SSブログ

赤谷鉱山450m琴沢坑口 [鉱物 (新発田市・赤谷鉱山)]

昨年に引き続き三度目のトライで、やっと表題の坑口を探し当てました。
琴沢坑口は赤谷鉱山で最も西端に位置する坑口。
この坑道の先には琴沢西鉱床、東西鉱床、南押鉱床などの銅鉱床が待ち構えています。
基本的に鉄を採っていた赤谷鉱山ですが、昭和30年代後半から銅が本格的に採掘されるようになりました。
銅鉱石の鉱量(精鉱)は次の通り。

昭和38年1012t、昭和39年1203t、昭和40年1424t、昭和41年1337t、昭和42年1140t、昭和43年1723t、昭和44年2294t、昭和45年2362t、昭和46年2847t、昭和47年3062t、昭和48年3164t、昭和49年2916t

同じ資料には鉄鉱石の鉱量も載っており、そちらの方は昭和53年まで記載があるのですが、銅鉱石の方は昭和50年以降は記載がありません。
特に銅の鉱量が減少傾向にあったわけではなく、社会情勢の変化により採掘を断念したものと思われます。
そして、同鉱山での銅鉱石のほとんどは410~450mレベルの坑道で採掘されていました。
その西側の玄関口にあたる琴沢坑口は、ぜひこの目で確かめてみたいと思っていた坑口。
坑口が位置する標高も高いのでそれなりに苦労しましたが、坑口までの正規のルートを辿れば斜度はそれほどでもないし、ヤブも決して深くはないので、夏場でもその気になれば行けるかと思います。
しかし、ちょっとでもルートを外れると飯豊鉱山がそうであるようにドツボにはまります。

IMG_0354.jpg

思ったより小じんまりとした面構えの坑口でした。

IMG_0366.jpg

IMG_0368.jpg

なんと、すぐ近くにレールが2本突き出ていました。
なるほど、鉱石はここからトロッコで下へ運んでいたのですね。

IMG_0360.jpg

内部も予想よりは狭く、特に横幅がありません。
元々は高さがあったのでしょうけど、地形的にも土砂が流入しやすく、かなり土砂が堆積していると感じました。

IMG_0537.jpg

6mほど奥の状況。
ここから坑道は左から右へと緩やかにカーブしているのですが、天井の高さは変わらないため、ここから先へ進むには匍匐前進となります。
空身で3m頑張って進んでみたのですが、すぐその先で閉塞しているようでした。
閉塞地点まで入り口から10mといったところ。
坑内の壁には杉の根っこがところどころ侵入してきており、地質も柔らかめのドロマイトだったので、自然崩落で塞がったのだと思います。
ゆっくりとですが、着実に自然に還りつつあるようです。

IMG_0542a.jpg

ザックを置いた辺りの壁の鉱物(トリミングしています)。
ドロマイト中に黄鉄鉱や黄銅鉱が見られます。
画面には入っていませんが、閃亜鉛鉱の黒く小さな塊もあちこちで見られました。

IMG_0548.jpg

坑道探検ができなかったので、代わりに琴沢上流部まで歩いてみました。
この辺で標高500mジャストぐらい。
水量は一気に減り、歩きやすい穏やかな渓相に代わります。
また地質図通り、琴沢上流部では花崗岩地帯から流紋岩地帯に変化します。

IMG_0544.jpg

なんと、眼下の河原に水晶らしき石を見つけてしまいました。
ズームレンズの望遠側で写して、モニターで10倍に拡大して見てみるとどうも水晶っぽい。
河原まで降りてみます。

IMG_0552.jpg

摩耗が激しいですが、流紋岩地帯特有の産状の水晶です。
天然のシトリンとも言える色合いが素晴らしい。

IMG_0556.jpg

その先で、左から出会う小沢に入ってみました。
ご覧のように流紋岩が累々と重なっています。

IMG_0557.jpg

みずみずしいメノウ発見。
半径2mの河原に計4個のメノウ(or玉髄)を見つけました。
いずれも4~5cmと小さいですが。

IMG_0560.jpg

実はこの沢を、出会いからノーザイルで行けるところまで登ってみることが事前に立てた計画だったのです。
しかし、分厚いスノーブリッジが前方に立ちはだかっており、河原には降りませんでした。
雪渓がなくなるのは7月中旬以降でしょうか。
かなり上まで高巻きせずとも登っていけそうな雰囲気なので、一度水晶探しに来てみたいものです。

取材日:5月16&22日
参考文献:「日鉄鉱業四十年史」
     「赤谷鉱山付近の地質と銅鉱化作用」鈴木雄一 







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。