二番坑と一番坑間の標高差は32m。
地表から最上部の一番坑まで、高さが126mある。
どの坑道も90m(高さ平均22m)を採掘済。

また蝉ヒに関しては、各坑道について次のようにさらに詳しく書かれています。
*大切疎水坑道:奥ヒの東部割ヒおよび西部割ヒを採掘す。
       疎水坑道以下は平均20mの深さに掘り下り、その10分の4を採掘す。
*三番坑:324mのうち252mは、上下に前ヒおよび東西奥ヒ共に8分通り採掘す。
*二番坑と一番坑についてもこんな感じで書かれているのですが、以下省略。

それぞれの鉱脈は上下に展開しているようで、下から上までかなりの標高差があります。
斜面の上の方は全く坑口を視認できなかったので、2日後の5月12日は河床に近い、排水孔もしくは通洞坑と、そこから20~30m上に位置するであろう三番坑の発見を目標に、改めて現地を訪れた次第。

IMG_0152.jpg

河原から右岸尾根に登るかすかな踏み跡がありました。
地形図を見ると、30~40mも登ればフラットな地形が出てきます。
まずはそこを目指しました。
平らなところへ行けば、林内に何らかの施設の痕跡や踏み跡が残っているかもしれないからです。
フラットな地形へ出ると、ヤブはほとんどなく見通しは良かったです。
しかし、踏み跡らしい踏み跡はない。
広い林内をあちこち歩きまわっていたら、なんとトレンチの溝(高さ1.5~1.8m、幅1~1.3m)を発見。
そこに沿って谷側に下っていくと傾斜が増し、そこから先はザイルを使わないといけない状況に。
この日初めてザイル(といっても8mmX13mの補助ロープ的なものですが)を取り出し、坑口がありそうな場所へ降下。
そして現れたのが上の写真の坑口です。

IMG_0155.jpg

斜坑となっており、右斜め下方向に坑道は伸びているようでした。
また2段構造になっており、右側上部に2m近く掘った跡が残っていました。

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そこから少し下ったところからの風景。
これ以上下るには再びザイルを使わないといけません。
このルートはあきらめ、来たルートを戻り、痩せ尾根の反対側で降りられそうなところがないか探しました。

IMG_0168.jpg

ナイフリッジ的な岩稜を降りていくと、縦長の坑口が隠れているのを発見。
しかし、このアングルが精一杯。
身を乗り出してよく観察すると、真下からなんとか登っていけそうです。
しかし、真下の河原までの生き方がわからない。
距離感がつかめないのです。

IMG_0170.jpg

その付近の岩稜から下の河原方面。
フラットな林内の川側の縁は微妙に地形が入り組んでいて樹木も密生しており、ごく限られた場所からしか下を見下ろすことができません。
昨日の記事で上から2番めの写真の坑口も見つけたかったですが、全然わかりませんでした。

IMG_0172.jpg

ここもトレンチの延長線上だったと思います。
正面奥に20cmの太さの支保工が隠れていました。
左側の隙間から広そうな空間の一部を覗くことができ、かつては写真に写っている落ち葉の辺り全てが坑口だったことが想像できます。

IMG_0178.jpg

結局この日はザイルを3回使いました。
前回対岸の登山道から見た、河床に近い側の坑口を探すには河原に降りることが必要。
その坑口だけ大体の位置がわかっていたので、なんとか見つけることができました。
いざ河原に来てみると、上からでは死角になって見えない坑口も見ることができ、大興奮。

IMG_0184.jpg

まずは左側の坑口から。
位置的にも事実上の排水孔(=疎水坑道)だと思うのですが、7~8m先で閉塞しています。
もっと長ければ文献で言うところの、蝉匕の大切疎水坑道か、蛍ヒの通洞坑だと思うのですが、違う場所なのだろうか?
崩落した風でも、人の手で封鎖したようにも見えないし、??です。

IMG_0180.jpg

こちらは中央上部の露天掘り跡と思われる地形。
拡大してよく見てみると、右側の草付きとの境目に大きな穴がありそう。
左側もしかり。
ということで、坑口確定。

IMG_0188.jpg

こちらは一番右側、長方形の露天掘り跡のすぐ上に見える坑口を望遠側で写してみました。
現場では気付かなかったのですが、入り口の壁面に青緑色の二次鉱物が付いています。
暗部をフォトショップで思い切り持ち上げてみると、その1m奥にもそのような部分が見られます。

IMG_0192.jpg

これも坑口です。
どの辺りで撮ったか、忘れました。
前回の記事で上から2番目の写真の坑口は見つけることができなかっただけでなく、3枚目の写真の場所も見つけることが叶いませんでした。
多分、もう少し上流側に位置すると思うのですが・・・
3枚目の写真の河原に近い側にも坑口が見られるので、ここも蝉ヒもしくは蛍ヒの一部だと思う次第。
その上に大きな坑口がありそうなので、それは三番坑。
今回最初に見つけた坑口と、河原にあった坑口との標高差は約22mでした。
文献に照らし合わせると、蝉ヒの大切疎水坑道と三番坑の高低差と一致します。
蝉匕の三番坑は、上下に前ヒ、東西奥ヒともに八分通り採掘すと書いてあるわけですが、なんとなく今回発見した坑口群の全体の位置関係に似ているので、これらの坑口は蝉ヒのものではないかと思うのですが、まだまだ決め手がありません。
今後の探索計画としては、今回見つけられなかった坑口を探すのはもちろんですが、探索範囲を上部に拡大し、二番坑と、できれば一番坑も探そうと思っています。

※参考文献:
本邦鉱業一班 (明治40年)
東京鉱山監督署 鉱業総覧 (明治36年&42年)
採鉱法調査報文 第一回 (明治40年)
新潟県東蒲原郡西川鉱山黒鉱鉱床調査報告 (昭和28年)









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