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石瀬鉱山探訪記 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

弥彦山と双耳峰の多宝山(633.7m)の新潟平野側(北東~東麓)には、いくつか坑口が残っています。
弥彦山一帯では江戸時代より銅の採掘が行われていたのですが規模は小さく、いつしか立ち消えになったようです。
その後、明治時代後期から大正時代にかけて白瀬財閥が資金を投入するなどし、日本海側の間瀬銅山では短い間ですが鉱山は活況を呈します。
多宝山の平野側の山麓でも一匹狼の山師たちが一攫千金を目論み、あちこちで試掘をしたようですが、大きな脈の発見には至らなかったようです。
従って鉱業関係の文献にも名前が出てくることもなく(そもそも間瀬銅山でさえ、新潟県地質図説明書では取り上げられていない。弥彦~角田山近辺では間瀬の沸石についての言及があるのみ)、郷土誌にも簡単にしか触れられていないので坑口の位置や鉱山の規模などはわかっておりません。

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さて、この絵地図をご覧ください。
ここに古い地名や俗称、旧道や小字名などがもれなく載っています。
青龍寺前から石瀬神社方面に流れている川を茶屋川というのですが、茶屋川上流の沢沿いに坑口が残っているのです。
「ミックンのつぶやき」というHPでは、多宝山界隈という項で3つの坑口が紹介されており、そのページの下部に、それとは別物ですという断り書き付きで石瀬鉱山の坑口が紹介されています。
前後の文脈や地形から分析すると、多宝山界隈の鉱山として紹介されていた坑口は多宝山の8合目から上にあるのだと思い込んでいたのですが、実は全然違いました。
茶屋川は石瀬神社から先、ポンプ場跡から上流で二手に分かれますが、それぞれの沢に正式名称は付いていないようです。
なので、ここでは赤滝のある方の沢を小滝沢、黒滝のある方の沢を大滝沢と呼ぶことにします。
実際、そういうふうに呼んでいる沢屋さんや登山家の方が数名いらっしゃったので、それがわかりやすくていいと思うからです。
2月24日、大滝沢沿いに残っていると思われる坑口を探しに、大滝沢を遡行してきました。
「ミックンのつぶやき」及び「柵の向こう側」というHPで石瀬鉱山の坑口として紹介されている写真はどれも小滝沢で写されたものと判断したので、まだ誰もネットにアップしていない大滝沢沿いの坑口を探しに行った次第。

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入渓して10分も歩かないうちに大きな滝が出てきます。
大滝沢のいわれとなった大滝(落差約20mm)です。
大滝の写真は多くの方がネットにアップしていますが、それらの写真と比較すると倒木の数が半端ないです。
倒木がなかったら、この滝は名瀑であることは疑いようがありません。
この滝の手前から沢沿いに伸びている踏み跡は左岸に移り、左岸から簡単に巻くことができました。
しかし、落ち葉の堆積がすごく、滑りやすいことといったらありません。
岩も非常に滑りやすく、神経をすり減らしました。

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大滝をすぎると、しばらくは癒やし系の渓相が続きます。
新緑の時期だったらさぞかしきれいなことでしょう。
小滝がどんどん現れますが、どれも直登可能。

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そしていきなり最初の坑口が現れました。
GPSによると、標高156m地点になります。
中へ入ってみます。

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奥行きはなく、3mぐらいで行き止まり。
下には錆びた空き缶が2個ほど、泥にまみれて転がっていました。

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鉱物観察が目的なので、側壁の写真も紹介します。
といっても、もう一つの坑口内部もそうですが、何もめぼしい鉱物はみられなかったです。

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標高175m地点で、2つ目の坑口発見。
間口もさっきのそれよりはずっと大きく、入り口から中を覗き込むと思わず手に汗を握りました。

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本格的な坑道です。
4~5m先まで水没していますが、水深は10cmほどしかないので歩を進めてみました。

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約20m先で行き止まり。
壁面を詳しく観察すると、黄鉄鉱(たぶん)の微粒子が坑道終点から3mほどの区間の壁面に浮き出ていることがわかりました。
でもそれだけ。石英もなにもない・・・

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2つ目の坑口から上流部を写してみました。
あるブログで大滝の先に三段滝があるとの記述があったのですが、この滝が三段滝でしょうか。
この先に坑口はないような気がしたし、今回の装備ではこれ以上上を目指すのは危険と判断、ここでUターンしました。

さて、帰宅後改めて「ミックンのつぶやき」を見てびっくりしました。
彼のサイトで”多宝山界隈”の坑口として紹介されている写真、ぼくが今回見つけた坑口と同じ場所ではないですか!
多宝山山頂付近で見つけたんだろうなと思っていたのですが、大滝沢だったんですね。
となると、ひとつだけ解せない点があります。
それならなぜミックンは、すぐ隣の同じような標高の場所に存在する坑口を石瀬鉱山のものとし、こちらを多宝鉱山に分類したのか。
今日新潟市の図書館へ行って、西蒲区の住宅地図を見てきました。
すると、やっぱりこの一帯は石瀬地区に該当するようです。
多宝鉱山も石瀬鉱山も、実は鉱区の名称が昔は結構混同されていた可能性があると思うのですが。
さて、行きは大滝沢を遡行して多宝山へ抜け、帰りは小滝沢を下降するというルートで沢登りした人の記録も読みました。
具体的な場所は書いてなかったですが、3つの坑口を発見したとありました。
小滝沢で2つ(うち1個は狸掘り跡)、大滝沢で2つが現状判明している坑口の数なので数は一致します。
やはりあそこより上流へ行っても無駄足に終わったと思います。
しかし、しかしです。
本日新たな情報を入手。
1枚目の絵地図に、元薬師という地名が見えますが、ここから多宝山山頂~石瀬峠を結ぶ登山道に途中合流するへつり道が元薬師のあたりから存在するみたいなのです。
その方の登山記録によると、大滝沢の三段滝のあたりで踏み跡が消えたから、左岸の尾根を目指してエスケープ、20分後へつり道に出たとありました。
で、へつり道を進んでいたら坑口を見つけたとのことで、坑口の写真が1枚アップされていました。
そのへつり道は採掘した鉱石を運搬するために作られた道だったのでしょう。
弥彦山周辺はこのような地図に載っていない旧道や廃道、作業道やけもの道が多いので、それらを片っ端から歩くのも面白いかもしれません。
実際、それらの道をくまなく探査し、山野草の秘密のお花畑探しに精力を傾けている人も少なくありません。
一例をあげれば、新潟県山岳会の重鎮・上村幹雄氏。
上村氏が自費出版している本を県立図書館で見ることができます。
上下2刊あり、それぞれ角田山編と弥彦山編に分かれ、山野草スポットが詳しく紹介されているのです。
もちろんそこには失われた鉱山道の情報なんかもさらっと書かれていたりして、とても参考になりました。


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岩井堂山を極める (2) [鉱物 (新発田市・岩井堂鉱山)]

1952年から数年間、主として黒鉱を採掘していた岩井堂鉱山は、坑道掘りをしていたわけではありません。
たぬき掘りや露頭掘りでちまちま採掘していたのです。
その名残、つまり人工的に削られた跡が見られる場所の写真を何枚か紹介します。

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まさに黒鉱。
まだまだ採れそうです。

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こちらは、岩井堂山の山頂直下で見つけた場所。
表面には重晶石が見られました(次の写真参照)。

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このほか、新たに重晶石の美晶をいくつか見つけたので、それらを紹介します。

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美しい結晶が見られる母岩はどれも硬く、言い方を変えれば、結晶の美しさと母岩の硬さは正比例の関係にあるようで、写真を撮るだけにとどめておきました。

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最後に、2月20日の記事で拾った重晶石の写真を載せましたが、もう一個のそれの写真です。
結晶がこれ以上ないくらい不規則な形状で発達しており、どこをどう切り取っても不満が残ります。
ただ、結晶のサイズはかなり大きく、長辺1cm以上ある部分も。
このように拡大して観察すると、ホタル石に似ている部分もあり、つくづく幾何学パターンは神秘的だなあと思います。
ちなみに、重晶石の結晶は斜方晶系です。


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岩井堂山を極める (1) [鉱物 (新発田市・岩井堂鉱山)]

前に書いたかもしれませんが、五十公野丘陵の中心に位置する通称岩井堂山(86m)は、ぼくの遊び場でした。
小学校高学年の頃から探検とか冒険というコトバに反応するようになり、そこには母に押し付けられて読んだ「十五少年漂流記」の影響もあるのですが、自宅からチャリで15~20分の五十公野丘陵でよく探検ごっこ?をして遊んだものです。
当時は桝潟には釣りしに行くことはあっても、まだ周辺の丘に遊歩道はほとんどなかったし、未知の地形や踏み跡を探しに行くのは、もっぱら五十公野丘陵南部でした。
具体的には岩井堂山と、その右手の山~豊田神社周辺からため池にかけて~が多かったです。
岩井堂山入り口に立つ赤い鳥居を前にして左手にも小道がありますが、そこを進んでいっても桝潟に出ることはできません。
右手には山を縦断する道路が隣の山を分断しているし、岩井堂山は地形的に孤立しているのです。
なので、桝潟奥のあやめ園がメジャーになってからは訪れる人も激減し、山中で人に出会うことはまずありません。
最近治山工事のためコンクリートで覆われてしまいましたが、登山道途中の巨岩には、大人一人が座れるほどのちょっとした空間(洞窟)がありました。
40年以上前の記憶によると、洞窟はその先右手方向かなりの急傾斜で下に続いていたような。
だけど、その空間がかなり狭く、出口が見えなかったのでそこを降りたことはありません。
さすがに子供心にも、本能的な危険を感じたのです。
ところが、期せずして本日この失われた(と思っていた)洞窟の出口を見つけてしまいました。

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EOS M6 Mark II + EF-M 15-45mm F3.5-6.3 IS STM (共通)

それがここ。
治山工事で今まで笹薮だった斜面にも踏み跡が付けられており、山頂から南側の、今までほとんど歩いたことのない斜面に岩がもっとないかを調べるために、突風吹きすさぶなか山中をさまよい歩いたのでした。
あの洞窟にはもう一つの入り口があったのか・・・

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中へ入ってすぐのところ。
間口は狭いですが、中へ入ると思ったより広々していました。
その先はいったん先細りになりますが、道の真ん中に転がっている岩の向こうは再び広めの空間が続いています。
斜度は15°前後でしょうか。
子供の頃の記憶だと30°以上あったような気がしているんですが、記憶は主観によって書き換えられるし、まあいい加減なものですから・・・

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岩の手前から両手を差し出し、奥の空間を写しました。
突き当りにコンクリートの壁があるのが見て取れます。
本当はその先やや右に洞窟はカーブしているはずなのだけど、カーブの手前でコンクリートで蓋をされたのか?
この写真だけではよくわかりませんが、そうなのかな?
だとしたら、入り口入ってすぐの小部屋は永久に閉ざされたのかな?
岩の脇をすり抜けるのは容易いのですが、ズボンが泥だらけになるので、今回はここまで。
今回始めて外付けのストロボを使いましたが、やはり光量が豊富ですね。
もっと早く買えばよかった・・・
ところで、この洞窟が大自然の造形なのか、鉱山の坑口として人工的に作られたものなのかは判断がつきかねます。
多分、自然の造形じゃないかと思うのですが、入り口周辺にはタガネを使ったような跡も見られるし、多少はここでも採掘していたのかも。
古文献にあるように、地質は凝灰岩に石英粗面岩が主体。
今でも黒鉱は普通に見られます。
ただし、べっ甲亜鉛!はありませんけど。
限定的ですが、場所によっては重晶石も見られます。

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洞窟周辺の風景。
おそらくこの巨岩の周辺が、岩井堂山を含む五十公野丘陵全体で最もダイナミックな地形だと思います。
週末探検にはもってこい!?

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左のコンクリートの中に、右の岩とペアでもうひとつの巨岩があったんです。
洞窟の入り口はその巨岩の真ん中のあたりにありました。
右手の高い方の巨岩の頂に登ったのは、小学校4年か5年の頃だったと思います。
中学生の時にも1回登っているので、過去2~3回登っているはず。

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洞窟を出てからはやる気スイッチが入り、この巨岩群の周りを徹底的に歩き回りました。
もちろん鉱物観察をしながらですけど。
そして、初めてこのコンクリート製テラスに登頂。
正面奥の方の岩が、ぼくが子供の頃登った岩になります。
感無量・・・

※3月1日追記
今日改めて洞窟の最深部を目指すべく現地へ行ってみたが、入って3mのところにある、通路を塞ぐように立ちはだかっている岩からどうしても身体をすり抜けさせることができず、そこから奥へ入ることができなかった。
やはりこの洞窟内は、ほとんど入った人がいないように思う。足跡が全く地面に付いていないし、入口付近を除けば内部の空間でタガネを使った形跡は見当たらない。




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黄金の煌めき [鉱物(阿賀野市)]

1月22日の記事で取り上げた、金の狸掘りを行っていたと思われる無名の洞窟(阿賀野市)へ行ってきました。
今回はマクロレンズできちんと金のクローズアップ写真を撮ることが目的。
三脚はもちろん、スライダーの付いたマクロ撮影用のアームも持ち込み、カメラに搭載されているフォーカスシフト機能を利用しながら撮りました。

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EOS M6 Mark II + EF-S 35mm F2.8 マクロ IS STM (共通)

これで一片2mmくらいでしょうか。
大きくても2.5mm止まりで、ほとんどの結晶は1mm以下のサイズです。
洞窟内の壁面に石英はほんのわずかしか見られず、でもその周辺に比較的大きな金の粒子が見られました。
(後日補足:やっぱりパイライトのようでした。愚者の金とはよく言ったもの。シロートはこれだから困る。)

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他の個体。
大きくトリミングしています。


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この黒い鉱物は、六角形の劈開面が現れているのでおそらく黒雲母だと思います。
風化した流紋岩と花崗岩が入り混じった地質なので、花崗岩を構成する黒雲母だと推察。


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EOS M用のマクロレンズも市販されていますが、焦点距離が28mmと広角寄りである上に、開放F値が3.5と暗い。
MTF曲線も良くないし、マウントはプラスチック。
ゆえに食指が動かず、アダプターをかます必要がありますが、2ヶ月前にこのレンズ(EF-S 35mm F2.8 マクロ)を買いました。
光学性能も申し分なく、出番がどんどん増えています。


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EOS M6 Mark II + EF-M 15-45mm F3.5-6.3 IS STM

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帰りに、五頭山麓に近年たくさん造成されている林道の一つを走ってみました。
その林道、昨年訪れたときは標高250m付近で工事中、行き止まりになっていたけど、今回はぐるりと一周することができました。どうやら完成したようです。
途中、80cm~1mほどの岩が路肩に転がっており、そこに薄紫がかった水晶の結晶があちこちに付いているのを発見。
それが上の写真です。
五頭では一般的な産状ですが、道路脇に転がっているというのがすごい。
重さが200kgくらいはありそうで、両腕で押してもびくともしません。
交通の妨げになっているわけでもないし、おそらくこの岩、撤去されることはないと思います。
いい目の保養になりました。



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岩井堂鉱山の重晶石 [鉱物 (新発田市・岩井堂鉱山)]

黒鉱を採っていた岩井堂鉱山(新発田市)では、粒は小さいながらも今でも亜鉛系の結晶(閃亜鉛鉱や方鉛鉱)を見ることができます。
あまり知られていませんが、閃亜鉛鉱は蛍光鉱物でもあるのです。
不純物として鉄を含んでいるものは光沢感のある黒になりますが、鉄分が少ないと透明感のある黄色やオレンジ色に蛍光すると言われています。
20日の夜、岩井堂鉱山の黒鉱がUVライト(365nm)で蛍光するのかどうか確かめたくて、夕食後に駆けつけてみました。
結果、ほとんど蛍光現象は見られませんでした。
わずかにオレンジ色に蛍光する部分もありましたが、本当にピンポイント。
蛍光実験は空振りに終わりましたが、地面に転がっている4~5cmほどのズリ石を手にとってみると、重晶石が付いていることに気づきました。
亜鉛よりははるかに希少価値の高い鉱物なので、3個ほどお持ち帰り。

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粘土まみれになっており、一応たわしでごしごし洗ったあとですがこれくらいでは汚れは落ちないようです。
水晶の時みたいに、サンポールの原液に浸せば白くなるのかな?
それともそういう強酸性の液体に浸けると、重晶石の結晶が溶けてしまうってことはないのかな?
マクロ撮影なので大きそうに見えますが、横幅5cmくらいです。

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2枚目以降の写真は、すべて違う個体の結晶部分です。
ちなみに、秋田県玉川温泉の北投石は重晶石の親戚。
重晶石にラジウムと鉛が加わったものが北投石です。
重晶石(バライト)から生成される硫酸バリウムは、医療用の造影剤として広く利用されていることでも有名。
黒鉱鉱床でよく亜鉛と共生している鉱物で、昭和40年代頃までは国内の亜鉛鉱山でも採取されていました。
しかし他の金属や鉱石同様、近年はすべて海外から輸入されており、国内で重晶石を採取している鉱山はありません。
だけど、このようにあることはあるのです。
こんな人里に近い里山の一角で、人知れず眠っていたりします。



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岩井堂鉱山跡を歩く [鉱物 (新発田市・岩井堂鉱山)]

新発田市の郊外、五十公野丘陵にある岩井堂鉱山を探検?してきました。
昨年も3回ほど探索したのですが、今回は上部の岩場を中心に探索。
まだ足を踏み入れたことのないエリアがあったので、どうしてもその斜面を歩いてみたかったのです。
この鉱山は岩井堂山の山頂付近(9合目)と麓のあたり(2合目)に、鉱石を切り出したであろう露天掘り跡や小さな坑口が残っています。
今回運良く、かなり大きめの露天掘り跡を上部で新たに見つけることができました。

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奥行き2~3mほどあるでしょうか。
もう少し近寄ってみます。

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岩井堂山では凝灰岩や石英粗面岩(流理構造のあるものを流紋岩と呼びます)が多いのですが、ここの地質も同様です。
この日ヘッドライトを忘れてきてしまったので、奥の方の壁面は肉眼では全く観察することができませんでした。
ストロボを焚いて撮った写真を見ると、まだまだ黒鉱が採れそうな感じ。
岩井堂鉱山は、唯一「日本鉱産誌. B 第1-b :工業技術院地質調査所 1956」に名前が出てきます。
それ以外の文献では見かけたことがありません。
新潟県地質図説明書にも載っていない、マイナーな鉱山です。
先の文献によると、採鉱開始は1952年で、1955年現在採鉱中とあります。
閉山の時期はわかりませんが、おそらく1960年代後半頃ではないかなと睨んでいます。
岩井堂山の上部には山麓を迂回するように林道が付いており、8合目のあたりまで伸びています。
今でも道は荒れておらず、よく手入れされていることが伺えます。
もっとも、これは全山的に松茸の生える山(戦前はリアカー一杯取れたそうです)を復活させるべく、下草刈りや間伐など、山林の手入れを地元のボランティア団体や有志の方々がきちんと行っているからですが。
この林道、元は鉱山道として敷設されたのではないかと考えています。
山頂付近で採掘された鉱石を、軽トラに積んで里へと運んでいたことでしょう。

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さらに、この岩場の少し上の方で小さな穴を発見。
中央やや右の穴っぽく見える部分がそうなのですが、一応人工的な穴のようでした。


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次に、昨年探索したエリアへ移動し、改めて見落とした地形がないかチェック。
すると、ありましたありました、大きな裂け目が。
ただしこの裂け目は幅が40cmしかなく、身体を潜り込ませることは困難なので、自然の造形だと思います。
岩そのものは5mほどの高さがあり、周辺の地形はダイナミック。

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上部の探索を終えたあとは山の2合目付近に移動し、下部エリアの探索を開始。
昨年訪れたときはまだまだ鉱物に対しての知識が乏しかかったため、見落としていた物質(=閃亜鉛鉱)をすぐさま発見しました。
日本鉱山誌によると、ここで採掘していた鉱物は、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、重晶石、石英ということになっています。
また、つい先日偶然にもヤフオクに、岩井堂鉱山産黒鉱というラベルが付いた鉱石が出品されているのを目撃しました。
黒鉱に代表される亜鉛系鉱物は県内各地で広く採取されていたようで、今でも容易に山中で見つけることができます。
ちなみに、黒っぽい粒の閃亜鉛鉱のうしろに見られる板状結晶が重晶石。

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大きな結晶ではありませんが、かなり貴重な鉱物。
これの大きな集合体になるとバラの花のように見えることがあり、それを特に”バラの花”と呼んだりします。
尚、下部エリアには小さな坑口が2つあるのですが、大きな方のそれは完全に水没していました。
昨年訪れた時より水量が増しており、中へ侵入するのは不可能になっていました。



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陣場山の聖地 [星景写真(新発田市)]

2017年9月8日の記事で取り上げた神社へ行ってきました。
二王子岳の麓に陣場山という丘があるのですが、そこに佇む古社です。
修験道で栄えた二王子岳へは自動車がなかった時代、新発田市街から徒歩でアプローチしたわけです。
日帰りだときついので、二王子神社境内にあった宿泊所に一泊することも多かったとか。
早朝新発田市街を出発し、この神社の近くにあった茶屋で一息入れるのが定番だったようです。
今回夕方になってから急に行ってみようと思ったので、現地へ着くのがかなり遅くなってしまいました。
あと30分早く現地入りすれば、もう少し星の色や散光星雲の色が出せたかもしれないのですが、後の祭り(撮影開始直後から薄雲が拡がってきた・・・)。

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EOS6D Mark II 改 + EF16-35mm F2.8L III USM (16mm)
ISO8000, F2.8, 12秒(x14枚)

さて、この日は昨年12月に仕入れたF2.8通しの超広角ズームと、やはり12月に手元に届いた、天体用にフィルター換装したキャノンのフルサイズ・デジイチのファーストライトです。
現地へ着いたのが19時20分頃だったので、試写する余裕もなくいきなり本番。
で、ひとつ失敗してしまいました。
絞りをF3.5にしたつもりが、なぜかF2.8になっている・・・
そのため露出オーバー気味になり、シリウスは完全に飽和してしまいました(通常の露出でもシリウスは白飛びするけど)。
到着直後の空は非常にいい空だったので、或いはあの状態が続いていたらオリオンの散光星雲もちょっとは写ってくれたと思うのですが・・・
星像は思ったよりシャープでした。これならOK。
マニュアルでピント合わせしている段階から、それまで使っていたEF16-35mm F4L ISより星像がシャープであることを実感。
周辺減光も、DPPで現像の際30%上乗せするだけで全く目立たなくなるので、取りあえずこのレンズに欠点は見当たりません。片ボケの有無に関してはまだわかりませんが。
その点、RF15-35mm F2.8 ISの方はこのレンズよりさらに半段ほど周辺減光がきついです。
近い将来フルサイズのミラーレス機に全面的に乗り換えることを考え、後者のレンズにすることも考えたのですが、周辺減光が強すぎるのと、RFレンズ全般に言えることですが距離指標がない点が引っかかり、レフ機用のレンズを選んだ経緯があります。
他社のミラーレス用の最新レンズにも言えることですが、距離指標はぜひ付けてもらいたいですね。








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八前沢銅山付近の露天掘り跡 [鉱物 (弥彦山周辺・八前沢銅山)]

かつて弥彦山山麓には6箇所前後の鉱山があったのですが、いずれも情報が少なく、坑口の位置が不明な鉱山がほとんど。
それでも鉢前鉱山に関してはおおよその位置をつきとめたのだけど、まずは現地に行って調査してみないことには何とも言えません。
珍しく晴れ間が覗いた2月2日、弥彦山麓を訪れました。
1時間ほどあっちの沢、こっちの尾根という具合に心当たりの場所を歩き回ったのですが、成果なし。
少し場所を変え、改めて道なき道を歩き始めたら、すぐ大きな岩場が目の前に出現。
これは怪しいと裏側に回り込んでみたら、ようやく露天掘りの跡を見つけました。

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結構高さがあるので、縦アングルで撮影。
ちょっと感動です。
これが鉢前鉱山のものかどうかはわからないけど、かなり古そう。
鉢前鉱山の歴史もあまり正確なことはわかっておらず、明治~大正年間にかけて稼働していたと思うのですが定かではありません。

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奥行きは3mくらいでしょうか。
ストロボを焚いて内部を撮影。

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基本的には銅を採っていた鉱山なのですが、ところどころ写真の緑色凝灰岩が見られました。
ある資料によると、間瀬の銅山産業が衰退し始めた頃、ある事業家が鉱山技術を生かして新しい事業を画策。
そこで考え出したのが、山中で見られる緑色の硬い材質の石を加工し、水石として売り出すこと。
この石の学名を緑色凝灰岩という、と資料には書いてあるので、多分これがそれではないかと。
要はグリーンタフのことなのですが、この岩場のそれは日本海側の田野浦海岸あたりに見られるグリーンタフとは違い、とても硬かったです。

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また、壁面のところどころに、ちょっと見づらいですが数ミリの針状の結晶が生えていました。
多いところでは何十本も。
触ると硬く、何かの鉱物だとは思うのですが、調べてもわかりませんでした。

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この洞窟、動物のすみかになっているみたいで、入り口にはこのような排泄物が・・・
弥彦山系には熊は生息しないので安心なのですが、何の動物かな?

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周辺の風景です。

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そこからやや上がったところに、もう一箇所の露天掘り跡がありました。
大きさは先の洞窟の1/3に満たないですが。
岩の種類は全く同じでした。

※2022/04/13追記:
おそらく鉢前銅山=八前沢銅山だと思います。




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